12話 人々が意匠をこらした衣装を着て勝手に騒ぐ
十月三十一日。ハロウィンもとい、フリーマーケット当日。
天気予報によれば、今日の予想最高気温は三十度。「季節外れの暑さにみまわれるでしょう」と、ワイドショーの天気コーナーの人気女性キャスターが、満面の笑顔で伝えていた。
「ちょっと殺意わいた」
と、森下さんも無表情で呟いていた。
その女性キャスターを推していて、毎日欠かさず見ると言っていたのに、この日ばかりは違ったようだ。
実際の天気は、まさしく予報どおり。空気はからっとしているのだが、いかんせん日差しが強い。着ぐるみの中は、完全にサウナ状態だろう。
「暑い……もう無理」
着ぐるみ役の森下さんは、開場して二時間ほどで弱音を吐きはじめた。いや、無理もない。
「水分補給してください。あと、冷えたおしぼりも用意してあるんで」
「え!? おしぼりまで……!? 名瀬くん……っ君がペアで本当によかったよぉ」
「そりゃどうも」
着ぐるみの頭部分だけとった森下さんに詰め寄られ、さっそくおしぼりを渡す。
森下さんは、少し上を向いた状態でそれを額に乗せて、「はぁぁ……」と気持ちよさそうにため息をついた。銭湯でくつろぐ親父か。
蒸れは、頭皮によくないのではなかっただろうか。またさらに薄毛が進行して、ストレスがたまらないといいけれど。
ちなみに、仕事内容は、着ぐるみの森下さんが寄ってくる子どもたちに風船を配る対応をして、傍らで俺が希望者への写真撮影をしている。「凪ニャン」が稼働するのは、午前と午後一回ずつ。それ以外の時間帯は、困っている人がいないかと会場を巡回しつつ、ゴミ拾いもする。
4000平方メートル程度のグラウンドに多種多様な店が出ているため、担当エリアが事前に決められていた。着ぐるみ担当の森下さんと俺は、子どもむけのコーナーがある東エリアと、北と南のエリアの半分。前田と浦上さんは、西エリアと南北のもう半分のエリアだ。
会場内は、予想以上の人でごったがえしていた。この日に合わせて仮装してきている――仮装してくると、例の500円の引換券が一枚もらえる――親子連れも多く、トラブルが起こりそうな気配が強く感じられた。
午前の着ぐるみタイムが終わり、森下さんが休憩に入っている間、俺は会場の見回りをしていた。
昼時は、腹ごなしに屋台で食べ物を買って食べ歩きをする人が多いはずだ。そうなると、自然とゴミは増える。
中には、設置されたゴミ捨て場までもっていくのが面倒で、ポイ捨てしたり放置したりする不届き者もいる。それらのゴミを拾って、ゴミ捨て場までもっていって、正しく分別しなければならない。
この日は、先程も言ったとおりの暑さのせいで、ソフトクリームを売る屋台が好評らしい。回収したゴミの中では、使用済みのカップやプラスチックのスプーンが多かった。
「お疲れー」
「ああ……って、お前……」
運よく着ぐるみの役から逃れられた前田が、前方からやってきた。その手には、ソフトクリームがのったコーンが握られている。
「仕事は?」
「今休憩時間中」
「浦上さんが先に入るんじゃなかったのか?」
「その浦上さんが、先に入れって言うからさ。なんか、娘ちゃんたちが来てたみたいでよ。仕事してる姿でも見せたかったんじゃねーの?」
「ああ、そういうことか」
てっぺんが溶けかけてきたソフトクリームにかぶりついた前田を見ながら、ため息をついた。
「いいけど、作業着姿であんまうろつくなよ。サボってんのかって勘違いされるだろ」
「分かってるって。どんな店があんのか、ちょっと見て回りたくなっただけだって。あ、そうだ。オモロい店あったから、ゴミ拾いがてら行ってみろよ」
「オモロい店ってなんだよ」
「いかがわしい店じゃねぇから大丈夫だって。東エリアの屋台の近くだからな」
「いかがわしい店なんて出店できるわけねぇだろ」
けらけらと笑いながら踵を返した前田を見送り、またため息をついた。休憩時間と称して、担当外のエリアまで遊びに出ていたらしい。
前田の言葉は半ば無視して、見回りを再開。まもなくして、俺は驚愕の光景を目の当たりにした。
「このピアス、おいくらですか?……え? うーん、もうちょっと安くなりません? 200円まけてくださいよ」
女性の声が聞こえて、ふとそちらを向くと、そこにある出店の主がタコだった。
ふちが広めの帽子をかぶったタコが、ブルーシートを敷いた簡易的な出店で、アクセサリーを売っている。そして、値切り交渉してくる女性をてきとうにあしらっている。
結局、女性は100円だけ値引きしてもらい、小さな貝殻モチーフのピアスを購入していった。
「ロンさん、ですよね?」
女性が去ったのをみはからって近づき、声をかけた。
腕を一本、ちょいっと上げてあいさつをしてくる様子からして、間違いなくタコのロンさんだった。
「売る側になるとは……さすがですね」
そんなことはない、とでも言いたげに、ロンさんは首をゆっくりと横に振った。
しかし、その間にも、ロンさんの店には興味をひかれた客がやってきていた。売り手が異質な存在のタコだから、その点でも目を引くのだろう。前田が言っていた、「オモロい店」とはここで間違いない。
「これ、全部自前のですか? いいんですか、売っちゃっても」
尋ねると、ロンさんは日本の腕を挙げて、指先をちょこちょこ動かした。
「……まさか、手作りとか?」
ロンさんが頷く。
マジか。タコが、アクセサリーを作るのか。そして、売るのか……多才だな。
このフリーマーケットの話をしたのは、つい二週間前だ。当日までに、仕事の合間をぬって十数点ものアクセサリーを作れるものなのか。料理の腕がプロ並みなのだから、手先が器用なのは間違いないだろうけれど。
だがやはり、違和感が半端ない。
「……じゃあ、俺はこれで。楽しんでいってくださいね」
再び腕を挙げて振ったロンさんに会釈をして、その場を離れた。
なんだかんだと、仕事中にも顔を合わせる機会が増えてきている気がするが、気のせいだろうか? いや、うん……気のせいにしておこう。
◇◇◇
事件が起こったのは、午後の着ぐるみタイムが終わろうとしていた頃だった。
「あー! 風船ー!」
凪ニャンから風船をもらって写真撮影も終えた子どもが、突風でつい風船を離してしまったようだ。
風船は、風にあおられて小学校の校舎のほうに飛んでいき、二階の教室の窓上部に引っかかって止まった。
「ゆうくんの風船ー!」
「無理だよ。とれないよ。あ、ほら、凪ニャンがもう一個くれるって!」
「やだぁ! あの風船がいいのー!」
凪ニャンもとい森下さんが同じ色の風船を差し出すも、子どもは地団駄踏んで大泣きして拒絶している。子ども特有のスキル「謎のこだわり」が発動したようだ。
どうしたものか……いや、とってくるしかないな。
「行ってきます」
「大丈夫?」
「どの道、引っかかったままだと迷惑になっちゃいますし」
森下さんにぼそっと告げて、近くにいた別会社のスタッフに声をかけてこの場を任せ、駆けだした。
学校は土曜日で休みなので、校舎は閉まっている。中からとるのは不可能なので、外からなんとかしてとるしかない。
「はしご、お借りできますか?」
「はしご?」
「はい。あの風船がいいって、お子さんが泣くもんで」
「……え、あれですか? 届くかな……一応もってきますね」
他のスタッフに声をかけると、目を見開いて驚いていたが、こちらの希望どおり外の倉庫からはしごをもってきてくれた。
お礼を言った後、風船が引っかかっている校舎の真下から少し左にずれた位置にはしごを置いて、折りたたまれていたそれをのばしてみた。
三階のすぐ下まで達した。これならいける。
はしごを上り、風船が引っかかっている位置の真横まで到着すると、手をのばして風船をつかみとった。
「っ!」
だがそのとき、タイミング悪く突風が吹いた。
落ちないようにはしごにしがみつくも、そのはしごが左に傾き、倒れていく。どこかで人の悲鳴のようなものが聞こえた。
落ちる!
他につかまれる場所はなく、無情にものばした手が宙をさまよって、空へと向きを変える。その間、時間がすぎるのが異様に遅く感じられた。
なんとかして、受け身をとらないと。最悪ケガしたとしても、打撲程度で済ませられたら。足で着地するのは難しいか。ならば、背中か。
落ちるのは確定したつもりで考えをめぐらせていた俺は、一瞬なにが起こったのか分からなかった。
「へ……?」
体が、はしごにしがみついたかたちで、まっすぐ上を向いている。当然、痛みはない。
傾いたはしごが、元に戻ったのか? いや、そんなわけがない。地面までわずかしかない位置から態勢をたてなおすには、倒れた反対側から強い力で引っ張られでもしなければ、無理だ。
理解できず、おそるおそる後ろを振り返る。
観衆の誰もが、困惑した表情を浮かべてこちらを見ていた。