100 狼に衣
打ち明けるのではなかった――そんな言葉が何度も喉から飛び出しそうになる。
あの快適で閉塞した部屋から、優しい老婆の手を取ったのは正解だった。静かな住宅街の一軒家が老婆の自宅だった。そこの一室をもらい、身内のように接してもらえる。窓からは外の景色が見え、通行人をながめては、差がないことに安堵する。最初のあの部屋から出て、ここへ。きっと、もっと外に出れば事態は好転すると期待してしまった。何より、自分の手を握って来た、この世界での最初の味方である老婆が、真摯な目で頷いて見せるから――だから、このお人好しそうな青年の提案に乗ったのだ。
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硝子越しに立つヒーカンに並び立った。
向こう側には机を挟んで、スーツを着た男性と私服の女性が向かい合っていた。
「はじめろ」
ヒーカンが指示すると、男性の耳のイヤホンが僅かに光った。
身振りで促す調査官へ、女性が話し始めるのを見守る。
『今日は西暦2011年1月15日。極東の島国で生まれ育ちました。国土は大きく四つの島からなっています。人口は1億3000万人。世界第二位の経済大国です。家族は父と弟二人がいます。地元の国立の大学を卒業した後は、地元を離れて私立の大学院で歴史を専攻しています。年は24歳で、誕生日は7月6日、血液型はA型』
調査官が地図を出す。
指で示していき、女性に答えさせていく。
その受け答えは、ルヴィが聞いたのと同じものだった。
ヒーカンの視線を受けて、ルヴィは頷く。
「いったん席を外す。そのまま続けろ」
指示を出したヒーカンが、視線で部屋のドアを示す。
薄暗い部屋を出て、ヒーカンの個室まで付いていく。
そこもまた明るい部屋とはいいがたい。ゲーミングチェアを囲うようなテーブルに、パソコンのデイスプレイが三つあるだけのような独房のような部屋だ。
白種らしい紙のように白い手で顔を覆う。
その上に、金髪が零れるように落ちる。
手のひらの下から唸るような声が漏れ――
「――まったく信じがたいな」
「あ、ヒーカンでもそう思うんだ?」
FBIに協力を仰ごうと提案したとき、エミは目に見えて嫌がったが、マリエが淡々と質問し、それにルヴィが答える形で詳細を説明すると、落ち着きを見せた。マリエは、念押しのように、ルヴィがついているのでしょう、と尋ねるので、(最初だけなら)はいと了承したため、促されたエミはようやく頷き了承を取り付けた。
「なんでこんなことになる」
「男子、三日会わざれば刮目して見よ、ってあるじゃん?」
「知らん」
首を振ってため息をつかれる。こうして安心して話せるのはこの空間は完全防音の仕様となっているからだ。ちなみに、あちら側の声はスピーカーで聞いている。初のFBIの施設に入ったのだが、ヒーカンが傍にいるだけでまるで緊張感がない。そんな時、開かないと言われていたドアが開き、三つ編みを振り乱した女性が顔を出す。
「ちょいとヒーカンさん!! ハッキングデータ勝手に取って行きましたね!?」
髪を振り乱して叫ぶ女性に、思わず動揺してヒーカンの腕を掴んだ。
当のヒーカンは動じた様子も見せず、デスクに両手を掛けて凭れている。
「うるさい」
「盗人に言われたかありませんよ! SF映画見すぎとか、散々バカにしてきたのに!」
地団駄踏みながら叫んでいるとはっと息をのむ。
「もしかして、興味出て来たんですかパラレルワールドについて! バカにしてたから言い出せなかったんですか!?」
急に目を弓なりにして近づいてくる。
圧がすごい。席をずらして距離を取る。
「言ってくれたら貸したのに~」
体をくねくねさせながら近づいてきた女性を、ヒーカンは避けた。
「ノックぐらいしろ。電子キーを勝手に開けるな」
「人のデータ盗んでおいて、人にマナーを説きますか!?」
「ハッキングも立派な盗みだろう?」
女性はたまりかねたように奇声を上げたかと思うと、顔に斜めになっていた眼鏡を直し、顔を逸らす。そこへいたのはルヴィだ。目が合い、きょとんとした顔になる。ルヴィがいうことでもないかもしれないが、おそらく童顔なのではないか。
「あれ、見たことない人ですね。誰です、あなた」
「…………あー、と」
捜査協力者だ、とヒーカンが短く答える。
「へー、こんな少年まで使ってるるんですね。FBIってやばい組織だわこりゃ」
「お前も所属しているんだぞ」
開いた口に手を入れる女性に、ピシャリとヒーカンが突っ込む。
「オレが未成年みたいな言われようを訂正はしてくれないのかよ……」
じとりと見たが、部外者なので小さな独白になってしまう。
「今、聞き取りをしている部屋があるが、行ってみたらいいことがあるぞ」
「いいこと……? 行ってみます!」
素直な人だ。もしかすると本当に若いのかもしれない。
データらしき書類を手渡しながら、部屋を教えると女性はすぐに出て行ってしまう。
「賑やかな人だな。なんかああいう人が多いのかFBIって」
「あれは例外だ」
なるほど、と頷く。
お堅いイメージは基本的には間違っていないらしい。
「やっぱ、餅は餅屋だな」
気を取り直して、頭を下げる。
「ヒーカン、エミさんのこと、頼むな。オレたち、勉強でなかなか見てやれないから」
「大学院生だからな。逆に今はいいのか」
「ちょっとやばい。だから頼んだ」
マリエやエミに頼られたからには力になってやりたいが、カレッジが始まればそうもいかない。ただでさえ多忙な上に、学期の後半では課外活動が加わり、アパートを離れることが多くなるのだ。そんな中、短期決戦が難しそうなエミの、精神的な疾患か、はたまた本当にSFな現象なのか不明な問題に関わることは難しかった。
「任せておけ。四六時中護衛をつけさせる」
「………あの、頼んでおいてなんだけど、めっちゃ快く応じてくれるよな? こんなん、ふつう信じないだろ?」
むしろ前のめりで、協力してくれた。
リグナムバイタに拠点の一部を作ってもらう許可まで、ジャカランダ支部の長官から取り付けたというのだから、行動力と熱量が空恐ろしい。大丈夫かこいつ、と思わんでもないのが伝わったのか、眉間に皺が増えた。
「この話を持ってきたお前が言うか?……学生の本分は勉強だろう。アクイレギアのカレッジは生半可な成果では卒業できないぞ」
痛いところを点かれた。
「分かってる。でも、もう一度聞くけど、人体実験とかやめてくれよな?」
知らない間に薬の実験台にされたこと思い出し、身震いすると、同じこと連想したらしいヒーカンが一瞬苦い表情で応えた。
「何度も言うが、そんなことはさせない。……終わったようだ。部下に車を出させるから、お前も一緒に乗って行け」
部下、いるのか。思っていたよりも上の地位にいるらしい。もう一度礼を言って、出て行くと、部屋から出てきたエミに腕を痛いぐらいに掴まれた。
「ちゃんといたよね?」
「いましたいました、大丈夫ですって」
ちょっとの間、席を外していたことは内緒にして案内人についていく。
車の後部座席に座ると、エミと同じく目隠しをさせられ、発進した。
エミは護衛と一緒にマリエの家の前で降り、車は再び動き出して、アパートの前で止まった。古い柳が風に揺れている。
「ルヴ!」
見上げると、3階の出窓になっているリビングの大窓からネムが座って手を振って来た。
「お帰りなさい」
「ただいま」
昔から見慣れている幼馴染の顔を見るとほっとした。
この国に来た目的を思い出す。
ほんの少しも無駄には出来ない。
そんなルヴィの背中と、ネムとをじっと見比べる視線には気づかなかった。
調査対象として質問を受けていた学生は、付き添いの少年の腕を掴んで離れようとしなかった。その光景は、普段の少年の姿を知っている身からすると、あまり気分のいいものではない、と思った。精神が不安定なもの特有の依存傾向が見られた。早急に引き離した方がいいだろう。
「うおおおおおお! 趣味でハッキングしたデータが役に立つ展開なんて熱すぎる!」
「解析班に回す。コピーなら持って行っていいぞ」
「やったああああ!」
ヒールを履いた足で飛び跳ねる。……最近どこかで見た光景に似ている。
頭の馬の尾のような髪を上下に揺らしながら、こちらを振り返った。
鼻先からずり落ちそうな大きな眼鏡が妙な反射をする。
「今世紀最大の大事件ですよこれは!! あー、ヒーカンさんの栄転をお祝いしていたのに、あたしまで馴染みの古巣から出されてこんな大都会までやって来させられるなんてと思っていたけれど、こんなサプライズがあるなんて、あたし!! あたし!! 感激です!!!」
こいつの、馴染んでいるという認識は甚だしい気のせいだ。
有能なのに、このアクイレギアの中にあっても声が大きく騒がしすぎるキャラクターは古めかしい縦割り社会の組織にあって、それはそれは浮いていた。
「それで、相手はどうだ」
「嘘発見器に乱れはありませんでした。普通に、この怪しい施設にビビッてる反応はありましたけど」
眼鏡を定位置に直しながら、打てば響くような返答をする。
その正確さに、ガワを剥げば、中身はAIなのではないかとすら思う。
「今度、あの子の調査をあたしに任せてくださいよ! 同性同士だから、上手くやれる自信があります!」
「――それはどうだろうな」
鳩が人間を見上げるような間抜けな顔を晒す。この特殊な被検体を紹介してきた少年に見紛う童顔は、注意としてこちらにいつくか伝えて来た。その中に、あったことだ。
『ネムが言うには、たぶんだけど、エミさん、同年代の同性が苦手なんだと思うって。逆に、対応するのは異性か、年の離れた同性の方が向いてるんじゃないかってさ』
なぜわかると聞いたが、同族っぽいから、と妙な返しがあった。
「ええー!?」
やれるだけやってみろと尋問を任せると、大げさに喜びを露わにする。
内心は穏やかではない………入り込むことができた。それもこんなに早く。
順調に行きすぎることに、不安を覚えた。
「………見落としは、ないはずだ」
見込んだ通りなら、相手は狡猾だ。
思わぬ機会に慎重さを欠いた自覚はあるが、手抜かりはない。
「あ、そうだ!」
言葉だけではなく、手を叩くので仕方なく視線をやる。
「遅くなりましたが、サージェントへの昇進おめでとうございます。その若さで上級職になるなんて非凡ですね! まあ、実績がえぐすぎるってのもありますけど………誰が短期間に3件の事件を独自で追って、そのうち2件の捜査をほぼ終わらせられるって言うんですかね!?」
睡眠薬の混入について、人体実験を行っていた医師とその睡眠薬を制作した製薬会社の癒着を明らかにした件を含めているのか。それは、バディだったデイビッドと、協力者の力が大きい。
だが、思い返し、言い忘れていた。
「礼を言う。お前のおかげだ」
動向を追っている片割れからの依頼で調べさせた件が、予想外の実績となった。土嚢を運んでいたトラックが所属する企業とその土嚢の流通先、購入した場所での健康被害を比較したデータを算出させ、因果関係を結び付け、上司に報告した。バックにいる企業については、上層部で取引を行うらしい。被害者への補填はマスコミへの調査報告と共に行われる予定だ。これで世間でのFBIの評価が高まるだろう。
「ほ、絆されるうううう! いいいえええ! あたしはただ言われたことを調べ上げただけですけどおおおお!!」
非常に悔しそうに叫ぶ。
地上には届かないとはいえ、地下の施設は繋がっているので響くのだが。
「やばいFBIのなかでも、ヒーカンさんは特にやばいですから!? 上司命令で、有給取らされてるって聞いてたのに、運送トラックの追跡しろとか!! ボスからの命令で呼び出しに家に行ったら、勝手に他の州に行ったっきりってそこではじめて知るし! そんな現地の総合病院の患者情報を調べろと言ってきたり! 休暇って何か知ってます? フットワーク軽過ぎなんです、ついて行けるのあたしくらいです」
でもついて行きたくないです、と発狂気味に天井へと吠えた。
実際に現地に行ってきたのはこちらなのだが。フーカーからトラックを追跡している最中、呼び出しを受けて戻ったジャカランダ支部で長官から昇進と小言と頼み事と辞令を受け、その足でリグナムバイタに赴任した。このエージェントも初めての部下として連れて。
ここまで来させたのだ。
配慮する必要があるだろう。
「心理カウンセラーへの紹介状が必要なら用意してやるぞ」
「現地調査で見つけたっていう、川辺で飛び跳ねる猫の写真を送って来たのは精神不安に対する薬のつもりです!?」
ジャカランダから遠く離れた地に来たが、その感傷を忘れる騒がしさだ。
「失礼します」
ヒアリングをしていた部下の調査官がノックした。
先ほどのイクシオリリオン女学生の言動について報告と分析をさせる。
「すごい! 被検体にしましょう!」
「やめろ」
聞き進めるうちに、エージェントは目を輝かせ、ヒーカンは顔を覆う。………少なくとも、狙ったものより付属してきたものがより上層への関心を引くのだろうと悟った。




