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黄金が降る  作者: 毎路
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01 お目付け役

 外は蝉が命を削って鳴く炎天下。

 影法師をすればきっとくっきりと輪郭が浮かび上がるだろう青空。

 空調がガンガンに効いた部屋に、切羽詰まった叫びが響き渡る。


「頼む、頼むよ兄貴! この通りだから!」


 ルヴィは両手を合わせて頭を下げた――パソコンの画面の前で。

 画面の向こうでは、暗い部屋のなかスーツ姿の無精ひげの男が青白く浮かんでいた。その苦悩の様子がありありと伝わって来る苦しい表情は、額に落ちてきていた前髪をくしゃりと片手で乱すことで半分隠れる。そして――重々しいため息がスピーカーを通して届いた。


『だからそれは無理だと――』


「お願い、お願い、おねがーい!!」


 ルヴィは今年齢23になる成人男子だ。国内の大学を卒業後、海外の大学院への留学のために、およそ1年間の準備期間を経て、この秋ようやく大国アクイレギアの名門大学への入学試験をパスした。経済大国でもあるアクイレギアでも最も金が掛かるという大都市リグナムバイタでの暮らしの保証をするため、何としてでもこの問題をクリアしなくてはならなかった。


「何とかしてくれ、兄貴! もう頼れる人がいないんだ!」


 準備はすべて順調だったのだ。その予定だったのだ。

 一つ重大な問題が発覚するまでは。

 机の上を指で叩く音がスピーカーから響く。


『いいか、ルヴィアス』


「うん……」


 ルヴィは椅子に正座して待つ。

 兄は重々しく口を開いた。


『………金だ。金ならいくらでも出す。言い値でいい。言われる口座に今すぐ振り込んでもいい。それで何とかならないか?』


「ならないんだよなあ、これが! この国はどうなってんだ!」


 ルヴィはどんと机に拳を叩き、座っていた椅子も後ろに転がして立ち上がる。

 机に置いていた書類を手にして画面に押し付けんばかりに迫った。


「頼むから! 後生だよ! ここの欄に自署してくれねえ? 今日の現地時間正午12時までに! ちなみにいつの間にかリミット3時間を切ってる!」


 欄の名前は身元保証人。

 パソコンの画面の相手は身内とはいえ、海の向こうの人。


『………父さんと母さんがやるべきだろ』


「兄貴の稼いだ金で優雅に豪遊中だよ! 一年間の世界一周旅行中だろ!? あと向こう半年は帰って来ねえわ!」


『ちゃんとやってんなあ』


 兄は満足そうに頷いているが、ルヴィはそれどころではない。


「てか、なんで、書類の見落としが今になって見つかるわけ!? 半年前にちゃんとチェックしてくれたんじゃなかったのかよ、親父、お袋、エージェントさんよお!」


『あの人らにそれを期待するのは酷ってものだろ』


「兄貴は留学の半年前に、必要書類をそろえて送ったって聞かされて安心してた子どもの身になって考えてから物を言ってくれね?」


『――まあ、エージェントは罪だよなあ』


 兄は話の矛先を変えた。

 その方面もルヴィは言いたいことがたんまりあった。


「この問題発覚してメールしてんのにまったく連絡付かなくなってんだよなあ!?」


 もう一生、あのエージェントは使わない。

 口コミ評価はゼロにしてやる。


『………金の力でなんとかできないのか? ……できそうだけどなあ……だいたいのことはできるはずだし……わりかし万能なんだぞ、金って……』


 金稼ぎが取り柄と豪語している兄が金の力を過信しているとは言い切れない。

 確かに、やりようによってはできるかもしれない。


「できそうだとして、大学卒業したてのオレにそんな買収とか工作できると思ってます?」


『身元保証人の審査には今時間がかかるんだったな……』


「誰だよ、架空の情報を紛れ込ませて国際テロ起こしてる奴! ここ数か月だけは勘弁しろよ!」


 渡航に必要な書類がどんどん出てくる。

 長期滞在用のビザを取るだけでも一苦労だったというのに。


『本国の旧情報セキュリティは脆弱だからなあ』


 ぽつりと呟く兄の声を上塗りするがごとく、ルヴィは叫ぶ。


「助けてくれよおお、上の兄貴が一番近いんだー!」

『あいつも今は北欧で公演中だったか……』


 下の兄もまた、世界を飛び回っている。ルヴィのいる場所の真反対にいるだろう両親よりは近いが、どちらにせよ無理な話だ。


「それに引き換え、兄貴ならなんとか戻って来れそうじゃね?」

『馬鹿いえ、ここにはジェット機も何もあったもんじゃないぞ、3時間でそこまで行けるか』


「そうか……………いや、知ってたさ。今の時代、PDFは不可で直筆じゃなきゃだめなのは意味不明だけど、ちゃんと書類をそろえられなかったやつが悪いんだ。親が息子のために準備してくれたって手放しで感動してたオレが悪いんだ……」


『ルヴィ……』


 上の兄が鉛を飲んだような顔をする。

 末弟の落ち込みぶりにやるせなくなったのか、意志のこもった顔で呼びかける。


『俺の知り合いに、金を振り込んでおくから保証人になってもらえるように言うから待ってろ』


「いや、それはダメだ」


 ルヴィは真顔になった。

 焦りが醒めていくのが分かった。


「お金で友情にひびが入ったらおしまいだろ……? オレの留学はまた次のタイミングでもいいんだ。今度はちゃんと自分で準備するよ」


『ルヴィ……』


 兄は大人の顔をして、力強く言った。


『大丈夫だ、俺に友人なんかいない。俺の稼いだ金に群がる有象無象どもばかりだから、心配無用だ』


「………それはそれで心配なんだけど、兄貴」


 何とも言えない顔で諭す兄に、ルヴィも微妙な顔をする。

 そうしている間にも、部屋の時計は秒針を刻んでいる。


「あああああああ、兄貴の手だけでもいいから瞬間移動してくれたらなあ!」


『怖いこと言うな』


 ルヴィひとりであれば、こんなに悩まないのだ。

 諦めてすぐに来年にでもやるかと切り替えるのだが、今回はそうもいかない。


 携帯が鳴る。

 反射的にとって出る。


「はい。キングサリです。すみません、ただいま少々取り込み中でして、差し支えなければまた改めてこちらから折り返しご連絡を……」


 つらつら断りの文言を唱えていると、氷を弾いたような涼やかな声が耳に届いた。


『ルヴ? 声が外まで聞こえているのだけど、大丈夫?』

「はっ あ、ああー!! 近所迷惑だったよね、ごめんよネム……」


 隣の家に住む、一つ下の幼馴染のネムだった。

 そして今回、この秋に一緒に留学する予定で準備を進めていた相手でもある。

 一緒に長期滞在の学生ビザ申請もやったし、面接にも行った。


『声がなんだか変だわ、何かあった?』

「いや、ちょっと……なんでもない!」

『そう?』


 パソコンの画面越しに兄が呆れたような顔をするのが見えた。

 幼馴染は分かったと言って電話を切った。


『ルヴィ……このこと、正直に言った方がいいんじゃないか』

「大見得切って、大丈夫ーっていったのに、今更そんなことできるかよ……」


 ルヴィは机に突っ伏した。


「オレがネムをアクイレギアに留学を誘ったんだ。なのに、オレが行けないって万が一なったら最低じゃね? ネムに申し訳が立たねえよ……なんとかしたいんだよ……」


 幼馴染はそもそも自分から外に出るような性格ではないのだ。

 ルヴィから引っ張って行った手前、じゃあ一人で頑張れなんて目も当てられない。


『……いや、ネムちゃんが行くことになったのは、ルヴィの渡航を許す条件として、そのお目付け役にって爺さんから言われてたからだろ……?』


「一緒に行くの楽しみだって言っててくれてたのに」


『聞いてるかー?』

 

 頭を抱えていると、玄関が開く音がした。

 反射的に椅子を回転させて扉の方向を向く。


「まさか兄貴が!?」


『俺はここだぞー』


 じゃあ誰!? すわ泥棒かと座ったまま手を体の前で構えたルヴィは、迷いなくこちらに向かってくる足音に、いよいよ怖気づく。椅子をもう四分の一回転させて、急いでパソコンの机の下に潜り込んで隠れようとしたが間に合わず、無情にも扉が開かれる。思わず椅子の背に体を縮めて隠れた気になっていると、可憐な声が呆れたように近づいてきた。


「ルヴ? 何か問題抱えているのなら、今のうちに白状した方がマシよ」

「ネムさん!?」

『やあ、ネムちゃん、久しぶり。元気にしてただろうか?』


 むさい男しかいない部屋に入ってきた、まるで雪の結晶のような美少女が視線を巡らせて、画面越しからの声の主に気づくと、後ろ手で扉を閉めて入って来る。戦々恐々とルヴィが抱き着いていた椅子の背もたれに手を置き、パソコンの画面を覗き込んだ。


「お久しぶりです。わたしはいつも通り元気です。……ルヴとお話しされていたのですね? ごめんなさい。そうと気づかず、割って入ってしまいました」


 すまなそうに眉を下げる。やや釣り気味の目が、それだけで冷たい印象が緩和された美少女となり、実に絵になる。薄い色彩の髪と瞳は白い肌に映えて、袖なし白無地のノースリーブとデニムスカートというシンプルな恰好にもかかわらず、夏のCMのキャッチコピーを張れる、清涼感と透明感のある洗練された姿だ。


『いいや。見ての通り、煮詰まっていたところなんだ。良ければネムちゃんの知恵を貸してほしいな。ほら、俺は金しか出せないし、ルヴィはこういうの苦手なんだ』


 何の議題か分からないからだろう。

 長い睫毛を瞬かせた幼馴染は、こちらを向いた。

 目を合わせたくなくて、俯いて言い訳する。


「苦手なりにチャレンジしてたんですう……」

「まあ。何に悩んでいるの?」


「うう、実は」


 事情を話すと幼馴染の少女はそんなことかという顔をした。

 その表情だけで、ルヴィはあれ何とかなるのかも、と顔を上げた。


「身元保証人なら、わたしの祖父が暇をしているからやってもらいましょう」

「いや、ダメだ! 何かあったときの金銭だって発生するんだ」


 兄としたのと同じ問答になる。


「それでどうというものでもないと思うけれど……」


 ネムは、それならと頷き、代替案を出した。


「保証会社に頼みましょう」

「それが……昨今の国際テロで、審査に時間がかかるみたくって」


 同じ流れを繰り返す。

 しかし、そこで終わらないのが幼馴染だった。


「そうね、審査に二三日かかるようだけれど、緊急を要する人については優先してくれるってサイトに書いてあるわよ。他の人のレビューを見ても、だいたい入力して30分以内には完了のメールが来るようだわ」

「………まじ?」

「まじだと思うわ。やってみたほうが確かだし、今から申請してみましょう」


 ネムが手早く必要書類を引き出しから出して写真に撮ってPDFにし、サイトに送信していく。

 当事者であるルヴィは何もしていない。


『さすが爺さんが見込んだお目付け役……』

「ネムさんや、オレの専属エージェントになってくれない?」

「いいわよ」


 地元でも有名な美少女の幼馴染は奇麗な笑みを浮かべてさらりと承諾した。画面の中の兄と一緒にどよめく。こんな面倒な管理をしてくれるなんて、天使か。もはや後光がさしているように感じられる。ネットで探したエージェントには逃げられたが、こんなにも近くに素晴らしい女の子がいたなんて………知ってた。


 あまりに幸運な男であることに感じ入って、泣き真似をしていると、画面の奥から白い眼を向けられた。総てにありがとう。


「兄貴も、仕事中に時間取ってくれてありがとな」

『……今度は金でなんとかなることにしてくれな……』


「じゃあ、たいていのことは何とかできるな!」


 兄は笑って手を振り、通信を切った。


 余談だが、この件、ネムはもともと諸手続きなどルヴィ自身に任せておくのは不安があったので任されてよかったとのこと。こんなに世話のかかる年上の幼馴染でごめんと思った。この煩雑な手続きを一手に引き受けてくれた幼馴染に一生頭は上がらない。

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