第22話 複合魔法
俺はかなりの速度で空を飛び続けていた。
ブレートの街を出てから、すでにそれなりの時間が経っている。
それでも、まだまだ先へ進む。
そして――三十分も経たないうちに、先日のオークの砦があった辺りを通り過ぎた。
「……ここから先は、まだ行ったことないな」
眼下に広がる森を眺める。
見慣れた景色が少しずつ変わってきている。
木々はより大きくなり、魔物の気配も先ほどまでとは明らかに違う。
俺はそのまま速度を落とさず、さらに森の奥へと飛んでいった。
◆
「……ここまで来れば、だいぶ奥だろう」
俺は空中で少し速度を落とし、周囲を見渡した。
「来た感じ、歩きだったら四日はかかりそうな距離を飛んだな……」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
それだけ離れれば、当然ながらブレート周辺で見かける魔物とは種類も強さも変わってくる。
俺はしばらく空から森を眺めながら、目についた魔物を倒していくことにした。
上空から魔法を放ち、魔物を倒す。
強そうな魔物がいれば近づいて戦ってみる。
そんなことを繰り返していた。
だが――。
「……そういや俺、雷魔法しか使ってないな」
ふと、そんなことを思い出した。
人間の街へ来てからというもの、ほとんど雷魔法しか使っていない。
魔剣士という職業を選んだこともあって、俺の好みな雷魔法ばかり使っていた。
だが、俺は雷魔法だけが得意というわけではない。
悪魔である俺は、闇魔法も得意だ。
「せっかくだし、闇魔法も使ってみるか」
俺はそう呟いて、少し考える。
闇魔法だけでもいい。
だが――。
「でも、雷魔法も捨てがたいんだよなぁ」
雷魔法の速度。
闇魔法の性質。
この二つを組み合わせたあれ
「……複合魔法、試してみるか」
そう決めた俺は、魔法を試すのにちょうどいい相手を探し始めた。
どうせなら、そこそこ強い魔物がいい。
威力を確かめるなら、大物の方が分かりやすい。
俺は空から森を見下ろしながら、魔力の強い反応を探す。
「……お?」
しばらく飛んでいると、森の一角に明らかに強そうな魔力を感じた。
俺はそちらへ向かって高度を下げる。
そして――。
「……鬼?」
そこにいたのは、巨大な身体を持つ鬼のような魔物だった。
筋肉質な身体。
頭には大きな角。
周囲には、目に見えるほど濃い魔力が漂っている。
見るからに強そうだ。
「うん。あいつでいいか」
俺は空中で止まり、魔力を集中させる。
まずは――拘束。
「――冥雷鎖」
俺が小さく呟いた瞬間。
空に黒い雷雲が現れた。
ゴロゴロゴロ……。
雷鳴が響く。
そして――。
一本の黒い雷が、鬼へ向かって落ちた。
――バチィッ!!
だが、その雷は鬼を攻撃することなく、身体へ絡みつく。
まるで鎖のように黒い雷が鬼の身体を縛り、その動きを完全に封じ込めた。
「おお」
思わず声が出る。
狙い通りだ。
これは闇と雷を組み合わせた拘束魔法。
雷の性質によって相手の動きを封じ、闇の力でその拘束を強化する。
もう少し魔力を込めれば、相手を麻痺させることも可能だ。
ただ――。
「まぁ、今回は動きを止めるだけでいいか」
実験だから、そこまでやる必要はない。
鬼は必死に身体を動かそうとしている。
だが、黒い雷の鎖はびくともしない。
「じゃあ、次」
俺はもう一度、空を見上げる。
先ほどとは比べ物にならないほど大量の魔力を集める。
黒い雷雲が広がっていく。
ゴロゴロゴロ……。
バチッ。
バチバチッ。
雷鳴と放電音が、森の奥へ響き渡る。
「――黒雷天墜」
俺がそう呟いてからも、すぐには雷は落ちなかった。
数分。
黒い雷雲が、ただひたすらに魔力を蓄えていく。
鬼は逃げることもできない。
ただ、その場で拘束されている。
そして――。
雷雲の中で、ひときわ大きな雷光が走った。
次の瞬間。
――ゴォォォンッ!!
一条の巨大な黒雷が、空から地面へと落ちた。
まるで神が天上から放った雷霆のような一撃。
巨大な黒雷は、拘束された鬼へ一直線に突き刺さった。
――バァァァンッ!!
凄まじい轟音。
森の木々が揺れ、周囲の空気までも震える。
しばらくして、雷鳴が消えていく。
「……」
俺は空中から、地上を見下ろした。
「これはまた、すごい威力だなぁ」
さすがに俺自身も少し驚く。
普通の雷魔法よりも、明らかに威力が高い。
ただし――。
「普通の雷魔法より溜めがあるから、使い所を考えないといけないなぁ」
戦闘中に数分も準備するのは、さすがに使いづらい。
先ほどのように拘束魔法と組み合わせるか、あるいは相手が動けない状況で使う必要があるだろう。
俺はそう考えながら、地上へ降りていく。
黒雷が落ちた場所には、まだ僅かに煙が立ち込めていた。
そして、その中心には――。
「……角だけ残ったか」
鬼の身体は、ほとんどが黒く焦げていた。
その中で、頭に生えていた二本の角だけが残っている。
「まぁ、これなら冒険者ギルドで売れるだろ」
俺は角を拾い上げる。
それなりの大きさだ。
素材として使えるなら、そこそこの値段になるかもしれない。
俺は魔槍を使って角を切り落とし、そのまま左手に持った。
「よし」
これで実験も終わりだ。
新しい魔法も試せた。
素材も手に入った。
「もう少し奥まで行ってみるか」
俺は地面を蹴った。
身体が一気に空へ浮かび上がる。
そして再び、魔の森の奥へ向かって飛び始めた。
◆
――時は戻り、調査隊が街に戻った次の日。
場所は変わり、ブレート。
領主邸の一室では、一人の男が机に向かっていた。
「ふぅ……やっと仕事が終わったかぁ」
書類の山を前に、私は大きく息を吐いた。
窓の外を見る。
いつの間にか、空は夕暮れに染まっていた。
「もう夕方かぁ。昼を食べてから、だいぶ時間が経ったのだな」
私は水差しに手を伸ばし、中の水で喉を潤す。
その時だった。
コンコン。
部屋の扉がノックされた。
「入りたまえ」
そう答えると、扉が開く。
「失礼します、御当主様」
入ってきたのは、この屋敷に仕える執事だった。
「お客様が来られております」
「その、お客様とは?」
「Sランク冒険者――『王風』のハステ様です」
「……ハステ殿が?」
私は一瞬、嫌な予感がした。
そして、執事に聞こえないように小さく呟く。
「……また厄介事か」
ハステ殿は優秀な冒険者だ。
それは間違いない。
だが、わざわざ領主邸まで訪ねてくるとなれば、何かあると考えるのが普通だ。
「ハステ殿なら、お連れしなさい」
「かしこまりました」
執事は一礼して部屋を出ていった。
◆
数分後。
再び扉がノックされた。
「入りたまえ」
「失礼します」
扉が開き、執事とハステ殿が入ってくる。
「ハステ殿、よく来てくれた」
「やぁ、ライア君」
ハステ殿はいつもの軽い調子で笑っている。
私は執事へ声を掛けた。
「何かお茶を」
「かしこまりました」
執事がお茶の準備を始める。
やがてテーブルに二人分の茶が置かれ、執事は一礼して部屋を出ていった。
「ところで、ハステ殿はどんな御用で?」
「ああ、それなんだけどね」
ハステ殿は椅子に座りながら、少し考えるような仕草をする。
「君、調査隊から聞いてるだろ? オークロードの突然変異らしき個体のこと」
「それなら、昨日聞きましたよ」
私は頷く。
調査隊からの報告では、オークロードが通常では確認されていない魔法を使ったらしい。
結局、原因は分からず、突然変異によるものではないかという結論になっていた。
「それなんだけどね」
ハステ殿が紅茶を一口飲む。
「風の噂で聞いたんだけど、サルドたちが押されたらしくてね」
「……あのサルドが?」
「ああ」
ハステ殿は頷く。
「負けそうになったらしいよ」
「……」
私は思わず黙り込む。
サルド。
冒険者の間やギルドで『剛力』の正式な二つ名で知られるAランク冒険者。
そのサルドたちが、オークロードに押された。
「それだけなら、まだ分かるんだけどね」
ハステ殿は続ける。
「その時、あの集落を見つけて今回の調査の発端になったDランク冒険者が、オークロードとサルドたちの間に割って入ったらしい」
「Dランクが……?」
「そう」
ハステ殿は楽しそうに笑う。
「最初は誰もが、サルドたちを逃がすための時間稼ぎだと思ったらしい」
そこで一度、言葉を切る。
「でもね――」
ハステ殿の目が少し楽しそうに細められた。
「その冒険者、なんと雷を鎧のように纏って戦ったらしいんだ」
「雷を……鎧に?」
「そう。それだけでもDランクとは思えないだろう?」
私は頷くことしかできない。
「しかも、サルドたちが目で追うのが精一杯なほどの速度だったらしい」
「…………」
嫌な汗が背中を伝う。
話が、どんどんおかしな方向へ進んでいる。
「そしてね」
ハステ殿は楽しそうに続ける。
「その冒険者は、オークロードと二十分ほど戦ったらしい」
「二十分……」
「うん」
そして――。
「突然、その冒険者の動きが消えた」
「……消えた?」
「正確には、あまりにも速くて見えなかったんだろうね」
ハステ殿は肩をすくめる。
「次にサルドたちが見た時には、その冒険者がオークロードの背後に回っていて――」
一拍。
「そのまま一撃で倒したらしい」
「…………」
私は言葉を失った。
Dランク冒険者。
雷を纏う。
Aランク冒険者でも追いきれない速度。
そして――オークロードを討伐。
「すごいよねぇ」
ハステ殿はどこか楽しそうだ。
「しかも僕が話を聞いた限りだと、その冒険者――」
ハステ殿は少しだけ笑みを深くする。
「サルドたちでも敵わなかったオークロードを、遊んでいたみたいなんだよねぇ」
「……遊んでいた?」
「そう」
私は思わず額に手を当てる。
にわかには信じがたい話だ。
「僕の考察なんだけどね」
ハステ殿が言う。
「まだ確定じゃないけど、その冒険者――魔の森で確認された、あの軍団級魔法を放った人物なんじゃないかと思うんだよね」
「……!」
私は思わず顔を上げた。
以前、魔の森で確認された異常な雷魔法。
そして今回の調査。
まさか、それが同一人物だというのか。
「もちろん、これは僕の推測だけどね」
ハステ殿はそう付け加える。
「それと、これは余談なんだけど……」
「まだ何かあるのですか?」
「その冒険者、正式な二つ名じゃないけど、冒険者たちから『雷鎧』って呼ばれてるんだって」
「……雷鎧」
私はその名を反芻する。
確かに、その話だけ聞けばぴったりな名前だ。
しかし――。
私は冷や汗を感じていた。
調査隊から聞いた報告では、オークロードの砦を襲撃したという程度の話だった。
そんな強者がその場にいたなど、詳しい話は聞いていない。
いや。
そもそも――。
私は自分が出した指示を思い返す。
現状ではスタンピードの証拠はない。
新たな集落や砦も確認されていない。
ならば、警戒は続けるとしても、これ以上大規模な対策を取る必要はない。
そう判断した。
だが――。
「……これで、本当に良かったのだろうか」
思わず、小さく呟く。
「ん? 何か言った?」
「い、いえ」
私は首を振った。
考えすぎだ。
今のところ、これ以上できることはない。
そう自分に言い聞かせ、頭の隅へ押し込んだ。
「あ、あの『剛力』のサルドが押される……?」
「ああ、そうみたいなんだよねぇ」
ハステ殿はいつもの調子で答える。
「まぁ、僕の風の噂は正確だからさ。そこは気にしなくていいよ」
「……そうですか」
その言葉が、逆に不安を煽る。
「あと、もう一つ僕から」
ハステ殿が立ち上がる。
「もしオークのスタンピードが起きるなら、オークロードの突然変異らしき個体も出たことだし、面白そうだから絶対に手伝ってあげるよ」
「ハステ殿が……?」
私は驚く。
「それは心強い。助かります」
「まぁ、そういうことだから」
ハステ殿は笑った。
「僕はこれで失礼するね」
「ああ。お気をつけて」
ハステ殿はそのまま部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静寂が戻った部屋で、私はしばらく何も言えなかった。
「……魔の森で、いったい何が起こっているのやら」
窓の外を見る。
夕暮れの先。
遠くには、あの魔の森が広がっている。
「スタンピードが起きなければいいが……」
私はそう呟き、深いため息を吐いた。




