11話 栄養価の高い飯を食って、たっぷり寝た
次の日の朝。
起きあがってもだるさはほぼなくなっていて、頭痛もめまいもしないし、関節の痛みもない。
念のため体温をはかったが、結果は36度7分。平熱だ。
これはもう、治ったといっていいはずだ。
喜ぶのも束の間、俺は頭を抱えた。
それは、普段はちらかし放題の1Kの部屋が、どこのモデルハウスかと目を疑うほどに整理整頓されているせいだ。
一応言っておくが、俺は散らかった部屋が好きでそちらのほうが落ちつく、なんて癖があるわけではない。
問題なのは、「それをやったのは誰か」だ。
病人の食事づくりに、食器片づけ、洗濯物の片付け、家中の掃除。
とどめに、ゴミをきっちり分別しつつ、物を取り出しやすくするため工夫をこらして整理。置き場所を変えたものについては、残していったメモに細かく書かれてあった。メモの字は、妙に達筆な明朝体だった。
そんな、おしかけ女房ばりに家事をこなしていったのは、まぎれもなく隣に住む謎の生物、タコである。もはや、UMAの部類に入れてもいい。
「めっちゃ世話になっちまった……」
隣の部屋と繋がっている壁を見つめ、ため息まじりに呟いた。
今度は、普段よくあげている貝やエビでは物足りない気がする。なにかもっと、インパクトのあるお返しを選ばなければ。
……いや、タコにインパクトを与えられるお返しって、何なんだよ。意味わかんねぇよ。
一人、心の中でツッコミを入れつつ、頭をかきながら洗面所へむかった。
残っていた煮こみうどんを食べて、身支度を整え、いつもの時間に部屋を出た。
隣の部屋のほうをむいた瞬間、タイミングよくドアが開いて、タコが出てきた。
「おはようございます」
目が合い、俺があいさつすると、ロンさんは近寄ってきて、のばした腕を俺の額に当ててきた。そして、熱がないと確認して満足したらしく、二度頷いた。
「おかげさまですっかり治りました。ありがとうございました」
礼には及ばない、とでも言っているかのように、ロンさんが首をゆっくりと横に振った。
「家事までほとんどやってもらっちゃったんで……今度ちゃんとお礼しますね」
そう言うと、ロンさんは勢いよく首を横に振った。そして、階段のほうへと走り去っていった。
そんなつもりでやったわけじゃない、とでも言いたいのか。
じゃあ、なんのつもりだったのか。
聞いてもおそらく、答えは教えてくれないだろう。俺は困惑しながらも、あとを追うように階段を下りた。
◇◇◇
事務所に入ると、ドア近くにいた森下さんにあいさつする。そして、自分の席についた。
「名瀬さん」
「あ、おはようございます。昨日はありがとうございました」
パソコンを起動して椅子に座ると、むかい側の支倉さんに声をかけられた。
彼女は、すこしずれためがねを指先で持ちあげて、こちらをまじまじと見ている。さながら、学園もののマンガに出てくるベタな学級委員長のようである。
「もうよろしいんですか?」
「はい。おかげさまで」
「熱が下がったとしても、体力はまだ回復しきっていない可能性があります。もう一日くらい休んだほうがよかったのでは?」
「お気遣いありがとうございます。でも、ホントに大丈夫ですよ。たっぷり寝たし、ちゃんと栄養もとったし」
「……栄養ドリンクは、一時的な効果はありますが根本的な解決にはなりませんよ」
「いや、ちゃんとしたもの食べましたよ。隣のタ――あ、いえ、人がきてくれたんですよ。それでまぁ……看病っていうか。いろいろしてもらいまして」
瞬間、支倉さんが、ビシッと石のように固まった。
……え? なんで? 俺、またなんか変なこと言ったか?
「あの……支倉、さん?」
「……隣の方とは、もうそんな仲になっていたんですね」
「え? そんな仲……って?」
「いえ。なんでもありません」
そう言って、支倉さんは手元の書類に目を落として顔を伏せてしまった。
これ以上話しかけると、「仕事中ですよ」と注意されそうだ。大人しく、今日の予定表に目をむけた。
今日は……空き家の片付けがメインだな。あとは、庭の手入れが二件、と。
「ちょっと待って!? これ着られるの、俺かアホの前田くんしかいなくない!?」
「アホは余計っスよ! っていうか、ガチじゃないスか!」
こちらがやきもきしている中、騒がしく声を上げたのは、森下さんと前田だった。
二人が注目しているのは、白猫がモチーフのキャラクターの着ぐるみだ。森下さんが外から運んできて、事務所の入口近くの壁に立てかけてある。
あれは、いわゆるゆるキャラの一つであり、我らが神凪町の観光PR用に生みだされたものだ。名前は、「凪ニャン」。
ある県の熊がモチーフの超人気ゆるキャラに肩を並べる――とまではいかないが、全国版の人気投票ではかなり上位に食いこんだ経験もある。
その件で一時期話題になって、おかげでSNSは少しかじっている程度の俺でも知っているほど、知名度は高い。
しかし、その着ぐるみがここにある理由は、さすがにわからなかった。
「なんですか、それ」
「お前、『凪ニャン』知らねぇの!? 嘘だぁ!」
「知ってるわ。なんでその着ぐるみがここにあるのかって聞いてんだよ」
「フリマだよ。名瀬も仕事入ってるんだろ?」
浦上さんが、自分の席の椅子に座った状態で背もたれに寄りかかり、俺たちを見て言った。
それを聞いて、納得した。
再来週の土曜日、ハロウィンにあたる日に、近くの小学校のグラウンドでフリーマーケットが開かれるのだ。
最近は、スマホのアプリが勢力を拡大して浸透しているため、開催されるのが珍しくなりつつある。しかし、直接商品を手にとって見られる点、発送の手間がかからずすぐに手に入る点などがありがたいと考える人は少なくないそうだ。
また、一般人の出店の他にも、ハロウィンにかこつけて「お菓子のつかみどり」などの様々なイベントが行われる。つまり、この着ぐるみはそのイベント用なのだ。
主催者側の一員に社長の知りあいがいるとかで、仕事を請け負うことになりそうだ、とは話に聞いていた。だが、その「仕事」に、着ぐるみで盛り上げるのも含まれていたとは。
「お前どうよ。こういうの好きだろ?」
「誤解を生む発言は慎め。残念だけど……俺だとサイズが合わねぇな」
着ぐるみの体の部分を持ちあげてみせた。どうがんばっても、胸の下あたりまでしかない。
「そうか……がんばれ、森下さん!」
「ちょっと!? 俺に決定みたいなカンジで言わないでくれるかな!?」
「いやだって、俺だと横幅が合わねぇし?」
「ああん!? 誰がお腹ぽっこりメタボリック野郎だって!? こないだの健診でBMI、前より下がったんだからな! 35から33に!」
なにかのスイッチが入って口調が変わった森下さんの言葉を聞いて、俺と浦上さんは同時に吹きだした。
その後、高身長で細身の吉岡さんがやってきて、森下さんが余計に落ちこむ一悶着をへて、結局着ぐるみ担当は森下さんに決定した。
当日は、飲み物とタオルを多めに用意しておかなければ。冬の足音が聞こえる最近ではあまり必要ないと思われるが、着ぐるみで動きまわる場合は話が別である。
「……! そうか……!」
自分の席に戻りながらそう考えていると、不意にひらめいた。
思わず声に出してしまい、一連の騒動には一切目もくれず黙々と仕事をしていた支倉さんに、怪訝そうに細めた目をむけられてしまった。
慌てて「なんでもないです」と言って、しずかに椅子に座った。
◇◇◇
その日の夜、帰宅してすぐに、おすそわけのおでんをもってきてくれたロンさんに、フリーマーケットで使える引換券を2枚渡した。
主催者側から、スタッフとして参加する側の特権でもらったものだ。
「それ1枚で、500円以下の商品1つと交換できるんですよ。出店だけじゃなくて、食べ物の屋台でも使えるんで」
おでんが入ったタッパーと引き換えに受けとったロンさんは、その2枚の券を見て首を傾げていた。
「あ、えっと……そもそもフリマってなんなのか知らないですか? フリーマーケットの略で、一般人が家にある不要なものを売りにだすイベントなんですけど」
興味深そうに引換券を見つめていたロンさんが、顔を上げてこちらを見て、頷いた。
「もし予定空いてたら是非……あ、もしかして仕事ですか?」
ロンさんが、ゆっくりと首を横に動かした。休みではあるようだ。
「じゃあ、もし気がむいたら来てください。いい掘り出し物が見つかるかもしれませんよ。ロンさんが好きなものがあるかどうかはわかりませんけど」
今度は二度頷いていた。どうやら興味を示してくれたようだ。
と、思ったら、渡した2枚のうち1枚を差しだしてきた。1枚でいい、と言っているのか?
「や、2枚とももらってください。昨日のお礼でもあるんで」
そう言うと、ロンさんは券を差しだしたまま俺を凝視していたが、しばらくして重ねた券を前に出して、頭を下げた。
まるで、卒業証書を受け取るときのような動作で、思わず笑いそうになった。
「まだわかんないですけど、土曜だし……もしかしたら、すごい人出になるかもしれませんけど。お見かけしたら声かけてください。困ったことがあったら手助けしますんで」
ロンさんは、一本の腕をあげて、「分かった」もしくは、「じゃあまた」といった感じであいさつしてきたのち、自室に戻っていった。
さて、当日はどうなるやら。大きな混乱がないといいけれど。
そんな若干の不安を抱えながら、もらったおでんの入ったタッパーを片手に、すこしわくわくしながら自室に戻った。




