後編
「魔王」の封印になぜわざわざ「聖女」を召喚したのか。その理由は「魔王」が保持している大量の魔力にある。
封印とは強大な存在を蓋をするように閉じ込める術である。
ベストリアの世界にいる魔術師数人がかりで「魔王」に封印を施しても、「魔王」の魔力では時を経たずして封印は内側から破られてしまう。「魔王」を殺そうにも不老不死で食事も睡眠も取ることなくずっと在り続ける言われている。
「いや、それ嘘だから」
「え?じゃあ普通に死ぬってこと?そういえば食事は?」
「自分の魔力を摂取してるから食事要らずだ。普通は魔力尽きると死ぬからやらないけどね。何せ魔力が暴走するほど余ってるもんだから…でも年は普通に取ってるはずだぞ」
「えーじゃあ放っとけば勝手に老衰で死ぬじゃん…」
「そうなるな。魔力消費のために生み出した魔物も王国領から出してないし、俺も外に出るつもりはないんだが、他の奴らは不安でしょうがないんだろうな」
ベストリアと敵対していた国も魔術の研究を行っていた。研究内容は「召喚」。
元は手駒に出来る魔獣を召喚する魔術なのだが、この召喚術で魔王に対抗できる者を召喚できないかと研究が続けられた。
そして「魔王」と同等の魔力を有するという条件のもと召喚されたのが実兎花であった。
「この封印の中は俺とみつの魔力が拮抗している状態で保っている。下手に崩すと押しつぶされたり、まぁ、何が起こったか分からん内に死ぬわな」
「私の魔力が封印の術で尽きるころにはベスの魔力も尽きて仲良く死ぬ。ベスが足掻けばバランスが崩れて二人とも死ぬ。どっちに転んでもいいわけだ。ははは、…あいつらぶっつぶす。もいでもいですりつぶすっ」
目がマジになって物騒なことを呟き始めた実兎花をベスが慌ててなだめる。どうやら実兎花と巽の力関係はそのまま引き継いでいるようだ。
「だ、大丈夫だ!俺を誰だと思っている。自慢じゃないが魔術研究所では術の構成と開発では並ぶものがないと言われるほどの魔術師だ。封印のバランスを崩さずに中から解く方法ぐらい編み出してやる」
「おお~」
パチパチと手を叩く実兎花にギロリとベストリアは目を向ける。
「他人事だと思うな。編み出した術の展開はお前もやるんだぞ」
「ええ~~~!?」
実兎花の抗議を黙殺してベストリアはにやりと笑う。
「幸い時間は飽きるほどあるからな。丁寧に教えてやるよ、『聖女』さま」
・・・
ただ呪文を唱える封印の術と違い、封印の状態を確認する術をかけながら次々と構成していく術展開は煩雑を極めた。元々実兎花の基礎がなっていない上に、ベストリアが人に教え慣れていないため、術の習得には長い時間を要することになった。それでも実兎花が泣き言いえばベストリアに励まされ、学習に飽きてふざけてボケればベストリアが呆れながらもつっこんだりと、思ったよりも苦痛なく学ぶことができたのである。
「よし、やるか」
「うん」
実兎花とベストリア、二人が暗闇に並び立つ。夢の世界を解き、封印の闇に戻った後はお互いやりとりが利かないまま脳内で術式を展開し封印を解く。二人の内どちらかが段取りを間違えても相手に伝わらないため中止はできないまま、封印の内部崩壊を招いてしまう。
さすがに緊張を隠せない実兎花にベストリアは優しく頭を撫でる。
「大丈夫だ。失敗しても、恨まないから」
「それ大丈夫って言わない~~」
「はは、…みつ」
「うん?」
腕を伸ばしかけたベストリアだが途中で止める。
「…いや、全部片付いたら言うよ」
「ちょ、それ死亡フラグってゆーんでしょ!?」
「くくっ、さぁ始めるぞ!」
あっという間に相手の存在は掻き消え、実兎花は何も無い闇の中に放り込まれた。
(くっそ~~ベスめ!後で覚えてろ!)
実兎花は悪態を一つついてから術式を展開し始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
―――光。
光には質量がないと聞いたことがある。
だけど今、実兎花は襲い掛かる光に押しつぶられそうな感覚に襲われ足をふらつかせる。
倒れこんだ先は冷たい地面ではなくほのかに温かい布の感触だった。
「みつ?大丈夫か?」
「…たく…」
耳元で囁かれた優しい声音と身を包む感覚に思わず安心してしがみついた実兎花は、次の瞬間には慌てて身を離そうとした。
「うわごめんベス!大丈夫だよ!」
だがベストリアの腕は離れず、逆に実兎花の後頭部に手を添えられ抑え込まれた。
「まだ光に目も慣れてないだろう?無理するな」
実際、実兎花の目の前のベストリアのローブは暗色にも関わらず眩しそうに見えた。だがベストリアに抱きこまれているという状況は実に落ち着かない。しかもそんな実兎花の耳に複数の人間の悲鳴やざわめきが聞こえた。
「ベス?誰か他にいるの?」
「ああ、神官だな。ふん、御大層に神殿を立てて封印を祀りやがって」
鼻で笑ったベストリアは何やら短い呪文を唱えた。瞬間足元が揺らいだかと思うと、更にまぶしい光が辺りを満たした。
「うぉ!?目が!目がぁ!?」
「ご、ごめんみつ!…これは俺でもまぶしいわ」
ぎゅっと抱え込まれた実兎花はベストリアに苦情を訴えた。
「なにやったのよ!」
「いや、あの場所から転移したんだが、考えてみたら室内から屋外に移ったんだからよりまぶしくなって当然だな」
苦笑を含んだベストリアの声を聞いた実兎花も呆れ、あきらめて二人の視力が戻るまで抱えられるままに任せた。
・・・
「…で?ここはどこ?」
「どっかの森だな。王都から、あの国からできるだけ離れるようにしたが…」
辺りを見回すと人の気配が全くしない深い森のようだ。
「まぁ俺と実兎花の魔力量じゃすぐ辿られてしまうけど、その前に次の術式を展開するから問題はない」
闇の中でベストリアに教授されたのは封印の解き方だけではない。実兎花自身に残っている元の世界の因子を目印に座標を定め、世界を渡って実兎花が召喚された場所に転移する術も教わったのだ。
「…あれからどれ位経ったんだろう。帰ったら浦島太郎になってたらやだなぁ」
「時間の部分は俺に任せてくれ、みつが召喚されたその『時』に必ずつなげるから」
「ほんと?信じてるよ?気付いたら核の炎に包まれた世界とか嫌だよ」
「お前なぁ…」
ベストリアは呆れた顔で実兎花の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
「俺を誰だと思ってる」
「ぎゃっ!?なにするだ!」
「いいからさっさと術式を展開しておけ。俺は雑事を片づけた後にお前の術に時間軸を加えるから」
のんびりやっていいからと言い残し、ベストリアはどこかへ行ってしまう。実兎花は結局最後まで締まらないなぁと思いながら呪文を紡いでいった。
しばらくして術が完成した。展開された範囲は狭いが無数の細かい魔力の糸が複雑に入り組んだ感を受ける緻密な術だ。
「お、終わったか。なんとかサマになったな」
ひょっこり戻ってきたベストリアに実兎花は文句を言う。
「ベス、おそーい。何やってたの」
「ちと意趣返し」
「ふーん?」
「『魔王』の気配を纏った魔力の玉をいくつも世界各地に散りばめた。探索魔法が膨大な魔力だと誤認するようなやつをな」
「うわー…」
「あくまで魔力があるように見せかけてるから害はない。せいぜい必死に『魔王』を探せばいいさ」
くつくつと喉を鳴らして笑うベストリアを見て、実兎花は初めてこの人が「魔王」だなと実感するのであった。
「よし、帰還術に道を閉ざす術も編みこんだ。これを発動すればこの先この世界からみつの世界に繋がらなくなる」
「これで次の『聖女』は召喚されないんだね」
ホッとして言う実兎花にベストリアは頷く。
「そろそろ行くか」
「はーい」
「…みつ」
「うん?」
「お前ここまで素直すぎるぞ。俺があいつらと同じく騙してたらどうするんだ」
「今更~」
実兎花はケラケラと笑う。
「ベスは『たく』なわけだし。…たくになら騙されてもいーよ」
「!!…みつ、お前向こうに戻ったら覚悟しろよな!」
「へ?なにっ
実兎花が疑問の言葉を出し切る前に、術陣から強い光が放たれ、一転視界は再び闇に包まれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……」
実兎花は気付いたら冬の朝の登校風景の中にいた。懐かしい…というには繰り返し夢で見続けてきた風景なので、なんとも複雑な気分と言った方がいいかも知れない。
「懐かしいな」
「!?」
目を白黒させて振り返ると、そこにいたのは学生服を着た巽だった。
「たく…!ってあれ?」
出で立ちは一見巽なのだがよく見ると違う。目と髪の色を黒く変えて短く整えたベストリアだった。
「色を変えるだけの方が魔力を節約できる。これまでの術でほとんどの魔力を使い切ったようだがまだ小細工する程度は残ってるようだな。正直助かった」
元の世界の戻る前に、こちらの世界で魔法が使えなかったらどうするかと冗談半分とはいえ危惧していたので、「助かった」というのはそのことを指していたようだ。
「ん?ということは私も魔法が使えるのかな。…って封印と解除と帰還しか教わってなかった!」
大げさな身振りで悔しがる実兎花をベストリアはサッと頭から足まで見下ろして断言する。
「…お前の魔力は使い過ぎてすっからかんだ。この世界にいると魔力が回復しないようだし諦めろ」
「ええ~~~~!?異世界に呼ばれてひどい目に遭ったのに特典すらないなんて!ずるい!ベスだけずるい!」
「ええい引っ張るな!というかじゃれてる場合じゃないだろ!その恰好で登校する気か?」
「え…?」
実兎花は自分を見下ろすと異世界で着てたローブ姿のままであった。早朝とはいえ、この姿で公道に立って騒いでいたのである。
「ぎゃあぁぁぁ!?先に言ってよ!」
「いいから帰って着替えろ」
ため息をつかれながらベストリアに帰宅を促され、母をどう誤魔化すか考えながら一歩踏み出したあと、ふと思い出し実兎花は振り返る。
「たくは?」
言われたベストリアは一瞬キョトンとしたあとニヤリと笑う。
「小細工済んだら会いに行く」
「…分かった。またね、たく!」
実兎花は大きく手を振って勢いよく家へと駆けだした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「…といったことも6年前。早いもんですね~」
「ん」
異世界から戻って数日後、実兎花の前に巽は姿を現した。
「小細工」とは戸籍とか、金策とかのことだったらしい。巽の魔法でもさすがに実兎花の夢の世界のような設定通りにはできず。転校生「小河原 巽」は事情あって遠い親戚の援助で一人暮らししながら実兎花の高校に通うこととなった。
夢の時と違い西洋人の顔立ちに東洋人の色合いを持つ巽は「すわハーフ美少年!?」と学校中にもてはやされたが、当の本人はどこ吹く風とばかりに実兎花を追いかけまわして熱心にかき口説き始めた。実兎花は相変わらずの筋肉愛でガリヒョロオタクの巽は恋愛対象外だったが、さすがに正面からアタックを続けられるとかわしきれずに卒業を前に陥落。
「受験時になにやってるんだ落ちろっリア充ども!!」という同級生の怨嗟の祝福もなんのその、二人三脚で封印を解除したベストコンビは受験も無事突破。大学こそ別だが希望したところへそれぞれ合格し、その後も順調に交際を重ね、就職を機に同棲も始め、同窓会では「もっとも結婚に近いカップル」として羨望を集めている。
「しっかし、たく、筋肉は詐欺でしょう…」
「昔を思い出して気にするのはそこか」
「優良企業に勤めて美形な細マッチョとか、世の中謳歌しすぎでしょ~!」
「みつ、飲み過ぎだ」
そもそも今日は実兎花の誕生日ということでレストランで食事する予定が、実兎花の大幅残業により座卓でケーキと酒を囲ってのお祝いとなった。まだ社会人1年で仕事に不慣れな実兎花に対して、巽は早々と要領のよさを発揮して同期チーム一の出世頭と目されている。
しかも夢の世界で実兎花の嗜好が身に染みて分かったのか、巽は実兎花の世界に来てから黙々と筋トレに励み、実兎花の知らぬうちに筋肉質なボディとなっていたのだ。
「着やせするもんだから気付かなかったよ。おかげで嬉し恥ずかし初体験でうっかり鼻血出すところだったわ」
「出さなくてよかったな」
呆れたように巽は実兎花の手からチューハイを取り上げる。先ほどから酒を片手にくだを巻く実兎花だが、その理由に思い当たる巽はやれやれとばかりに彼女の体を抱え込む。
「心配しなくても俺にはみつだけだ」
「ん…」
仕事ができるだけでなく、鍛えた体をスーツで隠し、細いメタルフレームの眼鏡をかけた巽は猛禽類を彷彿させる妙な迫力を持っている。おそらく年を重ねると更に女性を引き付ける色気を纏うだろう。実兎花は自分と比べ不安になっているのだ。
「たく、今日はごめんね…」
「気にするな。それより誕生日おめでとう」
「ありがとう…」
膝の上に抱え込まれ巽の胸板に頬をすり寄せる、普段の勝気な態度から一転しおらしくなっている実兎花に巽は庇護欲をそそられながらも苦笑する。
実兎花は一つ思い違いをしている。
『ベスが見たのは私の夢の世界だから勘違いしているかも知れないけど、私のいた世界は結局ベスの世界と同じ、人間同士騙しあって争いもするし、もし一人の犠牲でなんとかなるなら躊躇いなくその人に全部押し付けると思うよ』
それでもいいかと実兎花は問う。それでも構わないとベストリアは答えた。
実兎花はベストリアが実兎花を通して見た世界を体験して憧れていると思っているが、違う。
ベストリアは「実兎花の見た世界」そのものを欲しがっているのだ。実兎花が見ているからこそ意味がある。実兎花がいなければ心底どうでもいい世界。
17年もの間、小河原 巽に惜しみなく愛情を注いだ母親も、傍にいた幼馴染も学校や町の優しい人々も、全て実兎花が産み出したものだった。親の愛も人の情もろくに受け取ったことのないベストリアにとって、実兎花そのものに包まれた17年は、実兎花のすべてに執着するに足りる月日だった。
実兎花がいればそれでいい。実兎花が帰りたがっているからこの世界に一緒に来た。他の何者もいらない。
「みつ、実兎花…」
「たく…っ」
熱っぽく実兎花の名前を囁き、キスの邪魔になる眼鏡を外し巽は実兎花に覆いかぶさる。
実兎花を召喚した国はある意味では目的を正しく果たした。「魔王」は「聖女」に封印される。そしてこの先もベストリアは喜んで実兎花に囚われるだろう。
ふとそう思い当たった巽は目を細めながらも満足げに、実兎花の腕の中に身を沈めたのだ。
どうでもいい話だけど、実兎花を召喚した国は実兎花たちが封印を解いた時にはとっくに滅んでいます。
噂では戦争のため人間兵器を召喚しようとしたら逆に滅ぼされたとか…w