40 一匹狼
現場では倒れている人間のほうが多かった。血を流すのは少年で、あまりに痛々しい横顔だった。太々しい男はそれ以上余計な真似をしないよう昏倒させた。
特殊な手段で呼び寄せた救急車に気を失った計四名を乗せて、搬送を見送った。そのうち二名からは素早く採取し、現場の事情聴取を始めた。通報者、その場にいた関係者である学生向けレジデンスの管理人ふたりのうち、一人は聞くのはたやすかったが、もうひとりに関しては、あまりの高齢のため、そして心身不調のため家まで送り届けてからの取り調べとなった。
――だが。
マリーゴールドの咲いた花壇を降りていく。夕日に染まった花弁は赤く、首を重たげにもたげている。すると、先ほど会話したばかりの、老婆の萎れた花のように曲がった背が思い出された。
事情聴取中に掛かってきていた電話に、やっと折り返しをする。
ヒーカン・サイクスがこの郊外にやってきたのは昼のことだ。
『ヒーカン、今どこにいる? 例の、一人だけ不明だった目撃証言者の職場に向かったと聞いたが、通報を横取りされたと大騒ぎだぞ』
それに対して、フォローをしていなかった。
あとでエージェントに対応を依頼を片手で行う。
「連絡が遅くなって済まない」
外回りに出掛けていたビルを置いて出てきた。
『目撃者のほうから話は直接聞けたのか?』
「いや、不在だった」
『空振りか。それで通報の件は?』
振り返ると、メイプルの葉が風によって降り注いでいるところだった。
「空振りというわけではない。仕事に向かったと聞き、行先を聞き出した」
『それで急行したと?』
「通報の住所を見たか?」
しばらくして紙がこすれる音がした。
『被害者学生と同じ講義を受けた学生ふたりの住所か。しかしどうやってその通報をキャッチした? 日々膨大な通報がある中でどうやって特定の情報を抜き出せたんだ?』
人間には不可能に近いことも、道具を使えば可能だ。
「FBIが抱えているエージェントに、AIを用いて、通報情報を監視させていた」
次に事件が起きるとしたら、同じグループのいずれかの人間が関わるか、巻き込まれるだろうと予測していた。
『そこまでの処理能力を持つAIを保有しているとは羨ましいな。通報内容は?』
「詳しくは署に戻って話す。それより、至急調べてほしいことがある」
とある単語を出すと、沈黙が落ちる。
『そんな大昔の事件を調べてどうする』
アクイレギア史上、最悪の事件の一つともいわれているものだ。
「詳細は追々」
電話を切ると、押収した携帯電話に目を落とす。
はじめは塗装業者に連絡した履歴を確認しようとしたのだが。
「藪をつついて蛇を出したか?」
手元にあるものは鉛塊のように重く感じた。
その他の関係者らから携帯電話を押収するため、雑貨店と搬送先の病院に寄ったあと、署に戻り、ビルと再会する。
「FBIもバディ制度だと聞いたが、違ったか?」
「時には、単独行動をとることもある。違うか?」
業務の外回りの後、個人的に被害者家族の様子を見に行っているのはビルだ。
「お前は常にだろう」
「生憎と、こちらは上司から許可を得ている」
押収した品を置き、買っておいたペットボトルから水を飲む。
ビルは器用に片方の眉を上げ、浅黒い顔に疑念を浮かべる。
「まさかバディがいないのか?」
「いるが、負傷して療養中だ」
いないじゃないかと返される。
替えになるような人員がいないだけだ。
「西海岸は人手不足でな。――本題に入る」
ジッパーに入れたグレーの細い毛と栗色の巻き毛の、二人分の毛髪と、血を入れた注射器を振って見せる。学生二人を巻き込んだトラブルを起こした外国人労働者らのものだ。
「成分分析を行う機械はあるか?」
ビルは肩を竦め、付いて来いと背を向けた。
警察署の地下へと向かうと、蛍光灯の切れかかった狭い通路を通り、金属製の扉の前で立ち止まり、ノックしてから入室した。
「検査試料を」
手元しか見えない窓口から、トレイが出される。
顔も見せない検査官か。
ビルに促され、試料を出す。
通常、DNA検査は、血液が高精度だ。しかし、今回は薬物について常用していたかどうか、などを知る必要があり、これには毛髪検査が有効だ。摂取された薬物の痕跡を長期間検出でき、薬物使用の有無や期間、量を特定することができる。
「毛根はついているだろうな?」
「安心しろ。一房、根元から抜いてきてやった」
薬物は毛根の毛細血管から、毛髪の内部に移行して蓄積される。
「ドラッグ中毒者の毛髪は薬物使用の記録媒体だからな」
髪の長さは、過去の薬物使用の期間の長さにも直結する。
およそ1.5cmの毛髪で、過去一か月間の薬物使用の記録が検出できるが、薬物が毛幹に出てくるまで、およそ二週間かかるため、近々の検査は、別途提携医療機関で唾液検査と尿検査を行うよう依頼している。唾液では二、三日程度、尿検査は三日から五日ほどの期間が検出できる。しかしこれらの検査と血液検査よりも、毛髪検査のほうが偽陽性の可能性は低いのだ。
検査試料をトレイの上に並べると一目見て、ビルが腕を組んだ。
「こちらは、三か月程度だな。こちらが、半年ほどか」
「見ただけで分かるのか」
その通りだろうと思ったが、一見して分かるとなると、かなりの検査を踏んできている見える。
ガスクロマトグラフィー質量分析法、高速液体クロマトグラフ、酵素免疫測定法などが法科学分野で用いられている操作の鑑定書の検査方法だ。これらは検査感度は高い。手慣れた様子で、常駐の検査官に預けた。
「昨今のリグナムバイタでのドラッグ事情を知らないのか?」
「生憎と、ジャカランダのフリークスの件で手一杯でなもので」
知らないと白状するが、ビルはそれ以上何も言わなかった。
「……そのうち分かるだろう」
検査結果は数時間で出た。
目撃情報を匿名で発したとみられる若い男は、宙吊りの状態で、オーバードーズした同僚の作業員を始終満面の笑みで揶揄していた。昏倒した外国人労働者二人の毛髪と血を採取し、検査に掛けた。すると、二人のうち、大柄な方の作業員からは、今年から姿を現した”新薬”と呼ばれる成分ともう一つ、規定以上のカンナビスが検出された。
ビルの黒々とした瞳が見開かれ、険しくなる。
「――同じだ」
ターナー夫妻の娘から検出されたものの成分の種類と一致する。
「匿名通報者のうちの一人が犯人か」
「確認したいところだが、俺がぶちのめしたせいで昏倒してるところだ。今はFBI関係の病院に入れて監視している」
「水をぶっかけても起こして問い詰めてやる」
病院名を教えたが、注意する。
「中毒症状を起こした同僚に殴り掛かられても笑顔でいた屑だ。まともな話ができるとは思えない」
「どんな中毒者も大人しくなる施設の監視官を知っている。プロに任せるさ」
今にも直行しそうな大柄な体を、肩を掴んで引き留める。
検出データの数値を比較するグラフを出して見せる。
「成分は、同じだが、配合の比率が異なっている」
カンナビスの比率のほうが高いのだ。
ターナー夫妻の娘の被害では、そのほとんどが新薬で、カンナビスは微量だった。
「だから?」
「あなたが言っていただろう。犯人は、被害者学生と被疑者学生の共通の知り合いだろう、と」
肩を掴まれたままビルは外套を掴んだ。
「――勘が外れることもある」
目に見える形で確かな証拠が揃ったことで、気が急いているのだろう。
「俺はそうは思わない。そもそもなぜ、同じカレッジに通う学生でもないのに、二人が知り合いだと知っている? 罪を被せようとした相手が、たまたま同じ講義を取っていたと?」
指摘すると、すぐに切り返してくる。
「その外国人労働者が共犯という可能性は?」
「その可能性は勿論ある。検出された成分の比率が一致していたならその可能性は高くなっただろう」
ぐっと目を瞑り、ようやく口を開いた。
「………可能性は低いと?」
「高くはないという意味だ」
ビルは息を吐き出し、外套を椅子に掛けて座り込む。
「この情報を寄越した理由は? 大昔の政府の闇をわざわざ掘り返すことにも理由が?」
「それは別件だ」
「勘弁してくれ……」
目を回す仕草で、呆れを訴えてくる。
「嘘の目撃情報に関わっている時点で、何らかのつながりはあるはずだ」
「その点では同意する。ただ、犯行に用いられた薬のミックスは同じものではない――共用されていないことから、すべてを知った共犯者かというとおそらく違う。しかし、その混成は知っている程度には犯人のことを知っているだろう」
そして重要参考人となるその、匿名性を失った証言者の目が覚めた場合、すぐに連絡が入るようになっている。
「売人だな」
椅子の背もたれにもたれかかり、天井を睨んだビルがふいに呟いた。そして体を起こすとまっすぐこちらを見据えてきた。黒々とした瞳が爛々と光り、確信に満ちている。
「犯人は売人だ」
「勘か?」
するとベテランの刑事は頷いた。
思わず口角が上がった。
「それは頼もしい意見だ」
売人は末端であるがゆえに数が多く特定は困難だ。
しかし関わる人間には特徴がある。
エルム語も話せない外国人労働者と、名門カレッジの大学院生。
これらをつなぐ、誰か。
同じところに行きついたビルはさらに焦点を限定した。
「絞りやすいのは、行動範囲の少ない外国人労働者だ。何としてでも口を割らせたい」
「薬中にそれができたらいいが………」
引き留める声が聞こえたかと思えば、扉が勢いよく蹴り開けられる。
「――随分と単独行動をしているそうじゃないか、ヒーカン」
銀髪を後ろになでつけた大男だ。
見上げるほどの背丈で、巨体というより、均整がとれた体格が単純に大きいのだ。
「どうしてお前がここにいる? 病院は?」
「この通り、抜け出してきた」
吊り下げた腕を上げて見せる。
包帯で固定されている。
「全治三か月と聞いた」
「バディでの行動が鉄則なはずなのに、勝手に相棒が他所様で活躍していると見舞いに来た上司に泣きつかれてな」
自分のことを棚に上げて言った。
「ここは管轄外だろう」
「その言葉そっくりそのままお前に返って来るぞ」
状況が違う。ジャカランダ支部の特別捜査官が二人いたら、出向したと思われても苦し言い訳しかできないだろう。
「俺は単独で行動してる」
するとすぐ隣から横やりが入る。
「その免罪符がそうそう通用すると思うか?」
ビルが口をはさんできた。
黙認しているだけらしい。
「リグナムバイタ管轄のFBIに目をつけられないよう、大人しくやってもらいたい」
「ほう。ここでいい協力者を手に入れたようだな、ヒーカン?」
見慣れた顔は口笛を吹いてうそぶく。
「ま、それも織り込み済みだろうよ。お前が何でもかんでも首を突っ込みたがる野郎だってことは知ってるからな。………FBIでもジャカランダ支部と本部とでは仲が悪い。その監視役だ。邪魔するつもりはない。でかい置物だと思ってくれ」
よく喋るオブジェだ。
「つまりこの捜査に協力してくれるということか?」
「この通り手負いだが、できることは惜しまない。デイビッドだ、よろしくビル」
にこやかに笑い手を差し出すデイビッドに、ビルはやや鼻白んだようだが、ため息をついてその手を握った。
「………名乗った覚えはないがな」
去っていくビルを見送り、二人きりになる。
「おい。ボスがそれほど酷な人だったか?」
診断から、まだ一か月も過ぎていない。
怪我人を押して、任につかせるなど、上司も酷ではない。
別の理由があるはずだ。
「何があった?」
あからさまな、呆れ顔を向けられる。
馬鹿にしている、とも取れる顔だ。
思わず舌打ちする。
「またニュースを見ていないな?」
片手で器用に携帯を操作し、最近のニュースを取り上げた一面を見せてくる。
「……こっちが本命だな」
秀麗な横顔でわらう。
「もちろん、この事件の捜査に協力は惜しまない。だが、まあ今まで通りお前は『一匹狼』だ」




