第11章:過去の代償
大悪魔の唇が、急ぐことなくゆっくりと弧を描き、穏やかで広い一筋の線を形作った。片方の口角がわずかに高く上がる。
「見事だ。二度目の指示で、人類が八十四年かけて開発し習得した境地に、焦ることもなく到達するとは……。実のところ、それは我々悪魔が二千年以上前に、最初の人間魔術師たちから取り入れた技術なのだがな」
クレアは軽く鼻を鳴らしたが、今回ばかりは傲慢さではなく、驚嘆の色が混じっていた。
「人間が『不可能』を可能にする才能を持ってるのは知ってたけど……」彼女は一瞬うつ向き、体の力を完全に抜いて呟いた。「こうして目の当たりにすると、別物ね」
ケンは目を開け、真剣な顔に微かな笑みを浮かべた。
「規律は集中の問題だ……。でも、彼女は直感を持っている」と、横目でアリスを見る。
アリスは深く息を吸い、頬を僅かに染めた。
「貴方の言った通りにして……感じたままにやっただけよ」
クレアは誇らしさと諦めが入り混じった表情で彼女を見た。
「貴女はいつも、他人が何年もかけて苦労することを、いとも簡単そうにやってのけるのよね」
今度の声色は柔らかく、皮肉はなかった。
アリスは視線を落とし、唇を引き結んで笑みを噛み殺した。
「それが良いことなら……これから起こることに立ち向かえるようでありたいわ」
ケンは無言で頷き、視線をマルクスに戻して次の教えを待った。
「さて……。あとはそれを維持するだけだ」
彼は首を左右に鳴らしてから溜息をつき、床に座ったまま小屋の壁に背を預けた。
「残りの生涯……私に関して言えば、マナを隠す方法を発見して以来、二千四百年以上隠し続けているがな」
クレアは感嘆と疲労が入り混じった目で、小さく舌打ちをした。
「永遠じゃない……」彼女は壁に頭をもたせかけて呟いた。「それほどの長い間、気を抜かずに制御し続けるなんて、想像もできないわ」
ケンは真剣な眼差しで彼を見た。声は低いが誠実だった。
「天使も悪魔も、貴方が生きていることを知らなかった理由はそれか」
アリスは彼を見つめた。その青い瞳は驚きと、僅かな目眩にも似た感覚で満ちていた。
「一度も……制御を解かなかったの?」彼女は声を潜めて尋ねた。「ただの一度も?」
クレアは短く、信じられないといった風に笑った。
「呼吸するようなものなんでしょうね……決っして溜息をつけない呼吸」
ケンはゆっくりと頷いた。
「あるいは睡眠か……常に片目を開けたままの」
アリスは杖を優しく握りしめ、呟いた。
「貴方の半分でもうまくできるようになりたいわ……たとえ、一時的なことだとしても」
「ある程度の時間を超えれば、無意識に行えるようになる……。君たちにもそうなってもらいたい。そうすれば、誰にも気づかれずに済む」
大悪魔はそう答えると、床に座ったまま目を閉じた。
「準備をしておけ……。明日の朝には出発する」
クレアはゆっくりと頷き、肩から緊張を解くような溜息をついた。
「それじゃあ……明日からが本当の旅の始まりね」
彼女は敏捷な動きで立ち上がった。
ケンは無言で立ち上がったが、その視線は扉に固定されていた。まるで来るべき危機を予期しているかのように。
アリスは数秒間沈黙し、マルクスを見つめていた。呼吸は穏やかだったが、その胸の内は問いと抑え込まれた感情で溢れていた。
やがて彼女も立ち上がり、杖を優しく握り直した。
「教えてくれてありがとう」彼女の囁きは微かだったが、心からの言葉だった。「無駄にはしないわ」
クレアは薄く笑い、横目でアリスを見た。
「ほら、休みなさい。明日は……全エネルギーが必要になるんだから」
ケンはただ頷いた。穏やかな表情の中に、緑色の瞳が決意の光を宿している。
言葉もなく、彼らは動き始めた。必要なものをまとめ、小屋に再び静寂が戻る。
大悪魔はしばらく沈黙を守っていたが、やがて溜息をついた。
「よく休むんだ。おそらく多くの町では宿を取れないだろう。私の存在は不信感しか生まない。私抜きの方が、君たちにとっても実用的で快適なはずだ」
そう言い残すと、彼は視線を伏せたまま小屋を出た。シンプルな「カチッ」という音と共に扉が開く。彼の姿は夜の濃い霧に紛れて森の奥へと消え、やがて一本の木を見つけると、その幹に背を預けて地面に座り込んだ。片目を閉じ、もう片方の目をわずかに開けたまま。
クレアは背後で静かに閉まる扉を見つめた。カチリという微かな音が静寂に響く。彼女は腕を組み、木製の扉をじっと見つめながら考え込んでいた。
「彼を完全に信用していいのかは分からないけど……。物語に出てくるような怪物には見えないわね」
隅の方から、ケンが低い声で言った。
「怪物と救世主は、時としてあまりにも似ているからな」
アリスは扉を見つめていた。胸が相反する感情で締め付けられる。憧れ、恐れ、感謝……そして、遠くからでも感じ取れる他者の深い悲しみ。
「彼はただ力だけを背負っているんじゃない……」彼女は自分自身に言い聞かせるように呟いた。「目を見れば分かるわ。彼は誰かについて来てほしいわけじゃない……けれど、独りでいたいわけでもないのよ」
クレアは溜息をつき、彼女の肩を軽く叩いた。
「さあ、休んで、小さな魔女さん。明日は長いわよ」
アリスは無言で頷いたが、部屋に戻る前、閉ざされた扉と……その向こうに広がる森に最後の一瞥を投げかけた。静寂の中で、彼女は彼におやすみを告げた。




