37 アクシデント
スーツケースの耐久性は重要だ。
本国と比べると、ほかの国では乱雑に扱われることが多いという。
見方を変えると大雑把だといえるが、破損の危険性は高い。
ルヴィたちの旅行では、パソコンなどの精密機器を入れて持ち運ぶ予定もあるので、しっかりしたものを選ぶ必要がある。
「秋休み何する?」
「水上コテージでパーティーに行くわ。一緒に来る?」
何やら楽しそうな女学生たちを見送る。
いつの頃からか、高度な教育機関に進学する男女比は、女性が高くなった。
そもそも女性の方が成績が良いということは研究で分かっている。
「大学生たちかしら?」
「今の時間的には、オレらと同じ大学院生だと思うけどな」
カレッジの種類としては大学院を基礎として大学が付随しているタイプだ。
「んでも、どの研究科だろうな」
アクイレギアの数あるカレッジの中でも五本の指に入る名門なだけに、どこも多忙なはずだ。大学院を基準に大学の学部が設立されている大学院大学にあたる。医学大学院、神学大学院、法学大学院、経営大学院、工学応用科学大学院、学術大学院などがある。ルヴィたちが通うのは学術大学院の中の、社会科学研究科だが、世間でも著名なのは医学大学院と経営大学院だろう。
「わざわざ自然のある所へ行くのね。便利な都会にいるのに」
地方育ちのルヴィたちにとっては贅沢な話だ。
「この規模の敷地を都会に確保するってのは珍しいんだけどな」
実は、ルヴィたちが通うカレッジの立地は特殊だ。大都会リグナムバイタのなかでもさらに中心地マグワート島は地価が世界有数の高さだ。億万長者通りとも評される地区が多々あり、アッパーイーストサイド地区ヴィタエアベニュー63丁目から68丁目の間という都会の真っただ中に存在する。となれば、高級住宅街や高級ブティックなどが立ち並ぶビジネス街も密集している。
金に糸目を付けなければ、買い物には苦労しない。
セレブのお買い物通りとも呼ばれるそこへ今回は向かう。
「アンスリウムは使わないのか?」
世界最大手の通販サイトを手段として挙げてみる。
アンスリウムはこの国が大本となっているので、午前中に注文すれば当日中に届く。
午後ならば翌日の午前に届く、といように、配送サービスが充実している。
「直接見てから買った方が無難だわ。それに、万が一配達が遅れたら間に合わないわ」
ここはアクイレギアだということを忘れかけていた。
「たしかに! じゃあ、どこへ行くかも決まってるのか?」
「いくつかは。スーツケースの老舗ブランドはいつくかあるのだけれど、その中でも高品質と評価があるところを選んだわ」
ネムが携帯のリストを見せてくれる。
一番上には、オウクのブランドであるリモワだ。
「リモワは二百年以上の歴史があるの。丈夫で壊れにくいことで有名で、空港関係者はCAやパイロットも使っていることが多いそうよ。お値段は少しお高めだけれどね。デザインがシンプルだとか」
ほんほん、と頷く。
「オウク製っていうと、性能がよさそうだよな」
二番目には、アクイレギア発祥と銘打つサムソナイトだ。
「サムソナイトはスーツケースの世界シェアNo1のメーカーよ。機能性やデザイン性にも力を入れていて、出しているシリーズの中でも、コスモライトが軽いと評判らしいわ」
今はアクイレギアを飛び出して、本社は別の国にあるという。
グローバル企業だ。
「軽いってのはいいよなー」
そして三番目に、我らがイクシオリリオンのブランド、エースだ。
「エースは本国で昔から有名なメーカー。そのエースのなかで、プロテカというブランドが最高品質とされているわ」
本国が誇る鞄メーカーが出すシリーズだ。
ルヴィたちの渡航用のスーツケースもここで購入した。
「オレたちの長期用のスーツケースもプロテカでお世話になってるもんな」
耐久性は十分に知られているところだ。しかしルヴィたちは急ぎ足で揃えたために、色は白黒で味気ない。バゲージタグをつける必要性を感じるくらい特徴のないシンプルデザインだった。ルヴィたちが降り立ったビーバーベイ国際空港の手荷物受取所で似たようなものをいくつも見かけて困ったのが思い出だ。
今回こそ、ド派手で個性的なスーツケースを選ばねばと思う。
「どこで買うんだ?」
お財布も何を買うかもすべて幼馴染に任せているのだ。
「どこだと思う?」
「ネムの選んだとこならどこでも」
「もちろん決めているけれど。当ててみて」
腕を組んで考えてみる。アクイレギアにいるので、その発祥であるサムソナイトの可能性は高い。しかしリストの一番上にあるのはリモア。エルムのオックスフォード通りや、マロニエのシャンゼリゼ通りなどと並んで世界最高級の商店街であるフィフスアベニューがあるので、発祥に関わらず、上記三つのブランド店はいずれも存在する可能性が高い。
「……んー、安直だけど、サムソナイト?」
「正解よ。安直だったでしょう?」
顔をそらす幼馴染が携帯をしまい、ルヴィを置いてさっさと行ってしまう。
慌ててご機嫌を取りに追いかけた。
赤レンガの駅舎がトレードマークの最寄駅から続く街路を歩いていると、アパートの前に黄色い作業車が止まっているのが見えた。最初は、食糧を運搬している農園主ジョーンズが車を変えたのかと思ったがどうも様子が違う。
ごろごろと新調したスーツケースを転がしながらネムを振り返る。
「なんだろな。いつもの農園の運搬……でもないよな」
後ろを歩いていたネムもスーツケースを引いて横に並んで同じものを見て首を振った。
「食料を乗せるような荷台がないから違うわね」
近づくと、ガレージのほうで物音と声がした。男性が脚立に上り、ガレージの柱をペイントをしている。どうやら修繕の業者をうまく見つけることができたようだ。大荷物を持つルヴィらは購入したばかりの小型のスーツケースを引きずって迂回していくと、柳の木の陰に佇むマリエに気づいた。
「ただいま、マザーマリエ」
しかし様子がおかしい。
柳の幹に手をついているマリエは顔面蒼白といってよかった。
「おかえりなさい、ふたりとも」
「マザー、お加減が良くないのではありませんか?」
駆け寄るネムがマリエを支える姿はまるで祖母と孫娘だ。ほのぼのしていると、ネムが気遣わし気に尋ねた時だった。
赤レンガの駅舎がトレードマークの最寄駅から続く街路を歩いていると、イチョウ並木の間から、アパートの前に黄色い作業車が止まっているのが見えた。最初は、食糧を運搬している農園主ジョーンズが車を変えたのかと思ったがどうも様子が違う。
ごろごろと新調したスーツケースを転がしながらネムを振り返る。
「なんだろな。いつもの農園の運搬……でもないよな」
後ろを歩いていたネムもスーツケースを引いて横に並んで同じものを見て首を振った。
「食料を乗せるような荷台がないから違うわね」
近づくと、ガレージのほうで物音と声がした。
脚立に上り、ガレージの柱をペイントをしている。
「塗装業者だ。マザーマリエ、見つけられたんだな」
「来週は雨だというものね。これで雨漏りする前に何とか直るかしら」
ちょっとしたものならすぐ直るだろうが。
「応急処置ぐらいはしたんじゃねえかな? もう塗り始めてるし」
「作業の邪魔にならないよう、横を抜けていきましょう? わたしたち大荷物だから」
そうなのだ。
旅行用にちょうど良いサイズのスーツケースを買ったばかりだ。
ごろごろと中型のスーツケースを引きずっていくと、柳の木の陰に佇むマリエに気づいた。
「ただいま、マザーマリエ。どうされたんですか、こんなところに立って」
水やりをするには早い時間だ。
柳の幹に手をついているマリエは顔面蒼白といってよかった。
心配した幼馴染がその枝のように痩せた肩を支える。
「勝手に作業を始めてしまったの。今、ジャミラが通報してくれているのだけど」
口角から泡を飛ばして指示役の男が怒鳴っている。
どこか異様な空気だ。
雑貨店を見ると、全面硝子越しの向こうでジャミラが受話器を持っているのが見える。
しかしその顔は険しいように見える。
「ここは危ないから」
めまいを堪えるように額を押さえたマリエが震える指で玄関口を指し示す。
「あなたたちはレジデンスの中へ入っていて」
今にも倒れそうなマリエがそんなことを言う。
瞬時にネムと視線を見交わす。
「マザーマリエこそ、どうかネムと一緒に中へ入ってください」
揃って顔を曇らせ、微動だにしない。
そんなに信用ならないのだろうか、心外である。
仕方ないので、ほかから信用を借りた。
「ジャミラもあそこで見ていてくれるから」
こちらを見ていたジャミラと目が合い、手を上げて応えてくれる。
ようやく頷きを得た。
「掴まってください」
華奢なネムが肩を貸してマリエを誘導する。建物の玄関を開き、中へ入っていく。オートロックなので鍵がかかる音がしたところでようやく雑貨店の奥にいるジャミラを見ると、受話器を耳に当てて何か話しながらもルヴィに頷いてきた。マリエを気にしながら通話していたようだ。
「さて――と」
代わってガレージの外国人労働者たちに目を向ける。
「****! ****? ***!」
「ん?」
何となく空気が変わった気がした。
若い男を指さしていた大柄な年嵩の男が下ろしていた腕を振り上げ――
「――っおいおい、マジかよ!」
慌てて走って近づく――拳が振り落とされる寸前で若い男は身をよじってそれを避けた。足の間にあった脚立から体が離れるが、それ以上は落ちない。ぴんと張ったロープ。そうだった、命綱がある。
「よかった」
ほっと立ち止まり胸をなでおろすルヴィに突然影が降る。
目の前に、鋼鉄製の脚立が迫ってきていた。
若い男の足の間にあったものだ。
「――え」
火花が散るような衝撃、鈍い振動が体を襲い、音が割れていく。
視界に電子的な横線が入る……?
「――」
頬が地面に合わせて変形する。妙な映像を見た気がしたが、今は電源が落ちた画面のように暗い。真っ暗なのは目を閉じているせいだ。瞼が鉛のような重さに感じて、歯を食いしばってなんとか開けると、赤い芝生が目に入った。芝の青さとの対比で鮮烈に目に染みるがそれも歪む。
焦点が合わなくて、瞬きをした――そのつもりだった。
その記憶を最後に完全に暗転した。




