10話 再会の夜 ― 忘れられた想い ―
“触れてはいけない華”で失った記憶。
再会の夜、カイは名前も過去も忘れたまま、二人の女性に囲まれる。
だが、心の奥で揺れる想いは、確かに残っていた――
迷宮の第十三層――夜は深く、魔素の気配が微かに揺れる。
外界では月が光を落とすが、ここではその光も、まるで迷宮の呼吸に溶けているかのようだった。
焚き火を囲み、三人は無言のまま座っていた。
カイは、手元の剣を握り締め、過去の記憶がぼやけていることを意識していた。
リリアは彼の隣に座り、目線を落としたまま、何も言えずにいた。
セレナは魔導書を広げるふりをして、静かに彼を観察している。
――触れた華で消えたのは、確かな記憶。
だが心のどこかで、彼女たちの存在を求める“感覚”だけが残っていた。
「カイ……今日は……なんで黙ってるの?」
リリアがようやく声を震わせて言った。
だが、カイの表情はどこか空虚で、微かに眉をひそめるだけ。
「……誰だっけ、リリア……?」
その言葉に、リリアの手がぶるっと震えた。
「……なに、それ……冗談でしょう……」
セレナも、手を口元に当てて息を飲んだ。
「……記憶を、忘れちゃったのね……」
カイは俯き、言葉を探す。
胸の奥には確かに、彼女たちを守りたいという感覚がある。
だが名前も、戦った日々も、笑い合った夜も――思い出せない。
「……俺、どうすればいいんだ?」
言葉の端が震え、無力感が全身に広がる。
リリアとセレナ、二人の目が、じっと彼を見つめる。
愛情も、嫉妬も、悲しみも――全てが入り混じっていた。
⸻
火が揺れるたび、迷宮の壁に影が踊る。
セレナがゆっくり立ち上がり、魔導書を置いた。
「もう、言葉はいらない……行動で示すしかない」
リリアが剣を構える。
「黙って座ってないで、カイ、私の手を握れ!」
その声に、カイは一瞬、心が揺れた。
触れれば、記憶は戻らないかもしれない。
けれど、この距離をこのまま放置する方が、もっと辛い。
――俺は、手を伸ばすしかなかった。
指先がリリアの手に触れた瞬間、火花のような光が走る。
胸の奥に、かすかな温もりが広がった。
思い出せないはずの感情が、身体で理解する。
守りたい――という感覚だけが、確かにそこにある。
リリアの手が、少し震えながらも握り返す。
セレナが目を伏せ、魔導書のページをゆっくりめくる。
彼女もまた、胸の奥で複雑な想いを抱えていた。
嫉妬と、信頼と、愛。
「……私も、忘れたわけじゃない」
リリアが小声で呟いた。
カイは頷き、言葉が出ないまま、ただ二人の手を握り続けた。
⸻
その夜、迷宮の風が静かに吹いた。
触れた華が残した代償――消えた記憶――
しかし、それを乗り越える“心の絆”もまた確かに存在した。
焚き火の光の下、三人はそれぞれの想いを抱えたまま、夜を過ごす。
言葉にならない感情が、胸の奥で静かに燃えていた。
――迷宮は、まだ終わらない。
愛と嫉妬、記憶と契約の狭間で、三人の関係は次なる試練を待っている。
記憶は奪われても、感情は消せない。
忘れた名前、曖昧な日々の記憶。
それでも、手と手が触れ合う瞬間、守りたい気持ちは、確かに繋がった。




