70話 選択の意味
地に轟く、一万を超える兵の足音。
ようやく標的である城が目の前に見えてくる。
「四千を東に回せ。同時に攻めかかるぞ」
張遼が短く指示を出すと軍は一瞬にして分割され、夏口の城を囲み始める。
城壁の上には既に兵が配備されていたが、情報通り、数は少なく兵装もまばら。
慌てて準備をしたという様子がありありと見て取れる。
「盾兵前へ、土嚢で堀を埋めろ。弓兵は構えよ」
一夜でカタをつける。
主君の率いる二十万が負けるとは思わないが、自分は軍人だ。
戦うこと以外の事を考えるべきではない。
とにかく目の間の城を奪えばいいのだ。
「一瞬で終わらせる」
戦の火蓋は、切って落とされた。
☆
外はやけに騒がしい。
恐らく、戦が始まったのだ。
手の震えが止まらない。
これほど全身が怒号や叫びに包まれた事などなかったからだ。
しかも、敵は精兵。郭嘉の策、張遼の武。
よく考えれば分かる。この戦はどうしたって勝てない。
僕の小細工でどうこう出来るわけがなかった。
今から帰って、僕らだけでも逃げた方が良いんじゃないか?
どうして残って戦うことを僕は選んだんだろうか。
「こちらが、劉琦様の居室になります」
「あ、あぁ……ありがとう御座います」
扉を開くと、そこには寝所に腰を掛け、腕を組んだ細身の青年が座っていた。
士キン兄上と同じくらいの年だろうか。
顔には精気がなく青白いが、その瞳は燃え上がり、まるで軍人の様な活力が漲っている。
「お前が、雷豊か。商人と聞いた」
「左様です。現在、曹操軍の一万が押し寄せております。この防衛戦でのみ、一時的に軍師の役職を頂いております」
「軍略も分かるのか。珍しい商人だ」
これが病床に伏せる人の声なのか。
そう思う程にキレが良く、ハキハキとした物言いだった。
僕の想像する劉琦という存在は、もっと弱々しく、劉備を頼るしかないような、そんな人だった。
しかし、逆だ。弱々しさはなく、その堂々たる気概は立派な群雄のそれだった。
自分こそが、この荊州の主なのだと。劉表の後継なのだと。
ただ、悲しいかな。
その気概こそが、劉琦の生涯を苦しいものとしてしまっていた。
「師父殿は今、襄陽からの軍を抑える水路に駐屯しているのか」
「はい。ただ、さらに陸兵で奇を突いてくるとは予想外でした」
「ここが落とされればどうなる」
「周瑜軍は背後を突かれ、劉備様は戦線の維持に意味がなくなり敗走。つまり、全体の敗北に繋がります」
「そうか……お前は正直で良いな」
子供の様に劉琦は笑う。
そして、言葉をつづけた。
「私を気遣って、皆、戦など起きてないという。調練だという。ここは、荊州は、私の土地だ。なのに、私は今起きていることも把握できていなかった」
この人がもし、ハンデを抱えずに生きることが出来ていれば、荊州はどうなったんだろう。
それは、分からない。現実を見る事しか今は出来ないからだ。
ただ、民を守り、土地を守る。この人はそういう意味では、立派な領主であった。
僕がもし同じ立場に置かれたら、この人のように強く在れるだろうか。
「それで、私の元を訪れたという事は、何か用があるのだろう? 言ってみよ」
「恐れ多くも、申し上げます。この戦、敗色があまりに濃い戦です。敵は歴戦の勇士、その総攻撃を受ければ兵士の士気が折れてしまいます」
「だろうな。張遼と言えば、天下に聞こえる名将だ」
「劉琦様に、この戦の指揮を執っていただきたいのです。どの兵士よりも前に立ち、敵を斬ってほしいのです。大将の奮戦は、兵の士気をこれ以上に無く上げるでしょう」
「ほぅ……私は、戦場に立っていいのか?」
意外な反応だった。
なんというか、別に何もしてないけどお小遣いをもらった子供みたいな。
「と、申しますと」
「いや、戦場とは縁遠い人生であった。それに私が前線に立つだけで、兵は本当に士気が奮うのか?」
「勿論です。軍の実権こそ劉備様にありますが、民が劉備様に従うのは、その上に劉琦様が居られるから。その大将が剣を振るうのです、兵も死に物狂いになりましょう」
「そうか、そうか……私が、大将か。これほど嬉しいことはない。民の、兵の為に戦う。これほど、私は自分の人生に喜びを感じたことはない」
劉琦は笑い、そして泣く。
僕はそれを見ることが出来ず、ただ、下を向いていた。
「雷豊」
「ハッ」
「お前は良い軍師になる。良い将になる」
「滅相も御座いません。私は、ただの商人です」
「これほどまでに、人を嬉々として死地に赴かせる策を編み出せるのだ。これは嫌味ではない。乱世において、何よりも大切なことだと思う」
「……申し訳ありません」
「謝るな。それは死地へ向かう人間への侮辱だ。胸を張れ。自分を誇れ。それが戦だ」
「はい」
劉琦はその細い足で立ち上がり、鎧を持てと命を下す。
鎧は、僕が用意させたものだった。
まさに、人の上に立つ者にふさわしい、派手で高貴な鎧である。
「ハハハッ! 流石だ、雷豊! 最高の舞台に、最高の衣装。これで引き下がれば、男が廃るというものよ!!」
嬉々として戦場へと進み、部屋を出る。
居室には僕が一人、頭を下げていた。
そうか、どうして僕が戦うことを選んだのか、ようやく分かった。
僕もまた、この時代に生まれた男なのだという気概が、どこかにあったんだ。
そして糜芳さんや、劉琦さんを始めとした、多くの将兵と触れあって、彼らの志を知った。
どうにかして、彼らを勝たせなくてはならない。
傲慢だが、真剣だった。
頑張っている人達を、応援したい。僕の行動原理は結局、全てそこに行きつくのだ。
ようやく、その意味に少しだけ、触れることが出来たのかもしれない。
スリキンの劉琦って、マジで死にそうな顔色してるからちょっと見てて痛々しかった。
誰かこの感覚分かってくれないかしらん(笑)
次回は、糜芳VS張遼。
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それではまた次回。




