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黄金が降る  作者: 毎路
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07 先住者

 朝食のメニューはこれだ。バターを塗ってトーストしたパン、足の早いトマトとレタスとたまごのサラダ、買い置きのコーンスープ、コーヒーメーカーでドリップしたコーヒーだ。


「まずまずだな」


 食器はもともと部屋にある物で、白い無地のシンプルなデザインだ。ひと昔前に流行したスタイルで、飽きにくいし、なんてことないルヴィの料理も、食材の色彩が映えた。


 同居人のネムを起こしに行く。

 眠気眼をこすりながら出てきたネムは、寝間着の上からカーディガンを羽織っている。


「メープルと蜂蜜はそこな」


 ネムがメープルを垂らしている対面で、ルヴィはタブレットで文献を読み漁る、そんな時だった。


「……っ ……たー」


 階段を何かが落ちる音がした。

 ネムは口に運んでいたトーストを取り落として、皿にシロップがべしゃっとなったのを無言で見下ろして微動だにしない。


「びっくりしたなー」


 その寝癖の付いた頭を片手でわしゃっとしてから、ルヴィは椅子から立ち上がった。


「ちょっと見てくる」


 一声かけてから部屋の扉を開けると、くぐもった女の呻き声が聞こえた。アパートの玄関は暗号キーを入力しなければ開錠しないオートロック式なので、他のアパートの住人の筈だ。念のため、部屋の鍵を閉めてから出る。


「大丈夫ですか?」


 声を掛けながら廊下の手すり越しに、階下へ小声で呼びかける。


「あ、ああ、ちょっと荷物を落っことしかけちゃって」


 エルム語だが、アクイレギア人らしくない物言いに、ルヴィはすぐに同郷人だと気づいて、階段を下りて行った。そういえば、ここは同郷の住人ばかりだった。

 顔を上げたのは、長い赤茶けた髪を1本の三つ編みにした女性で、ごつめの黒縁眼鏡が、低めの鼻にかろうじて引っかかる状態だ。階段の中腹で今にも転がり落ちそうなスーツケースを両手で引き揚げようとしている。しかし何よりもルヴィを困惑させたのはその風体だろう。思わずぎょっとして立ち止まるほどだった。


「やー、面目ない。朝から騒々しかったよね」


 土木作業でもしてきたのかと思わせるような汚れ具合と服装だ。

 つなぎの上衣部分を脱いで、腰のあたりで袖を結んでいる。

 そのため、下に着ているタンクトップが露わだ。


 砂と埃で塗れている肌はむき出しだ。


 相手の謝罪の言葉からも目が泳いでしまう。


「いえ……」


 ルヴィは曖昧に首を振った。彼女が動く度に、土くれでも落ちる。階段下には転々と砂が落ちている。どこまで掃除をする必要があるだろうか。


 掃除業者が入るのなら問題はないだろうが。

 もしマリエが掃除するのなら、ルヴィが代わろう。


 ――いや、業者なのか?


 アパートの住人だと思っていたが、違っていたかもしれない。

 そういえば、昨日マリエが作業着の男と話していた。


 しかし違ったらしい。


「――もしかしてここの新しい人?」


 どうやらアパートの先住者のようだった。


「ご挨拶が遅れました、301号室のルヴィアスです」

「はじめまして。アタシは204号室に住んでる、エミ。よろしく……って言っても、ここ一か月くらい戻ってなかったんだけどね」


 両手でスーツケースが階段から落ちないよう両腕をプルプルさせている。


「あの、運ぶのを手伝いますよ」

「ホント? ありがとう、とても助かります」


 弾けるような笑顔が、広がる。

 口が大きいので、笑顔になった時の印象がより明るい。


 喋るたびに、大きな土屑が落ちるので、ルヴィは苦笑いした。

 よっと、と勢いつけてルヴィは片手で引き揚げる。


「流石、男の子、力持ちだなー」

「あはは……」


 女性が両腕でプルプルさせていた荷物も、男にとってみればこのくらいであれば片手で済むのは訳はない。確かに、ずっしりと来る重さだったが。……この荷物を両手とはいえ、抱えて移動できるエミの方が、女性の中では力持ちと言えるだろう。


「朝早いとマザーマリエがいないの忘れてて、貨物用の昇降機使えないのに今気づいて困ってた。アタシだったら行けるかなって思ってたけど重すぎたみたい」


 思いがけない風体だったが、どうやら礼儀正しく気さくな人物のようだった。


「何が入ってるんですか」


 この大きさにしては、重い方だ。


「機材とか入ってるから……あ、足とか挟まないようにホント気を付けて。2階まで上げてくれたら後は大丈夫だから」

「なるほど……わかりました」


 60リットルほどの中型だが、その外観から想像するよりも3倍は重いだろう。


「重かったでしょ、ありがとう」


 小声で感謝を述べるエミはスーツケースの取っ手を掴んで廊下を引いた。

 その腕は日に焼け、浮き出た筋肉が見えた。

 ネムだったらぺしゃんこだなーと思いながら、見送るだけ見送ろうと話しかけた。


「一か月間、旅行ですか?」


 そんな恰好ではなかったが、話のネタに。

 案の定、エミは首を振った。


「授業の一環。単位落しかけてたんだけど、プロフェッサーの研究の手伝いしたら、単位をくれるっていうからその手伝いしてたんだ」


 補講か何かに当たる物だろうか。

 それでフィールドワークの手伝いができるのはいい経験になりそうだ。


「でも目的の現象がなかなか測定できなくて、期間が延びちゃって。まあ、その間の宿泊費と食事はプロフェッサーが払ってくれたからいいけど、フォールセメスターに間に合わないかと冷や冷やした。……ホント、ギリギリだよ」


 へとへとだという割に、元気そうだ。

 パワフルなのが伝わってくる。


 髪色も日に焼けて辿り着いた赤茶の髪というのが正しそうだ。

 眉は濃い茶色で、瞳も同色に見えた。


 となると、黒髪黒目とまで言わないまでも、だいぶ血が濃いのだろう。


「朝から騒いじゃってごめん。助けてくれてありがとう。よかったら、ランチでも一緒にどう? 3階ってことは、2人暮らし? なら、同居の子も一緒に」


「大したことしてないので」


 慌てて断る。

 ネムは引っ込み思案な性格なのだ。

 このフットワークの軽そうな、明るい性格のエミと初対面でランチはきついだろう。


「困ったときはお互い様ですからお気になさらず。それに、今日は用事があるので、また次の機会に」


 すると、エミが笑うので、妙なことを言っただろうかと首をかしげた。


「いや……ルヴィアスって、イクシオリリオン人らしくない名前だから、このレジデンスには珍しいなって思ったんだけど、言動がまんま同国出身だなと思って、安心して」


 ちょっと目を見開いた。

 ルヴィは髪や目の色を覗けば、見た目が純イクシオリリオン人そのものなのだ。


 しかし、そういったことを言われることは今まで全くなかったが、この国に来てちらほらそういったことを言われるようになっていた。頬を掻きながら、ため息を吐く。


「たまに言われます。フルネームだと、ルヴィアス・キングサリって言います。ルヴィって呼んでください、長いので」


 察しながらルヴィが改めて言う。


 エミは眉を上げて破顔した。

 すると、口が大きく、口角が上がる。なかなか迫力のある顔だった。


「アタシはエミ・チョウノって言います。出身はサイジョウ。26歳です、大学生2週目をやってる」

「オレは23歳です。アシヤから来ました。ここへは大学院に進学で」


 絶妙に緊張する。

 年齢に関して、外つ国の人は分かりにくいが、同郷人は比較的わかりやすい。


 エミは年上だが、大学生だ。

 ルヴィは年下だが、大学院生だ。


 どうということはないが、なんとなくやりにくい。


「年上だからって気を遣わないで。アタシの年齢で大学通ってると、こんなことざらだから慣れてる。大学だってだいたい皆アタシよりも年下なんだ。ルヴィも気にせずにイクシオリリオンにいる時みたいに、エミさんって呼んでくれたらいい」

「助かります」


 さすがに年上を呼び捨てにはできなくてほっとした。

 しかし、本国にいるときは苗字にさん付けで呼ぶのだが。


「それじゃ、気を付けて」

「うん、助かりました。おなじレジデンスにいるんだからまた会った時にお礼するね。あ、コレ、社交辞令じゃないから、都合が悪かったときは遠慮なくそう言って」


 同じ2階の床に立つと、目線は思ったより下だった。

 もっと大柄な印象だったので意外だった。

 存在感が強いせいだろうか。


 道すがら歩いていてお互いの肩がぶつかれば間違いなくルヴィが後方に吹っ飛びそうだが。

 背中で左右に揺れる長い赤茶の三つ編みを見送り、階段を上った。


「にしても……なんの学部なんだ?」


 あんなに砂埃で汚れる研究とは、と疑問を残しつつ、ルヴィは3階へ戻った。

 鍵を閉めたことを思い出して、開ける。


 リビングに戻ると、ネムが瞼を半分降ろしながらコーンスープをちょびちょび飲んでいるところだった。いつの間にかピアノの古典音楽が流れている。優雅な空間だ。しかし食事は半部に嬢も残ってる。


「ネムー、風呂に入ってきたらどうだ?」

「……」


 ルヴィに髪をくしゃくしゃにされたままのネムは無言で仰向けてスープを飲み干すと、カーディガンの袖を半分床に引きずりながら部屋に行き、着替えを取ってからバスルームへ向かった。……来週からはこの時間には家を出ていなければならない。


「この朝にめっぽう弱い我が娘をなんとか早く覚醒させる策を考えないとな……」


 気分は年ごろの娘を持った母親だ。


 朝食の後片付けをして、途中辞めになっていた文献の続きに目を通していると、9時半になった。やっとネムがバスルームから出てきて、リビングのソファに座った。ルヴィは濡れたままのネムの髪をタオルで拭いてドライヤーで乾かしてやる。ネム様はニュースをつけながら、携帯の画面を開いていた。しばらくして今日最初の一声を放った。


「申請通ったみたい」


 突拍子もない、と思いかけたが、なんのことはない在留届の件だ。


「やったー! ありがとな、ネム!」


 乾かし終わった髪を触りながら、ネムは立ち上がった。

 完全に目が覚めたようだ。


「これから取りに行きましょう」


 ネムの言葉にうんうん頷く。


「持ち物は、口座の通帳とパスポートと許可証よ。準備しておいて。後で確認するわ」

「あいよー」


 自室に行くネムの後姿を見送って、ルヴィは言われた持ち物を机の上に広げて確認した後、バッグの中に入れていく。三度確認しているうちに、ネムが用意を整えてリビングに戻って入れたものを全部見せて合格をもらう。


 部屋から出て、階段を降りる時、ネムが眉をひそめた。


「すごく、土くれだらけだわ」


 階段の途中から上がって、2階へ目を向けようとする。

 名探偵ネムになってしまう前に、ルヴィが止めた。


「なんかあったのかもな。今は出ようぜ」


 誰が原因か知っているルヴィは、その人物が悪い人には思えないので、きっと掃除に戻って来るだろう。首を傾げながらネムが頷いて、足を進めた。



 鉄道は空いていた。

 カレッジまでの道は多いが、敷地に入ってしまえばそうでもなかった。

 土曜日だからだろう。


 学務課に行って、必要書類を提出すると、すぐに顔写真付きの学生証が交付された。無愛想なお姉さんから受け取った学生証は、予め提出していた顔写真が使われていて、カレッジのシンボルカラーである、洋紅色のラインがカードの上下に入っていた。学生証はチェックカードとしての機能もついていた。その機能は5年後まで有効であるようでクレジットカードにあるような期限も書かれている。交通ICとしても使えるとのことだ。


「感動だな! オレ、ここの大学院生になったんだ」

「ここの大学院を出るのは大変よ……?」


 一仕事終えたのもあり、浮かれていると、ネムが遠い目で言った。


「入っちまえばこっちのもんよ~」

「そうだといいけれどね……」


 悲観的な幼馴染の後ろに回って、肩を揉んで労った。

 この細い肩に重責を押しつけた奴がいるらしい。なんて非道な奴なんだ!


「ネムさんや。ここまで付いてきてくれてありがとな~。お昼は奢るからさ、兄貴の金で! 好きなものをじゃんじゃん頼んでくれ」

「もう、調子がいいんだから」


 気分が浮上したらしい。

 よしよしと確認して頷いていると、学生たちが移動していくのが見えた。

 まさしく昼時だ。


「なあ、ネム。カレッジ内のカフェテリア行って気にならん?」

「いずれ行くだろうけれど、そうね。お昼はそこに行ってみましょうか。この学生証に口座も紐づけたから、支払いも使えるようだし」

「すげえ便利。現金要らんな」


 ルヴィも財布に現地の貨幣はいくらか入れている。これをみると、本国の現金はどの国の貨幣よりもデザインが美しいと思う。海外の貨幣を見ると、色付きで玩具のように安っぽく見える……とあけすけに言えば反感を食らうだろうが。


「じゃ、行こうぜ」

「………こっちだから、ルヴ」


 ボディバッグの掛ける部分を掴まれて、ルヴィは引き戻された。

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