第八話 総督宮殿(2)
ブランクファイン国防長官がバーネット国防次官と話をしていたちょうどその頃。
同じ国防省オフィスの一角に置かれた楼州連合軍最高司令部副最高司令官の執務室には、部屋の主であるフィッシャー大将とその副官二人、そして、ヒサカタ少将に連れられたレオンハルトとカエデの姿があった。
「ヒサカタ少将、よくやってくれました」
「いえ。私としても、部下を救出するのは当然のことですから」
レオンハルトの目の前で胡散臭い会話が繰り広げられる。殊勝なことを言っているが、そのニヤニヤした顔つきでは台無しだ。
フィッシャー大将がレオンハルトに目を向ける。その表情からは何を考えているのかは読み取れない。
「君がエルンスト少佐ですね。名前はかねがね聞いていますよ」
「はっ。光栄であります」
探るような眼差しは愉快ではなかったが、ローヴィス大陸全土に展開する環太平洋条約機構軍のナンバー2に失礼な態度を取ることは出来ない。
「なぜ呼ばれたのか、何となく察しはついていると思います。例のスパイ事件に関して聞きたいことがあるのです」
フィッシャー大将の言葉に、レオンハルトの隣に立っているカエデの表情が強張った。
「一つ、よろしいでしょうか」
「何ですか、クシロ大尉?」
カエデが発言を求めると、フィッシャー大将が先を促す。レオンハルトが止める間もなかった。
「隊―― エルンスト少佐はスパイ事件とは関わりありません。疑惑をかけられたのは、真犯人が自分から捜査の目をそらすためだと思います」
「根拠はありますか?」
「……ありません。ですが!」
フィッシャー大将が手を挙げてカエデの言葉を遮る。しばらく部屋に沈黙が落ちた。
「根拠がない発言を取り上げるわけにはいきませんね。事態はPATO全軍に関わっています」
カエデが押し黙る。その様子を見たフィッシャー大将が苦笑した。
「ふふっ。ちょっと意地悪が過ぎましたね。大丈夫ですよ、クシロ大尉。私もエルンスト少佐がスパイではないだろうと思っています」
「えっ? ではなぜ――」
「少し確認を取りたいことがあっただけですよ。エルンスト少佐、開戦以降のあなたの行動はこれで間違いありませんか?」
フィッシャー大将に渡された分厚い資料は、全てレオンハルトの戦闘や本国での訓練に関する記録だった。これらの内容を概括するプリントを見てみる限り、問題はない。
「詳しい内容はともかく、おおむね間違っておりません」
「君はラピス戦線を戦った後、停戦交渉中は本国で訓練していた。レウスカが侵攻を再開するとブリタニアで戦い、本国にレウスカが迫ると再び帰還。そして、オーヴィアスに派遣された……」
レオンハルトが頷く。フィッシャー大将は、それまでのにこやかな表情を改め、険しい表情になった。
「SHAPoLの作戦計画において、作戦段階では負けるはずがないと思われていた戦線が三つある。一つはラピス、次はブリタニア、そしてここオーヴィアスです」
全てレオンハルトが戦いに参加している。例のスパイの名前と言い、情報機関がレオンハルトに目をつけるのも不思議ではなかった。
「君はこれらの戦線で華々しい活躍を見せた。故に目を引いたわけですが、君と同じように行動していた人間は他にもいる。そして、君などよりもよほど重要機密に携われる地位にあった」
「それは……?」
耐えきれなかったカエデが問うと、フィッシャー大将は顔写真のついた一枚の資料を見せた。
「国防長官補佐官アーネスト・ジョージ・バーンスタイン。またの名を、エルンスト・ゲオルグ・ベルンシュタイン。彼がスパイ“エルンスト”でしょう」
あの補佐官か、とレオンハルトは叫びそうになった。人当たりの良さそうな笑顔をしていた男。あの男がスパイだったとは。
「彼は国防長官と共に開戦前のラピスに幾度となく足を踏み入れている。ラピス内部のスパイからはその時に情報を得ていたのでしょう。そして、ブリタニアにも増援協議のために派遣されていた」
一同が息をのむ。状況証拠としては十分だ。
「先日、市街地で銃撃戦がありました。拘束された議員が自白した連絡係、いずれも国防省の職員でしたが、バーンスタイン補佐官が抜擢した人物ばかりです」
「補佐官が人事に介入していたのですか?」
「ええ。人事も買収されていたようですね」
思わず顔をしかめる。贈収賄はいつの時代、どんな場所でも起こる。そして、それは時として思わぬ事態を招くことになる。今回の事例は、まさにそれだ。
「バーンスタイン補佐官を逮捕できるだけの材料は揃っているそうです。ただ、この際、逮捕は一気呵成にやる、というのが関係者の間での合意となっていますから、まだ泳がせておくでしょうけどね」
「協力者も含めて一網打尽にする、ということですね」
ヒサカタ少将の言葉にフィッシャー大将が頷く。
「ブランクファイン国防長官はそれまでのカモフラージュとして、エルンスト少佐に監視をつけることを決めました。彼らは表向き、あなたをいつでも逮捕できるように派遣されたことになっています」
「了解しました。そういうことでしたら、我慢しましょう」
レオンハルトの皮肉にも、フィッシャー大将はにこやかに微笑むだけだ。
「私からの話は以上です。何か他に質問はありますか?」
「私たちはこの後どのように行動するのでしょう? 表向き、隊長はまだスパイってことになるんですよね?」
カエデが不安そうな表情で質問する。その様子を見て、フィッシャー大将の笑みが苦笑いに変わった。
「優秀なパイロットを遊ばせておくほど、今のPATOに余裕はありません。出撃してもらいます」
ほっと一息ついたカエデだったが、今度はレオンハルトが疑問を持った。
「機体はどうなるのでしょう。航空団に予備の機体はなかったと思いますが」
そう。レオンハルトが乗っていたF-18Jは、撃墜されて失われている。第6航空団がいくつか保有していた予備の機体も、出撃頻度の多さに比例する撃墜率の高さが災いして底をついているのだ。
レオンハルトに答えたのはフィッシャー大将ではなく、その側に控えていた女性士官――副官のラングリッジ大尉だった。
「機体に関しては、手配済みです。この後、ご案内します」
「と、いうことです。他に何かありますか? ……よろしい。エルンスト少佐、クシロ大尉、あなたたちの武運を祈っています」
表情を引き締めたフィッシャー大将の敬礼は見事なものだった。
「この車、どこに向かってるんです? 基地じゃないですよね?」
「ルイビル空港だ。そこに機体を回しているらしい」
機体を受け取りに行く車中、カエデの質問にヒサカタ少将が答えた。
車はウェルズリー市内を走っている。戦場がすぐそこに迫っているにも関わらず、ウェルズリーの街は平穏を保っていた。
唯一、戦争を感じさせるのは、市街各所に展開している憲兵だろう。街を歩く人々も、機関銃を持った憲兵の乗るハンヴィーには不安そうな眼差しを向けている。
ウェルズリー市は計画的に作られた都市ということもあり、環状交差路から放射状に伸びる大通りが街を区画している。
ヒサカタ少将の言ったルイビル空港は、総督宮殿や国防省オフィスのある南東区とは反対側の、北西区にある小さな空港だ。主にビジネスジェットの離発着に使われており、軍が使用しているという話は、少なくともレオンハルトは聞いたことがなかった。
車内は妙な緊張感に包まれており、カエデとヒサカタ少将が短い会話をして以降、誰も口を開いていない。ハンドルを握っている男性士官――フィッシャー大将の副官であるウォーターフィールド少佐――も居心地悪そうに運転をしていた。
そんな沈黙を三十分ほど保ったまま車は走り続け、ようやく目的地であるルイビル空港に到着した。車はターミナルではなく、滑走路へ直接乗り入れていく。そして、滑走路脇にある格納庫の前で停車した。
「到着です」
ウォーターフィールド少佐の隣に座るラングリッジ大尉がそう言うと、一同はぞろぞろと車を降りる。出迎えたのは、作業服を着た男性だった。
「お待ちしておりました。ヒサカタ少将、エルンスト少佐。マクナマラ・エアクラフトのウィリアム・ルイスです。マクナマラでは設計グループの主任を務めています」
民間企業の社員である、と名乗った男性を見て、レオンハルトとカエデは思わず顔を見合わせた。
「エルンスト少佐の活躍はかねてより存じ上げておりました。我が社の戦闘機で戦果を挙げていただいたおかげで、良い宣伝になった、と社長も上機嫌です」
ルイス主任の言葉に、レオンハルトは顔をしかめた。戦果、と言えば聞こえは良いが、要するにどれだけ人を殺したか、ということだ。後悔などはしていないが、それを、良い宣伝、と表現したことに対しては不快感を隠しきれなかったのである。
ルイス主任はそんなレオンハルトの様子に気がつかなかったのか、笑顔で一行を格納庫へ案内した。格納庫の中は真っ暗で、何も見えない。
「こちらをご覧ください」
そう言うと同時に、ルイス主任が電気をつけた。ライトに照らされたのは、赤く塗装されたF-18だった。
「これは…… イーグル?」
レオンハルトの言葉にルイス主任が頷いた。
「ええ。少佐はF-18Eはご存じですよね?」
「ああ。F-18のマルチロール型でしたね」
F-18Eは四年前、ようやく配備が始まったばかりの新鋭機だ。日本空軍――正確にはアグレッサーの役割を担う第6航空団は、今のところF-18Eの導入を検討していない。
「これはF-18Eをベースに、単座の制空戦闘機への回帰を構想した機体で、型式はF-18Fと言います。残念ながら、製造されたのはこの一機のみでしたが」
ルイス主任によると、F-18Fはそもそも輸出用に開発が進められていた機体であり、ようやく試作機がロールアウトしたところで、F-18E本体の輸出が決定したことでお蔵入りとなっていたものだそうだ。
とはいえ、実戦に耐えるだけの性能は有している。何かあった時のため、F-18Fの開発を進めていたルイス主任のチームは、この機体を大切に保管していたという。
「昨日、PATOから我が社に連絡があったのです。『F-18を一機、何とかして確保して欲しい』と。ですが、国防空軍からも予備機の製造を受注している段階で、そのような余裕はありませんでした」
「それで、このお蔵入りされていた機体が引っ張り出された、と」
「ええ。二年ほど保管していた機体ですが、整備は欠かしていませんし、月に一度はデータ収集のための試験飛行を行っています。今すぐ、実戦に出しても問題ないことを保証しますよ」
先ほどのご機嫌取りのような笑顔とは違い、ルイス主任は自信に満ちた笑みを浮かべていた。技術者としての確固たる誇りのようなものを感じさせる笑顔だ。
「少佐が使っていたF-18Jと比べて、操作性が若干違うかも知れませんが、量産を目指して開発されたものですので、基本的な操縦は変わりません」
「少し、飛んでみたいのだが」
レオンハルトがそう言うと、ルイス主任が頷く。
「そう言われると思いまして、フライトプランは提出済みです。これを」
ルイス主任が、フライトプランの写しをレオンハルトに手渡した。それを見ていると、ヒサカタ少将がレオンハルトに声をかける。
「私たちは先に基地へ向かう。いつレウスカが攻勢を再開するか分からないからな。少佐、君も早く帰って来いよ」
「ええ。適当に流した後、基地に向かいますよ」
そう言うと、ヒサカタ少将はさっさと車に戻ってしまう。カエデもその後について行ったが、車に乗り込む寸前、レオンハルトの方へ振り向いた。
「隊長、お気をつけて」
「心配するな。戦闘中とはいえ、友軍の領空だ」
苦笑いしながら答えるレオンハルトだったが、カエデは笑うことなく車に乗り込んだ。車が発進すると、ルイス主任とレオンハルトが残される。
「少佐」
「ああ。では、空へ戻るとするか」
F-18Fに乗り込んだレオンハルトは、ルイス主任の見送りを受けながら滑走路へと滑り出した。
ルイス主任の言う通り、F-18FのコックピットはF-18Jと変わらない。ご丁寧に、塗装まで以前の愛機とほぼ同じものに塗り替えられていたため、今のところ違和感はなかった。
管制官からの通信が入る。
『クリアード・フォー・テイクオフ、アイギス1』
了解、と答え、スロットルを開ける。シートに押しつけられる感覚と同時に、機体が加速し始めた。
「良いエンジンを使っている……!」
加速の良さに、思わずつぶやく。F-18Fは軽やかに大空へと舞い上がった。
『タワーよりアイギス1。以降はサリスベリー・コントロールと交信せよ。良い旅を』
「アイギス1よりタワー。了解。サリスベリー・コントロールと交信する。感謝を」
旅ではないのだがな、と思いつつ、管制塔との交信を終了する。周波数を合わせると、すぐに聞き慣れた管制官の声が聞こえてきた。
『こちら、サリスベリー・コントロール。アイギス1、応答せよ』
「アイギス1よりサリスベリー・コントロール。感度良好」
『よろしい。そのままの針路を維持し、高度6000まで上昇せよ』
「了解」
指示通りに上昇を始める。機体の反応は上々だ。どうやら、F-18Jと比べて機体の上昇性能は良いらしい。
機内にはエンジン音と風の音だけが響いている。思えば、一人で飛ぶのは珍しいことだ。そんな感慨にふけっていると、再びコントロールからの通信が入った。
『こちら、サリスベリー・コントロール。エマージェンシー。方位275より、国籍不明機が領空に向かって接近中。警戒せよ』
空に戻った途端に厄介事だ。疫病神にでも取り憑かれているのではないか、と思いながら、レオンハルトは武装のチェックを始めた。ルイス主任は最低限の武装は用意してくれていたようだが、機銃弾の弾数は非常に心許ない。
『サリスベリー・コントロールよりアイギス1。国籍不明機多数を確認した。情報を更新する』
その通信と共に、レオンハルトの視界に仮想ウインドウがポップアップされた。戦域情報システムの情報が更新されたのだ。数え切れないほどの黒点――友軍機は青、敵性機は赤、不明機は黒――が表示されている。
『アイギス・スコードロンにも発進命令を出した。アイギス1はポイントC9で合流せよ』
「了解」
今頃、カエデやヒサカタ少将が乗った車は、知らせを受けてサリスベリー基地へ急行しているだろう。
そんなことを考えながら、レオンハルトは指定された空域へ機首を向けた。