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淳一のワンルームマンションからの、帰り際だった。
淳一は、いつの頃からか美知を見送りに出て来なくなった。だから美知は、その時も、いつものように一人で玄関にいたのだ。そして、
「美知、もう勝手に来るのは、止めてくれないか」
突然に、部屋から淳一の声がした。美知には、咄嗟に、その言葉が聞いたこともない外国語のように思えた。
「え、なに? どういうこと?」
「だから」
淳一は、部屋から出て来ないままで繰り返した。
「もう勝手に、ここには来んなよ」
「どういうことよ」
勿論、もう言葉の意味はわかっていた。それは、美知が心のどこかで、ずっと恐れていた台詞だった。だが美知には、他に返すべき言葉が思い浮かばなかったのだ。
美知は、履きかけていたサンダルを脱いだ。部屋に戻っても、淳一はテレビに視線を向けたままだ。
「淳一」
「そういうことだよ」
淳一は、まだ美知の方を見ようとはしない。美知は、淳一の斜め後ろからの顔を見つめる。切れ長だがくっきりとした二重瞼、ちょっとクセのある長い髪、日焼けした頬。そこに少し潰れ気味の鼻があるのは、淳一に却って愛敬を与えており、マイナスではない。美知が、この一年の間、いつも見続けていた男の顔だ。知り尽くしている男の顔だ。いや、知り尽くしていたはずの、男の顔というべきかもしれない。
淳一が、テレビを見ている格好はしながらも、美知の動きに神経を集中していることは、美知にはすぐわかった。最近の淳一の、美知を抱きながらも、なんとなくそわそわした感じも、いらついたところも、全ては、これから淳一が言おうとしている言葉の前奏だったのだと美知は思った。
「淳、どういうこと?」
美知は、淳一のすぐ後ろまで行って、もう一度尋ねた。
淳一は、しばらく黙っていた後、わかんねえ奴だなというように、渋々と、
「あと一年なんだよ」
と言った。
「一年?」
「帰るんだ」
「え?」
「長野に帰るんだよ」
淳一は大学三年で、来月四月から四年になる。
「東京で、就職しないの?」
「止めたよ。東京でいろいろ夢をみて、誰でも知ってるような商社やネット企業のインターンに申し込んだりして、俺なりにやってみたけど、何ていうか、身の程を知らされたっていうか。お前だって、知ってるだろ? だから就職は、多少は親父のコネも効く、地元に戻ってすることにした」
「いつ決めたのよ」
「――先月かな」
「なんで、私に言わないわけ?」
「だからさ、あと一年なんだよ、東京にいられるのもさ」
淳一は、それでやっと美知の方へ向き直り、美知を見上げた。
見下ろしているのは美知の方なのに、美知は、淳一から見下ろされているような気がした。
「――おまえに、不満はないよ」
ああ、別れを告げられるんだと、美知は思った。
淳一は続けた。
「でもさ、あと一年なんだよ。長野にこもる前に、東京でさ、遊んでおきたいんだよ。美知は、東京生まれの東京育ちだから、わからないかもしれない。けどさ、やっぱり東京なんだよ。これからのここでの時間を、全部、おまえだけで終わらせたくないんだよ」
淳一は不器用な男なのだと、美知は思う。これだけの容姿があるのだから、美知とつきあっていた間にしても、それなりに誘惑の機会はあっただろう。だが美知には、自分以外の女の気配は、全く感じられなかった。淳一の言うことも、わかるように思えた。
淳一は、言いたいことを言ってしまうと、美知の出方をうかがうように、黙って美知を見た。
淳一を失う。そう考えると、頭の中が、いや、体中が真っ白になっていく。だが、どうにもならない。たとえ泣き叫んだところで、淳一の気持ちが変わることなどない。淳一は、美知にとって初めての男ではない。美知は、こうなってしまった時の無力さを、経験から学んでいた。
美知は、壊れかかった操り人形のようにポケットに手を突っ込み、淳一から渡されていたワンルームの鍵を取り出した。
「返すよ、これ」
美知は、鍵をキーホルダーごと、テーブルの上に置いた。
「じゃあね」
美知はそれで踵を返し、部屋を出て行こうとした。
「美知」
サンダルを履いていると、淳一が、慌てた様子で呼び止めた。
振り返ると、淳一は、半ば腰を浮かせていた。
「なに?」
「なにって、――俺の言ったこと、わかったのかよ」
「わかったよ」
「いいのかよ」
「別れたいんでしょう? 他の女の子と、遊びたいと思ったんでしょう? 淳一は、結構イケテルわけだし、あと一年だから、そういうことでしょう?」
「――そうだよ」
「大丈夫。わかってるよ」
美知は、努めて平静にそう言い、玄関のドアを開けた。
「美知」
その時美知の見た淳一の顔は、ばつの悪そうな、思ったほどいかさない男の顔だった。
「悪かったな」
そう言う淳一の中に、ほっとした様子と、それから、美知が淳一に幾度となく言われてきた、「お前って、なんだか呑気な奴だよな」との言葉が、透けて見えた。
まだ夜になりたてくらいの時間で、通りには家路を急ぐサラリーマンよりは、買物から帰る主婦や子供たちの姿の方が目についた。
淳一のマンションから美知の住む家までは、電車で一駅、歩いても二十分程度の距離しかなかった。美知は、家まで、電車を使わずに歩いて帰ることにした。しばらくは、どこにも行き着きたくなかった。
美知が淳一と知り合ったのは、よくある合コンで、でも、その場では何もなかった。それが、翌日、美知がバイトしている定食屋に、淳一が夕食を取りに一人でやってきたことから、つきあいが始まった。
ちょうど一年前のことだ。
一年間、何かことあるごとに、「美知は、なんだか呑気でいいなあ」と、淳一に言われた。
淳一からだけではない。父からも、母からも、あるいは大学の友人たちからも、美知はよくそう言われるのだ。
自分では、呑気なつもりなど、全然ない。人並みに、あるいは人並み以上に、悩んだり傷ついたりしているつもりだ。問題は、その表現方法なのかもしれない。
美知は、「気の抜けたような」あるいは、「力の入らないような」声をしていると言われる。自分でも、そうかな、とは思う。それから、ダメなものはダメなのだとも思う。たとえばあそこで、淳一の前で、別れないと泣き叫んだところで、どうにもならないと思う。しょうがないことを、ぐずったところで、やはりしょうがないのだ。だったら、そんなことはしない方がいい。「気の抜けたような」声で、わかってるよ、と言い、鍵を置いてくればいい。
後で一人の時に泣くとか泣かないとか、そういうことは、また別の話だと思うのだ。それに、何日かしたら、淳一の気持ちが変わるかもしれないではないか。寂しいと思うかもしれない。人の気持ちの動きなど、わからないのだから。そうだ。何日かしたら――。
淳一との間がぎくしゃくしだしたのは、三、四ヶ月前からだったような気がする。
去年の十一月だ、と美知は思う。
あの頃から、いろいろなことが、うまくいかなくなっていった。その中で自分は、人から見れば、ますます「呑気な娘」になっていったのだと思う。
美知の家族と同居している祖母が、脳梗塞で倒れたのは、昨年の十一月下旬、日本列島をその冬一番の寒波が覆った夜中のことだった。
見つけたのは、夜更けの午前三時、トイレに行った母だった。祖母は、トイレで倒れていた。
母が、
「お父さん、お父さん!」
と叫ぶ声で、美知も目が覚めた。
すぐに救急車がやってきて、祖母は運ばれていった。
倒れるまでの祖母は、九十という年齢からは想像もつかないほどに、元気で精力的だった。きびきびと歩き、声は大きく、笑い声も大きく、年より十や二十は若く見えた。スマホは美知と一緒に買い、使い方もすぐに覚えた。「私、何でもやってみるわ」と、祖母は言うのだ。「やってみなけりゃ、わからないでしょう」。口紅も、よく美知と同じ物を買ってつけた。原色の服と真っ赤な口紅は、祖母によく似合っていた。
それが、担架に乗せられた姿は、美知の知っていた祖母とは全く別の、どこかの見知らぬ老人にみえた。
母は完全に動転してしまい、一人ではまともに一一九番通報すらできない有り様だった。父も父で、実母の重篤に、何か膜がかかってしまったかのように、ぼんやりとしていた。結局、一一九番をし、救急隊の人たちの指図に従って、あれやこれやと動いたのは美知だった。美知は、父のように呆然としてしまうでもなく、母のようにヒステリー状態になるでもなく、いつもと同じ「気の抜けたような」声で救急隊員の指示に「はい」「はい」と相槌を打っては、動いた。
祖母は、病院に担ぎ込まれてから、二ヵ月以上も入院していた。はじめの何日間かは昏睡状態が続いて、その後で目を開いてからも、夢の中をさまよっているようで、呼びかけてもほとんど反応しなかった。
物理的に脳の一部分がやられてしまっていることを、美知たちは医師から聞かされていた。それがどんなふうな姿で現れるかは、医師たちにもわからないという。
だが、母は楽天的だった。裕福な家で不自由なく育った母は、音大を出てピアノ教室の先生になった。そして、見合いで銀行員の父のもとに嫁いでからも、引き続き不自由ない人生を送ってきたのだ。望んだことは、大抵が叶えられてきた母の人生である。楽天的にならないはずはない、と美知は思う。
それは、入院して十日ほど過ぎてのことだった。それまで宙をさまよっていた祖母の視線が、ふいに、付き添っていた母の顔の上に収束していったのだ、という。
そして祖母は、童女のように無邪気な笑顔をみせると、こう言ったのだ。
「あら。アケミちゃん」
母の名は、佐枝子、である。
「おばあちゃん、私は、アケミじゃありませんよ。佐枝子ですよ」
「アケミちゃん。お屋敷、行こう、アケミちゃん」
母だけではなく、美知でも、看護師でも、女性が祖母に近づくと、祖母はみな、アケミちゃん、と呼んだ。
――祖母は、認知症になっていたのである。