精霊国の王太子
オークションの昼休憩に俺はギルド長のシエラに連れられて、会場の近くの喫茶店に来た。急に金持ちになったが、税金についてはかつてと同じルールのようだった。俺はシエラに確定申告面倒臭いからその対応もお願いした。彼女は嫌な顔せずに受け入れてくれた。ただし、午後のオークションの再開時に余興を演じてほしいと頼まれた。
昼休憩後…
会場に来場者が戻ったことを確認すると彼女は声をかけた。
オークション会場の喧騒が一瞬で静まり返った。私が召喚呪文の最後の一節を唱え終えると、魔法陣が眩い光を放ち、空間そのものが歪んだ。
「ふん…久しぶりだな、相棒」
低く響く声は、会場の大理石の床を微かに震わせた。光が収束すると、そこには銀色の毛並みが月明かりのように輝く巨大な狼がいた。その体長は軽く三メートルを超え、黄金の瞳は知性と威厳に満ちていた。精霊国の王太子、フェンリル・ジルヴァーナ・ドラコニア――私が「ジル」と呼ぶ従魔であり、戦友であり、異世界を旅した最後の世界で出会った、かけがえのない相棒だ。
「お前もな、ジル」
私は自然と笑みを浮かべた。彼の姿を見るのは、この世界に戻ってきてから初めてだった。召喚には膨大な魔力が必要で、しかも精霊国の王族を呼び出すには相応の「理由」が求められる。今日の余興は、十分すぎる理由にはならない。あとで怒られるかもしれん。
会場は一瞬の沈黙の後、爆発的な歓声と驚嘆の声に包まれた。
「あれは…伝説のフェンリル…?」
「精霊国の王太子?どうして王族をよびだせるのだ…というがなぜ…?」
「あの甲冑とローブは…?」
シエラがステージ脇で満足そうに微笑んでいるのが視界の端に入った。東アジア総合ギルド長として、これ以上の宣伝はないだろう。
ジルが優雅に首を傾げた。
「随分と賑やかな場所に呼び出したな。オークションか?また変なものに大金を投げているのか?」
「今回は売る側だ」
私は彼の横に立ち、観衆に向き直った。
「ご紹介しよう。彼は私の従魔であり、精霊国の王太子、フェンリル・ジルヴァーナ・ドラコニア殿下だ。今日は特別に、彼の魔力の一端をお見せしよう」
ジルはため息をついたが、私の提案を拒む素振りはなかった。むしろ、彼の目には少しばかりの楽しげな輝きが宿っている。
「では、簡単なデモンストレーションを」
私がそう言うと、ジルはゆっくりと口を開いた。言葉ではなく、古代精霊語による詠唱が会場に響き渡る。それは音楽のように美しく、同時に圧倒的な威圧感を伴っていた。
天井近くに、無数の光の粒子が現れた。それらが集まり、精霊国の風景――銀色に輝く森、水晶のような川、空を舞う光の精霊たち――を幻影として描き出した。温度が心地よく下がり、会場全体に清涼な空気が流れ込んだ。人々は息を呑み、その美しさに目を見開いた。
「これが精霊魔法の一端だ」
私は説明した。「攻撃だけでなく、創造と癒しの力も兼ね備えている」
幻影が消えると、今度はジルの周囲に微かな霜が舞い始めた。それが複雑な幾何学模様を描き、最後には私とジルを囲む保護結界となった。
「防御魔法だ。これだけで、上位魔族の一撃すら防げる。君達にも分かりやすく説明するなら、Sランクの魔物の一撃も容易く防ぐことができる」
結界が消えると、会場から拍手が湧き起こった。それは畏敬の念に満ちた拍手だった。
「質問がある者は?」
私が尋ねると、すぐに一人の高齢の魔術師が手を挙げた。
「失礼ですが…なぜ精霊国の王太子が従魔契約を?それも、人間と?」
良い質問だ。私はジルを見た。彼が答えるだろう。
ジルはゆっくりと前足を交差させ、まるで玉座に座る王のように優雅な姿勢を取った。
「面白い質問だ。簡単に言えば、彼は『値する』からだ。私は千年以上生きてきたが、これほどまでに愚直で、頑固で、それでいて心からの信頼を置ける者には会ったことがない」
彼の言葉に、私は少し照れくさくなった。
「彼は精霊国を滅亡の危機から救った。代償として、私の力を借りたいと言った。それがこの契約だ」ジルは一瞬間を置いた。
「だが今では、単なる契約を超えたものになっている。彼は私の友であり、私がこの世界で唯一、完全に信頼を置く存在だ」
その言葉に、会場は再び静かになった。異世界とはいえ一国の王太子がここまで一人の人間を称えるのは、稀なケースだからだ。
シエラがステージに上がってきた。
「これにて余興は終了です。ジル殿下、ご協力ありがとうございました」
ジルは軽くうなずいた。
「では、そろそろ帰るとするか。相棒、また必要があれば呼べ。ただし、次はもっとまともな場所でな」
「約束する」
私は再び召喚解除の呪文を唱え始めた。ジルの体が光の粒子に分解されていく。
「それと、相棒」
彼の声が直接私の心に響いた。
「お前がこちらの世界で楽しげにやっているのを見られて良かった。時々、こっちにも遊びに来い。国民ものお前に会いたがっている。」
「あぁ…必ず行く」
最後の光が消え、ジルは去った。会場には、彼の残した微かな冷気と、不思議な安らぎだけが残された。
シエラが私に近づき、小声で言った。
「これで、あなたの『価値』を疑う者はもういないわ。ギルドの株価が上がるのが目に見えている」
「それより、確定申告の方を頼むよ」
彼女は笑った。
「心配しないで。でも、次に何か『余興』を頼むときは、前もって教えてね。心臓に悪いから」
オークションはまだ続く。あくまで、余興を披露したにすぎないからだ。
観客席へ振り返ると、人々の視線が変わっているのに気づいた。以前は好奇と疑いの混じった目だったが、今は尊敬と畏怖の念に満ちていた。
ジルが言ったように、楽しげかはまだ分からないが、向こうよりはまともな生活を送るている気がする。大金が手に入り、面倒な事務作業はシエラに任せ、時々相棒に会える。側には家族がいる。これ以上何がいるのか。
これから俺の思い出の品を競りにかけていく。俺は楽しみで仕方がなかった。




