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イエローマダー  作者: 沖 晶
第一章
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昔話

「今、なんと言った」


 顔を歪めながらも、レヴェンナは努めて冷静に青年へ問いかけました。


 首筋、額、頬にまで青筋を立てるレヴェンナは、今にも青年の命を奪いたい衝動に駆られますが、じっと耐え忍んだのです。


「そなたたちを、国民ではなく鬼として、この町より追放する」


 再び聞かされた青年の言葉に、レヴェンナはぎりぎりと歯ぎしりを響かせます。数歩進めば首を取ることもできる距離ですが、怒りに満ちたレヴェンナの足は、その場に根を張ってしまったのです。


「異形の力を持つそなたたちを、長年我が王家は差し許してきた。だが、十三代目国王であるイレーネ様の命により、この町の自治権を剥奪する」


 この青年は女王イレーネの息子、エルロイでした。


 イレーネは赤毛の一族が育ててきた真珠を、一目見たときからたいそう気に入りましたが、それを育てている者たちが赤毛であると知ったとき。


 わらわの真珠を育てる者に、赤毛などふさわしくない。


 そう言って子どものように癇癪を起したのです。手に負えなくなった臣下たちが、レヴェンナたち赤毛の一族より、この町を取り返せば丸く収まると考えました。


「なんたる傲慢」

「私たちにもう住める場所なんて」


 母たちが口々に怒りや不安を言い出すなか、レヴェンナだけは口を閉ざしておりました。エルロイの言葉も、母たちの声も耳に届いておりますが、それらは海に潜った時のようにくぐもっています。


 怒りに震える体は指先を冷やし、頭に響くのは自分の呼吸の音だけです。頭や自分の周りが白くなっていくように感じたレヴェンナは、おもむろに夫の顔を思い出しました。


 何年も前に高波にさらわれ、帰ってくることがなかった愛しい人の笑顔が、レヴェンナに勇気を与えたのです。


「ほう。そなた、私と渡り合う気か」


 ぎっと睨みつけたレヴェンナに、エルロイはいやらしい笑みをたたえます。それはレヴェンナたちより、美しいエルロイの方が化け物と呼ぶにふさわしい表情だったのです。

 剣を引き抜いたエルロイを前に、母たちは息を飲んで後ずさります。年若いエルロイが、手練れだと気づいたからでした。


 母たちが戦意を消失したなか、一歩踏み出したのはレヴェンナでした。


 踏み出した右足は人のそれではなくなり、まるで獣が仁王立ちしているように変身していきます。

 その様子を見ていたエルロイは、初めこそ目を見開いたものの、レヴェンナの姿かたちが獣になればなるほど、気色が悪いと嘲笑ったのです。


「その様相では、もはや人の言葉も届くまい」


 くっくっと喉を鳴らして笑うエルロイから目を離さず、頭の先まで獣になり果てたレヴェンナが、ゆっくりと手を砂浜につけて膝を曲げます。


 獣が威嚇をするような体制を取ったレヴェンナを、エルロイは馬鹿にするように鼻を鳴らしました。

 口を開き牙をむき出したレヴェンナがらん々とした瞳をエルロイに向け、ごうごうと轟くような咆哮を聞かせました。


 それを受けたエルロイは剣を持ったまま左の耳だけを押さえましたが、間に合わずに生温かい血が耳から吹き出てきたのです。

 白いエルロイの手にどろりと赤黒い血が乗りましたが、それはエルロイを赤毛のレヴェンナが侵食しているように感じられたのです。


 手のひらの中で、不気味に笑うレヴェンナの幻覚を見たエルロイは手を払って血を飛ばしました。

 不快感をあらわにして、汚らわしいとレヴェンナに吐き捨てたのです。


 エルロイが飛ばした血は、レヴェンナに一歩届きませんでしたが、ゆらりと立ち上がったレヴェンナはエルロイの元へ歩きだし、血の染み込んだ砂を踏みつけます。


「私は狩りが得意だ、貴様の毛皮を部屋に敷いてやろう」


 剣を握り直したエルロイが、近づくレヴェンナへ皮肉を言い放ちました。

 後ろにいた母たちは、もはや突っ立っていることしかできずに、二人を見つめています。エルロイとレヴェンナしか存在しない、そんな空気に身じろぎ一つできないのです。


「私から奪えるものなら奪えばいい」


 獣の唸るような声が重なったレヴェンナの言葉が、エルロイの耳に届いたその時に、レヴェンナの攻撃により、エルロイの腹に傷が現れます。


 痛みに顔を歪めたエルロイへ見せつけるように、レヴェンナは尖った爪を濡らす血をエルロイの服へ飛ばします。


 手傷を負ったこと、身分の高い自分の服を汚されたこと。その全てに我慢ならなくなったエルロイは、レヴェンナの首へ鋭い刃を押し付けます。


 表情一つ変えないレヴェンナは、人間の姿の時よりも背が高く、側にいるだけで圧迫されているように感じられます。


 けれども、見上げたエルロイはそれを気にする様子もありません。


 押し付けた剣を右へ払おうとしますが、腹に鈍い痛みが走りました。鼻に皺を寄せたエルロイは、痛みの原因を見ようと俯きます。


 腹にできた先ほどの傷に、レヴェンナの指が突き刺さっておりました。

 ですが、それに怯えることなくエルロイは剣を払います。レヴェンナの首に傷をつけますが、押し付ける力が弱くなっていた剣では、レヴェンナに小さな傷をつけただけでした。


 小さく息をして悶えるエルロイの腹から、突き刺していた指を引き抜いたレヴェンナは、背中を丸めたエルロイを眺めております。


 小さく、脆弱な王家からの言葉を腹に据えかねたレヴェンナは、エルロイの命を奪おうと考えておりました。


 ですが、このまま命が終わるであろうエルロイを見て、気が変わったのです。


「そのまま砂に呑まれて息絶えろ」


 変身を解いたレヴェンナが、血が吹き出る腹を左手で抑えるエルロイに、冷たく言い放ちました。

 立ち上がることもままならないエルロイは膝をつき、今にも倒れそうになる体を浜に突き刺した剣で支えております。


 反撃をすることもできないエルロイから視線を外し、母たちの元へと歩いていくレヴェンナの目に、家から顔を出した自分の息子が映ります。


 心配そうにこちらを伺い、涙で潤んだ瞳をレヴェンナに向けおりました。一体いつから見られていたのかわかりませんが、子らや母たちに危害が及ばずに済んだことに、レヴェンナはほっと胸を撫で下ろしました。


 微笑んだレヴェンナに、とうとう涙が零れ落ちた息子が戸を開けて走り出します。それにつられるように、レヴェンナも息子の元へ駆け寄ったのです。


「母様!」


 足に抱き着いた息子の頭を撫で、涙で濡れた頬を親指で拭ったレヴェンナは、大丈夫だと優しく話しかけます。


「あなたを残して、私はどこにも……」


 そのとき、どんっと背中に衝撃が走ったのです。


 視線の先にあった息子の顔が、胸から出てきた長い刃で見えなくなってしまいました。

 後ろからひゅうひゅうと呼吸する音が聞こえますが、レヴェンナにはなにが起きているのかわかりません。


「狩りは得意だと言っただろう。これは毛皮の代わりにもらっていく」


 レヴェンナの首にかかっていた、長の証である真珠の連なった首飾りを、するりと奪ったエルロイに反撃もできなかったのです。


 発することもできなかったはずのエルロイの声が、自分の鼓動が近くにあるように聞こえている中で嫌に耳につくのです。


「母様……?」


 息子の不安げな声が耳を打ち、体の中をえぐるように引き抜かれた剣が視界から消えたとき、怯えた表情をする息子に夫の面影が重なったのです。


 その顔を見たレヴェンナは、肩越しに後ろを振り返りました。そのまま息絶えるはずのエルロイが、にたりと笑ってこちらを見ています。

 腹から流れていた血は止まり、先ほどまで悶えていたことが嘘だったかのように立っているではありませんか。


 胸と背中から下へと生暖かい血が滴り落ち、服を黒く染めていきますが、レヴェンナは立っていることが精いっぱいでした。


 エルロイが砂を踏みしめる音が遠くなり、足から力が抜けたレヴェンナは浜へ倒れこみました。


 泣き叫んでいる息子がレヴェンナの胸を押さえますが、痛みも感じず息子の声も聞こえないのです。

 胃から逆流した血が咳とともに吐き出され、レヴェンナと息子の顔にも血がかかり、それに驚いた息子が動きを止めました。


「ごめんね、……ノア、大好きよ」


 波の音に呑まれ、消え入りそうな声で息子ノアに愛を囁いたレヴェンナは、微笑んだまま息を引き取ってしまったのです。


 ノアの絶望と母を失った悲しみの叫びが海へ響き渡ります。

 涙と鼻水、そして母の血でぐちゃぐちゃになった顔で、ノアは船に乗り込んでいくエルロイを、憎しみのこもった視線で見つめます。


 殺してやる、そう繰り返すノアの姿は不完全に変身しており、それはもはや人ではなく、鬼のようだったのです。

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