何の用だ、だと?
寮の自室に戻って、三時間ほどだらだらと過ごした頃だろうか。
ここに来てから初めとなる、インターフォンの音を耳にした。
この間に直人のやつが戻ってきた気配はない。
来客ともなれば、俺が対応するしかないだろう。
「はーい」
返事をしながら玄関へと向かう。
ドアを開くと、今にでも泣き出しそうな表情をした女の子が立っていた。
「えーっと、どちら様だ?」
「北条華と、申します。二年Sクラスで、風紀委員会に所属しております」
少し震えた声で自己紹介をされた。
風紀委員会といえば、確か直人が見学に行っていたはずだ。
…このタイミングで、訳アリ感満点の空気を惜しみなくばら撒いてくださる先輩のご登場。
おぅ。この続きはめっちゃ聞きたくない。
だが、このまま沈黙しているのもそれはそれで辛い。
いや、もう泣きだしそうだものこの先輩。
目のふちから何かキラリとしたものが溢れ出しそうだもの。
こんなところ誰かに見られたら、あらぬ誤解を招きそうだ。
「…あの、今日はどのようなご用件で」
「桐生くんの着替えを取りに来ました。三日間ほど、医療棟で過ごす事になってしまったので」
「あー、そうですか。今もって来ますね。ちょっとだけ待っててください」
ドアを一旦閉め、風をも置き去りにする素早さで直人の個室に直行する。
中に入ると、ダンベルの山が築かれていた。
少し呆気にとられながらも中を見渡すと、隅に下着が重ねて置いてあるのが見えた。
やつは裸族だ。
これ以上部屋を探索しても、実りのある成果は望めないだろう。
下着を数枚手に取り、恐らく元はダンベルが入っていたであろう袋にそれを詰め込む。
今度は音を置き去りにする速さで、先輩の元へと駆け戻った。
「お待たせしました! 一丁上がりです!」
袋を先輩へと差し出す。
「ありがとう…」
マッチ棒の様に華奢な腕で、先輩はそれを受け取った。
「では、俺はこれ――」
「私の、せいなんです…」
で。
「私が、私が余計な事をしたばかりに、彼が…ううっ…」
顔を抑え、膝から崩れ落ちて泣き出す。
後、一文字。
一文字さえ言い抜けることが出来れば、今日の俺の平穏は約束されていた。
俺は悟った。
速さが、足りなかったのだ。
後コンマ数秒早ければ、先輩の心のダムが決壊するその一瞬前にドアを閉じることも出来たであろう。
俺は今この瞬間、敗北を喫したのだ。
敗者の取るべき道など、もう決まっている。
「一体、何があったんだ。話くらいなら聞いてやる」
俺は、勝者へと向かって手を差し出した。
◆◇◆◇◆
あれから、俺は泣きじゃくる先輩をなだめ、共に医療棟までやって来ていた。
案内されて直人がいるという部屋に向かうと、そこには澪と楓の姿があった。
「よう」
「健志。一体なんでコイツはこんな事になっているのかしら」
「俺にもわからない。今この先輩から聞くところだったんだ」
隣にいた先輩が、澪たちに向かって頭を下げた。
「今から、先ほど起こったことの全てを説明いたします。お話が終わった後は、私を煮るなり焼くなり、好きにして頂いて構いません」
俯きながらもぐっと下で握りこぶしを作っている。
話すのに、少し勇気のいることなのだろう。
「私は現在風紀委員会に所属しており、今日は委員会棟の受付を担当していました。そこに、桐生君が来たんです。風紀委員会は、一言でいえば学園内での禁止行為を取り締まるのが主な活動となっています。その活動の説明を終え、彼の入会の意志が確認できました」
曲がった事とか好きじゃなさそうだからな、あの筋肉。
「そして手続きが終了したので、現委員への挨拶も含めて、委員会棟を回ることとなったのです。委員長が共に回る予定となっておりましたので、受付で彼とお話をしながら到着を待っておりました。そこで、彼の生い立ちについて聞いてしまったのです。そして、その会話を委員長が耳にしたのです」
孤児院の出っていうやつか。
そこでの思い出は一生の宝物だとか言って誇らしそうに語るもんな、あの筋肉。
「委員長は、名門風間家の出身で、その部分に高い誇りを持っています。異能師は、その生まれにおいても誇り高くあるべきものだと、口癖のように語るようなお方です。そんなお方ですので、どうも桐生君に対して良くない感情を持ってしまわれたようで、本来Sクラスであれば必要のないはずの、入会審査が行われる事になってしまったのです」
変なのに目をつけらてしまったんだな。
憐れよ、筋肉。
「入会審査といっても、本来は簡単な質疑応答と異能テストをするだけのものです。風間さんは特別審査と称し、現委員と実戦形式で立ち合いを行う事となりました。普通に考えれば反対意見が出て当然のはずなのですが、現在、風紀委員会全体が委員長と同じ考えを持つ方ばかりになってしまっているのです」
昨日に続いて今日も実戦か。
オーバートレーニングは逆に筋繊維を痛めてしまうぞ、筋肉。
「五人がかり、だったんです。一対一を五戦行うといったものではなく、五人を一同に相手にするというものです。現委員が集められ、実技場で試合が行われました」
大ピンチじゃないか。
でも、そこでお前は引くということをしなかったんだろう、筋肉。
「なんという事をしてしまったのだろうと、私は思いました。委員長を始めとした方々相手に、私ごときが意見することなど出来はずも無く、試合は開始されてしまいました。ですが、その状況をモノともせず、彼は一瞬で二人、倒してしまいました。問題は、そこからです。残った三人と五分の試合を繰り広げ続けましたが、徐々に彼の動きは悪くなっていきました」
昨日の戦いの後だったからな。
朝には何でもない風に装っていたが、本当は疲労とダメージが残っていたんだろう、筋肉。
「本当に遅い決断だったのですが、私は席を飛び出してリングへと向かいました。試合を止めようと思ったのです。こんな無茶な試合で、彼は十分すぎるほどの活躍を見せました。これ以上続けるのは無意味ですし、彼の身が持たない、そう思いました。…この決断こそが、私の最大の過ちでした」
なかなかやるじゃないか。
俺はわかってたよ、お前はカッコつけるための見せ筋なんかじゃない。
ちゃんと出来る子なんだとな、筋肉。
「リングの近くまで行った私でしたが、そこで三人のうちの一人が放った異能が、こちらへと流れてきました。私の持つ異能は、戦闘向きではありません。あのまま流れてくれば、今こうしてここに立つことはできていなかったでしょう。桐生君に、私の能力についてはまだお話していませんでした。しかし、本能で感じ取ったのでしょうか、彼は私を庇うようにして身を投げ出しました。それで、無防備な状態で背中に異能を…」
多分だが、そこにいたのが誰であってもこの筋肉は同じことをしたのではないだろうか。
特にその先にいたのが華奢な身体つき女の子ともなれば、お前が見逃せるはずがないよな、筋肉。
話が終わると、また先輩は泣き崩れてしまっていた。
「私のせいで、こんな…」
「先輩が悪いわけではないと思うわ」
そういって澪は先輩の傍により、背中を優しく撫でてあげていた。
「健志は、どう思いますか?」
コイツ、少し怒ってるな? 感情をあえて抑えるようにして、楓が問いかけてきた。
「全ては直人の決断によるものだ。入会したのも、試験を引き受けたのも、先輩を守ったのもな。いうなれば、この状況は自業自得。俺にとってはどうでも良い事だ。時間を無駄にしてしまったな。帰って寝るから、後はお前らでよろしく頼む」
その場で出口へと振り返り、後ろへ向かって軽く手をあげる。
「ちょっとアンタ、そんな言い方をしなくたって…」
澪の呆れたようなツッコミと先輩の鳴き声を耳に残しつつ、俺は医療棟を後にした。
◆◇◆◇◆
「私が言えたものなんかじゃないと思うが、冷たいんだな。あの、柳君という子は…」
「ふふふ」
澪と楓が、同じようにしてクスクスと笑う。
「先輩は下を向かれていたのでわからなかったのも無理はありません。彼はクールぶってるくせに、意外と考えていることが顔に出るタイプです」
「そうね。なにが『どうでもいい』よ…」
――――アイツ、めちゃくちゃ怒ってたじゃない。
◆◇◆◇◆
あれから数分後、俺はある棟の前に立っていた。
その入り口には、風紀委員会、と書かれている。
中に入ろうとすると、シュっとした男に声をかけられた。
「貴様、新入生の柳だな?」
「ああ」
昨日の試合のせいなのか、俺はすっかり有名人の様だ。
「噂は私も耳にしている。昨日は大活躍だったそうだな? 同じ新入生相手に、ではあるが。ただ、私は異能師界で柳家、などという家は聞いたことがない。さらにはステージⅡという無様な値。笑わせてくれる。貴様のような野良犬がここに何の用だ」
「何の用だ、だと?」
俺は手を前に出し、ピッと親指を立ててグッドサインを作った。
ついでに、超イケメンスマイルも添えてやる。
そして、天を指していた親指を一転、地上へと翻して言い放った。
「「カチコミじゃああああ!!!」」
…あれ? 今声が重なってなかった?
少し後ろを振り返る。
そこには、ニヤリとした笑みを浮かべている、冥土さんの姿があった。