11 劇場型
アクイレギアの名門とされるカレッジは5つある。そのうちの一つは、大都市リグナムバイタの中心地マグワートにあり、複数の学部や研究科を持つ総合大学だ。これは学部が一つしかない単科大学に対比される。
大学生たちは学部に、大学院生たちは研究科に所属する。
ルヴィとお目付け役のネムは社会科学研究科に属し、その専攻分野は地理学だ。
劇場型仕様の講義室である、教壇を取り囲むように配置された席が後列に行くにしたがって段が高くされ扇形を形成する――その中心には老身の教授が立っている。
「自己紹介をしよう。でも、ありふれたものだとつまらない。せっかくここに、地理学と学びたいという若人らが集ったのだからね」
顎を撫でて、指を一つ立てた。
老眼鏡で拡大された透明な光を宿した瞳を細めて、ルールを提示した。
「述べるのは、自分の名前と、好きな研究誌のみにしよう」
初見で見るとその老躯は痩せぎすで頼りなく感じた。
なのに、教壇で話し始めた途端、圧倒される存在感だった。
一挙手一投足に目が惹きつけられた。
「まずは私から」
薄い体に、皮と骨で出来たような手を当てほほ笑むと、カレッジで地理学の5人いる研究者の中で最も年配の教授が、白頭を傾けた。若い頃の髪色は何だったのだろう。それを察することもできないくらいに見事に波打つ白髪だった。身長は背後の壁の支柱と比較して、170cmほどだろうか。痩躯のせいか、それよりもずっと小柄に見える。
「ジェラルド・ジェンキンス。研究誌は、ロバート・チェンバースの『創造の自然史の痕跡』が好きだね。この書籍が匿名で出版されたこと、内容が当時人々に衝撃を与えたところを含めて、歴史的にも面白いと思っている。――では、君たちの番だ」
そんな形で、地理学、歴史学、文化人類学の三分野で博士を取得している才人が、痩せた手を差し向けて来た。段床の低いところの学生から順々に当てられる。そのため、ルヴィの番は比較的早く来た。
「オレはイクシオリリオンから来ました。ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュの『東マロニエ』が好きです。特にペイと呼ばれている地域を限定して深く掘り下げていたところが興味深いと思いました」
自分が住んでいる地域や、その外にある地域あるいは世界に対する興味・関心は古代から存在していた。これが地理学の発端だ。
関心事を突き詰めれば、学問になる。
こうした関心は、系統地理学となった。
「20世紀前半のマロニエ地方誌研究だね。ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュの『東マロニエ』は1917年に刊行されたが、それ以前にはドゥマンジョンの『ピカルディとその隣接地域』が1905年に、それ以降にはディオンの『ローヌ河谷』が1931年に刊行されたね。マロニエでは地誌学が続々と開花していった。……ルヴィアスは地誌学に興味があるのかな?」
この系統地理学の対象に位置する――わけではないのだが、特定の『地域』に対する知識を総合したい、あるいは、総合したものを利用したいという欲求も古代から存在していて、こちらは地誌学の発端であるとされる。
「……はい。イクシオリリオンでは2011年にヤマグチによって近代地理学では、地理学的知識を総合化した地誌学が『地理学の王座』と扱われました。その当時は、地誌書も多数出版されていたんです」
そういった流れに反し、地誌学は決して本国の最高学府では重きを置かれなかった。
外つ国では、近代では石油資源などで、そしてそれ以前の大航海時代や帝国主義が大手を振っていた時代ではより一層重要視され、地理学は近代科学として擁立されていたのにも関わらず。
本国では、地誌学者は検索に引っかからないレベルだ。
だから、こうやって海を越えてやって来たのだ。
「地誌学がもてはやされたのが昔なのは、アクイレギアでも一緒だね」
「そう……そうですね」
地誌学は1950年代から衰退していた。
これは社会変化に基づいたものだ。
伝統的な地誌学は、自己完結的な農村地域においてよくあてはまる。
各地域が近代化・都市化するごとに、説得力を減じた。
自己紹介は次に移った。
「では次――」
次は、ネムだったが、ルヴィの頭には、地誌学が形骸化していて、浪漫や幻想になり果てているのではないかという考えが浮かんで、それはいくら振り払っても消えなかった。
「――一通り、自己紹介を終えたね。では、この講義の評価指標を説明する」
一つ、出席率。出席一回に付き1点。9割を下回る場合は、減点対象となる。
一つ、ディスカッションへの貢献度。内容により加点される。最大は5点とする。
一つ、レポート課題。要約、考察、問題提起を行う。点数は満点が3点。
「レポート課題については、出来によってはさらなる加点の可能性もありと伝えておこう。……講義についてはこのくらいかな。質問はあるかな?」
栗色の髪の学生が挙手した。
「風邪で欠席する場合はどうなりますか?」
「病院での診断がある場合は、公欠扱いにしよう。しかし、出席点の加点は勿論ない」
自分の体調管理にも責任を持ってもらいたいね、と口許に微笑を浮かべる。
「他にはないようだね。………よし、今日は初回だから、ここまでにしようか。各自、割り当てられた課題の文献についてのレポートはメールで提出するように。期限は来週の講義の前日までとする。では解散」
ネムに腕を引かれ、慌てて顔をあげる。
周りの学生たちが立ち上がって、講義室を出て行くところだった。
「次は、教養科目よ。昼食を食べるにしても、まずこの講義棟を移動しないと」
専門科目はそれぞれの研究科が属する講義棟で行われるが、教養科目は一般棟で行われる。教養科目は他の専攻の研究科もやって来るので、講義棟とは距離がある。ルヴィとネムが所属する社会科学研究科は、一般棟からは比較的近い部類ではあるが、講義棟を出て目に見える場所にはない。
「まず、一般棟に行くか。今日は初回だから早く終わったけど、どのくらいかかるのか計っとかないと」
ネムが腕時計を見て頷いた。
歩いて15分ほどで、一般棟に着いた。
速足か、走って来れば10分を切れるだろう。
「移動も大変だな。……講義まで時間あるし、外にも行けるけど。何食う?」
「あまり移動したくないわね。カレッジの敷地内で済ませたいわ。学食にするのはどう? せっかく作った学生証の決済を使ってみましょう?」
無難な提案に、頷いた。
このカレッジの学食は有名だそうだ。
そのメニューもそうだが、なによりその空間が、だ。
一般棟からほど近い位置にある学食は、某魔法学校の食堂のモデルにもなっていると噂だ。長いテーブルが列を成し、ヴィッフェ形式で好きなものをトレイに載せて食べることができる。
今日のメニューはエルムの伝統料理らしく、スコーンやフィッシュアンドチップス、餃子のような形のパスティと呼ばれるパイ、玉ねぎとハーブと羊の内臓を羊の胃に詰めたハギス、十字に切り裂いたジャガイモにバターやチーズ、ツナなどを乗せたジャケットポテトが並んでいた。飲み物は各種ティーバッグがラベルごとに分類されていた。
「もっと味わいたいけど、次の講義が気になって喉を通らないわ」
ネムがため息をつく。
初っ端の講義を受けてみて、動揺しているようだった。
母国語でない言語で受ける講義は想像以上に難しいのだ。
「甘いものでも食べて元気出そうぜ」
次は抽選落ちして代替で選択した教養講義だ。
「どんな感じだろな?」
第一希望の選択必修の教養講義は、地理学を専門とするメールリ教授が開講するものだった。ところが、他の研究科の学生からも履修登録が多数あったようで、抽選になり、ルヴィとネムは専攻分野にも関わらず、見事ふたりとも落ちてしまったのだ。……どうやら、このメールリ教授は他の専攻の学生からの人気も高く、この手の話は事欠かないらしい。
同じように頭を抱えていた地理学専攻とみられる学生たちの話し声が聞こえた。……いや、話すというレベルのものではない。
アクイレギアでは話し声が大きく、いつもどこかしら騒がしいが、ショックを受けた人の声というのは何の憚りもなく叫ぶようなものだった。
気持ちは分からなくもない。
選択必修は、大学院生が研究する際の、基本的な手順などについてを学ぶ重要なものだからだ。
論文の書き方探し方などだが、それらは、分野ごとに異なるのが常識。
フォントの指定、カンマの種類、図形の題目をつけるルール、表の形式、参考文献の掲載の仕方など、あげればきりがない。
しかし、地理学の5人いる教授が全員選択必修を開講するわけではない。
隔年で持ち回りとなっているらしく、今回はメールリ教授だったというわけだ。
この選択必修は次年度も受講が可能だが、最初に受けることがベストだ。
慌ててネムと代わりに登録したのは、全く専門外のところだった。
選択必修であるのに、不人気なところ。
つまり、そもそもの敷居が高いところになる。
「レフェルト教授は医学系だから、題目も医療系になるのは確実だけどさ」
「定員割れするのなら、単位を取るのが難しいという口コミでもあるんじゃないかしら? わたしたちが知らないだけで」
つまり、何らかの難がある講義なのかもしれないということだ。
それが難易度の話なのか、癖があるのかは追々わかって来るだろう。




