第七章 心からのお別れを ③
ミカドが少し考えてから、アンナに尋ねた。
「じゃあもし、それが私欲でなければ? たとえば、誰かを守るためとか」
「やむを得ない場合なら、主はお許しになるわ。もちろん罪は償わなければならないけれど、刑罰は罪の重さによるのよ。たとえば処刑人は、国のために人を殺めるでしょう? 彼らは天命に定められた数の分だけ命を奪った後、その贖罪としてその数と同じ日数を断食するの」
「……ちなみに、天の定める数ってどうやって決めるの?」
「天使が聖女に、数を伝えるの。そして聖女は、その数を処刑人に伝えるわ」
「なるほど、それも聖女の役割ってことか。人数は決まってるの?」
「いいえ。でも、五十人から百人程度に収まることが多いわね」
「その日数断食したら、死んじゃうんじゃ……」
「魂が天へ上るのは、主がその罪を赦してくださった証よ。信仰深く、しっかりと悔い改めれば、長く苦しまずに済む。もし心に魔を宿していたならば、主の迎えは遠く、長く苦しむことになるわね。ちなみに、国のための殺人では、亡骸は丁重に埋葬されるわ」
「……だめだ、やっぱり俺、ノクスト教のこと理解できねぇわ」
ミカドが頭を抱えて項垂れた。地下牢にいた時よりは神のこともノクスト教のことも理解したようだけれど、やはり異国の地から来た者がすんなり理解することは難しいのだろう。
ノクストの教えでも、異邦人は神の息吹を感じることが難しいので、それを咎めることなく接するようにとある。彼が神の威光を感じられるようになるまで、焦らず待った方が良いだろう。
ノクストの教えはそれほど複雑ではない。ただ主を信じ、身を慎ましやかに、周りと手を取り合って生きましょうというだけだ。そのための教えと、悪いことをしたときの罰則が書かれているだけである。
「……国家転覆の罪は、斬首なのか」
ミカドが大きくため息を吐いてから、問うてきた。
先程からノクスト教の罰について触れていたのは、それを尋ねたかったからなのだろう。ミカドの瞳は真剣そのものだ。
アンナは、遠くで教会の音が鳴るのを聞いた。あの日も、こんな音が聞こえていた。
「いいえ。それぞれに罪の重さはあるけれど、量刑は裁判で決まるわ」
「裁判があるんだ!」
ミカドが驚いた表情でそう言った。何に驚いたのかわからず彼を見れば、ミカドは自分のいた世界でも裁判があったのだと教えてくれた。
「この国での裁判ってどんな感じ?」
「どうと言われても……えっと、まず、裁判には裁判官と告訴人と弁護士がいるの。告訴人が疑われている人の罪を、証拠などを踏まえて訴える。それで弁護人が、告訴人の訴えを否定するのよ。最後に、裁判官が量刑を下すの」
「告訴人が検事みたいなものなのか。そこは結構現代的なんだな」
「現代的?」
「あ、いや、こっちの話。それで、裁判官は誰がやってるんだ?」
「信仰に基づく罪ならば大司教以上の人が、それ以外の罪ならば司法省の人がやっているわ。公平にするために、必ず様々な立場から数人選ばれているの」
「なるほどね。なら、グレンもそれで?」
自分の中で噛み砕きながら納得していたミカドが、アンナに尋ねる。だが、アンナはすぐに答えられなかった。
グレンは、裁判なしに処刑された。それも、いわれのない罪を被せられて。それを命じたのは、アンナだ。
どれほどそれが正しかったと思っても、心のどこかに引っ掛かり続けている。この痛みは、一生消えることは無いだろう。
アンナは気を取り直すように深呼吸をしてから、首を横に振った。
「神託による処刑は斬首と決まっているから、裁判を通さないわ」
「え、なんで」
「量刑は、罪の重さと理由、それに本人がどこまで悔い改めているかで決まるの。そして神託による処刑とは、主がその魂を拒んだ証でもある」
アンナの言葉に、ミカドがピンと来たようにハッと目を見開いた。
「そうか、神様は悔い改める者を赦すから、神様が拒むってことは改心が足りないってことになるのか」
アンナはその言葉に頷いて、言葉を続ける。
「量刑を決めるときに一番大事なのが、悔い改めなの。罰はすべて、その魂が主のお赦しを得るためのものなのよ。でも主が拒むなら、その魂をお赦しになるつもりは無いということになるから、改心のための罰は必要無い。罰が意味をなさない場合、最も重い刑になるのだけれど……」
「けれど?」
「神託は、主がその魂を気にかけている証でもあるの。つまり、主の恩情をいただいている魂ということになる」
「なるほどね。本当に拒むだけなら、神様が自ら裁きを下すこともないってことか」
「ええ。だからそこを考慮して、我が国で二番目に重い刑の斬首になるのよ」
そして、刎ねられた首は処刑広場に掲げられる。そして、その日数は罪の重さによる。
国家転覆は国を揺るがす重罪の一つであり、聖女付きという名誉ある立場でありながら罪を犯したことで、さらに罪が重くなった。その結果、グレンの首は七日間掲げられていたという。
首には石を投げられ、鳥たちに啄まれ、腐り落ちていく。その悪臭は、その罪人の尊厳を踏みにじるには十分だった。
どんなに聞かないようにしていても、グレンの名が貶められていく様子は、嫌でも耳に入ってきた。彼の身の潔白を知る者たちも、神託による処刑である以上は庇い立てできず、悪評は今やオルゲイト全土に広まっているらしい。
「あのさ、辛かったら泣いた方がいいよ」
ミカドがアンナの手をゆっくりと開きながら、そう言った。知らずに強く握られていたらしい掌には、爪の跡がはっきりと残っている。
アンナは誤魔化すように笑った。
「いえ、辛くないわ。私は正しいことをしたのだもの」
ミカドが眉間の皺を深くして、けれどなだめるように言う。
「正しいかどうかと、辛いかどうかは関係ないだろ。アンナ様、あんまり夜眠れてないって聞いたよ。あの日以来、ちゃんと泣いてないんじゃない」
「……泣くようなことはないわ。多くの民を救えたのだから、喜ばしいことよ。グレンだって、私のことを誇らしく思うって」
「だから! それとお前の気持ちとは関係ないだろ!」
「っ!」
ミカドがたまらず大きな声を出した。怒鳴るほどの大きさではなかったが、アンナはその勢いに思わず身を縮こませる。
ミカドはハッとして、立ち上がりかけていた体を椅子に戻す。それから彼は大きく深呼吸をして、再びアンナを見た。
「大きな声出して、ごめん」
「い、いえ、大丈夫……」
「正直、俺には神託をそこまで絶対視する理由なんてわからないよ。でも、アンナ様が聖女として正しいことをしたってのはわかってる。グレンだって、誇りに思ってるだろうさ。でも、でもさ、それはアンナ様の気持ちを抑えつける理由にはならないだろ」
「私の、気持ち……?」
「アンナ様は、家族同然の人を失ったんだぞ。それも、重罪を被らされて。悲しくないわけがない」
「それは、私がそう言ったからで」
「いや、神託があったからだろ。それで、アンナ様は聖女としての道を選んだ。アンナ様のせいじゃない。この国の人間はすべて、神様のために動いてるんだろ? アンナ様だって、神様がそう言ったからやっただけだ。アンナ様のせいじゃないんだよ」
「で、でも、悲しむ資格は無いわ。私はグレンを見捨てたのよ。悲しんでいいはずが」
「それは、グレンが望んだことだろ。アンナ様はそれに応えただけだ。むしろ、そんな選択をさせたグレンを殴り飛ばしてやりたい。自分を見捨てろだなんて……遺される側の気持ちなんてちっとも考えてないんだもんな」
ミカドが不満げにぼやく。その様子は、やけに実感を伴っているように見えた。彼もまた、何かを選択したのかもしれない。
ミカドが何度目かの大きなため息を吐いた。
「とにかく、そんな表向きのことなんて関係ないんだよ。アンナ様は、大切な人を失ったんだ。それがどんなに正しくたって、辛くないわけがないし、悲しみを感じちゃいけないわけがないんだよ。心を殺す必要なんてない。わかる?」
ミカドが、遠慮がちにアンナの手をぽんぽんと優しく叩いた。甘やかすような仕草に、じんわりと心が熱くなる。
心を殺しているわけではなかった。ただ、聖女としての振る舞いは、きっとグレンにも喜ばれるから。辛くても苦しくても、それでも聖女であり続ければ、彼の死には意味があったのだと心から思えるから。
それに、そうやっていつもグレンを心に置いておけば、彼がいない隙間を埋められる気がした。
「俺は、アンナ様は立派だと思う。でも今くらいは、十六歳の女の子に戻ってもいいんじゃない? ここには、俺たちしかいないんだし」
十六歳の女の子。アンナは心の中で反芻する。それは、何もかもを取り払った、素の自分と言うことだ。
ミカドは、穏やかな口調で続けた。
「グレンがいなくなって、寂しいだろ? 毎日一緒にいたんだもんな。当たり前だよ」
「……」
「グレンの噂話、聞くたびに腹が立ったろ。何も知らないくせにって。俺も腹が立ったよ。殴りかからなかった自分を褒めたいね。アルバートも、噂話を聞くたびに舌打ちしてた」
「……アルバート様って人前ではあまり感情を出さない人だけれど、ミカド様の前だといつも素を見せているのね」
「あー、そうかも。気を使わなくていいんだろ。わがまま王子だよ」
「それを言えるのは、ミカド様だけだわ」
「まあ伴侶だからな、一応。……グレンはさ、アンナ様が何よりも大事だっただろ」
「……うん」
「だから、いつまでも自分のことで苦しそうなアンナ様を見るのは、きっと辛いんじゃないかな」
「……、……うん」
「グレンのことはさ、いつか、名誉挽回しよう。全部終わったら。きっとその時が来るから」
「……、……っ」
「グレンのことあんま知れなかったけど、俺、あいつのこと好きだったよ。アンナ様もでしょ?」
ミカドは隣に座って、そっとアンナを抱きしめた。慣れない手つきと、必要以上に触らないという意思を感じるその距離感が面白くて、アンナは思わずクスリと笑ってしまう。
グレンのことが好きだった。それは恋愛ではないけれど、もっと深い絆だったと思う。いつだったかミカドが言っていた、『愛とか恋じゃない、深いつながり』というやつだ。
もっと一緒にいたかった。命を投げ打つのではなく、諦めない道を一緒に探ってほしかった。
その優しい腕で抱きしめて慰めてほしい。さぼっていたら探し出して、お小言を聞かせてほしい。
困った顔をして、呆れたように笑う顔が好きだった。退屈を紛らわすために好物を買ってきてくれる優しさが好きだった。
ただ名前を呼ぶ声が、聞きたい。それだけだった。
溢れる涙を、今度は自分で拭う。上手くできなかった別れを、今日しっかり終わらせるつもりで。
「グレンってノクスト教徒じゃないから、アンナ様と同じ場所には行かないんだっけ? なら、俺が死んだ後にグレンと会って、殴っといてあげるよ。アンナ様を泣かせたなってさ」
「……手加減してあげてね」
「俺の方が弱いから、たぶん簡単に反撃されるよ。でも、一発くらいは殴らせてもらわないとな」
ミカドの提案にくすくすと笑うと、彼は安心したように肩の力を抜いた。その様子からして、ずっと心配してくれていたのかもしれない。
自分のことばかりで周りが見えていなかったと、アンナは内心で反省する。
心に残り続けていた棘が、すっと抜けた気がした。
まだグレンを思うと胸が痛むけれど、これからはこの痛みをちゃんと感じよう。いつか思い出に変わって痛みが無くなったら、彼と過ごした優しい日々を懐かしもう。
アンナはそれからひとしきり泣いて、涙が止まる頃には、心から笑顔を浮かべていた。




