二章二十話[なかなおり]
「ばっかやろ……ッ、どけぇぇ!」
叫ぶ。
でも、もう遅い。
うねる水の鞭が、俺を庇うカンナへと容赦なく叩き付けられた。
――バァンッ!
破裂音。
視界が水飛沫に埋め尽くされる。
だが、
「…………カ、ンナ?」
衝撃は、来なかった。
代わりに頬を撫でるのは――暖かい風。
水の鞭が……止まっていた。
空中で、見えないなにかに遮られたかのように。
「……“風”?」
吹き荒れていた。
風が、カンナを中心に激しく巡っている。
俺達に叩き付けられるはずだった水の鞭は、その流れに阻まれ、前に進めずにいた。
「大丈夫、ですか? シノさん……ッ?」
「あ、ああ、けどお前……」
震えている。
それでも、カンナは、僅かに微笑みながらこちらを振り返った。
「平気、です」
そう言うと彼女は、いつの間に取り出したのか両手に扇子を持ち、その場で舞うように回転した。
ふわりと衣装が翻る。
それに呼応するように、風が更に激しく渦を巻いた。
瞬間、その場に止められていた水の鞭が一斉に弾き飛ばされる。
「わぁ〜〜い」
ケタケタ笑うハンナ。彼女はどこまでも楽しそうな顔で、対峙するカンナを見ていた。
「あははっ、カンナちゃん! カンナちゃんも、あそんでくれるのぉ?」
「お姉、ちゃん……やめて、もう……ッ!」
悲痛なカンナの叫び。
扇子を握る手が、白くなるほど握られていた。
「やめる? なんでぇ? もっともっと、おねえちゃんとあそぼうよぉ、カンナちゃん!」
再び水の鞭を振るうハンナ。
まるで蛇みたいに空中を泳ぐそれらは、先程と同じく俺達を取り囲むように襲い来る。
「嫌……ッ!」
扇子を振るうカンナ。
瞬間、巻き起こる風が壁のように広がり、迫る水の鞭を迎え撃つ。
「あははっ! じゃあ、もっと!」
子供みたいに笑うハンナ。
水の鞭が一斉にしなり、風の結界へ叩きつけられる。
何度も、何度も。
「うぅ……っ!」
カンナの体がぐらりと揺れる。
まずい。
「カンナ! 無理すんな!」
「だ、大丈夫……ですっ!」
「大丈夫じゃねぇ奴は皆そう言うんだよ! いいから、下がれ!」
「下がりません……ッ! お姉ちゃん……助けなきゃ!」
カンナの声、震えてる。
「アハハハはハハはハハ! たのしい! たのしい! たのしい!」
仰け反り笑い続けるハンナ。
水の鞭は止まらない。
蛇みたいにうねりながら空中を泳ぎ、風の結界に向かって絶え間なく打ち付けられる。
「カンナ……クソッ!」
水飛沫と衝撃。
駄目だ。風の結界から、出る隙がない。
歯を食いしばって耐えるカンナの背中を、俺は見ていることしかできなかった。
「あっ……!」
いよいよ膝をつくカンナ。
限界だ。
「もういい! カンナ、休め! 後は、俺がなんとかするから!」
「シ、シノさん……っ」
まだ突破口は見えない。
でも、このままじゃ二人共やられる。
風の結界が解かれる。
覚悟を決めて、俺が前に出ようとした、その時――
「――見ぃーっけ!」
場違いな程に軽い声。
目を向ける。
ハンナの背後。そこに、いつの間にか――
「――レイ!?」
「――レイさん!?」
気付いたハンナが振り返る暇もない。
――バシャン!
水の鞭の一本が突如形を失い、地面の染みになった。
「にゃははー! ゲットにゃ!」
ハンナの背中に張り付くようにしていたレイが、素早くその場から離脱する。
「ねこさん、まてまて〜」
追撃に水の鞭が振り回されるが、レイはするりと軌道の隙間を縫うように動き、それらを回避。いつもと変わらぬ表情で俺達の元へ帰ってきた。
「ただいまにゃ!」
「ただいま、じゃねぇよ! どいつもこいつも、無茶しやがって……!」
「あ、あの、レイさん……? “ソレ”……なんですか?」
「んー? さあ?」
首を傾げるレイの手の中には――黒い物体が握られていた。
ドクドクと脈打つ、謎の塊。
何故か俺には、それがとてもおぞましいものに見えた。
「それ、かえしてぇ」
話してる暇はない。
再び水の鞭が伸びてくる。
身構えた所で、気付いた。
――減ってる。
さっき消えた一本。
水の鞭が、再生してないことに。
「もしかして……」
予感。
俺は咄嗟にレイから黒い塊をひったくり、それを包丁でぶった切った。
じゅっと音と共に、塊が蒸発。宙に消える。
「あっ……」
その瞬間、びくりと震えるハンナ。
水の動きが止まった。
「あ、れ……?」
ぽつりと、戸惑ったような声。
今まで笑っていたハンナの表情が、少しだけ曇る。
「……お、お姉ちゃん?」
呼びかけるカンナ。
ハンナは、きょとんとした顔で周囲を見回す。
「カ、ンナ……?」
妹を呼ぶ、小さな声。
「お姉ちゃん!」
姉に歩み寄ろうとするカンナ。
だが、次の瞬間。
「あはっ」
ハンナの顔が歪む。
また、笑顔。
「だめぇ……おわり、まだ……まだ、あそぶのぉ!」
残った水の鞭が荒々しく振り回される。
狙いもなにもない。ただただ滅茶苦茶な軌道。
周囲の建物が、聖獣の像が、手当たり次第に打ち付けられる。
「っとぉ……!?」
「あぶにゃ……!」
「皆さん、こっちです……!」
カンナが再び風の結界を起こす。俺とレイは急いでその中へ避難した。
「近付けねぇな、ありゃ……」
まるで、駄々をこねる子供だ。
とてもじゃないが、まともに相手できる状況じゃない。
「ねぇ、ご主人」
隣で、レイが呟いた。
「まだ、あるにゃ」
「なに?」
「さっきの、黒いやつ。ハンにゃの背中に、たくさん」
「マジかよ……」
つまり、それが元凶か。
だったら、全部取り除けば、もしかして……?
「難易度高ぇなおい……」
でも、やるしかない。
俺達で。
「レイ! また、盗れるか?」
「もっちろん! お任せにゃ!」
「よし!」
猫の反射神経。信じるぜ!
「どう、するんですか……?」
「俺が水をぶった切る! だからレイ! 再生する前に――盗れ!」
「あいあいにゃー!」
「いくぞッ!!」
風の結界が解かれる。
同時に俺は白炎を足に集中、全速力で踏み込んだ。
「あはっ、きたぁ」
それを待っていたかのように、水の鞭が一斉にこちらへ向けて伸びる。
「させない……!」
温かな風が頬を撫でる。
一瞬、風が俺の周囲で渦を巻き、水の軌道を逸らした。
「おらぁッ!」
もう遠慮はいらねぇ!
伸び切った水の鞭に斬視を発動、光に沿って五連撃。全てを輪切りにする。
宙に弾け飛ぶ水の鞭。
「レイッ――」
「――分かってるにゃッ!!」
水の攻勢を掻い潜り、ハンナの背後に回り込んでいたレイ。
「いただきにゃす!」
鞭が再生するより早くハンナの背中に手を伸ばし、そこから黒い塊を吸い出した。
「これで全部! ご主人ッ――」
「――おう、任せろッ!!」
こちらに向けてレイが塊を投擲。
数は、五つ。
俺は包丁を構え、その全てを一閃。消し炭に変えた。
「あ……あぁあ……っ」
瞬間、ハンナの動きが止まる。
「う、うぅ……わたし……私……は?」
声から、幼さが消えた。笑顔も。
その背中から再生しかけていた水の鞭も、バシャンと音を立てて溶け落ちた。
ハンナの体が、ふらりと揺れる。
「――お姉ちゃん!」
崩れ落ちる姉を、カンナが駆け寄り、抱き止めた。
「カ、ンナ……? なんで、泣いて……?」
「知らない! 馬鹿ッ! お姉ちゃんの、馬鹿ァ!」
ぐしゃぐしゃの顔で姉に縋り付くカンナ。
ハンナは、そんな妹を呆然と見つめて……そして、
「ごめん、ね……」
困ったような顔でそれだけ呟くと、力なく瞳を閉じた。
次回「そして、雨が降る」
乞うご期待!




