異様な視線
異様な視線を感じて、俺は目を覚ました。
知らない天井だ。
四月の初旬ということもあってか、少し肌寒さを感じる。
……いや、肌寒さを感じるのに、それは些細な理由でしかない。
もっと、直接的な要因がある。
「全……裸……だと……?」
俺に裸族の習慣はない。
寝相に関しても比較定期良い方だと思う。
間違っても、全裸になるような奇跡的な転げ方をするといった事はないはずだ。
昨日、己の意志を貫いて誇り高き殉職を遂げた事は覚えている。
ある一点を除いて周りを見渡すと、見覚えのあるスーツケースが目に入った。
どうやら、ここは寮にある俺の個室のようだ。
差し込んでくる光の具合からして、今はもう朝なのだろう。
「おはよう、健志。体は大丈夫かい?」
視線の送り主である、筋肉が話しかけてきた。
「おはよう。ああ、特に痛むところもない」
「ならよかった。昨日君が僕の後に医務室に担ぎ込まれてきた時は、何事かと思ったよ。お互い特に異常もなかったみたいだし、どうせだから君も抱えて帰って来たんだよ」
「そうか、手間をかけさせたな」
「気にしないでくれ。拳で語り合った仲だろう」
「そうだったな」
目は開いているが視線は動かさず、首も固定して天井を見たままの状態で返答した。
目の端に、背きたくなる現実が映っている。
だが、いつまでもこの状態でいるわけにはいかないだろう。
朝という事は、登校する時間が刻々と迫ってきているという事だ。
飯食いたいし、シャワーも浴びたい。
昨日意識が飛んでからそのまま朝を迎えたからな。
いつもより少しやるべきことが多いのだ。
遂に意を決して、俺は問いかけることにした。
「なあ直人。何で俺は全裸なんだ?」
「ああ、体を拭いたときに身につけている物を脱がせたのだけれど、辺りに代わりの服が見つからなくてね。スーツケースにはロックがかかってたから、僕じゃ開けなかったんだ」
「そうか、気を使わせてしまったな」
「気にしないでくれ」
今の応答で、現在の状況へと至った大体の流れは掴むことが出来た。
そして、遂に核心へと手を伸ばす時が来る。
「俺が全裸でいる理由は分かった。……なら直人、どうしてお前まで全裸で、俺の部屋にいるんだ」
頭と目線を、直人へと向ける。
背いていたおぞましい現実と、遂に対峙する。
「早く目が覚めてしまってね。様子を見に来たんだよ。僕は家の中では服を着ないタイプでね。驚かせてしまったのならすまない」
大胸筋の前で手を合わせてごめんねっというポーズをとり、爽やかなスマイル浮かべながらウインクを寄越してくる。
ガチムチの全裸男からのウインク。
……昨日はどうやら迷惑をかけてしまったようなので自重するが、実に俺の拳が火を噴きたがっている状況だ。
「出来ればこれからは着衣するようにしてくれ。それと、これは俺の気のせいかもしれないんだが、お前ずっと俺の体に視線を送っていなかったか?」
「共同生活ともなれば、さすがにそうした方がいいよね。うん、昨日体を拭いて直に触れた時にもじっくりと見たんだけど、本当にすごい筋肉をしているよね」
触れて…じっくり…。
背中がゾクッとする。
……いや、これはヤツの善意の行いだ。
感謝こそすれども、引くような態度をとってはいけない。
極めて平静を保とう。
「最初にも言ったが、お前ほどのモンじゃないぞ」
「筋肉の付き具合…といった方が正しいかな。苦労、なんて甘いものじゃないだろう。どれほど過酷な環境に身を置けばこうなるのだろうと、ずっと見て考えていた」
「体見ただけでそんな事までわかるもんなのか」
「ああ。昨日は服の上から感じ取っただけだったけど、実際の部分を見てみて、君の強さが分かった気がするよ。これは僕なんかじゃ相手になるはずもない」
筋肉バカもここまで来れば特技の域だな。
恐るべきよ。
「それと……やっぱり一番インパクトの強いというか、これは…」
「ん?どの辺りの事だ?」
「男としては憧れざるを得ないよ」
「まさか……」
直人が驚愕するその視線の先に合ったもの。
……。
…………!
……………!!
「……もう、お嫁にいけない」
何か大切なものを失った気がする。
そんな朝だった。
◆◇◆◇◆
げんなりとした気分で無事に登校を終えた俺は、机に伏して始業を待っていた。
「おはようございます健志。なんだかお疲れの様ですね」
「どうせ、またくだらない事でもしてたんでしょう」
「……おはよう。すまんがちょっと一人になりたい気分なんだ。そっとしておいてくれ」
「ほいほい」
そう言って楓と澪は少し離れた席に腰を落ち着けていた。
二週間ほどという短い屋敷での生活ではあったが、その間に二人は俺の事をよく理解してくれていた。
こういう所は、本当にありがたいよな。
「やーやー健志! 君って凄いんだね! 昨日はビリビリッと来ちゃったよ!」
「ん……?」
誰だっけこの声。
伏していた顔を上げて、声のした方を振り返る。
「あー、巨乳っ子か」
「花園杏だよ! 名前くらいちゃんと覚えてよね! 呼ぶときは杏でいいよ! これからよろしくよろしく!」
非常にテンションの高い巨乳だった。
朝からカロリーが高すぎる。
今の俺の気分でコイツの相手をするのは、苦行と言わざるを得ない。
「隣開いてるよね? 開いてなくても居ないならいいよね!」
あろうことか、巨乳っ子はそのままどかっと俺の隣に腰を下ろした。
「勘弁してくれ……」
なんと厚かましい巨乳っ子なのだろう。
一難去ってまた一難、だな……。
こうして俺は始業のチャイムが鳴るまでの間、絶えることなく鼓膜を揺さぶられ続けたのであった。