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45話 辺境の主

 


 エデンの森最奥部に咲く花。紫に変化した特別な満月の光を浴びる事によって数百年振りに咲いた“月の涙(ルナ・ティア)”。この花の蜜を抽出し、特殊な術式が刻まれたある道具と錬金術によって結晶化させると本来の“月の涙”となる。花はあくまでも孵化する前の卵と、言った所。エデンの森を支配する外れルートの主よりも更に強大な力を持つ魔物ワイバーン。特別な花を求めやってきた獲物を見下ろす竜の眼には、白く輝く筈の鱗には禍々しい黒い魔力が纏わりついていた。


 ワイバーンは辺境の魔物の中で最も知能が高く、無意味な殺生はしない。ワイバーンを襲わない限り、彼等は何人も襲わない。しかし、突然現れた黒き魔力を纏ったワイバーンからは、明らかな敵意と殺意を感じる。コーデリア、という暴力の権化がいなくなったせいですっかりと殺気に当てられない日常に慣れたユーリは、顔を真っ青にしたまま上空を見上げていた。恐れが強いせいで声も発せず。わなわなと震える体でベルベットを見やる。恐ろしいと感じていないのか、興味深そうに夜空に君臨するワイバーンを見上げるだけ。アフィーリアは?と見ると呆然と上を向いたまま固まっていた。


 アフィーリアも自分と同じで怖がっている……。どうしてか、自分と同じ人がいて酷く安堵した。


「やれやれ」と肩を竦めたシルヴァ公爵。



「アフィーリア様、ユーリ様。暫く此処を動いてはなりませぬぞ。ベティ、姫と王子を頼んだぞ」

「それは良いけどどうするの?ワイバーンは辺境の生き物で希少種だよ?四つの辺境伯家を纏めるシルヴァ家の当主がワイバーンを殺したとなったら」

「なに。心配はいらん。見た所、あのワイバーンは今日の満月に当てられただけだ。少々手荒になるが元通りにはなる。……が、穏便に済む話ではないからね」



 シルヴァ公爵は静かにワイバーンを見上げた。辺境の地を守護する四つの家々を纏め、辺境の総大将と言っても過言ではないシルヴァ家の当主の周囲に優しく、だが息をするのも苦しくなる濃厚で重い魔力が渦巻く。魔王やその側近達は、見目麗しい容姿と同等の高魔力保持者。魔界を守る魔王を支える五大公爵もまた同じ。そうでなければ、最高位の貴族の当主は名乗れない。


 シルヴァ公爵家当主ーシャルル=オーラ=シルヴァは、ベルベットの頭をポンポン撫でた後――強く地を蹴った。


 シャルルがいた地面には大きな亀裂があった。



「ヴオオオオオオオオオ!!!」



 ワイバーンの咆哮が森を、空気を震撼させた。己に向かう小さな存在に明らかな敵意を露にし、両の羽を上へ上げた。そして、一気に振り下ろした。ワイバーンの羽が振り下ろされた事で発生した天災級の暴風がシャルルへと向けられた。


 当たれば風に潰され、地面へ叩き潰される風を切るようにシャルルは真っ直ぐ駆け上がる。下にいるアフィーリア達は暴風の直撃に曝されそうになるも、タヌキのポンタくんがダイヤモンドの硬度を誇る結界を展開。直撃は免れた。初めて使い魔として役に立つ時がきたねと喜ぶアフィーリアに当のポンタくんは「……ふん」と鼻で笑った。誉めたのにとしょんぼりするアフィーリア。ぽんぽんとリボンちゃんが慰める様にアフィーリアの足を触り、ポンタくんに向かって「きゅう!」と鳴いた。多分、怒っているのだろう。



「うわっ!」



 また、第二の暴風が結界と直撃した。驚いて尻餅をついたユーリに冷静な表情で空を見上げていたベルベットが手を差し伸べた。



「立てる?」

「う、うん、ありがとう」



 ベルベットに手を引っ張ってもらい、震える足を叱咤して立ち上がるもやせ我慢は続かない。足が震え、立つのがやっとのユーリの顔にふわふわな毛が当たった。



「リボンちゃん抱いてなよ。落ち着くよ」

「今はそんな」

「はいっ!」



 強引にリボンちゃんを押し付けられ、仕方無く抱っこをした。アフィーリアの言う通り、落ち着く。もこもこふわふわで薔薇の芳醇な香りがする。「きゅう」と鳴いてユーリを心配そうに見つめる青い瞳がアイリーンと重なる。


 アフィーリアがいなくなって、ずっと泣いてばかりいるアイリーンがまた部屋で、それか城の何処かでまた泣いているんじゃないかと心配になる。ポンタくんの結界に守られているとは言え、危機的状況の最中そう思えるのはアフィーリアのせい。人にリボンちゃんを押し付けるとポンタくんを頭の上に乗せ、上空でワイバーンを相手にするシャルルに声援を送っていた。


 ポンタくんは迷惑そうな顔をしているも、止めない。ベルベットはただじっと上を見ているだけ。今此処でアイリーンが心配をしている暇がないのに、無性にアイリーンの顔が浮かび上がる。アフィーリアの後ろ姿を見つめた。



「きゅう?」



 リボンちゃんにユーリと呼ばれた気がして下を向いた。



「……何?心配してるの?」

「きゅう」

「そっか。何でかな、こんな大変な時にアイリーンを思い出していたんだ。きっと城の何処かで泣いていると思うんだ」

「きゅぅ……」

「リボンちゃんが気に病む必要はないよ。気にしなきゃいけない本人が全然気にしてないのがムカつくけど」

「きゅうう」



 いけー!頑張れー!あぶなーい!


 ワイバーンのあらゆる存在を焼き尽くす火炎放射を真っ向から向けられたシャルル。咄嗟に何重もの層に覆われた水の結界を展開。炎を受け止めた水からしゅうう、と音が鳴る。


 ワイバーンは一旦口を閉じると直ぐ様第二の火炎放射を放った。後追いした炎に勢いを押され、更に水の結界がどんどん蒸発して小さくなっていく。


 だが、シャルルの容赦の面持ちに焦りも不安もない。片手で水の結界を展開したまま、もう片方の手で空中に術式を刻み始めた。描いた黄金の五芒星をワイバーンを狙って投げた。ワイバーンの頭上で大きく展開した黄金の五芒星が辺境の主を囲った。



「《大人しくし給え》」



 正式詠唱は長く数秒の時間すら惜しい。故に、呪文を適当な一言で済ませた。ワイバーンを囲った五芒星から光輝く黄金色の光が発生。神々しい黄金の光がワイバーンに慈悲のない電撃を食らわせる。


 辺境に響く程の咆哮とも取れる悲鳴が再び森や空気を震撼させた。揺れる大地に立つアフィーリア達は、強い振動に耐えられず皆尻餅をついた。ユーリは抱っこしていたリボンちゃんが怪我をしない様にとしっかりと抱いており、アフィーリアの頭の上に乗せられていたポンタくんは器用に同じ場所にいる。


 アフィーリアは黄金の光に囲われ、絶叫を上げるワイバーンを見上げた。



「すごい……たった一撃……」

「年がら年中フラフラしてるだけじゃないんだよ。一応、うちの父上は公爵だからね」



 城の中にいては決して見られない高位魔族の本気。戯れ程度にレオンハルトが色んな魔術を見せてくれたが、あれらも危険のない殺傷能力が皆無な魔術ばかり。戦闘用の魔術は幼いアフィーリアやユーリ達にはまだ必要じゃないと教えてくれない。


 故にアフィーリアは疑問を抱いた。母シェリーを誘拐したアルバーズィオや熾天使(セラフィム)を相手に使用したあの魔術。頭の中に急に浮かんだと自分自身で答えておきながら、突発的に使用出来る難易度を遥かに越えていた。



 ――もう一度アレを使えたら……



 しかし、戦況は圧倒的にシャルルが勝っていた。段々とワイバーンから発せられる悲鳴が小さくなっていく。瀕死の状態に留めたシャルルが術を解いた。同時にワイバーンを囲っていた黄金の五芒星は消え、空を飛ぶ力も残されていないワイバーンが急降下する。このまま地面に落ちれば、花畑が無茶苦茶になる。家出してまで求めた花が台無しになるのだけは絶対に避けたい。アフィーリアは呼び止める声を無視し、結界の外へと飛び出した。


 習った覚えはない。でも、使える気がする。



「《静かなる風の流れよ》」



 静かで威力が皆無の風の補助魔術をワイバーンへ行使した。アフィーリアの作り出した風に抱き込まれる様に抱かれたワイバーンは猛スピードで落下していたのが嘘みたいにゆっくりと落ちてくる。


 ゆっくりを心掛け、慎重に焦らず、呼吸を乱さずワイバーンを纏う風を支配する。よく見ると黒く禍々しい魔力を放っていたのにその面影が消えている。シャルルが限界まで痛め付けた結果という事らしい。


 花畑の上に寝かせる最後まで慎重にワイバーンを降ろし終えるとぶわっと溢れ出た汗を袖で拭う。はあ、と安堵の息を零して背後を振り返ると――仏頂面のポンタくんの顔がどアップで映し出された。



「うわ!」

「アフィーリア!」

「フィー!」



 思わず吃驚してまた尻餅をついた。ワイバーンという脅威が無くなって安全だと判断したポンタくんが結界を解いたらしく、我先にと駆けたポンタくんの後を追ったユーリとベルベット。リボンちゃんは降りてきたシャルルの肩に登り労る様に肩を叩いた。



「な、なに?怖い顔……元からか」

「フィー無茶したね」

「平気だよこれくらい。……はああ、ワイバーンも大人しくなったしこれで安心」



 人の足に座って怖いくらい睨んでくるポンタくんの尻尾を撫で撫でしつつ、一つの脅威が去って安堵するアフィーリア。やれやれ、と苦笑したベルベットは隣に座ってアフィーリアの金色を良く出来ましたと撫でた。


 家出先で出会ったベルベットと仲良くなったアフィーリアと違い、今日初めて出会ったユーリは一人疎外感を抱く。あんな風にアフィーリアの髪を撫でるのは大抵ロゼやシェリー、他の大人達だけ。アシェリーやソラ、ネフィ等はしない。ハイネもしない。……自分も然り。



「きゅう?」



 ポンタくんが突っ立っているユーリを怪訝に思い声を掛けた。何でもないよ、と首を振りその場に座り込んだ。


 今日だけの特別な満月。長命である悪魔なら、二度三度と見れる機会はある。だが、子供の内で見れるのは今日だけ。しっかりと目に焼き付けようとユーリが紫色の満月を見上げた時だった――……。


 あの魔術をどうして使えたかベルベットに訊かれていたアフィーリアにユーリが声を震わせて上を見ろと促した。



「う……嘘……」

「そう言えば……そろそろ終了時間だもんね」



 紫色の月光を浴びて空に君臨するのは、期限が迫り焦りを見せ始めた天使の大軍だった。





読んでいただきありがとうございます!


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