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【完結】番を誤認させる薬で国一番の将軍を籠絡しろ、と命じられましたが、そもそも真の番は私でした  作者: 円夢


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1/4

1.

 夕刻から始まった戦勝祝いの宴は、夜空に皓々と満月が浮かぶ今、まさにたけなわでございました。


 戦はまだ終わったばかり。ここはつい先ごろまで鉾(ほこ)を交えていた隣国との国境(くにざかい)でございますから、周囲にいくつも篝火を焚き、煌びやかな幔幕(まんまく)を張り巡らせての野外の宴でございました。


 幔幕の外に立つわたくしの耳に、戦に勝った獣人国の宰相の声が聞こえてきます。


「ではこれより、此度(こたび)の戦でも八面六臂の大活躍で我が国を勝利に導かれた大将軍、グラム閣下にウォルム王太子殿下より褒賞が贈られます!」


 さっと幔幕が左右に分かれ、獣人族の侍女がわたくしをそっと押し出しました。

 外の暗がりからいきなり明るい場所に踏み込んだわたくしは、一瞬、目が眩んでその場に立ちすくみました。

 再び宰相の声がいたします。


「これなる娘の名はエイル! この度ウォルム王太子殿下に輿入れされたリアンナ妃の侍女にございます!」


 誰かがわたくしの手に酒壺を持たせ、肩に手をかけて身体の向きを変えさせました。

 ようやく明るさに慣れたわたくしの目に映ったのは、上座に据えた床几にどっかりと腰を下ろした獣人国の王太子ウォルム殿下――金髪紅眼の見目麗しい若者と、その膝にしなだれかかる敗戦国の王女リアンナ――わたくしの姉の姿でございました。

 姉の唇には蔑むような笑みが、瞳には隠しきれない愉悦の光が浮かんでいます。


「グラム将軍。この者はながらく私の侍女をしておりましたが、ご覧のとおり、あまり見映えがよろしくありませんの。よろしければ婢女(はしため)にでもしてやってくださいな」


 わたくしは息を呑みました。

 グラム大将軍といえば、敵国であった我が国でさえ「軍神」と讃えられるほどの英雄です。

 その英雄に授けられた褒賞を、姉は満座の前で「見映えがよくない」「婢女」と貶したのですから、これはもう将軍本人に対する侮辱ととられても言い訳できません。


 多くの方々の努力の末、ようやく成った和平もこれまでか、と青くなったわたくしを余所に、宴席に居並ぶ獣人国の皆様からは、何が可笑しいのか、どっと哄笑が巻き起こりました。


 将軍は、と見れば、どっしりとした巌のようなお身体を窮屈そうに宴席に押し込めたまま、唇を引き結んだそのお顔からは、どんな感情も読みとることができませんでした。


「さあ、エイル。何をしているの? 酌婦は酌婦らしく、さっさと将軍のお側に行ったらどう」


 姉の言葉と同時に、宰相がすっとわたくしの背後に立ちました。


「後のことはわかっておるな。上手くやれよ」


 しゅうしゅうという囁き声に、わたくしは先ほど聞かされた胸の悪くなるような話を思い出し、ぞくりと身震いいたしました。


「さあ、行くのだ」


 両手に酒壺を抱えたまま、わたくしは震える足を踏み出しました。

 一歩、また一歩。

 使用人らしく伏せた視野の端に、やがて胡坐をかいた将軍の沓(くつ)先が入ってまいります。


 泥にまみれ、草の汁に汚れた沓でした。

 宴の直前まで野に立ち、戦場の後片付けに奔走していた方の沓でした。


 その時、わたくしは、ある決心をしたのでございます。


「御酒(ごしゅ)をお持ちいたしました」


 目を伏せたままのわたくしの前に、ずいと盃が突き出されました。

 盃を持つ手には古い傷痕が幾筋も走り、固そうな剣だこができています。


 わたくしは将軍の真正面に立つと、自分の身体で隠すようにしながら、酒壺の中身を残らず地面に零しました。

 そうしながら、小声で呟くように言ったのでございます。


「どうぞ、飲むふりをなさってください」


 一瞬、息を呑むような気配がした、そう思ったときには、わたくしはぐいと引き寄せられ、胡坐をかいた将軍の膝に倒れこむように座っておりました。


「毒か」


 耳朶にかかる熱い息とともに、将軍の低い囁きが聞こえます。

 わたくしは今にも口から心臓が飛び出しそうになりながら、思い切って将軍の太い首に両腕を回し、その耳に口を寄せました。


「いいえ。もっと悪いもの――惑わしの媚薬でございます」


 傍目には、わたくしが人目も憚らず将軍に媚びているように映ったことでしょう。実際、姉はすぐさま「まあ!」と呆れたような、それでいて嬉しそうな声を上げました。


「何てはしたない! 色で男に取り入る母親そっくりだわ」


 将軍は、空の盃をぐいと呷る仕草をされました。


「もう一杯だ」


 突き出された盃に、わたくしはふたたび酒を注ぐふりをし、将軍は飲むふりをなさいます。

 と、次の瞬間、ぐん! と身体が持ち上がり、わたくしの視野が一気に広がりました。

 地面に落ちた盃と壺が割れ、砕けた破片が飛び散ります。

 ぽかんと口を開けてこちらを見上げる獣人族の家臣たち。

 すぐそばで満足気に目を細める宰相――と、ウォルム殿下。


「どうした、グラム。宴はまだ続いておるぞ」


 にやにやしながらおっしゃる殿下に、


「悪いが、兄上。俺はこの娘が殊のほか気に入った。今宵はこれで失礼する」


 将軍はわたくしをしっかりと抱え込んだまま、そう答えたのでございます。


「おやおや。それでは仕方がないな。退席を許す。だが、仮にも我が妃からの贈り物だ。――今度は毀(こわ)すなよ」


 その言葉に、わたくしの身体に回された将軍の腕がぴくりとしました。

 角張った顎の線がさらに固くなり――。

 けれど、将軍はそれきり無言で踵を返されたのでございます。


「よかったわねえ、エイル。せいぜい可愛がっていただきなさいな」


 嘲るような姉の声を背に、わたくしは羞恥に顔を真っ赤にしながら、将軍に運ばれてその場を後にいたしました。


◇◇◇


 将軍の天幕は、野営地のはずれにありました。

 周辺では未だに戦装束を着けたままの騎士たちが立哨しており、兵士たちがきびきびと動き回っています。


 彼らは将軍に抱き上げられたままのわたくしを見るや、一様に目を丸くしましたが、面と向かっては何も言ってきませんでした。


 戦場ではたびたび我が国の兵士たちを震え上がらせたグラム将軍の旗印――青地に白で虎を描いた紋章旗を掲げた天幕まで来ると、将軍は片手で入口の垂れ幕を跳ね上げ、大股で中に入っていきました。


 広々とした天幕の中は厚手の絨毯が敷かれ、中央に地図を広げたテーブルと椅子がいくつか。その奥に大きな寝台が置かれています。


 将軍はわたくしを寝台に座らせると、ご自分はその前に突っ立ったまま、腕組みをしてわたくしをじっと見下ろしました。

 わたくしは一瞬そのお顔を見上げ、けれどすぐに自分の立場を思い出して目を伏せました。


 わたくしはこの方の婢女としてここへ来たのです。

 許しもなく主人の顔を直視することはできません。


 それでも、束の間見えた雪のように白いそのお髪(ぐし)や、両頬にそれぞれ三本ずつ斜めに走る獣の爪痕、そして何より印象的な淡いブルーの瞳は、わたくしの目にくっきりと焼きついたのでございます。


 しばらくの間、天幕の中は、蝋燭の火が燃える音が聞こえるほど静かでしたが、やがて将軍が「ん゛ん゛っ」と咳払いされました。


「顔を上げろ」


 わたくしはもう一度将軍のお顔を見上げました。

 目が合うなり、将軍の頬が朱に染まります。眉間に深い皺がより、唇がきっと引き結ばれました。

 将軍は怒っていらっしゃるのです。

 無理もありません。

 獣人族にとって〈番〉は何より大切な存在。

 その番を誤認させる薬を盛られそうになったのですから。


 人族の、それも婢女に過ぎないみっともない女を、ご自分の番だと思いこまされそうになったのですから。


 わたくしは慌てて寝台から滑り下り、床に平伏いたしました。


「どうかお許しくださいませ。閣下を謀ろうといたしました罪、どのような罰も甘んじてお受けいたします」

「っ! いや、顔を上げてくれ。あの酒を用意したのはおまえではないだろう」

「わたくしではありません。ですが」

「ですが?」

「……その、重鎮の方々の目の前で、あのようにはしたない真似を……」


 殿方の首に自分から抱きつくなんて。

 その途端、頬が触れ合った時の感触とか、埃と汗のにおいに混じって、深い森のような馨しい香りがしたことなどがどっと蘇り、わたくしは下を向いたまま赤面いたしました。

 穴があったら入りたい、というのは、まさしくこういうことを言うのでしょう。


 わたくしの頭上で、将軍がほりほりと頬を掻くような気配がいたしました。


「あー、その。……そのことならもう気にしていない。頼むから、普通に座ってくれないか。これではまともに話もできん」


 そう言われれば、命令に従うしかありません。

 わたくしは床の上で居住まいを正そうとしましたが、すかさず将軍に抱え上げられて、元通り寝台に座らされてしまいました。


 将軍は相変わらず腕組みをして、わたくしの前を行ったり来たりしています。

 おかげで、鎧の下からのぞく太くて長い尻尾が良く見えました。

 白い毛皮に、淡い灰色の縞模様が入った尻尾です。

 将軍の動きに合わせてゆらゆらと揺れる尻尾から、わたくしは目が離せなくなりました。

 あの尻尾に触ったら、どんな感じがするのでしょう。ふわふわ? もふもふ? それともつるつるしているでしょうか。


「国内が平定され、人族との戦も終わった今――」


 ややあって将軍は再び口を開きました。


「兄……王太子は俺が邪魔になったのだ。おおかた、俺に偽の番を宛がい、腑抜けになったところで暗殺でもするつもりだったのだろう」

「……そんな!」


 仮にも国の英雄を暗殺しようとするなんて。

 獣人国の王族は、一体何を考えているのでしょう。


「よくある身内争いだ。別に珍しいことではない」


 そう言うと、将軍はその淡いブルーの瞳で、わたくしをじっとご覧になりました。


「そうだろう? エ(・)イ(・)ル(・)王(・)女(・)」

「……っ!」


 蝋燭の炎を映したのでしょうか。薄暗い天幕の中で、その瞳が一瞬、青白い燐光を帯びたように見えて、わたくしは思わず息を詰めました。

 なぜご存知なのでしょう。祖国では家族以外、誰も知らないはずのわたくしの秘密を。


「簡単なことだ。おまえからは、あの王と同じ匂いがするからな」

「父……陛下をご存知なのですか」


 将軍は「ああ」と頷かれました。


「ご存命の頃、一度だけお会いしたことがある。戦が始まる前の話だ」


 ということは、今から十年以上も昔、ひょっとしたらわたくしはまだ生まれていなかったかもしれません。

 父が病没しましたのは、わたくしがまだ生まれて間もない頃と聞いておりますから。


 けれど、将軍はわたくしの生まれについて、それ以上触れようとはなさいませんでした。


「ケスス宰相と兄……王太子は、俺が媚薬を飲んだと思っているだろう」


 どうやら、こちらが将軍のお話の本題のようです。

 わたくしは居住まいを正しました。


「つまり、俺がおまえを番と思い込み、夢中になっていると」

「はい」


 それこそが、ケスス宰相が宴の前にわたくしに命じたことでしたから。


『惑わしの媚薬を将軍に飲ませ、奴の番として振舞え』

『そんな。一体なぜそのようなことを』

『おまえが知る必要はない』


「――と、いうことはだ」


 将軍は話し続けています。その口調は平坦でしたが、その尻尾の先端は、なぜか番の話が出たときから落ち着きなくぴくぴくしていました。


「奴らを欺くには、俺たちは番同士として振舞うのが良いと思う」

「……なるほど」


 わたくしは、しばらく考えてから頷きました。

 媚薬の効果が出なければ、宰相たちはまた別のやり方で将軍を害そうとするに違いありません。

 何より、わたくしが媚薬を飲ませなかったことがばれれば、宰相はわたくしをどうするでしょう。

 将軍の番を演じることは、わたくしにとっても、我が身の安全を守るまたとない手段でした。


「承知いたしました。それでは誠に畏れ多いことながら、しばらくの間は表向き、閣下の番を演じさせていただきます」

「では決まりだ」


 そう言うと、将軍はふいにこちらへ手を伸ばしました。

 乾いてざらざらした掌が、束の間、愛撫するようにわたくしの頬を包んだかと思うと、わたくしの頭のてっぺん、ちょうどつむじのあるあたりに、何かが軽く触れました。


「よろしくな、番殿。それと、今後、俺のことはグラムと呼ぶように」

「しょ、承知いたしました。……グラム、様」


 わたくしがそう答えた時には、将軍……いえ、グラム様は身を翻し、天幕の入口へと歩いていくところでした。その背中では、長い尻尾がゆらゆらと満足げに揺れています。


「女性の騎士か兵士を呼んでくれ。番の世話を頼みたい」


 外に向かってそう言うグラム様の声を聞きながら、わたくしはぽすりと仰向けに寝台に倒れ込みました。

 さっきのあれは、一体何だったのでしょう。


(口づけされた……? ような気がしたけれど)


 まさか、そんなはずはありません。

 だって、わたくしはあくまで番の「ふり」をするだけなのですから。

 けれど、そう思えば思うほど、わたくしの頬に触れた掌ですとか、つむじのあたりで聞こえた、ちゅ、という小さな音ですとか――が繰り返し思い出されて、わたくしは一人、寝台の上で身悶えしてしまうのでした。


◇◇◇


 その後、天幕に入ってきたのは獣人族の女性騎士に仕えているという侍女の方々でした。

 天幕に持ち込んだ大きな湯桶で湯浴みをさせていただいた後は、髪にも身体にも念入りに香油を摺りこまれます。


「まあ、何ておいたわしい! ずいぶんと痩せておいでだわ」

「髪や爪も、もっとお手入れが必要ね」

「それにこの痣! 失礼ですが、これは一体どうされたのですか?」

「これは……その、うっかりぶつけてしまって」


 本当は姉に打たれてできた痣でしたが、何となくそれは言わないほうがいいような気がしたわたくしは、ただ曖昧に笑ってみせました。

 姉に切られて肩先よりも短くなった髪を、丁寧に切り揃えて梳られていた時でした。

 わたくしのお腹が、ふいに情けない音を立てました。


「ご、ごめんなさ……」

「まあ、大変! 番様はお夕食もまだでしたものね。お待ちください、すぐにご用意いたします!」


 何人かの侍女の方がばたばたと出ていったかと思うと、すぐに具沢山のスープと黒パン、それに干し果物を持ってきてくださいました。


「戦地ゆえ、このようなものしかご用意できませんが……」


 などとさかんに謙遜されますが、スープはほかほかと温かい上、虫も砂も入っておらず、パンには黴も生えておらず、わたくしにとっては素晴らしいご馳走です。

 それに干した果物とはいえ、甘味などもう何年も口にしていなかったわたくしは、夢中で食事を平らげました。


「――では、私どもはこれにて失礼いたします。閣下からのご伝言で、番様にはどうぞお先にお休みになっているように、とのことでした」


 ひととおりわたくしの世話を焼いた後、侍女の皆様は天幕の明かりを落とし、静かに出ていきました。

 一人残されたわたくしは、あらためてあたりをぐるりと見渡します。

 中央にテーブルと椅子。その奥に寝台がひとつだけ。


 寝台はグラム様がお使いになるでしょうから、わたくしは別の場所で眠らなければなりません。

 テーブルの地図は食事の時に片づけられていましたが、まさかここで寝るわけにもいかず、椅子は空の樽を引っくり返しただけのものです。

 わたくしは、帰ってきたグラム様の邪魔にならないように、なるべく天幕の端に寄ると、絨毯の上に丸くなりました。

 分厚く織られた絨毯は、王宮でわたくしがあてがわれていた物置部屋の木の床よりもはるかに寝心地が良く、また久しぶりにお腹いっぱい食べたわたくしは、あっという間に眠りに落ちたのでございます。


 しばらく後。

 ふわりと身体が浮き上がるような感覚に、わたくしはうっすらと目を開けました。

 天幕の暗がりに、青白い光がふたつ、静かにわたくしを見下ろしています。


(………? グラム様?)


 そう思ったのを最後に、わたくしはふたたび深い眠りに沈んでいきました。


◇◇◇


 何だかとても温かいものにすっぽり包まれているような感覚に、わたくしはまだ半分眠ったまま、何ていい夢だろうと思いました。

 特にお腹まわりがぽかぽかと暖かく、手を伸ばすと、柔らかくてふわふわした毛皮に手が触れます。

 ずっと昔、まだ子どもだった頃に触らせてもらった子猫が、ちょうどこんな手触りでした。

 わたくしはふにゃ、と口許をほころばせ、目を閉じたまますべすべしたその毛並みを思う存分撫で回しました。

 と、それはするりとわたくしの手を逃れ、今度は喉元から頬へと這い上ってきます。


「……ん。くすぐったぁい……」


 わたくしはそれを両手で捕まえ、胸に抱きしめて口づけしました。


「じっとしてて」

「そうしたいのはやまやまだが」


 ふいに背中で聞こえた男の低い声に、わたくしは「ひゃっ!?」と叫んで飛び起きました――いえ、飛び起きようといたしました。

 けれど、背後から伸びてきた太い腕がわたくしの腰に回り、ふたたびシーツの上に引き倒されてしまいます。


「おはよう、番殿」

「将……グ、グラム様!?」


 そこは天幕の中でした。

 扉代わりの垂れ幕の隙間からは朝まだきの光が白く射し込み、どこからか鳥の囀りが聞こえます。

 昨夜、床で眠りについたはずのわたくしは、なぜか寝台の上におり、しかもグラム様の懐にすっぽりとおさまるような形で横になっているのです!


「え、と。あの、これは一体……」

「言ったはずだ。俺たちは番同士として振舞うと」

「はい、それは――でも」


 それはあくまで表向きのことで。


「ここはまだ戦地だ。味方の兵には、必要ならいつでも天幕に入ってきて良いと言ってある」

「なる……ほど?」


 そんな時、番であるはずのわたくしが床に寝ていてはまずい、ということのようです。


「まあ、それはそれとしてだ。今日は王都に向けて出立する。その尻尾はそろそろ離してくれるとありがたい」


 わたくしはグラム様の視線を追って、自分の胸元に目を落としました。

 そこでは縞模様の白い尻尾がぴくぴくしており、わたくしは両手でしっかりとそれを抱きしめていたのです。


「しっ、失礼いたしました!」


 わたくしが慌てて尻尾を離すと、それはわたくしの頬をするりとひと撫でしてから、グラム様のほうに戻っていきました。

 ぎ、と寝台を鳴らして立ち上がったグラム様は、粗織りのシャツにトラウザーズという簡素な装いです。


「出立まで一緒にいてやりたいが、俺の立場ではそうもいかぬ。信頼できる者を寄越すから、それまでここで待っていてくれ」

「承知いたしました」


 身支度を整えたグラム様が出ていくのと入れ替わるように、すらりとした獣人族の女性騎士が天幕にやってきました。


「グラム将軍の副長を務めております。パンテラと申します」


 きびきびと言って一礼したのは、短く刈り込んだ黒髪に黄色の瞳。身体は細く引き締まっていながら、要所要所が発達した大変美しい女性です。


「王都まで、番様の護衛を務めさせていただきます」

「エイルと申します。よろしくお願いします、パンテラ様」

「…………」


 パンテラ様は、無言でわたくしを頭のてっぺんから足の爪先まで、値踏みするように見回しました。


「番様は、リアンナ妃殿下の侍女をされていらしたとか」

「はい」

「失礼ですが、人族の女は皆、会ったばかりの男に遊び女のような振る舞いをするのですか」

「…………っ」


 これは宴でのわたくしの振る舞いを、遠回しに咎めていらっしゃるに違いありません。

 わたくしは赤くなりながら、


「そういうわけでは……というか、しないほうが普通かと……」


 とぼそぼそ言うのがやっとでした。

 パンテラ様は、そんなわたくしを傲然と見下ろすと――何しろ小柄なわたくしと違い、パンテラ様はグラム様と並んでも見劣りしないほどお背が高くていらっしゃいます――「そうですか」と言って肩をすくめました。


「それを伺って安心いたしました。獣人族の間では、家族や番以外の者の身体にみだりに触れる行いは無作法とされていますので。――特に」


 しゅ、と風を切る音に目を瞠ったわたくしの前で、パンテラ様は黒くて細長い尻尾をゆらゆらと揺すってみせました。


「相手の許可なく尻尾に触れる行いは禁忌(タブー)です。時と場合によっては処罰の対象となりますので、どうぞくれぐれもお忘れなきよう」


◇◇◇


 やがて昨夜の侍女の方々がやってきて、わたくしの身支度を整えてくださいました。

 わたくしは一応、グラム将軍への褒賞ということになっておりますから、それなりに見映えのする衣装が用意されています。

 ただ、困ったことに、そのどれもが透けるように薄い生地で仕立てられており、明るい朝の光の中では、どうにも居たたまれないというか、こんなものを身に着けてあの方の前に出ることを考えただけで逃げ出したくなるようなものばかりでした。

 侍女の皆様も、さすがにこれには思うところがあったようです。


「さすがにこれは……」

「夜ならともかく」

「番様のこのようなお姿を人前に晒しては、閣下のお叱りを受けてしまいます」

「いえ、叱られるだけで済めばよいですが」

「……番様。どうか閣下のために、そして騎士団の男どものためにも、こちらをお召しくださいませ」


 と差し出されたのは、昨夜、グラム様がお召しになっていた外套でした。


「あの、でも、これは閣下のお召し物では……」

「ええ。だからこそ、でございますわ」

「番を見つけたばかりの殿方は、何かにつけて占有行動を取りたがりますから」

「……? ???」


 何だかよくわかりませんが、どうやらこれは獣人族の皆様に特有のしきたりのようです。

 グラム様の外套は、わたくしが羽織るとくるぶしに届くほど長く、全身をすっぽりと覆い隠してくれました。

 そうして、埃と汗のにおいに混じって、またあの匂い、深い森のような馨しい香りがわたくしを包むようにふわりと漂い、わたくしは思わず大きく息を吸い込んだのでございます。


 そんなわたくしの様子を、天幕の隅から無言で見ていたパンテラ様が、この時ふいに顔を上げました。


「将軍閣下がおいでです」


 その言葉が終わるか終わらぬうちに、垂れ幕を跳ね上げ、甲冑に身を包んだグラム様が天幕に入ってこられました。


「支度は済んだか、番殿……っ!」


 グラム様は、ぶかぶかの外套にくるまったわたくしを一目見るなり、片手で口許を覆い、さっと目を逸らされました。

 背後では縞模様の長い尻尾がぴんと立ち、先端がぴくぴく震えています。


 侍女の皆様方は互いに目配せし合ったかと思うと、わたくしに一礼するなりさあっと天幕を出ていってしまいました。

 ただ一人、パンテラ様だけがむっと唇を引き結び、眉間に深い皺を寄せてこちらを見ていらっしゃいます。


「ん゛ん゛っ。……では行こうか」


 グラム様はそうおっしゃるなり、昨夜のようにわたくしをさっと抱き上げてしまわれました。


「あ、あの、グラム様?」

「何だ」

「わたくし、自分の足で歩けますが」

「だがこのほうが速く動ける」


 実際、グラム様はものすごい早足で天幕を後にすると、少し先でおとなしく草を食んでいた立派な軍馬にひらりと跨ったのでございます。

 ――もちろん、わたくしをしっかりと抱いたまま。


 そうして始まった帰りの行軍は、まるで夢のようでした。

 三度三度きちんと出される食事に暖かな寝床。

 その寝床がいつもグラム様と一緒、というのが少々引っ掛かるものの、番を演じるためと言われれば断るわけにもいきません。


 それに、グラム様も侍女の方々も、それはそれはわたくしに良くしてくださるものですから、行軍が終わりにさしかかるころには、わたくしはすっかり寛いで、時おり声を立てて笑ってしまうこともあるほどでした。


 けれど、そんな幸せな日々も、ある時姉がやってきたことで、ふいに終わりを告げたのです。

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― 新着の感想 ―
お、これは私好みの面白そうな話が始まったぞw これから連載楽しみにしてます!
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