108 隣人
『似ているね、ぼくたちは』
母親譲りだという、明るいブロンドが眩しいあの子は、寂しそうな顔をしていた。いつもどこか影のある表情で、十にも満たない子どもたちの間で、あの子とジャミラだけは浮いていた。話しかけたのはどちらが先だったか覚えていない。
あの子が同じだと言ったのは、何を指していたのか。
きっと親が高齢だという、単純なものだけではなかっただろう。
誕生を、待望されていたということだったのか。
周囲が期待するものには至らない、欠けた存在だということだったのか。
産まれた時から、彼らの期待を裏切っていた。
望まれていたのに、望まれるものを満たしていなかった。
『――ぼくは、冷たい試験管のなかで浮かんでいるときから、こうやって世界を眺めていたような気がするんだ』
ジャミラよりもより明るい、新緑のような瞳は悲しんでいた。こんなにも、純粋に、怒りも憤りもなく、現実を受け入れている。それが強さでないなら、なんなのか。
『ぼくはきっと……』
伏せた瞼によって、瞳は隠れた。
それが、昼間の光が消えたように不安になった。
作り出された存在だとあの子は自分を卑下した。
創造することができるジャミラを、あの子は心から称賛した。
あの子は、ジャミラの、心の隙間を救ってくれた。
なのに。
「――――」
名前を呼んだ、その自分の声で目が覚めた。
視界には、部屋の壁を囲むような本棚が目に入った――体を起こす。
室内を埃が舞って金粉のように輝いていた。
その輝きはあの子の髪を彷彿とさせる。
――首を振る。
きつく目を閉じてから再び部屋を見回すといつもの視界に戻った。隙間なく本棚を埋めるのはマリエの所蔵。遺伝子や生物学についての書籍がほとんど。……彼女の亡き実の娘の死を受け入れるために必要だったもので――それらの知識は、マリエの意図するものではないところで役に立った。つまり、彼女と全く血のつながらない、元夫の娘であるジャミラが育てられるときに。
ジャミラを産み、若い男と去った実母に似ている女性の、髪と瞳の色を受け継いだ。取り残されたジャミラは、生まれてすぐに遺伝子検査をされて実父との血縁を確認されたという。
疑われるほどだった実父とも、つかず離れず見守ってくれていたマリエとも当然似ているわけもない。かといって、実母とも顔の作りが似ているというわけでもなかった。……だから、アダムはジャミラを育てられたのかもしれない。
ジャミラは、遺伝子のエラーである、トリプルX症候群に特有の姿をしている。
『小さい頃を一緒に過ごした相手って特別なんですよね』
ため息をつき、額を押さえる。
重たい髪を後ろへ払う。
あの明るい少年の言葉を聞いて思い出したのはあの子だ。
いつも一緒にいるあのふたりの傍にいると、普段は思い出しもしない、感傷のようなものが表層に浮きかけてくる。
――最初に出会った時から、長い月日が経った。
だというのに、だ。
ジャミラは、今現在も、あの子の言葉に翻弄されている。
幼い頃に掛けられた言葉をいまだに思い出して――
『似ているね、ぼくたちは』
あの子の言葉は、時を超える魔法のようだった。
ジャミラの立ち位置をよく理解していていた。まるでジャミラ自身のように。
「……根を詰めすぎたかな」
骨子は出来上がり、早くも佳境に入る段階になっている。
……私生活にダメージを受けるほどに、仕事は捗る。
インスピレーションが降って来る。書き留めるだけで時間はひとっ飛びだ。
マリエが口にしていた、光陰矢の如しとはよく言ったもの。
「………勝手をして、マリエは怒るかな」
レジデンスでの鉄則をジャミラは捻じ曲げた。
怒ってくれればいいとすら、思う。
見下ろせば、ローテーブルに書類が二通ある。
入居者二人分のものだ。
マリエがメインの管理人業務を退いてから、ジャミラの判断で新たに受け入れた。内側へ入れる者に対し、温和な見かけに反してマリエは厳しい。しかし……。
「もう、関心もないか」
今冷たい土の下にアダムがいるのは、まだ救いがあるとすら感じた。
そう思う自分は薄情なのかもしれないが。
立ち上がり、窓に近づく。
出窓になっている休憩室の窓を開くとカーテンが膨らんだ。
小さく白い、昼間の月が浮かんでいた。
夜になればあの子は冷たく輝く。
もうずいぶんと長いこと、あの子は、空を見上げた場所の――竜座にいる。
「君を……また。思い出したよ」
口の中で名前をつぶやく。
あの子が自分の名前を書く時、いつも綴りを間違えていたのが懐かしい。
ジャミラは褐色の指で、そっと窓枠を撫でて、窓に背を向け室内を見回した。そこでふたりして駆けずり回っていた過去などないのに、自分たちの楽し気な笑い声の幻聴が聞こえてしまうほどに、自分は喪失感を抱えている、と。
「そういうことなのかな」
答えなど、あるはずもない。
*****
玄関を出て、廊下を歩き、となりの扉をノックする。
つい先日まで、ここには誰も住んでいなかった。
というより、この三階フロアにはルヴィとネム以外に住人はいなかった。
開錠される音が聞こえると、扉が開く。中からは、ちょっと見慣れない――Tシャツとジーパンに黒縁眼鏡をかけた完全オフモードのヒーカンが現れる。毎度、妙な気分になるのはご愛敬。この感覚も、慣れてしまえば、なくなるだろう。
まあ、そんなになるまでヒーカンがここに滞在するかはわからないが、長期で滞在できるような手続きは既に済ませているという。これがFBI……。
「よっ 夕飯、持って来た」
「……悪いな」
「何言ってんだ、つきっきりで視てくれてんの、ヒーカンの方じゃん」
それに近いし、と言って廊下の端から端へと視線を這わせる。いわゆるお隣さんだ。基本的に、外つ国へ出る意識のないイクシオリリオン人だ。出るとしても、たいてい単独で留学する。となれば、二人部屋の階であるこの三階フロアには自然と入居者はいらないもの。ところがこの度、特殊な手続きを経て、ヒーカンが大学院生という名目で、となりの部屋に越してきた。不審者であるアンドリューの監視を担うために。
「あいつの様子どう?」
「至って静かだ。………静かすぎるといってもいい」
「騒がしいイメージだったけどな」
口にしてから思い出す。そういえば、似たようなことをパトリックが言っていた。……思い返せば、ネムに突っかかる以外は、ほかのグループ内ではほとんどしゃべっていなかった気がする。内弁慶タイプか? そうだとすると、そこだけネムとちょこっと似ているような気も……。
そこまでで、慌てて考えをかき消した。
なんにしろ、アンドリューとネムとを並べるなんて縁起でもない!
「静かならよかったぜ。ヒーカンも、新しい職場になって慌ただしいだろ?」
「人員が不足しているから、俺にまで声がかかったんだろう」
つまり、忙しいということだ。
このFBIの捜査官、実はもともとジャカランダ支部に所属していた。
ところが、リグナムバイタに異動になったのだ。
西海岸から東海岸という大移動。
本にはこう言っているが、リグナムバイタでの目覚ましい活躍が認められたかららしい、とは他の捜査官から聞いた話だ。
「ならますますヒーカンがここにいてていいのか?」
他の人員を寄越してくるものだと思っていた。
そうヒーカン自身が話していたということもある。
ところが、何をどうなったのか、あの日朝一で来てくれたヒーカンは、非番の人と交替したかと思いきや、その日の夜にはルヴィたちと同じ階に越してきた……。ドナドナされるアンドリューをネムとあっけにとられながら見送った。
「赴任してきたばかりでホテル暮らしだったからちょうどいい」
イクシオリリオン人学生限定のはずのレジデンスだが、ジャミラが融通を利かせたらしい。アクイレギア国民としてはFBIに協力するのは当然のことだからだろう。
「身分証まで作ってさ……手が込んでるよな」
FBIという組織はやはり完璧主義なのか。
口にしかけたとき、ヒーカンが手を前に出して静止させた。
視線をヒーカンの背後にやるのでつられてみると、廊下からつま先が出ていた。
盗み聞きも、こう察知されるのを見ると、ヒーカンが頼もしくてならない。
「申し訳ないけど………ヒーカンがいてくれると安心感が違うぜ」
「お前たちは厄介事を抱え込み過ぎだ」
「その厄介事、右から左に誰かさんへパスしてるんだけど……?」
口にするとますます申し訳なさが立つ。こうしてネムが詫びを込めて料理に力を入れているので、それで少しでも足しにしてほしい。監視という役割上、ほかの住人達の安全もあるので、一緒に食べることはできないのがもどかしい。
「おかげで充実している」
「ポジティブ~……兄貴の同種の気を感じるぜ」
誰かさんの自覚はあるらしい。
どうでもいい話をしていることに安心したのか、つま先が引っ込むのが見えた。
「それじゃ、またな」
「ああ。単位落とすなよ」
アンドリューの口から、話を聞くと言ったが結局聞けていない。
学業に支障をきたさないよう、週末になってからと話をつけていた。
ヒーカンはそれに口を挟まず、当然のようにこうして後押ししてくれる。
「任せとけって!」
不法侵入までされたのだ。
その経緯については、気になるけど、聞かない。
……エリフエールの夏季集中講座の締め切りは今週までだ。
文字通り頭を抱えて悩む。
申請するとしたら、一か八かの博打のような選択だ。
ザイガー教授の前評判とそれまでの研究成果を加味するか。……悩ましいが、この選択を自分で下すことができることに、確かな喜びがあった。
*****
突き当りの扉が閉まるのを確認してから扉を閉め、廊下に目を遣る。
今そこに、監視対象の相手はいない。
受け取ったバスケットをリビングへ運んでいく。
共有スペースには、さもそこにずっといたかのような顔でテレビを見るピオニーの男がいる。
テーブルへとバスケットを置きながら、深夜に電話を受け取った時のことを回想し――事態が思いもよらぬ方向から動いたのを把握し、戦慄した。
「――そろそろ、打ち明ける気にはならないか。ウェイ・ワン」
視線を向けると、ピオニーの男は、俯いて震え出した。




