第35話 黄金のプロスペロ
ボウルを割ったのは、失敗でもあったが成功でもあった。ウィンドを薄く薄くすれば、いわゆるウィンドカッターになるのだ。陶器まで真っ二つにする威力、これは武器になるんじゃないか。
と思っていた時期が、俺にもありました。
手のひらの上で、カードほどの大きさのカッターを作ることはできる。しかし、ウィンドには絶対的にパワーが足りない。ちょっと離れたところに刃を飛ばそうとすると、すぐに消えてしまう。それなら手のひらから刃を伸ばせばいいんじゃないかと思ったんだが、カッターの大きさのまま伸ばすことはできなかった。伸ばせば伸ばすほど細くなって、三十センチも伸ばせば消えてしまう。
というわけで、お試し版ウィンドカッターはお蔵入りだ。まあそもそも、ウィンドでボウルを真っ二つにすることができるとバレたら第三の目()のヤバさの比じゃない、と思う。専門家に聞いたわけじゃないので、想像でしかないが。ウィンドは生活魔法、他属性の人間でも使えるスキルだ。至近距離なら鋭利な刃がいつでも出せると知られた日には、誰でも暗殺し放題。有力者の警備が無理ゲーとなるだろう。こんなスキル、広まる前に俺が消されてしまう。
ボウルが割れた直後、石床に落ちたのはラッキーだった。その後、厨房の掃除を押し付けられたが、それは些細なことだ。とにかく、使い方次第ではウィンドも立派に役立つことがわかった。あとは改良あるのみだ。
そうして過ごすこと数日。
「できましたッ!」
俺の手元には、ツヤツヤのメレンゲで満たされたボウル。ついにやった。カード状じゃなくてシャワー状に風を噴出した結果、メレンゲは呆気なく完成した。なんだ、薄くじゃなくて噴出する数を増やしただけでよかったんや。
「おお、見事なものだ。速さときめ細かさを両立している!」
「あちゃー、やられたっスねぇ」
「いえいえ、ピオさんが素晴らしいコントロールで泡を立てていらしたからで」
三人が和気藹々と成功を喜ぶ傍らで、一人唇を噛むポルフィリオさん。いや、別にお前が損したわけでも、叱責を受けたわけでもないだろ。結果を出した他者を恨むのはやめろ。そういうとこやぞ。
なお後日談として、カスタード蒸しパンは「黄金のプロスペロ」という名前でレシピ登録された。プロスペロさんの名前が「繁栄」という意味なので、玉子の色味とピッタリ合う。ちなみに、既に同様の菓子が存在するため、レシピ使用料の収入は大して望めないだろう、と商業ギルドの人に言われた。だがこういうのは金じゃないんだ。
「黄金のプロスペロ。ふふん、悪くはない……!」
「よかったっスね、旦那様の許可が降りて」
登録においては、レシピ使用料の分配やネーミングなどに関して、事前にペラモス商店の主に伺いを立ててある。商店主は前回、タルトタタンもどきを「ペネロペの薔薇」と命名したことにひどく気を良くしており、レシピ名に番頭の名前を冠することを快諾。そしてレシピ使用料に関しては、長らく厨房の邪魔をしていたということで、パウリノ・ペトロナ夫妻に寸志として渡されることとなった。
そしてもう一つ、黄金のプロスペロの副産物が。
「それよりピオ。『ピオの綿雲』を無償公開して良かったのか?」
「あーー、アレはもうイイっス……」
ピオさんが遠い目をしている。既存のレシピと似たレシピを登録する場合、どこか一つでも既存のレシピと異なる点がなければならない。「黄金のプロスペロ」に関して最も他と異なる点は、風の生活魔法ウィンドを応用して卵白を泡立てたというところであるが。
「もうイイとは何事か。これは魔法界において一大事ですぞ!」
「長らく捨て置かれた生活魔法ウィンドがこのように陽の目を見る日が来るとは!」
黄金のプロスペロ、料理レシピ登録お祝い会。ペラモス商店の寮の食堂でささやかに開かれる茶会に、招かれざる客が二人。
「だからァ! 俺は魔法のことなんて知らないっスからぁ!」
「そう謙遜なさるな! 貴殿の精密な魔力のコントロール、そして集中力。これぞこれからの魔法の進歩に欠かせないものでありますぞ!」
「いかに魔力を高め、敵を殲滅するか。これまでの魔法研究は、そこに偏り過ぎたのだ。我々は初心に立ち帰り、細部より魔法学を再構築する局面を迎えている!」
「だからぁ、難しい話は俺には分かんねェっスって!」
「大丈夫だ、なにも心配することはない。我々が初歩から懇切丁寧に指導するゆえ」
「まずは論文の百本でも読み込めば、基礎が身についてきますからな!」
「いやだーーー!!」
良かった。あのメレンゲの泡立てを、「ピオの綿雲」と名付けて。元は俺のエアーダスター、そして空気をシャワー状に噴出するアイデアも俺のものだが、第三の目()の一件でギルドから目を付けられる怖さを思い知ったため、敢えてピオさんを全面に押し出したのだ。そしたら、商業ギルドをすっ飛ばして魔法省から魔法使いが押しかけてきた。
レシピの端っこに自分の名前が載ることに関して、ピオさんは有頂天で快諾したが、まさか宮廷魔法使いがやってきて質問攻めに遭うとは。彼は連日訪ねてくる魔法使いに拘束され、会議室に缶詰にされて尋問を受けていた。相手はエリート役人だ、ペラモス商店としても彼を庇うわけにはいかない。毎日魔力切れになるまで延々と泡立てを披露させられ、ピオさんは一週間ほどゾンビのようだった。そのうち魔法使いたちが泡立て方を会得して、レシピも無事登録され、彼らが王都に帰るにあたり、最後のスカウトを仕掛けているところ。
「――ふむ。まあどうしてもということならば、致し方ありますまい。魔法使いの中には、市井でこそ研究が捗るという変わり者もおりますからな」
「この街の魔法ギルドにも申し伝えておきます。新しい研究がまとまり次第、速やかにご報告を」
「そんなもんねェっスよ!」
ピオさんが必死で威嚇しているが、魔法使いたちは一向に気にしていない。そして彼らの騒ぎをよそに、食堂に集まった店員たちは和やかにカスタード蒸しパンを楽しむのだった。
「――チッ」
いや、違った。ピオさんに憎々しげな視線を向ける男が一人。
「ピオのような痴れ者が魔法省の門を潜るなど、宮廷魔法使いの見る目も地に落ちたものだな……!」
俺とポルフィリオ氏は、開発メンバーとしてプロスペロさんとピオさんと同じテーブルについていた。しかし、二人だけが脚光を浴びるのが許せないらしい。特に、無能と見下していたピオさんが魔法使いたちに賞賛されるのは我慢ならないようだ。俺の隣で、魔法使いたちに聞こえないように小声でブツブツと呪詛を吐き続けるの、やめてくんねぇかな。瘴気のモヤが見えそうだ。しかし彼は、聞こえないふりをして耐えている俺のことも気に食わないらしい。
「ふん、黄金のプロスペロにピオの綿雲とは笑わせる。所詮お前は、上司に媚びるだけのネズミの癖に」
いや、その通り。俺は上司に媚びるだけのネズミだ。だが俺は知っている。いくら能力があろうと、いくら身を粉にして会社に貢献しようと、出世するのは上司に媚びるのが上手いヤツだけだ。前世、俺はそれに気づくのが遅くて、会社に使い潰されるまま、転職も間に合わず、タイムオーバーとなった。世間を楽に渡るために必要なのは、頭脳でもなければ特待生の肩書きでもない。上司にゴマを擦り、持ち上げる能力だ。その辺が理解できないなど、お前はまだまだだな。
俺が横目でニヤリと嗤うと、ポルフィリオさんが目を剥いて怯んだ。




