8 襲撃
部屋を飛び出した燐は、本家の庭園の奥に向かって駆けた。
幼い頃から、何かある度、泣きそうになる度に逃げてきた場所へ。
「…………どうして……」
どうしてこんなことになったのか。
最初から、燐は弓月の契約相手など望んでいなかった。それを強行したのは弓月だというのに。
そもそも、燐が弓月と契約することなど、ありえなかったのだ。燐の他にふさわしい人がいたから。
「何故、いなくなってしまったのですか………兄様」
昔から逃げ出してきては、うずくまっていた岩の上に同じように腰を下ろした。膝を抱え込んで目を閉じる。
それからどれほどの時が経ったのかは定かではない。
チリ……と肌を刺すような痛みに顔を上げた。嫌な感覚がする。
燐は岩から降り、屋敷に向かって歩き始めた。
ドォォンッ!!
突如として爆発音と共に大きな火柱が立ち上った。
同時に、悲鳴や怒鳴り声が響いてくる。
「敵襲か……ッ!!」
今日控えているはずの如月家の者を数名思い浮かべる。その半数は実践経験がまだ浅く、緊急時の判断や指揮も怪しいものだ。混乱時にどれだけ冷静に動けるか。せめて、朱雀院家の方々、戦力外の使用人を避難させ、応援を呼んでくれていれば良いが。
(いや、あの火柱は如月邸にいても見えるはず。動ける者は来る)
朱雀院現当主は契約者である父と一緒に外出中である。二人の心配はない。つまり、燐は自身の主・弓月だけを気にすればいい。
役立たずと思われていようと、燐は弓月を守らねばならない。
弓月を探そうと走り出した時だった。
「………!」
足元に異変を感じ、後方に跳んだ。
何本目かの火柱が、燐の目の前で地面から噴き出していく。
(水の加護を受ける朱雀院家の地下から焔が噴き出すなんて……。ただの異能力者ではない)
得体の知れない襲撃者の気配を探ろうと辺りを見回す。
燐の額からは汗が滲み、頬を伝う。
その時だった。
「燐」
もう二度と聞くことが出来ないはずの声が聞こえた。
燐は恐る恐る、声の聞こえた方を見た。
その人の姿を認め、燐は驚きに目を瞠る。
「にいさま……?」
「ああ、そうだよ」
その人―――兄様は、変わらぬ姿でそこにいた。
「どうして……だって、兄様は、あの時に…っ」
「そうだな。あの時は危なかったよ」
あの時。
今から数年前のことだった。燐の記憶では最も幸せな時で、その幸せが崩れ去った瞬間。
弓月様と、いずれは弓月様の契約者となる兄の如月京の3人で日々を過ごしていた。後継者と目されていたとはいえ、未成年であった弓月様にはさほど朱雀院の者としての仕事は要求されていなかった。
ただし、それは朱雀院家内でのこと。社会的に、弓月の存在は既に次期当主として認知されていた。
名門朱雀院家を襲う者などないと、未成年ではあるが次期当主である実力を持つ弓月であれば襲われても大丈夫だろうと、甘く見ていたのが悪かったのか。
龍源と燐の父が手練れを連れて任務に向かい、屋敷が手薄になった時を狙われた。
朱雀院家がこれ以上力をつけないように、弓月に刺客を放ってきたのだ。
その時、京は弓月を守り、燐の目の前で焔に包まれた。異能力者の力で焼かれては、いくら如月の者と言えど生きてはいられない。今の燐や父のように、朱雀院家の方と契約していれば話は別であるが。
だからこそ、京は死んだものと思っていた。
「何とか生き延びていたものの、無様な姿を見せられなかったんだ。でもやっと戻ってこられたよ」
京は端整な顔に優しい笑みを浮かべた。
逃げ出した燐を迎えにきてくれた時と同じその表情に、燐の視界は潤んだ。
「成長したお前に、こんなことを言ってはいけないかもしれないが。………おいで、燐」
兄が燐を迎えるように手を広げた。
「兄様…………っ」
燐は京に抱き着いた。兄の腕が背中に回り、しっかりと抱きしめられる。優しく頭を撫でられた。
不意に、ぴちょん、と燐の中の水が波打った。
妙な違和感と焦燥感に顔をあげて兄の顔を見上げる。
「どうしたんだ?燐」
大丈夫だというようにぽんぽんと背中を叩かれた。しかし、兄の後ろから現れた気配は大丈夫とは到底思えなかった。
「燐から離れろ、外道」
殺気を露わにした弓月が背後から京に刃を突き付けていた。
乱文だ……。いずれ修正を………。