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イエローマダー  作者: 沖 晶
第一章
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第十一話 「可能性」

 赤ん坊に高い高いをするときのように、脇に手を差し込まれたままゆったりとした動きで、乗っていたワゴンから地面に下ろされる。


「十四歳では、まだ羽根のように軽いな」

「言い過ぎですわ、お父様」


 父の方向に顔を上げてにこりと笑う。私が重い軽いではなく、父が鍛えているから軽いと感じただけだ。


 優しく右手を取られ、転ばないようにと左手で腰を支える父にどこへ行くのかと問う。すぐそこだと言われた場所まで、本当に数歩しか歩かずに到着した。


 木々が時折ざあざあと体を風に揺られ、鼻をかすめるその風は冷たく鼻がつんとする。店にでも入るのかと思っていたが、すぐ側で布を広げるような音が聞こえる。


「レベッカ様、エルドリッジ様」

「ああ、頼む」


 なにをヴェロニカに頼んでいるのかさっぱりだが、父は自分に寄りかかれと言う。


「なぜです」

「靴を脱ぐからね。ヴェロニカ」


 返事をしたヴェロニカが私に足を上げるように言うが、私は抵抗感から足を上げられない。


 今まで地面に座るなんて、したことがないわ。はしたない気がするのだけれど、いいのかしら。


 もじもじと困っている私の腰から手を離した父が、私を立てた父の膝に座らせる。片膝をついた状態の太ももに強引に座らされ、父の大きな体に密着するように左腕で抱えられたまま、私の靴はあっけなくヴェロニカに持っていかれてしまった。


 靴に守られていた素足の間を抜けていく風がくすぐったく、広げた布の上へ立たされてなお、しがみついている私と一緒に父がゆっくりと座る。


 手を離されても父に寄りかかるようにしている私に、父の思い出の場所だと教えてくれる。


 どういうことかと右側に座る父へ問いかけ、頭を撫でられながら父の両親が、何度も父を連れて遊びに来た場所だと答えた。


「私の両親が恋人から、家族になろうと誓った場所でもあるんだ」


 そう語った父の声色は、なんだか嬉しそうだ。それに私も気分が弾み、父と母が誓い合った場所はどこなのだろうか、と疑問を口に出そうとした。

 だが、それを聞くのはやめた方がいいと、浮き立った心を慎む。


 お父様とお母様が、恋人だったなんて聞いたことがないもの。


 政略的な結婚まではいかずとも、父は平民の出だ。城から出ない王族の母と、父が恋人になれる可能性などない。


 顔を合わせてすぐに結婚式の日取りが決まったか、結婚式の当日に顔を合わせたかもしれない。そんな父に甘い恋の話をねだるなど、酷というものだ。


「レベッカ様、本日はサンドイッチにしてみました。ささ、お口を」


 右隣に父が座り、反対には食事を介助するためにヴェロニカが座っている。声は左より前に近い場所、上から降ってきている聞こえ方だ。きっと膝を折った態勢で、私の斜め前にいるのだろう。


 顎を上げ、できる限り大きく口を開き、舌に当たった部分を噛みちぎれば、しゃくしゃくと野菜を砕く音がする。


 レタスにトマト、ハムも入っている。それを挟んだパンはしっとりと柔らかく、鼻に抜ける香りが体から力を抜けさせる。


「美味しいわ、ロニー。感動したわ、料理人に感謝を伝えておいて」

「ありがとうございます。実は、ヴェロニカが作ったものなのでございます」

「まあ」


 ヴェロニカの顔がある方向へ、笑いながら胸の前で手を合わせる。こんなに美味しいサンドイッチを作れたとは、ヴェロニカの隠された才能に賛辞を贈った。

 照れているような声でありがとうございます、と言ったヴェロニカに向かって口を開ける。


 なんだか雛鳥ひなどりみたいで、少し恥ずかしいわ。


 けれど、背に腹は代えられないのだからと、心の中で言い訳をして運ばれたサンドイッチを頬張る。

 隣に座る父も、私と同じくサンドイッチをヴェロニカから受け取り、草と土の香りを運ぶ風に顔を撫でられながら、楽しい昼食はしばらく続いた。



 昼食を終え、また馬車が動き出す。がらがらと車輪が回る音を聞き、父が話し出すのを耳を澄ませて待っている。


「私の家系が特別、という話だったね」

「ええ。人体が発火し、それから他人の姿になれるなど、おとぎ話でも聞いたことがありませんもの」


 いつの日か父に聞かされたおとぎ話は、とてもロマンチックなハッピーエンドだった。

 化け物に囚われた王女様を、隣国の王子様が助けに行く。けれど、王子様も囚われてしまい、国王や民が嘆き悲しんだ二つの国に暗い時代がやって来た。


 だが、悲しんでいたのは国王たちだけで、王女たちは囚われていたわけではなく、その化け物たちと仲良くなって帰りたくなくなっただけだった。


 堅苦しい言葉遣いも、王の子孫であるという重圧も、化け物たちの前では嘘のように消えてなくなった二人は、化け物たちの村で結婚し子宝にも恵まれ、幸せに暮らした。


 その話は、他のおとぎ話よりも印象に残っている。

 父が話してくれたという珍しさと、自由に生きられることへの憧れ。私には縁のない話だとわかっていても、胸の内に密かに憧れを隠していた。


「事実だが、私の家系が特別というわけではない」


 生まれ変わりのようなものだと、父は平然と言ってのけた。にわかには信じられない話だが、父から聞くまで私はそういった事象が、一行でも載っている本を読んだことがない。


 はた、と思考が止まる。


 では、今までもそういった不運が起きた人間は何人もいるはずだ。

 なぜそういった人間が、名声を手に入れていないのか。城下だけでなく、自治を許された他の地方でも、誰かしらが突飛な能力を持っているとなれば、王族の耳に入らないわけがない。


 百年に一人、もしくはもっと長い期間の内に数人という程度なのだろうか。


「お父様はまれなのでしょうか。他にそのような能力を持つ者はいないのですか」

「私は稀な部類に入るだろう。だが、他の者は大抵がお前と同じようなものだ」


 私と同じと言われても、意味が理解できない。目が見えなくなることか、父のような惨い経験をしていないためか。


 どういう意味だと父に問えば、一般的に能力を発現させるのは、十から十五になるまでの間だと話した。

 父は五つの頃に、私は十四歳になった直後だ。私は一般的に発現する年齢の間だが、確かに父の発現した年齢は若すぎる。


 まさか、力を発現させる年齢で能力も決まるのかしら。


 一つ疑問を解消させても、また新たに疑問が浮かぶ。そんな堂々巡りのような頭の中に、父の声が入ってくる。


「私は皮膚が再生してすぐに能力を持った。すなわち、お前の目が見えるようになったとき、なにかを見るようになるかもしれん」


 落ち着いた声色で可能性を語る、そんな父の言葉に恐怖が蘇った。


 そうなれば、リベルの名にふさわしい人間だと、私は胸を張って言えるのだろうか。疑いの視線を私に向けた祖父たちは、私がなにかしらの力を持つことを懸念していたのではないか。


 だからあの聖堂で、私は自決せよと祖父に言いつけられたのではないか。


「私はあの成人の誓いの場で、お爺様にリベルの名にふさわしくなければ、私の命を神に捧げよと、そう言われました。私が能力を発現させてしまえば、それは……」


 言い終わる前に、なにかを叩きつける音がした。その衝撃によるものか、ワゴンが少し揺れている。

 異変を感じ取ったのか、馭者が馬車を止めヴェロニカが慌ただしく扉を開く。


「どうなさったのです」

「わからないわ。車輪が石でも踏んだのかしら」


 見えていない私にもわかる。父がワゴンの壁か座っている椅子を殴ったのだ。ヴェロニカは私の答えを聞いて、まるで地割れのように揺れたと心配そうな声色で言う。


「大丈夫よ、私もお父様も少し揺られただけ。心配いらないから、出してちょうだい」

「かしこまりました」


 ヴェロニカは荒々しく開けた扉を、今度は丁寧に音が出ないよう閉める。少しして、また馬の蹄の音とともに馬車が動き出した。


 静けさに呑まれたワゴンの中、父の肩を上下させるような息遣いが聞こえる。血液が沸騰しているようで、地を這うように低い声で私に謝る父。


 私はそれに首を振った。父がそこまで怒る理由は、まだ子どもを持ったことのない私にはわからない。

 けれど、もしヴェロニカが同じことを言われたとすれば、私も今の父と同じ反応をするだろう。


 どんなお顔をなさっているのかしら。


 憤慨している父を、私は見たことがない。父は穏やかで冷静な人だ、そんな父が物に当たるなど、想像もつかないことが起きている。

 見えていれば、この目に焼き付けていただろう。私のために心を乱す父は、まるで子を守らんとする獣のように、険しい顔をしているのだろうか。


「年甲斐もなく取り乱してしまった、すまない」

「いえ、お気になさらないでください」


 再度伝えられた謝罪は申し訳なさそうな、しょぼくれた声だった。明るく伝えた私の声に安堵した父が、ふうとため息をつく。


「お父様」

「なんだ」

「熱に浮かされていたあの日、私は赤毛の女性の夢を見ましたの」


 赤に染まった自分の部屋、後ろ姿しかわからなかった背の高い女性、指さした母のジュエリー箱、手と頭に感じた女性の手。

 夢の全容を伝え、赤毛の女性を見たことがあるかと尋ねる。


「お父様?」


 父は黙ったまま、私の呼びかけにも答えない。夢で見ただけのことなのに、そんなことを質問したことがいけなかったのだろうか。


 赤毛の民など、私は授業で学ばなかった。栗毛に似た色の、黒髪の人種が海を挟んだ陸に国家を持っていると、ただそれだけだ。

 王族にふさわしい知識と頭脳を持たせるために、毎日必死で食らいついてきた授業だ。だから医学にも、歴史にも、私は頭一つ抜けていると自負している。


 だが、赤毛の人種については、力の発現と同じ未知の領域だ。


 赤い光に照らされた金髪だったのかもしれない、初めはそう思っていた。

 だが、思い返せば、私の側に来たあの女性の髪は、私の頭の影に入っていたのだ。視界の端で映った女性の髪は光を反射していないのに、真っ赤に燃える火のような赤毛。


 夢の中で感じた女性の手は、冬の水のごとく冷たかった。


 それは女性が、生きていない、ということなのかもしれないが、熱くなっていた私の体に触れるものすべて、温度の差で冷たく感じただけかもしれない。


 それよりも気になることが、赤毛を持つ人々のこと。


「これは、お前の母ではなく、お前のお婆様から聞かされた話だ」


 しばらくして、父は話しづらそうに、何度も言葉を切りながら昔話を語った。

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