農村へ
レンが最初に言い出した。
「農村に戻る者が必要だ」
「理由は」とキコが聞いた。
「農村の若者たちが揉めている。大木を失った後、自分たちで仕組みを作ろうとして、まとまらない」
ルルが少し顔を上げた。「誰から聞いたの」
「末端のネットワークの外れから来た話だ」レンは言った。「確度は高くない。でも外れていない」
キコは算盤を開いた。カチ、カチ。農村の規模。人口。大木を失ってからの時間。若者の割合。揉めているという情報の伝播経路。
「行く」とキコは言った。
「誰が」
「俺と——」キコはルルを見た。「ルル」
ルルが頷いた。考える前に頷いた。
「俺も行く」とイノが言った。「農村の若者と話したい。俺が一番年が近い」
ボッグがイノの頭に手を置いた。叩かなかった。置いた。イノが「何だよ」と言いかけて、ボッグの顔を見て黙った。
「イノも行け」とボッグが言った。初めて聞く声の出し方だった。
イノが「え」という顔をした。
「ボッグが帝都に残る」とジグが言った。「俺とガルとレンもいる。農村はお前たちに任せる」
「俺に任せるのか」
「イノに任せるんじゃない」とジグは言った。「キコに任せる。お前はついていく」
イノが少し不満そうな顔をした。でも言い返さなかった。
農村への道は、川沿いに南へ下った。
前回この道を歩いた時は六人だった。今は三人だ。
川の音が変わった。帝都では機械の音に消されていた水の音が、ここでは聞こえる。石を叩く音、淀む音、速くなる音。帝都の川は、皆、暗渠の下にある。地図には載っているが、誰も見ていない。
ルルが前を歩いていた。イノが後ろを歩いていた。キコが中間にいた。
「遠いな」とイノが言った。出発から半刻も経っていない時だった。
「歩くしかない」とキコが言った。
「分かってる。ただ言っただけだ」
しばらく、三人とも黙った。川の音が続いた。
「帝都から出たの、初めてか」とルルがイノに聞いた。前を向いたまま、耳だけ後ろに傾けていた。
「……二回目だ」とイノが言った。「一回目は逃げてた」
「逃げてた?」
「追われてた、ってことだよ。上層の黒服に」
「それで帝都の外に出た?」
「森の端まで行ったら、向こうが追うのをやめた。縄張りの境目があるんだろうな。俺はそのまま戻った」
ルルが「なるほど」と言った。納得したような、していないような声だった。
イノがキコを見た。「お前は?」
「農村には一度来た」
「それより前は」
「ない」
「帝都の外に出たのが農村が初めて、ってことか」
「そうだ」
イノが少し黙った。「意外だな。なんか、全部知ってそうな顔してるのに」
「算盤で読める範囲は知っている。それだけだ」
川沿いの道が、少し細くなった。石が増えた。足元を選びながら歩く必要が出てきた。ルルはそれを気にしない様子で、同じ速度で歩き続けた。イノが石を踏んで少し躓いた。声は出さなかった。
「ねえ」とルルが言った。
「何だ」
「農村の若者たち、会ったことある人がいる?」
「タヌキの少年だけだ。あとは見ていない」
「どんな子たちだと思う」
「揉めている、という情報がある。それ以外は分からない」
「そうじゃなくて」とルルが言った。振り返らずに、川の方を見ながら言った。「キコはどんな子たちだと思う、って聞いてる。予測じゃなくて」
キコは少し間を置いた。「……分からない」
「それでいい」とルルが言った。なぜそれでいいのか、説明しなかった。
イノが「お前ら、なんで会話がそういう感じになるんだ」と言った。
「そういう感じ?」
「なんか……普通じゃない。でも嫌いじゃない」
ルルが少しだけ笑った声がした。
水田が見えてきた。前回と同じ場所から、同じように視界が開けた。でも季節が違う。稲の色が、あの時より濃かった。
あの時は六人で走っていた。今は三人で歩いている。
追われていない。
それだけで、見える景色が変わる。
農村が見えてきた頃、声がした。
「来ると思ってた」
若い声だった。見ると、麦わらで編んだ帽子をかぶったタヌキの少年が、畦道に座っていた。あの時、大木の前で見た顔だった。
「座標を知っていたか」とキコが言った。
「知らない。でも、あの後誰かが来るとしたら、あんたらだと思ってた」
「何故だ」
「走り方が違う」タヌキが立ち上がった。「逃げてない走り方だ」
キコは答えなかった。算盤を握り直した。
「揉めているそうだな」
タヌキが帽子のつばを引いた。「まあ」
「見せてくれ」
広場は集会所の前にあった。
十人以上の若者が、輪になったり、分かれたり、また集まったりしていた。声が重なっていた。意見が重なっていた。言いたいことが多すぎて、誰の言葉も通らなかった。
「あれだ」とタヌキが言った。
「何をしようとしている」
「仕組みを作ろうとしている。大木があった時は大木が全部やってた。今は何もない。だから一から作ろうとして、全員が自分のやり方で作ろうとして、まとまらない」
「何日続いている」
「十日」
キコは算盤を開いた。カチ、カチ。十日。人数。声の方向の分布。まとまらない原因は意見の違いではなく、意見を出す順番と量の問題だと、数値に見えた。
イノが輪の外から中を見ていた。食い入るように見ていた。
「あいつらと話せるか」とイノがタヌキに聞いた。
「話せる。何の話をする」
「俺も同じことを考えてたから」とイノは言った。「悪者を倒せば終わると思ってた時のことを」
タヌキがイノを見た。値踏みするような目だった。それからキコを見た。
「いいか」とキコが頷いた。
イノが輪の方へ歩き出した。




