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黄金が降る  作者: 毎路
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41 付添人

 まだ目が覚めないルヴィの世話をするのはネムしかいない。それにはまず退院許可が必要だ。幸いなことに、しっかり二時間眠った後は快癒したとやや引き気味に太鼓判を押してくれた医者の診断により、点滴を終えた一日遅れの報告書を作成し送信したのちに、ネムはその日のまだ明るいうちには退院手続きを終えた。しかし、FBI捜査官であるヒーカンの言葉もあり、アパートに戻ることはできない。ネムの居場所は未だ目覚めぬ幼馴染の病室に付き添いもかねて寝泊まりすることにした。


「付添人の宿泊と食事は無料よ」


 オーダーは病室内にあるタブレットから申請可能だそうだ。


「申請できるのは、朝食が7時から9時までで、昼食が11時から13時まで、夕食は16時から18時までの間だから注意してね」


 そのほかに、各階のナースステーション裏には、二十四時間利用可能な、スナック菓子や飲み物が置かれているらしくセルフだという。


「食べ物には困りそうにありませんね」

「期待していていいわよ」


 それだけアクイレギアの医療費は高額だからだろう。

 付添人の食事も無料になるくらいに。

 今から胃が痛いことだ。






「病室というより……まるでホテルね」


 教えてもらった病室は6階にあり、エレベーターで向かった。受け取った入室用の電子キーで入ると、病床に横たわる幼馴染の顔色は悪くはなかった。服がそのままだったネムとは異なり、病衣を着ている。怪我をしていたからかもしれない。基本的に入院患者は、肌着類しか必要なものはないらしい。付添い用のベッドになる長椅子に座って、ショルダーバッグから返却されたばかりの携帯を取り出した。


 すべきことは三つだ。

 一つ目は、無断欠席してしまった教授への事情説明と連絡。

 二つ目は、いつ目を覚ますか不明な幼馴染との旅行のキャンセル。

 三つ目は、たくさん通知が来ている相手への返信。


 すべてを終えるころには、16時になっていた。

 途中、昼食を頼んで、片手で食べられるハンバーガーを口にした。


「――これですべての連絡と問い合わせと返信はひとまず終わりね」


 バッテリーの減りが早いので、携帯を充電しながら対応を完了させ、オレンジジュースを飲んだ。オレンジジュースは、糖分によるエネルギー補給、ビタミンCによる疲労軽減、クエン酸による疲労物質の分解などが期待できるため、食欲がわかないときには便利な飲み物だ。いつも頼りにしていた幼馴染も、寮母もいない今、ネムが支えなくてはならない。幸いなことに、アクイレギアの病室には、ホテルの一室と同じだけの設備があり、キッチン以外の水回りは完備されていた。問題は。


「着替えが……」


 ないのだ、着の身着のまま。しかしアパート周辺の地域は、ネムの記憶の中では閑静な住宅地なのだが、下の総合受付所で看護婦に話を聞く限り、一部地域で治安が悪化していることは間違いないそうだ。


 その点、リグナムバイタの中心地は、大勢の警察が見回っているから比較的安全だという助言を思い出し、ネムは立ち上がる。外の景色を見るとまだ明るい。着替えを調達するのなら、今しかない。



 


 

 病院の最寄りの地下鉄駅から地下鉄に乗り15分で、リグナムバイタの中心地の駅に到着する。地下から地上に出ると、空は灰色に曇り、寒々しく強風が吹いているので、思わずコートの前を掻き合わせた。出口からすぐに目に入ったイクシオリリオンでも見慣れたブランド名に安心感を抱き、そのまま直行する。


「ルヴが目が覚めたとして怪我もしているから……しばらく病室暮らしになりそうよね」


 洗い替えも考慮し、三日分の衣服を調達することにした。適当に裏起毛のスウェット上下とタイツ、一枚で着れるニットワンピース、ブラウスとセットのスカート、セーターとスキニージーンズ、新しくコート、ショートブーツにネムとルヴィの肌着類を買う。値札を切ってもらい、圧縮をかけてもらって小さくするが、やはり紙袋は大きくなる。その中から試着室を借りて、ニットワンピースとタイツ、ショートブーツを着用して、脱いだものは紙袋に入れて外に出た。そしてため息をつく。


「……現金がなくなっていたのはショックだわ」


 支払いの際に、財布を開くと、硬貨以外の現金――紙幣がすべてなくなっていたので、いくら入れたのか記憶になくとも、ごっそり紙幣だけ落としてしまったということがあり得ないのは分かる。


「病院で盗まれるなんて」


 世も末とはこういうことだろう。

 本国で作ったクレジットカードがあって助かった。

 でなければ、銀行に行くまで一文無しだ。


 両手で紙袋の紐を持つと手のひらに食い込んだ。早く降ろしたい思いで、すぐそこの地下鉄の入り口に行こうとしたが、ちょうど帰宅ラッシュだったのか、人通りが多く、ふらふらしていたのもあって通行人と肩がぶつかった、悪態をつかれる。よろけるくらいで済むのに、急に片脚から力が抜け、地面に顔面から突っ込む………トラブルに巻き込まれたり、病院で紙幣を盗まれたり、踏んだり蹴ったりだ。


 至近距離で顔を上げると、黒い瞳とかち合った。ここまで純粋な黒い瞳は見たことがない。そして長く癖のないまっすぐの、美しい黒い髪。思わずため息が漏れそうなほどで、一瞬、同郷人かと思った。


「いや……」


 その口から出てきたのは自然なエルム語――アクイレギア人だ。

 しかしその整った造形は西洋よりは東洋寄りで、自然と肩から力が抜けた。


 立ち上がるのを手伝ってもらい、そのまま離れるものと思った。

 純黒の瞳がネムの顔、その横に移動し、じっと見つめてくる。


「……その傷は?」

「少し転んで怪我を」


 見苦しかっただろうか。

 左頬に手の甲を当てて触れると、大きなガーゼの感触がした。


 脱ぎ着するときに擦れたが、痛みも感じないほど分厚く頑丈だ。

 万が一跡が残らないように、と気を遣ってもらったらしい。


 おそらく、地面に打ち付けたときにできたものだろう。

 正直なところあまり記憶になかった。


「送ろう」

「え?」


 思いがけない申し出に目を丸くする。

 返答は、考えるまでもない。


「いえ、あの……平気です」


 見ず知らずの人だ。

 これ以上好意に甘える理由も思いつかない。

 なにより、過ぎた親切だ、ネムはひそかに警戒心を強めた。 


 掴まれている方の腕を意識した時、あっさりと放された。

 顔を上げると、青年は懐から何かを取り出す。


 思わず身構える。


「……カーマイン大学の学生では? カレッジで見かけたことがある」


 学生IDだ。

 ネムたちと同じカレッジの。


「………まあ」


 ナイフかと思ったが、なじみ深いものだった。

 距離を摘めてまじまじと眺める。


「同じカレッジの学生だったのね」

 

 所属は経営学科(MBA)でビジネススクールともいわれているところだ。

 それは友人であるパトリックの専攻でもある。

 余計に親近感が湧いた。


 すると青年は出していたIDを仕舞った。


「経営学科とは講義棟が近くだからきっとすれ違ったことがあるのかもしれないわ」


 見かけたことがある、と言われたがネムの方は覚えがない。

 しかし、学生証を見せてもらったことで不信感は劇的に和らいだ。


「わたしはネムというの。社会学科で地理学を専攻しているわ。さっきはご親切にどうも。あなたは……」


 見せられたIDには名前が書いてあったが、所属ばかりに気を取られて読んでいなかった。今更もう一度見せてほしいとは言えず、気まずく視線をずらすと、青年は静かに名乗った。


「レギナンド・マホニア」


 改めて名乗ってくれた。にこりと笑う。

 街中を歩いていて、同じカレッジの学生に話しかけられたのは初めてだった。


「近くに車を回す」


 そういうと青年は携帯を取り出した。

 まだ送ってもらうところまでは考えていなかった。

 しかし、同じカレッジの学生なら、大丈夫、かも……しれない。


 微笑の裏で、再び不安に襲われていると無情にも宣告される。


「あと10分ほどで来る」


 青年は荷物を持つのを代わってくれるが、ネムは挙動不審に目をそらした。青年からの問うようなじっと見てくる視線を感じたが、何も言えなかった。その紙袋の中には脱いだばかりの服も入っていたのだ。親切心でしてくれていることはもう理解した。中身には気取られませんようにとただただ切に願っていると、再び話しかけられた。


「行き先は?」

「え? ………ああ、そうね」


 幸いなことに、ネムが向かうのは自宅のアパートではない。

 行き先は言いやすかった。


「コチニール総合病院に」


 車がやって来ると、それは黒塗りの高級車だった。アクイレギア一の巨大都市で経済の中枢であるリグナムバイタは富裕層が最も多いといわれる。ネムたち学生はカレッジとアパートの行き来で生活が完結しているので、その片鱗に触れたような気がして、その時は妙に納得した思いでいた。


 思い違いだと気づいたのはすぐだ。

 止まった車から白い手袋をした運転手が降りてきてドアを開ける。

 そこでもあれ、と思ったが、その内装が垣間見えて硬直する。


 周囲からの視線も集まるので、よりいっそう場違い勘に襲われる。


 黒革が張られた座席は前を向いておらず、横向きに並び、真ん中に低いテーブルがあった。

 棒立ちしていると、横から青年に手を差し出された。


「手を」


 エスコート待ちに見えたようだ。

 誓ってもいい。そんなつもりはなかったのだけれども……。


「あ、ありがとう……」


 足を怪我していることを承知しているせいか、乗り込む介助までされる。

 下にも置かぬ扱いをされ、周囲からの好奇の目がこちらにも注がれる。


「……どうか?」

「い、え。なんでも」


 そうかと納得したのかそうでないのか頷いた青年も乗り込むと、ソファ状の座席はぐるりと一周するようつながっているが、青年はネムとひと一人分開けて座った。そしてパネルの近くで、音声パネルに触れると、短く言った。


「CGHの入り口近くまで」


 それで運転手に伝わったのだろう。画面は暗くなる。

 車窓の景色が動き出した。振動が少ない。


「……転んで、病院に?」


 静かな声に反応が遅れた。

 ネムの話だ。

 転んだにしては大げさなガーゼがだからだろう。


「事故に巻き込まれた時に転倒してしまったようなの。あまり覚えていなくて。さっきまで入院していたの。でも一緒にいたルームメイトは今も入院中で……わたしはその付添いで病院にとんぼ返りということね」

「ほかに怪我を?」

「……………そうね。この顔の傷以外にも、体中傷だらけね」


 ネムは敢えて、事実を誇張し口にした。

 青年は、そうかと頷くにとどまる。


 沈黙が流れる間、ネムは再びこの親切の裏を、さまざまに想像をしてしまう。臓器や人身売買………思いつく限りの後ろ暗い単語が次々と浮かんでは脳裏に留まる。ネムはおしゃべりな方ではなく、相手の青年も寡黙なようで、沈黙が痛い。悪い方へと思考が傾く。


 どうして乗ってしまったのだろう。


「あの、どのくらいかかるかしら」

「混んでいる時間帯だ。30分はかかる」


 電車だと15分だが、駅から病院までの徒歩の時間を考えると同じくらいだ。

 30分も初対面の学生と同席する、と。


「どうかしたか」

「ど、どうもしていないわ」


 妙な顔をしていたのだろうか。

 これ以上の沈黙が恐ろしく無理やり話題を振った。


「そういえば、あなたもカーマイン大学なら明日から秋休みでしょう? どこか行く予定を立てたの?」


 すると、予想に反して青年は首を横に振る。


「いや……仕事だけだ」


 社会人学生というのはまだ出会ったことはなかった。

 聴講生であれば、ザイガー教授の専門講義を受けていたオルガがいたけれども、正規の学生ではない。


「仕事をしながら大学院の勉強も?」

「親の会社を手伝っているだけだ」


 何でもないことのように言うが、とんでもないことだ。

 ネムは課題の消化で一日が潰れてしまうというのに。


「家業の勉強ということ?」


 どんなことだろう。

 すっかり専門学校のような手に職というイメージを思い描いたが、それとは違う切り口だった。


財務の管理(CFO)を」


 ……なるほどと深く納得する。

 経営の方を勉強していたかと。


 それにしても、最高財務責任者(CFO)だなんて、ちょっと手伝うというものとは字面の雰囲気が違う。謙虚な性格なのか、聞けば応えてくれる内容は、大したことはないといいつつ、確実に大したことある職務だろう。思いついた問い掛けに対しても、静かに答えてくれるやり取りは、新鮮で、病院の前に到着するころにはすっかり親切な通行人から不審者へ、そして不審者から責任感があり相当な努力家の同じカレッジに通う学生という親近感と尊敬を覚えた。


「………着いたようだ」


 内心はらはらしながら、内臓のどこも失わずに生きて幼馴染のもとに返れるのかと心配していたことが恥ずかしい。警戒するのも申し訳なくなる。


「ありがとう……本当に」


 疑った後ろめたさも手伝って、ただで別れるわけにもいかないと思い立つ。謝礼をと思ったが、生憎と紙幣は空っぽで、硬貨数枚しかないことに気づいた。思わず歯噛みする。盗難に遭ったダメージを再度受けつつ、青年に向き直る。


「あの、お礼をしたいのだけれど、今持ち合わせがなくて。よければ連絡先を教えてもらえるかしら。今度、お礼に食事でもごちそうするわ」


 お願いしてみるが、言い訳染みていることは否めない。

 恥を忍んだネムの申し出に、青年は開きかけた口を閉じて懐から出したカードに電話番号を書いた。


「……これを」


 申し出を受けてくれたことにネムはほっとしてそれを受け取った。

 そのまま、ネムの紙袋を持って、先に出ると車から出るのを手伝ってくれた。


「どうもありがとう。落ち着いたら連絡するわね」

「……ああ」


 車を見送ってから病院に入ると、パトリックの姿が見えて駆け寄った。秋休みの帰省前に見舞いに寄ってくれたらしい。

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