第一章 異世界からの召喚 ①
白い教皇服に身を包んだ老齢の男が、バルコニーから高らかに叫んだ。
「皆の衆、聖女様のお披露目である! そのご威光をしかと目に焼き付けよ!」
その一言に上がった聴衆の歓声が、バロック様式の宮殿を包み込む。
年端のいかない少女は、騎士姿の男に抱えられたまま、きょとんとした様子で首を傾げている。
少女は美しい銀色の髪と、深い紫の瞳をしている。あどけなさの残る面立ちは、神の祝福を受けているとわかるほど麗しい。
「さあ、聖女様。民に向けて何かお言葉を」
教皇は恭しげに、少女に話しかけた。
突然話を振られて戸惑った少女は、しばし困った様子で眉を寄せたあと、おそるおそるといった様子で口を開いた。
「アンナ・フィオレ・カークランドです」
「アンナ様、見つけましたよ」
呆れた声に、アンナは本を顔から外して、むくりと起き上がる。
陽光に照らされたバラ園は見ごろを迎えており、花の匂いがふわりと香る。人通りが少なく静かなこの場所は、アンナにとって午睡にちょうど良い場所だった。
アンナは今しがたまで寝ていたベンチに座りなおして、目の前の男を見た。
黒の騎士服に身を包む男は、アンナよりも十五歳ほど年上だが、見た目は二十代前半に見える。
黒い髪と黒い瞳は隣国ドラゴニアの特徴だ。
「また見つかっちゃった。グレンってば、私を見つけるのが上手いのね」
「いつもこの時間はここにいますからね。すぐにわかりましたよ」
「なんだか悪質なストーカーみたいだわ」
「何年の付き合いだと思っているんですか。嫌でも覚えます」
グレンが呆れたように、ため息を吐いた。
グレンはアンナが生まれた時から面倒を見てくれている教会護衛騎士だ。そのため、もう十六年の付き合いになる。
教会護衛騎士とは、その名の通り教会に所属し、聖職者を護衛する役職である。
国教であるノクスト教は国民からの厚い信仰に支えられているが、昔から異教徒が聖職者を襲うことがあり、聖職者には護衛が付けられていた。
「それで、何の用?」
「召喚の儀が近づいていますので、呼びに来ました」
「ああ、もうそんな時間なのね。わかったわ、行きましょう」
アンナは立ち上がって、手に持っていた本を差し出す。グレンは慣れた手つきでそれを回収した。
バラ園は宮殿の中央に位置している。四方を建物に囲まれており、北側には宮殿に住む者たちの居住棟、東側には大きな大聖堂などの宗教行事を取り扱う宗教棟、西側には政治を取り締まる議事堂などのある行政棟、そして南側にはこの国を統べる王や王族が住み国事を行う王宮があった。
オルゲイト神聖王国において、王とは神より統治を任された存在である。その重要なポジションにいる王が城下町の広がる南側に棟を持っているのは、『王は民と共にある』という理念によるものらしい。
アンナはバラ園を東側に抜けて、宗教棟に入る。さらに進めば、そこには大きな大聖堂があった。
中に入ると、老齢の男がこちらを見た。
「聖女様、やっとお越しになりましたね」
「ごめんなさい、マルコ。読書に耽っていたら、時間を忘れておりましたの」
アンナがグレンの持つ本を指さすと、マルコはその優しげな表情をさらに深めて頷く。
「聖典を読まれていたのですね、熱心なことです」
「ええ。聖典に書かれているのは、出来事と教えだけでしょう? 私は聖女として、神託を正しく読み取れるようにしなければならないから。まだまだ、わからないことだらけですけれど」
グレンが呆れた視線をアンナへ向ける。どの口が言っているのか、と訴えているようだ。
アンナはそれを華麗に無視して、困った表情で微笑めば、マルコは感心したように「よいことです」と応えた。
アンナは大聖堂の中央へ行く。一段高くなったそこには、特殊な文様と文字が描かれた布が敷かれていた。
十二時の鐘が鳴る時、儀式はしめやかに行われる。今はその準備をしているところである。
中央の布には光が指している。半円状の開閉式天井が開けられ、陽が差しているのだ。この角度が真上になるのが、今の季節の正午というわけである。
アンナが見上げると、青々とした空と少し角度のずれた太陽が目に入った。美しい天井画も、普段は当たらない陽の光を浴びて眩しそうだ。
「召喚の儀は、上手く行きそうですか?」
本と布を交互に見比べる眼鏡の青年に声をかけた。彼は驚いてこちらを見ると、慌ててサッと頭を下げる。
「これは聖女様。気がつかず大変失礼いたしました」
「気にしないでください。私は聖女とはいえ、ただの平民ですから」
「とんでもない。聖女とはこの世で最も崇高なる存在であり、清らなる希望であり、我らを導く天使様なのでございます」
「そ、そうですか……」
アンナは、やや引きつった笑みを浮かべながら、本能的に一歩引いた。
聖女はこの国において、神より遣わされた天使が人の姿を取ったものだと信じられていた。その立場は時に王を凌ぐ。美しい銀髪と深い紫の瞳は、その証である。
当の本人としては、両親は中層階級の出身であるし、この宮殿から出たことが無いため、あまりその実感が湧いていない。
「私はアンナ・カークランドです。あなたは?」
「私は儀式責任者のヨハン・クーネル・フォスターと申します。大司教をしております」
彼はアンナへ、ノクスト教に沿った挨拶をする。右手を胸に当て、左腕は腰の後ろに回し、膝を曲げて腰を落として頭を下げる。上の者に対する礼だ。
それに対しアンナは、右手を差し伸べる。了承の証である。
彼は儀礼に則り右手をアンナの手に乗せ、それを支えにして立ち上がった。
ヨハンは茶色の髪と緑の瞳をしている。身長はグレンよりも低いが、アンナよりは頭一つ分以上大きい。歳は三十代に見え、それで大司教位にいるならば、相当優秀なのだろう。
ヨハンは手に持った本をちらりと見てから、頷いた。
「儀式ですが、問題ないかと存じます。天候も良好、日差しも良い。まさに召喚日和と言ったところです」
「前回の召喚は、六十年前でしたっけ?」
「ええ、その通りです。前回の転生者であるシゲル様がお亡くなりになってから十年、再び災厄の兆しが出ております。今回の召喚で落ち着くとの良いのですが……」
「そうですね、私も心配しておりました。なんでも、不作の兆しが出ているとか」
「はい。天文長官と農林長官の話では、ここ数年、日照と雨が足りないそうです。このままでは来年に飢饉が訪れかねないと」
「たしかに、ずっと晴れ続きですものね。雨乞いは届きませんか」
「少しは効果がありますが、決定打にはなっていないそうです」
ヨハンが残念そうにそう言った。
転生者は、地に安寧をもたらすと言われている。実際、前回の転生者であったシゲルが老衰で亡くなるまで、国は食糧に恵まれ、豊かに暮らしていた。
十年前に亡くなってから、少しずつ国は乱れ始めた。
天候不順による不作が相次ぎ、不安は国民に浸透して犯罪も増えているという。貧しい層は食べるのも難しくなりはじめ、各地の教会が行う炊き出しに来る人々は年々数を増やしているらしい。
聖女の役割は、神託を授かることだ。祈りを捧げ、天使が告げる神の言葉を受け取るだけである。それ以外のことは、何もできない。
アンナはただ祈るしかできない自分を不甲斐なく思いながら、肩を竦める。
「私もお祈りはしているけれど、主は何もお応えにならないのです」
「仕方ありません。天候もまた主の采配ですから、私たちのためだけに何かをすることは難しいのでしょう」
「主は平等にして公平、ゆえに天もまた等しくお与えになる。我らノクストの民は自らの力を持って豊穣をもたらし、主に至上の喜びを与えん」
アンナがそう呟くと、ヨハンは目を見開いて、興奮気味に言った。
「ノブ記第五章三節ですね。聖典を覚えていらっしゃるのですか」
「すべてでは無いですが、重要な場所は、ある程度」
「さすがは聖女様だ!」
踊り出しそうな様子でそう言ったヨハンは、それから怒涛の勢いで聖女を称える言葉を並べ立てた。
アンナは曖昧に微笑みながら適当に相槌を打つと、切りの良いところで声をかけてから別れた。
聖職者はどうにも変人が多い。いや、敬虔すぎる信徒と言うべきかもしれない。
とにかく、彼らにうっかりノクスト教に関する話を振ってはいけない。
教訓を胸に、アンナは自分の席に着いた。




