第19章:始動(イニシアチブ)
少年は石畳にブーツの音を響かせながら駆け出し、やがて路地の闇へと消えていった。
マルクスは手を下ろさなかった。男を宙に吊るしたまま、その視線は冷徹そのものだった。まるで、その命にどれほどの価値があるのか……あるいは、そもそも価値などあるのかを値踏みしているかのように。
「もっとマシな運命を与えてやろう……」
「傲慢」の長男の顔に、歪んだ笑みが浮かぶ。
彼は男をそのまま路地の奥へと連れ込んだ。
乾いた破裂音が一つ響き、直後に死のような静寂が訪れた。あとに続いたのは、煙の匂いだけだった。
数秒後、路地の薄闇の中で、消えかけた火の粉が舞った。声を持たぬ囁きのように、淡くしつこい煙が湿った石畳を這っていく。あの乾いた音の後に、悲鳴はなかった。ただ、何かが砕け……何かが霧散する、微かな音があっただけだ。
マルクスは入った時と同じ静けさを纏って路地から出てきた。衣服には乱れ一つない。何が起きたのかを示す痕跡は、マントの端にこびりついた微かな灰の香りだけだった。
彼の足音が、ムンケンを覆う濃霧の間に響く。その姿は薄暗い街灯と眠る屋根の間に滲み、溶け込んでいった。
秩序は回復された。今のところは。
ムンケンの夜は、完全な平穏とは言い難い沈黙と共に訪れた。それは街全体が息を潜めているような、張り詰めた静けさだった。近くの山々から降りてきた霧が、亡霊のヴェールの如くあらゆる場所を包み込み、石畳の道は湿り気を帯びている。
傾いた屋根と、年月を経て黒ずんだ木の壁を持つ小さな宿屋の一室。頼りないオイルランプの灯りだけが照らす部屋で、三つの人影がテーブルを囲んでいた。
アリスは背の高い椅子に座り、灰色のウールのマントにくるまって足を組んでいた。曇ったガラスの向こう、窓の外を見つめるその水色の瞳は、ガラスに溜まる水蒸気のように重なる思考の中に没入している。
クレアは長椅子に寝そべり、足を伸ばしていた。高いブーツの下で尻尾を気だるげに丸め、小さな短剣で爪を掃除している。そのサキュバスが漂わせているのは、苛立ちと退屈が入り混じった空気だった。危険のない日々が続くことが、彼女にとっては拷問に近いらしい。
対照的に、ケンは暖炉のそばで膝を抱え、そこに顎を乗せて座っていた。ここ二週間の旅の光景を炎の中に見ているかのように、瞬きもせずに火を見つめている。
「丸二週間、誰にも命を狙われないなんてね」
クレアは大げさな欠伸と共に言った。
「この旅行、過大評価されてたんじゃない?」
「そう思う?」
アリスは窓から視線を外し、ゆっくりと彼女の方へ顔を向けた。
「私はむしろ、主要街道を避け続け、馬小屋や森の中で眠り、常に気配を殺し続けなければならないことが……ひどく消耗することだと思っていたけれど」
クレアは小首をかしげ、皮肉たっぷりの笑みを向けた。
「貴女は正しいわ。誰かが殺そうとしてくる方がずっと楽しいもの。少なくともそうすれば、ケンの話に興味があるフリをしなくて済むし」
「あのね」
隅の方からインキュバスが眉を上げて呟いた。
「僕、すぐここにいるんだけど」
アリスは短く笑ったが、その笑みは現れたのと同じ速さで消えた。彼女はテーブルの上で組んだ手に視線を落とした。
「いろんなことがあったわ」
彼女は低い声で言った。
「以前、数ヶ月前まで……私は小屋で一人で暮らしていた。時々、貴女が来てくれたけど、それ以上の付き合いはなかった。それからケンが来て、今はマルクスがいる……。すべてが変わったわ」
クレアが伸びをすると、身につけた革のコルセットが微かにきしんだ。
「そうね。貴女がそんな風に話すのを見るのは奇妙な感じよ……。ポーションを作って隠れること以上の『目的』を持ったみたいに見える」
ケンが立ち上がり、少し緊張した様子で椅子を引きずってテーブルまで来ると、二人のそばに腰を下ろした。
「文句を言うわけじゃないけど……僕も、アリスが変わったのを感じてたよ。……悪くない変化だと思う、正直なところ」
アリスは頷き、その目を再び炎に向けた。
「今、分かったからよ。初めてね。私は答えを見つけなきゃいけない。私自身について。母について。私が何者で……何になれるのかについて」
クレアは短剣で遊ぶのをやめ、脇のサイドテーブルに置いた。その赤い瞳がアリスを見る。いつものからかうような光はなく、真剣だった。
「マルクスの影響ね。悪い意味で言ってるんじゃないわ……でも、分かるの。彼が来てから、貴女の眼差しは変わった」
「彼は思い出させてくれるの。私が、自分で思っていた以上の存在なんだってことを……」
アリスは呟いた。
「感じるのよ、何かが……私がまだ知らない何かが在るのを。これを無視するのは、他人に自分の運命を決めさせるのと同じことだわ」
ケンは視線を下げ、チュニックの袖口をいじった。
「時々、場違いな気がするんだ。まるで……僕だけ余計なんじゃないかって」
アリスは彼を見た。その表情が和らぐ。
「ケン、ここに余計な人なんていないわ。貴方がここにいるのは、私が貴方を信頼しているから。貴方は見返りを求めずに来てくれた。ただ……来てくれたのよ」
クレアは腕を組み、鼻を鳴らした。
「おセンチねぇ。このままじゃ、月の下で抱き合って泣き出しそう」
「そんな言い方しないの」アリスは疲れたような笑みで返した。「貴女だって、自分で選んでここにいるんでしょ」
クレアは何も言わなかったが、一瞬だけ目を伏せた。その短く重い沈黙の中で、言葉以上の何かが語られた。
ケンは肩をすくめ、再び立ち上がって伸びをした。
「さてと……明日も早いなら、もう寝るよ。マルクスに『これだからグループの弱点は』みたいな顔で見られたくないし。僕が何も言わなくても、彼はそういう目で見てくるけどさ……」
クレアは横向きに寝直しながら、喉の奥で笑った。
「あれは彼のデフォルトの顔よ、可愛い子ちゃん」
アリスは笑わなかったが、その唇は優しく弧を描いていた。
「おやすみ、ケン」
「おやすみ、アリス……クレアも」
「カラスの夢でも見なさい」サキュバスは皮肉っぽく首を傾げて答えた。
ケンが毛布のある隅へと引き下がると、暖炉の火が爆ぜ、夜風が鎧戸をかすかに揺らした。テーブルでは、クレアとアリスが数分間、沈黙を保っていた。
「で、貴女は?」
クレアは彼女を見ずに尋ねた。
「寝るの?」
アリスは再び窓の外を見た。通りには誰もいない。だが、ムンケンの何かが、不在ではなかった。彼女はそれを知っていた。感じていた。
「まだよ」
彼女は囁いた。
「マルクスが今夜戻ってくるか……確かめたいの」




