43 ワンエイス
様子をうかがいに来てくれるいつもの医者と小柄なフィリスは専属の看護婦らしく、昼頃にまたルヴィの容態を確認してきてくれるが、目を覚ます様子はない。点滴しているので生命維持には問題はないと説明を受けた。目が覚めた時は絶食後になるので、重湯のようなものから始める必要はあるらしい。
少しでも起きた後のことが聞けてほっとしていると、ふいに医者がじろりとこちらを見た。
「………ほとんど病室を出ていないと聞いた」
「? はい。快適で事足りています」
頷いてアクイレギアの病室の快適さを褒めると、医者が鼻に皴を寄せた。
なぜだろう、と首をかしげていると、重々しく言われた。
「目が覚めるまで一歩も動かないつもりか?」
目を瞬かせる。
手を動かしていた小柄な看護婦フィリスが顔を出して付け加えた。
「気分転換に少し外へ出かけるのはどうかと仰っているのよ」
なるほど。
しかしネムは首を横に振る。
「わたしはルヴを見ていないと。頼れる人もいないので」
沈黙する医者が俯く横で、フィリスが顔を出してくる。
「定期的に見回りもしているし、何かあれば起動しているAIナースが必ず気づくわ。起きたらすぐにあなたに連絡を入れるわ。だから安心して、ね?」
ルヴィにつながれた管は機材のAIナースに生体情報を逐一伝達している。
今もまた、心拍数や血圧など様々な情報が計測されている。
ネムの目が覚めて半日が経つけれども、起きる兆しはない。
どうしてここまで差があるのだろう……。
頭の怪我は問題ないと説明は受けたが。
「せっかくの休みを、こうして病院に付きっきりでは退屈でしょう?」
「そんなことは――」
一日中引きこもりでも不自由さは感じない。しかし、ネムはそうでも、ルヴィは、ネムがこうして病室に籠っている状態を喜びはしないだろう。
「……わかりました。出かけてみますね」
「ええ。それがいいわ、ねドクター」
フィリスはほっとしたように息をつき、無言でいる医者を振り返って微笑みかける。フィリスに電話番号を伝え、医者とともにルヴィの病床を離れる。始終どこか浮かない顔をしていた医者は去り際に、点滴の留め具を確認したのか、何かを調整するような仕草をする。その時――コポリ、と点滴から気泡が浮かび上がった音がしたように思った。
去っていく二人を見送り、ネムは病床の脇に戻る。
「でも、出かけられるところもないのよね」
アパートへは治安悪化のため、一人で戻るのは禁止だと言い含められている。
カレッジの図書館くらいだろうか。
バッグの中を整理していると、番号の書かれた紙片を見つけた。
「――あ」
* * * *
カタン、カタン、と足音が上から聞こえてくる。
居住者たちは2階以上で生活している。
常駐している管理人の姿がいないと、明りが消えたように暗く感じる。
管理人室の窓口に不在札をかけていると、階段から軋む音がした。
「………マザーマリエは、まだ来ないの? ジャミラ」
視線を向けると、そこには2階に住む女学生が手すりから身を乗り出していた。
名前はエミだ。よくフィールド調査で部屋を空けていたが最近はそれもないようだった。
「……ああ」
「じゃあ、いつになったら戻ってくるの?」
わからない、そう正直に告げるのは、マリエの体面を傷つけてしまう。
「一連の協力が終わったら」
「……事故の取り調べていったいつまでかかるっていうの!?」
突然声を荒げたエミの声は、階段にいたために建物中に響き渡った。
「エミ?」
急激な変化に戸惑い、名前を呼ぶと、はっとしたような顔になる。
その顔は瞼が腫れていて、目の下には隈がくっきりとあった。
「何かあったのか、エミ」
「っなんでもない! ちょっと………ちょっと気が立ってただけ」
乾燥した唇を引きつらせて笑う。
両手を広げて上下に揺らしながら話す。
イクシオリリオン人は総じて動作がどこか幼い印象がある。
「ほらだって、ニュースでいろんな事件が発生しているせいで、まともに外に出られないじゃない?」
確かに、エミは活発な性格で、フィールド調査に励んでいる。
担当教員の教授と仲良くなったらしく、頻繁に数日から数週間にわたる現地調査に行っていた。
このレジデンスに居住している学生たち皆がそうであるように名門カレッジであるライムライト大学に通う学生だ。このレジデンスに来た当初は、異国での生活や思い通りにいかないことにぶつかり苛立ちながらも食らいついていた。時にはマリエに悩みを打ち明けながらも、慣れてからはレジデンスの催しにも積極的に雰囲気を盛り上げるムードメーカーになっていた。研究室に所属するようになってから表情が明るくなり、生き生きしながらフィールド調査に出かけていく姿を雑貨店から見かけたものだ。
そうした印象が最後だったので、今の悄然としたエミの姿には違和感があった。
しかし、本人が大丈夫だというのであれば、踏み込むことはできない。
「そう、か。足りないものや必要なものがあれば買ってくるが」
「食べ物も厨房の冷蔵庫に常備してもらっているんだから、不足なんてないよ。ありがとう」
部屋に戻るといってエミは駆け足で階段を上った。
――こうして時々、レジデンスに入居している学生に出くわすと、マリエの所在について聞かれる。そんな時、判で押したような回答しかできないでいる。
本当は、捜査協力はとっくに終わっている。
問題はマリエの心身の不調による。
そのことを入居者の学生たちには伝えられないでいる。
マリエは高齢のため、心配させるというのは表向きの理由だ。
「…………………私は行けないよ、アダム」
不在札に、返却してもらった携帯電話を記入したものを貼り付ける。
道端にはゴミが転がり、閑静な住宅地だったここも緊迫した空気が流れている。――エミが口にしていた通り、ニュースでは連日隣人や主婦同士のトラブルが報じられていて、ここも他人事ではない。雑貨店を開けられる状況ではないので店は鉄柵を下ろしている。
ジャミラは外に出られないレジデンスの入居者のため、今から車で食料を調達しに出かける。休日なのでこんな中、カレッジに通学する必要がないのが救いだろうか。今は天気が良いが、夕方から雲行きが怪しくなる予報だ。ガレージの止めた車に乗り込み、エンジンをかけると、庭木が目に入った。
古木のしだれ柳が風に揺れていた。
* * * *
買ったばかりのグレーのコートを羽織ったネムは時間通りに病院の外に出る。一歩出た途端に、吐く息が白くなる。風から避けるように手かざすと、正面に黒塗りの高級車が止まっていた。小走りで近寄ると、高級車の扉が開き、中から長い黒髪の青年が出てくる。
「来てもらってごめんなさい」
「………なぜ謝る」
差し出される手を、片手を乗せながら謝ると、僅かに眉をしかめられた。
ネムは慌てる。
「えっと……お礼といいながら、あなたに来てもらったでしょう?」
「気にすることはない」
伏し目がちに瞬いたかと思うと、手を引かれて、車の中へ誘導された。
座ったら座ったで、膝に掛けるブランケットも渡される。
「……脚の調子は?」
なるほど、と合点がいった。
道理で、重病人を介助するかのような甲斐甲斐しさだと思った。
生まれてこの方、健康優良児だったネムだ。
これほど病弱な対応をされたことがないので面食らっていたところだ。相手の不安を打ち消すよう、足を浮かせて見せた。
「この通り、平気よ。昨日も治りかけだったの」
すると、伸びた手に、ずれたブランケットを無言で直され、その動きを追うように、癖のない艶やかな黒髪が肩から流れ落ちる。




