新たな力
黒羽の熾烈な剣技の応酬は、素人に見切れるようなものではなかった。
捌くことなど出来るはずもない。
だが、やりようはあった。
四本ある狐尾のうちの二本。
それを常に硬化させ、盾のように左半身を覆う。
盾を造ることで、黒羽の攻撃に制限を課した。
これで奴の攻撃は二種類に大別できる。
一つは攻撃用の狐尾二本を御して、右側から刃を通す。
もう一つは。
「――くっ」
一直線に突き放たれる白刃に対し、回避行動を取る。
もう一つは、狐尾の隙間を縫う、突き。
速く、鋭く、放たれるそれを躱すのは至難の業だ。
選択肢を二つにまで、制限していなければ。
「――ッ」
刀身が脇腹を掠める。
鋭い痛みが走ったが、負ったのは軽傷のみ。
辛うじて回避には成功した。
瞬時に、黒羽は刀を手前に引き戻す。
だが、その時にはすでに、俺は反撃の予備動作を終えていた。
「喰らえッ」
右側面から繰り出す、闇夜に紛れた黒の二閃。
返しに突き放った二撃は、しかし寸前のところで躱される。
黒羽はその場から飛び退いていたからだ。
あとすこし。
あと、もうほんの僅かだった。
「思った以上に、よくやる」
地に足をつけた黒羽は、刀を構え直す。
「まるで獣のような危機回避だ。人に紛れて生きているにしては勘が鋭い」
「……そいつはどうも」
黒羽は勘の鋭さを獣と称した。
実際のところ、それは当たっている。
妖狐の本能が直感となって俺に教えてくれていた。
ここで動かねば命を落とす、と。
「この様子なら、すこしは本気が出せそうだ」
「なに?」
「構えろ。一瞬だ」
そう告げた瞬間、黒羽は地面を蹴る。
今までよりも、ずっと速く。
「――」
踏み込みも、剣速も、剣圧も、段違い。
振り下ろされるそれに、回避はとても間に合わない。
咄嗟に、攻撃用の狐尾二本を防御に回し、計四本で一刀を受ける。
しかし。
「ぐっ――」
硬化したはずの狐尾に痛みが走る。
それまで防げていた斬撃に、傷を負わされた。
深くはない、浅い刀傷。
それは有効な防御手段を失ったことの証明でもあった。
「まだだっ」
繰り出される斬撃に、必死になって応戦する。
だが、追いつかない。
こちらには四本もの狐尾があると言うのに。
それを黒羽は刀の一振りで捌き切り、あまつさえ狐尾に傷を負わせていく。
どうする。
どうすればいい。
無傷で攻撃を防ぐ方法はなくなった。
黒羽が刀を振るえば、それだけで傷を負う。
ここから逆転するために、俺はなにをすればいい。
思考は巡る。
けれど、回答は浮かばない。
その焦りが、致命的な隙を生む。
「終いだ」
ほんの小さな隙間を縫い、鋒がこの身に迫る。
その瞬間、その直後。
事実の認識とともに、反射的に行動をした。
それは意思の介在しない、反射的な防衛行為。
肉を斬らせてでも骨を守る、生存本能が身体を動かし。
そして、白刃が肉を断つ。
「――な、に?」
突きの軌道が、刃が、停止する。
鍔までの刀身すべてが、肉に埋もれたからだ。
突き放たれた一撃に対し、生存本能は狐尾を差し向けた。
硬化もしていない、ただの狐尾。
だからこそ、刀身はするりと肉を貫いた。
あたかも、鞘に納刀されるかの如く。
「刀は、もらった」
即座に硬化させ、突き刺さった刀身を固定する。
そして、力の限りに狐尾を振るい、黒羽から刀を奪い去る。
「次は」
黒羽は直ぐさま、二振り目に手を伸ばす。
だが、それはたやすく想像がつく行為。
この右手は、今まさに二振り目に向かった手の首を掴む。
「右腕だ」
錬金術の発動。
俺の右腕と、黒羽の右腕は崩壊した。
融合する。混淆する。
二つは一つとなり、黒羽から右腕を奪った。
「くぅ――」
苦悶の声を上げ、黒羽は逃げるように距離をとった。
俺はそれを追いかけようとはせず、新調した右腕の確認を優先する。
指も、関節も、握力も、問題ない。
その右手で狐尾に突き刺さった刀の柄に手を掛ける。
逆手に握って勢いよく引き抜き、順手に持ち替えて虚空を斬った。
刀身に付着していた薄い血の色を風で拭い、確認を終える。
すこぶる調子がいい。
「なにを、した」
右腕を失った黒羽は、患部を左手で押さえている。
出血はすでになく、妖力で無理矢理に治しているようだ。
鬼の再生能力ほど効率はよくないが、妖力を消費すれば傷の治りは早くなる。
ただ、それ相応の消費量を払わなければならないが。
「右腕をもらった。もうお前の剣は届かない」
「戯れ言をッ」
黒羽は左手で二振り目の刀を抜く。
その様からは、扱いづらさは感じられない。
左右どちらでも、剣技を成立させられるようにしているみたいだ。
「たかが腕一本で、勝敗が付くと思うなっ!」
月明かりの残光を引いて、白刃は迫りくる。
振るわれる一刀に対し、こちらも一太刀で返す。
甲高い音が響き渡り、刃は交わった。
黒羽は即座に斬り返し、剣技の応酬を浴びせてくる。
それは寸分の狂いもない、完璧なもの。
俺はそのすべてを、正確に捌いてみせた。
「それは……私の――」
「あぁ、そうだ。お前の剣技だ」
打ち合いは拮抗する。
当然だ。
互いに同じ剣技を振るっているのだから。
俺はこの右腕に限り、黒羽と同格になった。
格が並んでいるなら、あとは手数が物を言う。
こちらには得物が一振りと四本もある。
「――くっ」
追い詰める。
刀で刀を制し、狐尾で四閃を描く。
それでも黒羽は辛うじて攻撃を捌いていく。
同格なのは右腕だけで、その他は劣っているからだ。
だから、攻めきれない。
身のこなし、立ち回りで、片手ながらもしのがれる。
しかし、それも長くは続かない。
「――」
鋒で黒羽の得物を絡め取り、互いの刀を地面に叩き付ける。
これで黒羽は得物を失ったも同然。
そして、この狐尾の四閃を防ぐ術など残されてない。
「あぐっ――」
黒の閃は、黒羽を削り取った。
攻撃の刹那に、身をよじられ致命傷は与えられなかったものの。
腕を、足を、胴を、抉るように削りとった。
その負傷では、もはや勝機はない。
黒羽は吹き飛び、地面を何度も転がった。
「終わりだ。黒羽」
血に塗れながらも立ち上がる黒羽に、そう告げる。
たとえその負傷を妖力で治しても、失った右腕までは治せない。
何度やっても、もう黒羽の刀が俺に届くことはない。
「……終わり、だと? いや、違うな」
しかし、それでも。
黒羽の瞳には、闘志が宿っていた。
「ここからだっ!」
瞬間、黒羽の背から異物が生える。
広く伸ばされた、一対の翼。
黒翼が、羽根を散らして顕現した。
「なにっ!?」
予想外のことに、反応が遅れる。
空へと飛び立つ黒羽を、止めることが出来なかった。
「お前……鴉天狗か」
黒羽を見た時から、疑問には思っていた。
彼はいったい何の半妖なのだろうか、と。
その答えが、いま上空にある。
漆黒の翼を背に生やし、生まれながらに剣技に秀でる妖魔。
鴉天狗。
この右腕だけでも剣技を成立させられるのは、そういう妖魔だったからだ。
「そうだ。そして、これで――」
月を背に、黒羽は告げる。
「お前に勝ち目はなくなった」
その宣言と共に、異変が起こった。
「な――んだ……これはっ」
重い。重い。
身体が鉛のように重く、動かない。
まるで見えない力に押さえつけられているようだ。
なんだ、この重圧は。
「なに、を……したっ」
上がらない頭を無理矢理に上げて、黒羽を睨む。
「神通力」
「じんっ、つう……りき、だとっ」
その言葉には覚えがある。
与えられた知識を読み解いていた過程で、たまたま見つけた言葉だ。
神に通じる力。
所謂、念動力のような見えない力。
極一部の妖魔、種族しか使えない、強力な術だ。
「妖狐ほどではないが、天狗にも神通力は扱える。しかし、四尾のお前に神通力は扱えまい。このまま押し潰してくれる。大人しく、沈め」
「ぐぅうッ」
更に、神通力は強くなり、重圧は増す。
立っていることさえ難しくなり、骨が軋む。
肉が千切れ、皮膚が裂ける。
抗うたびに痛みが走り、拳を握ることさえままならない。
このままだと、本当に押し潰される。
「――相……性」
「なに?」
ふと、戦うまえにあの妖艶な女の言っていたことを思い出す。
黒羽は、俺と相性が悪いと。
そう、天狗は妖狐と相性が悪い。
何故なら、神通力の扱いは妖狐のほうが上をいくから。
神通力ですべてを押さえ込まれる天狗に勝ち目はない。
なら、妖狐だけが勝者であり続けるのか。
それは、否だ。
「三すくみ……なんだ」
妖狐にも、勝てない相手がいる。
妖狐と相性がよく、天狗と相性が悪い妖魔。
武器を持たず、徒手空拳で戦い、額に角を生やすもの。
「たしかに……俺に勝ち目は、ない。でも――」
妖魔化するは左腕。
赤黒く膨張し、無骨に形をなす
「鬼の手なら――勝ち目はある」
それは俺が持つ、唯一神通力に抗う手段。
顕現した鬼の手は、その豪腕にて神通力を打ち破る。
重圧は、嘘のように掻き消えた。
「なんだとっ!?」
神通力の無効化し、身体は自由を得る。
そして、俺は黒羽の動揺を見逃さなかった。
「これで本当に――」
隙をついて鬼の手を伸ばし、黒羽を掴む。
同時に引き寄せ、地上にまで引きずり下ろす。
神通力は破れ、身体の負傷はすでに限界。
もはや黒羽に抗う余力などない。
この刀の間合いに、彼をとらえた。
「終わらせてやる」
振り上げた鋒が一閃を描く。
天から落ちる雨粒の如く、真っ直ぐ過ぎた剣閃は。
有形無形の区別なく、その一切を斬り捨てた。
「……」
鮮血を散らし、仰向けに倒れ込む黒羽を見つめ、勝利を確信する。
夜空を見上げ、彼はぴくりとも動かない。
傷は深く、妖力もそこを尽きているようだ。
このままだと、時期に生命活動を終えるだろう。
「――あーら、負けちゃったのね。黒羽」
声がして、そちらを見やる。
そこには至るところに傷を負った、妖艶な女がいた。
その近くには、同程度の負傷をした鈴音が立っている。
まだ戦いの最中だったみたいだ。
一足先に、こちらの決着がついたのか。
「これで二対一。分の悪い遊びは嫌いじゃないけど」
女は紫煙を燻らせる。
「勝ち目のない戦をするほど、酔狂でもないのよね」
そう言いながらも、女はこちらに向けて何かを飛ばす。
それを斬り払おうと身体は反応する。
しかし。
「――ッ」
流石にガタが来ていたのか、うまく動かない。
防御も回避もままならない中、それは迫る。
このままじゃ。
「チッ、ボケッとしてんじゃねぇよ」
けれど、その飛来した何かは斬り裂かれた。
俺の前に飛び出てきた凜の、鬼の爪によって。
「……凜」
「ふん」
凜は俺を一瞥し、視線を地面に向ける。
そこには斬り裂かれてのたうつ生物がいた。
「蛇か」
凜が斬り裂いたのは蛇。
女は蛇の半妖か。
「――黒羽は回収させてもらうわよ」
「な、しまっ――」
気がついた頃にはもう遅い。
俺たちはまんまと陽動に引っかかり、黒羽を奪われる。
対処に動こうとした時には、すでに退避されていた。
高く高く跳躍して。
周辺の建築物の上に降り立った。
「今日のところはこれで退散。また今度、遊びましょ」
そう言い残して、蛇女はこの場を去った。
「こらー! 待てー! まだ勝負がついてない!」
俺たちの隣にまで来て、鈴音は叫ぶ。
だが、本気で追いかけようとは思っていないみたいだ。
その場に留まり、うなったまま屋根の上を睨み付けていた。
「くっそー、逃げられちゃった」
見たところ、深い傷は負ってないみたいだ。
そのことに安堵を覚える。
「大した怪我はなさそうだな。よかった」
「え? あ、うん! 創也は、なんか傷だらけだね。血は止まってるみたいだけど」
「あ、あぁ、まぁな」
血の大半を失っているとは言え、体内にはまだ微かに血が残っている。
傷口から滲む少量の血が、その不自然さを掻き消してくれているみたいだ。
俺の正体がバレるようなことは、とりあえずなさそうだった。
「でも、創也も無事でよかったっ」
そう言って、鈴音は笑顔をみせてくれる。
これを見られただけでも、身体を張った甲斐があったというものだ。
「弟のまえで、いちゃついてんじゃねーよ」
「い、いちゃついてなんてないし! というか、命張ったお姉ちゃんに向かってその態度はなに? もっと感謝してくれてもいいんじゃないの!」
「はいはい。感謝してるよ、姉貴」
「心がこもってなーい!」
あれだけのことがあったのに、この姉弟はもう口喧嘩をはじめてしまう。
その変わらない日常風景を思わせる二人を見て、心が安らぐような気がした。
同時に、この孤児院を護れてよかったと強く思う。
なにはともあれ、すべてが上手く行って本当によかった。
この胸に宿っていた罪悪感が、すこしだけ薄れたような気がする。
「もー、でも、まぁいっか。それより中に入ろ、傷の手当てしないと。ほらっ」
「わっと」
鈴音に手を引かれ、俺は再び孤児院に足を踏み入れる。
こうして激動の一夜は幕を下ろした。