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第14幕 『 電話 』


 数日後、院長は入院し、そしてすぐに手術をしたようだった。

 容態は全く心配ない様子で、最初の予定通り、2週間ほどで退院できそうだった。


 そんなこんなで、病院は一見普段通りに見えるものの...。

 時々しか診察に顔を出さない院長でもいるといないとでは大違いで、『何かあれば院長に回せばいい』そんな逃げが出来なくなったことに気付き、わたしは愕然とした。

 それは、病院に防護壁がなくなったような感じだった。

 そんな状況で、わたし自身がかなり緊張していたんだと思う。

 それは自然とスタッフ全員に伝わるようで、ちょっとしたことですぐに爆発しそうなくらい、みんながぴりぴりしていた。

 でも、しばらくしたところで、わたし自身が全部背負う必要はないんじゃないかって思うようになった。みんながいるんだから、みんなでやればいい。

 そう思ったとたんに肩の力が抜けた。

 そして、わたしがリラックスすることによって、みんなにも余裕が戻ったような気がした。

 結局、院長の存在ってこーいうものなのかな...って思った。




 いつもの流れに戻ったある日の夜。

 診療時間終了間際に、おしっこが出ないというオスのシーズーがやってきた。


 エコーで、膀胱内に結石が疑われた。

 レントゲンを撮る。

 膀胱内には十数個の5から10ミリ程度の結石。

 そして厄介なことに、陰茎骨近位のお決まりの位置にも数個の結石があった。

 いやがって暴れる状態でなんとかカテーテルを通そうとしたけど、やはり陰茎骨のところでそれ以上先には進めない。

 尿閉だ。

 久しぶりに遅くなるかな...。

 

 シーズーはそのまま入院となり、すぐに麻酔下で処置することになった。

 予定としては...。

 まず、ペニス側から挿入したカテーテルでフラッシュ。陰茎骨で閉塞している結石を膀胱内に戻す。

 そして、おなかを開け、膀胱切開により結石を摘出する。


 出来るだけ太いオープンエンドのカテーテルが入れたい。

 8Fr入れたいけど、5Frがやっとだった。

 結石のところまで進めて、生食の入ったディスポをつなぐ。

 「フラッシュして、力一杯」

 ペニスの先をつまむ指に力を入れる。

 森先生がディスポを押す。

 指先に圧力がかかるのが分かる。

 カテーテルを一旦戻し、もう一度進める。

 「ダメ、まだつまってる。もう一回」

 フラッシュ。

 もう一度。

 何度か繰り返す。

 「入った」

 カテーテルが閉塞部分を通過した。

 でも、ざらついた感じが残る。

 フラッシュで膀胱がかなり膨らんできている。今のうちに尿を吸引。

 「よし、レントゲン撮ろう」

 


 フイルムを見ると、陰茎骨にまだ2つほど結石が残っていた。会陰部にもある。

 もう一度やろう。

 カテーテルを挿入する長さを確認し、フラッシュ。

 ざらつき感がまだある。もう一度。

 「これでどうかな?」

 森先生がシーズーをレントゲン室に運ぶ。



 「あ~、まだ残ってるよ...」

 森先生から受け取ったフイルムを見て、がっくり。

 会陰部にまだ一個、結石が映っていた。

 「もう一度ね」

 「はい」 

 力の抜けたわたしとは反対に、森先生は力を入れて返事をした。


 カテーテルを入れる。

 結石の直前まで...。

 フラッシュ。

 カテーテルの感触を確かめる。

 ダメ、まだ抵抗がある。

 もう一度。

 フラッシュ。

 ペニスを圧迫するタイミングを変えてみる。

 ふぅ...。

 ため息。

 もう一回...。


 「あれ? まだやってたの?」

 うしろの方で声がした。奥さんだ。

 わたしはカテーテルの先に集中する。

 「フラッシュして」

 森先生がディスポを押す。

 まだ、ざらつき感。

 「移動しないね」

 粘膜に埋まっちゃってるのかな。

 徐々に気持ちが焦る。

 その時、誰かがうしろから覗き込む気配がした。

 「切っちゃえば。その方が早いんじゃない?」

 奥さんだ...。

 ぶちっ!!

 その重みのない言葉に、わたしの頭の中で何かが切れた。

 「切らない方がいいんです!」

 あれ?

 わたしが言おうとしたこと、森先生が先に言っちゃった...。

 予期せぬヒトからの言葉に、全員の動きが一瞬止まったような気がした。

 そのまま何も言わず、奥さんは処置室を出ていった。


 そう、切った方が早いかもしれない。

 でも、尿道を切ると、時として粘膜からかなりの出血を見ることがある。

 そして、そのあとも切ったところが塞がるまで、排尿の度にびっくりするほど出血したりするのだ。

 だから、出来れば切りたくない。

 森先生は、それを知っているんだ。


 「あと一個です。がんばりましょう」

 森先生がわたしを見て言った。

 「うん」

 言ってくれて、ありがとう...。


 カテーテルを入れる。

 ざらつく場所。

 少し戻す。

 ペニスの根元を圧迫。

 「入れて」

 フラッシュ。

 カテーテルを進める。

 感触が変わった。

 いいかも。

 「よし、レントゲン」

 森先生がシーズーを抱えて走る。



 

 現像が出来るまでの長く感じる時間。

 院長が退院したら、デジタルにしてもらおうかな...。

 しばらくして、森先生がフイルムを持ってやってきた。

 「どお?」

 「大丈夫です。膀胱に戻ってます」

 よし、次は膀胱切開だ。

 「器具開けて!」

 手術室の彩ちゃんは、わたしの言葉の前に既に準備をはじめていた。

 「知華ちゃん、生食温めといて」

 彩ちゃんが言う。

 「毛刈りと消毒やります。先生は手を洗って」

 森先生が言う。

 上田さんはバリカンのスイッチを入れ森先生に渡した。

 ああ、みんなが無駄なく動いてくれている。

 チームワークってこーいうものなのかな...ふと、そう思った。


 「カテーテル残してね。結石とったらもう一度洗うから」

 わたしは白衣を脱ぎながら手術室へ向かった。



 

 手術は順調に進んだ。

 それに合わせてみんなの緊張感もとれ、いつもののんびりムードになった。

 まぁ、手術中はこんな感じの方がいいね。

 膀胱の縫合終了。

 さて、おなかを閉じよう。


 電話が鳴った。

 「はい、いっこく橋動物病院です」

 上田さんが出たようだ。

 急患だと嫌だな。


 「うわぁ、おひさしぶりです」

 上田さんのうれしそうな声が手術室まで響く。

 「たまたま急な手術があって...」

 みんなが「電話、誰から?」って顔をして聞き耳を立てている。

 「そうなんですよ。先週入院して、手術したんです。でも、元気ですよ。来週くらいに退院です」

 院長の知り合い?

 「石津先生も変わりないですか?」

 石津先生!

 筋膜に針をかけようとしていた手が止まった。

 わたしはその名前を聞き逃さなかった。

 わたしは顔を上げると「石津先生なの!」と上田さんに向かって叫んでいた。

 「あ、高原先生が何か叫んでますけど、代わりましょうか」

 かわって、かわって!

 今度は声に出さず叫ぶ。

 「今、おなか縫ってます。あ、はい、わかりました」

 受話器を耳から外し、上田さんがこちらを向いた。

 「ちゃんと手術に集中しろ!って言ってますよ」

 そんなぁ...。

 「はい、はい、院長に伝えておきます。おやすみなさい」

 切れた...。


 ニコニコしながら上田さんが手術室にやってきた。

 「また電話するそうですよ」

 「うん...」

 なんだか力が抜けた...。

 そうだ。

 「ディスプレイに番号出てた?」

 思いきって聞いてみた。

 「非通知でしたよ」

 くっそ~...。

 縫合する手に力が入った。

 

 

 

 手術の後片付けが終わり、シーズーの状態が落ち着くのを待って病院を出ると、12時を過ぎていた。

 車に乗りエンジンをかける。

 さすがに深夜うるさい車で暖機するわけにもいかず、そろそろと動かし小学校横の道まで出た。

 ここで暖まるまで少し待つ。

 すると携帯が鳴った。

 まさか病院からじゃないよね。

 「もしもーし」

 え? 携帯から聞こえる懐かしい声。

 「先生...」

 「もう、終わった?」

 「はい、今、帰るところです」

 わたしはエンジンを切った。

 「じゃぁ、無事にすんだんだね」

 「はい」

 あれ?

 どこかでぴーぴー音がするぞ。

 携帯を耳に当てながら、きょろきょろ車の中を見渡す。

 何の音?

 「院長代理はどう?」

 音が気になるけど、今は会話の方が大事。

 「もう、大変です。先生がいなくなって大変だったのに、さらに院長がいなくて、大変がもっと大変で、ちょー大変って感じです」

 「ははは」

 笑い声が聞こえる。

 依然として鳴り止まない音。

 「でも、ちゃんとがんばってるじゃない」

 「もう、逃げちゃいたいですよ...」

 「逃げることばっかり考えてると、本当に進まなきゃいけない道も逃げ道になっちゃうぞ」

 「そりゃ、そうですけど...」

 それにしても、いつまで鳴ってるんだ。

 「まぁ、それを乗り越えたら、一人前だ」

 「あの、わたし、先生に聞きたいことが...」

 あ。

 そーか、この音ひょっとして。

 携帯を耳から外して画面を見る。『充電してください』の文字。

 うわ、電池切れのアラームだったんだ。

 そーいえば、最近充電してなかったかも。

 「先生、携帯の電池がなくなっちゃいそう」

 「じゃぁ、また電話するよ」

 「わたしからかけます。先生の番号...」

 あ、

 切れた...。

 体中の力が抜けていく。


 とことん縁がないって感じ...。

 

 


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