第43話 例のもの
しかし困った。俺は山椒の存在は知っていても、それがどういう植物なのか、どんなふうに栽培されているのかなんて、ちっとも知らない。そもそも前世で多少自炊していたとはいえ、胡麻味噌坦々麺を一から作ったことなんかないんだ。せいぜい麺を湯がいて、レトルトをチンしてかけるくらい。男の独り暮らしなんてそんなもんだろう。
「えっと多分、挽肉を炒めてから調味料を加えてですね……」
「ふむ。どうもその辺りは、ロドリゴ自身もあやふやなようだな。ではそろそろ、例のものを」
「かしこまりました、セニョール」
大旦那様が合図すると、まもなくワゴンがやってきた。
「こちら、ラグーソースのスパゲッティーニでございます。ご要望に従い、ソースはスープとスパイスを多めに。そしてクルミを挽いてコクを加えました」
ふおお! 既に試作品だと?! てか、その声は!
「ペドロさん?!」
「ようロドリゴ、しばらくぶりだな。また面白ェモン考えやがって!」
「はっは、君を驚かせる作戦は上手くいったようだな。どうだね、ペドロの作ったそれは、ゴマミソタンタンに近いものかね?」
半口を開けてフリーズしていた俺に、大旦那様が試食を促す。見た目は白っぽいスープパスタ。トロミのあるソースに、細かく刻まれた肉片と香味野菜が見え隠れする。その上から炒りごまが振られ、ローズマリーが飾られている。うん、どう見たって胡麻味噌坦々とは程遠い。だが、湯気とともにたちのぼる、複雑なスパイスと香草の香り。
「うん……まッッッ!! なんこれうんまッ!!」
これじゃねぇ。全然これじゃねぇのに、めちゃくちゃ美味い。
「おうおう、めっちゃガッついてんな」
「やはりペドロに任せてよかったな。さすが宮廷料理人」
「よしてくださいよォ、プラシド様。俺ァそんな大したモンじゃねェんで」
「なになに。この店を継ぐために料理長の指名を辞したことくらい、私の耳にも届いているよ」
「ハハッ、美食で名高いプラシド様にそんなこと言われちゃ、精進しねェわけにはいきませんぜ!」
大人たちがお互いヨイショしながら、俺の反応を見ている。いや、俺はコイツをカッ込むのに忙しいんだ。
「ごちそうさまでした!」
「で、どうだったよ?」
「君の言う、ゴマミソタンタンを超える一皿になったかな?」
「はい! 胡麻味噌坦々とは全然違いますが、これはこれで!」
「止めねェで下せェ……。俺ァもう、店ェ畳みやす……ッ!」
「そういうことは軽々しく言うものではないよ!」
「そうですぞ、ペドロ氏。味のわからぬ子供の戯言など!」
ちょっと待って。さっきまで自信満々だったペドロさんが、石床でダンゴムシになってしまった。困るんだって、こういう豪快でフレンドリーに見えるオッサンが、粉々ガラスハートとか。引っ掛け問題じゃん。
「あのっ、胡麻味噌坦々は、味噌がないと胡麻味噌にならないっていうかっ」
「その味噌ってのを知らねェなんて、料理人の名折れ……ッ!」
「だからその味噌を探すために、商業ギルドで依頼を出したんですけど?!」
「……」
「そうですぞ、ペドロ氏。そもそもゴマミソタンタンは、ロドリゴの妄想の産物。まだ形にもなっていないものを、ここまで洗練された一品に仕上げたのは、まさにペドロ氏の才能の賜物!」
「……」
「うむ。このポルセルでここまでの料理を出せるのは、ペドロをおいて他におらん。な、ロドリゴ?」
「……」
プロスペロさんと大旦那様が、ペドロさんを大慌てで宥めながら俺を見る。彼らの目が「ほれ、お前もなんかフォローしろ」と言っている。なにこれ超面倒臭い。
「えっと、胡麻味噌坦々ってもっと庶民の料理っていうか、粗野なイメージでして!」
「……」
「そのっ、街の食堂なんかで出てくるようなヤツで、決して一流の宮廷料理人さんが作るようなアレじゃないっていうかッ!」
「……」
「ですからっ、このパスタは美味しすぎて、そういう意味で胡麻味噌坦々とは違うっていうかですねッ!」
「……そうか、美味過ぎたのか」
ムクリ。ダンゴムシがヒトに進化した。
「そうだぞペドロ。さっき、ロドリゴも美味い美味いと食いついていただろう」
「ペドロ氏の腕は、ポルセルのみならず北部全域に轟いていますからな!」
立ち直るペドロさんに、明らかにホッとする大人二人。ここまで客に気を遣わせる料理人ってどうなの。
「というわけで、最初の話に戻ろう。このパスタはゴマミソタンタンより洗練されていて美味過ぎる、そういうことでいいんだな?」
「あとはミソなる調味料と、サンショウなる香辛料があればそれに近づくと」
「あっはい、そうですね。あと油はゴマ油、そしてゴマはペーストにしてソースに入れていただいて。それから麺はかんすいを使った中華麺で、スープはコンソメじゃなくて豚こ」
「俺ァもう、店ェ畳みやす……ッ!」
「ペドロォ!」
「ペドロ氏ィ!」
こうしてまた、ヒトはダンゴムシに退化した。




