9 夏実&瞬一
「ねえ、人を好きになったこと、ある?」
「え、まあ…そりゃあるだろ」
「ほんとに?ライクじゃなくてラブのほうだよ」
「分かってるよ。いや、どうかな。分かってねえかも。ライクとラブの境界線って何」
「え、そこ?そこ突っ込む?」
「いや、分かるんだけどさ」
「うん。…分かるよ、言いたいこと」
「人によるよな」
「うん」
吐く息が白かった。それでも神社は混んでいて、長い長い列の中に私たちもまた並んで立っていた。
「やっぱり、ピンクかな」
「え?」
「恋なら、ピンクだろ。他はまあ…一色に決められない」
「ああ…なるほど、色か。…難しいな」
「…難しいか?」
「普段そんなこと意識しないから。っていうか、そういう発想がなかった」
「…そうだな。変なこと言ったわ、俺」
「別に変じゃないけど」
「夏実はどうなんだよ。どこが境界線だったの」
「…どこって…」
「ライクじゃないから付き合ったんだろ」
どうなのだろう。境界線。あったんだろうか。
しばらく答えられなかった。列が進み、また止まる。それを三度くらい繰り返した。
「だめだ、分かんない」
「分かんないのかよ。こんだけ考えといて」
「うん。…告白してきてくれたの、向こうだし」
「あー。…まあ、好きなら何でもいいよな」
「…」
てらいなく、好きだと言える瞬一は、きっとまっすぐな恋をするだろう。ずるずると複雑な思いを抱えて、途方に暮れている私には、少し眩しい。
「瞬一はさ」
「ん?」
「好きな子と付き合えたら、私とは会わなくなっちゃうよね」
「…」
どうして突然、こんなことを言い出したのか分からなくて、言った瞬間後悔した。
違う。
こんなことが言いたいんじゃない。
いや、何を言っているんだろう?というか、何を言いたいんだろう?瞬一と会えなくなるのは寂しいけれど、引き止めるつもりなんてないのに。誰よりも応援したいのに。どうしてうまく言えない。
「…ごめん。何でもない。中学の時から、瞬一はすごく、近くにいたから。だから…ごめん、忘れて」
こんなんじゃ、また瞬一に気を遣わせてしまうかな。でも「寂しい」は、言っちゃいけない。言ったら瞬一は、私のことも大事にしようとしてしまう。
「…俺、好きな人なんていねえし」
「…」
「もし、もしも、いつか誰かと付き合うとしても、夏実には会いたい」
「でも」
「そうじゃないと、俺が寂しい」
なんて答えればいいか分からず、瞬一の視線を避けるように俯く。
私はいくつ、瞬一に小さな噓を重ねさせるのだろう。
でも、だめだ。瞬一が私を大事にしたら、彼女はやっぱり嫌だろうから。
もし本当に、瞬一に彼女ができたら、その時は私から離れるから。
だから今は、もう少しこのままで。
参道を進みながら、私は思う。
瞬一の好きな人はどんな人だろう。
可愛い子だろうか。
素直な子だろうか。
瞬一の優しい噓に気づいてくれる子だろうか。
それとも、瞬一に噓をつかせない子だろうか。
だんだん神社の本坪鈴が近づいてくる。前に人がいなくなる。
僕らは並んで、鈴を鳴らす。
今年も幸せでありますように。
何かあったの、なんて聞かない。
夏実が、辛い時ほどよく笑う夏実が、強がりでなく、ただアホみたいに笑っていますように。
どうか、彼女の恋が、実りますように。
たとえその時、隣で笑うのが、僕じゃなくても。
僕はきっと、笑っていられる。
ずっとそばにいて、なんて言わない。
不器用な瞬一が、人の幸せばかり願う優しい瞬一が、自分の幸せを掴みますように。
どうか、彼の恋が、実りますように。
たとえそれで、私が隣にいられなくなるとしても。
私はきっと、笑っていられる。
僕らはただ、黙って手を合わせた。