***** 05
これにてお終いです\(・ω・`)
最後までおつき合い下さった読者様、ありがとうございました!
どこからかその声が聞こえてきたのは、屋敷門の少し脇でティムに馬から下ろしてもらっている最中だった。最初は空耳かと思っていたし、何よりまだ数日では慣れない馬体の高さに四苦八苦していたので無視する。
ズリズリと身体を少しずつ斜めにして降りようとしていたら、前に乗っていたティムが「まだ無理かな。ちょっと難しそうですね」と言って先に降り、下で私を支えようと待ってくれる。
情けなさすぎるけれど無様に転げ落ちるよりはましなので、その手を借りようと恐々身体をのりだす。今度から柵のあるところで止まってもらおう。
馬から降りたらそうお願いしてみようとしていたら、下で手をこちらに差し出してくれていたティムが何かに気付いて後ろを向く。
――ちょ、コラコラ、こっち向いといてくれないとそこにいる意味がないだろうティム君!
私がそう声を上げるよりも早く、ティムが私に向かって「誰かトモエさんのこと呼んでるみたいですよ?」と教えてくれる。しかし、あのね、考えてもみてくれ。歯を食いしばって頭の重心を下に向けている時って音が聞こえにくいの。
聞こえないってか――……今それどころじゃないんだよ!?
私の身体はもうすっかり下におりる体勢なのに、とうのティムが中途半端に助けてくれるのかくれないのかっていう微妙な体勢なのだ。彼は上背はあるけど細いから下手にぶち当たれば倒れてしまいそうで怖い。
若い子に怪我させたくないんだよ、頼むからこっちに集中してくれ! と、思ったけれどこれは……もう駄目だな。ふくらはぎと腹筋と内太腿が限界ですと訴えている。私はまだ下で呑気に後ろを向いている彼に手短に危険を教えた。
「――ッティム、どいて!!」
私のその切羽詰まった声でようやくティムが異変に気付く。同時にとっさに飛び退いてくれたのは助かった。まぁね、私は当初の予定通り無様に転げ落ちたわけだけど……。
馬体の脇にあった鞄を足かけに使ったから頭から落ちはしなかった。とはいえ人様の郵便物を足蹴にするのって気分がよろしくないな。誰かの気持ちを踏んづけたってことだからね。
「す、すみませんトモエさん!! 大丈夫ですか!?」
「い……や、大丈夫大丈夫。骨に異常はないから。それより申し訳ないんだけど、ちょっと肩かしてくれる?」
「どこか痛めたんですか!?」
途端に可哀想なくらいにうろたえ始めたティムを見て、言わなきゃ良かったと後悔するがもう遅い。実は降りるときにおかしな格好をしたせいで、ふくらはぎが肉離れをおこしただけなのだ。
「違う違う! そうじゃなくて――」
否定しようと慌てて立ち上がったせいで、痛みにヘナヘナと座り込む。久し振りの肉離れは私にやせ我慢をさせてくれる気はないらしい。
昔はもっと踏ん張れたはずなのにな~! これが歳かな~!?
咄嗟に押さえたふくらはぎがズックンズックンと脈打っている。チラッとティムを見たら顔面が真っ青だ。ああ、いかん、ここはさっさと立ち上がって大人の余裕を見せてやらないと!!
そう自分を奮い立たせて立ち上がろうとしていたら「トモエ!!」と。どこからか飛んできた聞き慣れた声に、一瞬ポカンとしてしまう。だってここ一月……あれ、もっとか? そんな聞き慣れてたんだか忘れかけてたんだかな声で名前を呼ばれても、反応が悪いのは許されるだろう。
いや、許すべきである。というわけで私の反応はすこぶる悪く、なおかつタイミングの悪さに気分もだだ下がりだ。
「え、え、トモエさん、領主様とお知り合いなんですか?」
「まぁ、知り合いって言えば知り合いかな」
ほら、ティムがすっかり怯えているじゃないか。そもそも顔もがたいの良さも初見殺しって言うのか……怖いんだよな。魔王かよ。あと何かすごい息切れしてるんだが、どっから来たんだコイツ。スティーブンは荒い呼吸を整えながらも注意深く私とティムを観察している。
んん? それに何だかえらくお洒落をしている気がする――と、言うよりも私といる時がラフすぎるのか。とはいえ、正装に近いその格好でピンときた。
「スティー……旦那様、出かけなくてよろしいのですか?」
イラッときたせいで危うく人目があるのに呼び捨てにするところだった。
私の声が若干低くなったことに何かを察知したスティーブンは、急にティムにこう言った。
「うちの使用人が手間を取らせたようだ。後は私が対処しよう。君は自分の職務に戻りなさい」
なに勝手なこと抜かしてるんだこの野郎。そう目で抗議するが、視線が一瞬合ったにもかかわらず無視された。ますます何だこの野郎である。
ティムはというと突如現れた領主にすっかり萎縮してしまっており、私の別の意味での助けてアピールが通じていないらしい。まぁ確かにいきなり領主に出てこられたら誰だって萎縮するだろう可哀想に。
ティムが気の毒になってその穏和そうな横顔を見ていたら、スティーブンが怖い顔で一瞬こちらを睨んだ。負けじとこちらも睨み返す。
「あ、いえ、でもあのトモエさんはいま足を――その、馬から下りるときにボクが目を離したせいで、おかしな着地をしてしまって捻ったようなんです。ですからボクが責任を持ってお屋敷まで運ばせていただきます!」
このタイミングでそれを言っちゃう君の勇気は分かったよティム。でも、頼むから余計なこと言うなよぉぉ! 足の痛みも一瞬忘れたわ! スティーブンがこちらを見る目が一気に氷点下位まで下がる。
こういうのってなまじ顔の良い奴にされると凄みが増すよな。どの道私のライフはもうゼロだよ。どうせお小言パターンに入るんだろうが、分かってますよとやさぐれる。
「いや、私が運ぼう。君は一刻も早く仕事に戻れ」
ほらな、って……いま運ぶとか言わなかったか?そう思った私が顔を上げるよりも早く、身体の方が浮き上がる。
急に無重力に放り出されたような感覚に理解が追いつかない。ティムの「えぇ!?」という声だけがやけに鮮明に聞こえて、ついでにグングンとその姿が遠のいて行くのが見えた。
「他の男の馬になんて乗るからだ」
そう耳元でスティーブンの苛立ったような低い囁きが聞こえる。放心状態が解けた私は、弾かれたようにその間近にある顔を睨み付けた――……までは良かったのだが、あまりのガチ切れぶりに思わず目をそらしてしまった。
野生動物的本能とでも言うのだろうか。とにかくやばそうなのでどこに運ばれるのかも訊けないままその腕の中で身を固くするチキンな私だ。
よくよく考えれば人生初のお姫さま抱っこなのに、この状況は憧れとは程遠かった。その歳でお姫さま抱っこが憧れとかウケる……って思った奴、出てこいやぁ! である。
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「あぁ……トモエさん、大丈夫かな」
連れ去られるようにしていなくなったトモエと連れ去っていった領主の話は町でもちょっとした噂にはなっていたので、酷いことはされないだろうにしてもあれだけの威圧感だ。
普通の神経の持ち主であるティムに心配するなと言う方が無理である。
「――やっぱりちゃんと謝りに行かなきゃ!」
意を決して駆け出そうとしたその肩をガッチリと掴む手があった。ティムが恐る恐る振り向くとそこには見知ったこの屋敷の料理人が立っている。
「あ、ジェームズさんおはようございます! って、そうじゃなくて、あの、手を離してもらっても良いですか? ボクちょっと行かなきゃならないところがあって」
「良いんだよティム。あの二人の噂なら町でも訊いてんだろ?」
「え? えぇ、まぁそれは、噂のお相手がトモエさんだとは……って、見てたんなら声かけて下さいよ! トモエさん馬から落ちたんですよ! すぐ傍にいたんならなんで教えてくれなかったんですか!?」
元はといえば自分が悪いのは分かっているティムだったが、トモエが落馬しそうになっているのにそれを教えてくれないのは論外である。いくら気のいいティムでも、そこは我慢ならないとばかりに抗議の声を上げるが、ジェームズは肩をすくめて見せるだけだ。
もうかまっていられないとティムが再びトモエ達の消えた方に歩き出そうとすると、その行く手をこの屋敷で当主の次に怖い人物に遮られた。
「貴方はとても良い仕事をしてくれました。感謝しますよ青年。ですがこれから先の舞台に君は必要ありませんよ」
「でも――!」
「あぁ……あのお二人なら大丈夫です。今頃揉めているかもしれませんがそれで良いのですよ。それよりも君に頼みがあります」
背筋の凍えるような笑みを浮かべたアイザックを前にしたティムを見てまるで蛇に睨まれたカエルだな、と。ジェームズはアイザックに“お使い”を頼まれたティムがコクコクと頷くのをみて思ったのだった。
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屋敷の中ではどこに人がいるかもしれないので、トモエを抱きかかえたスティーブンは迷うことなく庭園内の東屋に向かった。
さっきから一言も喋らない彼女のことも気になってはいたものの、今は腹立たしさの方が勝っている。
他の男と一緒に馬に乗るだけならまだしも怪我までするとは。呆れとも怒りともつかない気持ちが胸の内でせめぎ合う。そんな気持ちを持て余している間に目的地の東屋に着いてしまった。
ひとまず彼女を腰掛けさせて足の具合を見てやった方が良いだろう。冷静な部分ではそう思うのに、冷静でない部分が彼女に抗議したがっている。そして今のスティーブンはあまり冷静とは言い難い状況にあった。
取り敢えず彼女を座らせようかと考えた――が、怪我があの場から逃げ出す為の嘘という可能性もある。しかたがないので折衷案として横抱きのままベンチに腰掛けることにした。
「いやいやいや……ちょっと」
早速トモエからの突っ込みが入る。スティーブンはそれに答えずに痛めていると思われる方の足に手を伸ばして触れてみた。すると耳元で軽く彼女が息を飲む気配を感じる。
そのまま少しずつ押さえて痛みの箇所を探る間も“ひっ”だとか“うっ”だという声を上げるトモエの微妙な変化を聞き分けていく。ようやくそれらしい痛がり方をする箇所を探り当てたが、腫れも熱もない。
痙攣を繰り返しているようだから恐らくは肉離れだろう。大事ではなくて安心したが、腕の中のトモエはぐったりしている。そんな彼女を見ていたら思わず――。
「……他の男の馬になんて乗るからだ」
そう口に出すとまたなりを潜めたはずのよく分からない感情が、再びムクムクと沸き上がってきた。それを聞いた彼女が腕の中で身体を固くするのが分かる。こんなのはただの八つ当たりだと思うのに、言葉は止まるどころか溢れ出した。
「俺ならお前から目を離したりしなかった。俺と乗ってさえいれば絶対に落馬などさせなかった。いつも勝手なことばかりするから痛い目に遭うんだ」
言いながら抱きかかえる腕に力がこもる。今の自分が恐ろしく子供じみていることを頭では理解できても心の整理が全くつかない。こんなことは初めてだ。
すると、腕の中のトモエが身体から力を抜くのが分かった。逸らしていた視線を彼女に向ける……が。
「怒ってんのかと思ったら――この、馬・鹿・野・郎!!」
直後に額に頭突きを見舞われた。突然の痛みに目を丸くしていたらさらに追い討ちでデコピンを見舞われた。
「……お前が、見合い三昧なのは良いよ。いや、本当はあんまり良い気はしないけどそれが仕事だって言うなら仕事なんだろ。でもなぁ、」
驚いたことに腕の中のトモエは泣いていた。トモエの泣き顔は前にも二度ほど見たことがあったはずなのにその当時よりもずっと胸が痛んだ。
「私はずっと一人でお前のこと考えてモヤモヤするの、もう疲れたんだよ。勝手なのはどっちだよ! 前は頼みもしないのに毎日みたいに顔出してたくせにいきなり来なくなって、かと思ったら今朝ティムからお前が最近見合いで忙しいとかって聞くし!」
発見したがトモエの泣き顔はあまり可愛くないとスティーブンは思った。
だからこの先もずっと誰にも見せたくないと思う。例えば自分以外の誰かにこの顔を見せるのは絶対に嫌だ。だからあれを言うなら今しかない。
そう思ったらもう勝手に思いが言葉になって零れ出た。
「――見合いを重ねたのは叔父の面子を保つためだ。だが、今回の見合いを全て断ったらお前に伝えたかったことがある。訊いてくれるか?」
懇願の響きがこもった声に彼女が頷く。それを確認したスティーブンは小さく礼を述べてから、泣き顔のトモエを覗き込んではにかんだ微笑みを浮かべたまま静かに、だがはっきりとした声で言った。
「――トモエ、俺と結婚してくれ」
泣き顔のままトモエが一瞬静止する。それがおかしくて……愛おしくて。スティーブンはもう一度、今度はいつもは勝ち気な、けれど今日はしおらしい涙に潤んだ瞳に向かってもう一度言う。
こうなったら頷いてくれるまで何度だって言う覚悟だ。
「トモエ、俺と結婚してくれ。お前が他の男の馬に乗る姿なんてこの先絶対に見たくないんだ。だから頼む、頷いてくれ」
無反応なわけではないのはトモエの様子からも分かる。腕の中でスティーブン見つめる彼女の目は驚きに見開かれてはいるものの、拒絶的な色はないように思う。
首から上った熱が耳の先まで赤く染め上げている彼女を見ているせいでかえってスティーブンは冷静になる。
しかしトモエにいま冷静になられて断る時間を与えたくないスティーブンは、続けざまに「結婚してくれ」と囁き続けた。途中からはその反応がもっと見たくてアレンジを加えてたたみかける。
『ちょ、ちょ、ちょっと考え――』
『駄目だ。頷いてくれないと離せない』
『本当に、あの、もう勘弁して……』
『嫌だ。返事をしてくれ。出来れば“はい”か“はい”で』
『――それどっちも同じ意味じゃんか!』
そんな東屋の中から聞こえてくる若い当主の求愛の言葉と、それに慌てふためく庭師の声を盗み聞いていた人影が二人。
「おーおー、トモエは折れますかねぇ?」
「そんなことは当然ですよ。彼女が今日は折れなくとも近い内には必ず折れます。それまでせいぜい待ちましょう」
アイザックのあっさりとした答えにジェームズがはてと首を傾げる。
「今回の一件でおれだけ何にも協力してない気がするんですが」
「……式のケーキは貴方以外に作れませんからねぇ」
何を馬鹿げたことをとでも言うようにふん、と鼻を鳴らして歩き出したアイザックの背中を見てジェームズは苦笑した。今頃は町の方でも色々な噂が飛び交っている頃だろう。それを考えると年甲斐もなくワクワクするジェームズだった。
そう、例えば――“近々、セントモーリス領のクロムウェル家に奥方が迎えられるかもしれない”と。
本当は道具についてもっと書きたかった……あと、
庭とかももっと魅力的に書ければ良かったのにと悔やまれますΣ(>ω<;)
自他共に認める物凄い飽き性の私が毎日更新し続けられたのも、
ひとえに読んで下さった読者様のお陰です。
ここまでこの拙い作品を読んで下さって、本当に本当にありがとうございました!