最終話 Sweet November 3
白いベットに半身を起き上がらせた銀千代は俺の来訪を認めると力無く微笑み、
「……ゆーくん」とか細く名前を呼んだ。
目を覚ましていたことに安堵しながら俺は静かに彼女の元に歩み寄った。
全身に包帯が巻かれているが、顔に生気がみなぎっている。
「無事でよかったぁ……」
「いや、それ、俺のセリフだから。よかったよ。目を覚ましてくれて」
お医者さんが銀千代の体の状況を俺にもわかるように丁寧説明してくれた。幸いにして、骨は折れていなかったようだが、念のため検査入院というカタチになったらしい。
お医者さんと看護師さんが退室したあと、俺はお見舞い用のパイプ椅子に腰を下ろした。
「すまなかったな。あと、ありがとう」
小さく頭を下げると、銀千代は泣きそうな顔のまま目を閉じた。
「……」
「銀千代?」
「……」
いつも無駄に饒舌な銀千代が口を真一文に引き結びじっとうつむいている。どこか覚悟を決めたようなそんな表情をしている。
「どうした? 痛むのか?」
「ゆーくん、怪我させてごめんなさい」
銀千代は潤んだ瞳で俺の額のガーゼを見つめていた。
「あぁ、これ。お前に比べたらなんてことないよ。大げさなんだよな」
「銀千代は本当にダメなカノジョだね。ゆーくんのことを悲しませてばっか。本当、本当……」
シーツをギュッと握りしめる。シワがひび割れのように広がった。
「何言ってんだよ。お前が助けてくれなかったらもっと大怪我になってたかもしれないだろう」
「ゆーくんのこと大切なのに、銀千代は傷つけてばかりいる。なんでこんなことになったんだろうね。幸せになりたいだけなのに。銀千代はゆーくんを愛しているけど、それだけじゃきっとダメなのかもしれない」
「何言ってるんだよ」
らしからぬ殊勝な物言いに、いつもみたいに、頭でも打ったのか? と皮肉が口をつきそうになったが、縁起でもないので、口を噤んだ。
しばしの沈黙のあと、
「お前のおかげで俺は」
俺の言葉を遮るように銀千代は続けた。
「銀千代はゆーくんのことを心から愛してるよ。嘘じゃない。誰よりも幸せになってほしいと思ってるの」
「……伝わってるよ」
「だからこそ、銀千代が原因でゆーくんが傷つくの見てられないの」
銀千代は顔上げた。澄んだ瞳には涙がにじみ、今にも泣き出しそうな表情をしている。包帯の巻かれた右手をゆっくりと差し出して、俺のオデコをそっと撫でた。
「本当にごめんなさい」
「こんな傷……なんてことないよ。お前に比べたら」
「ゆーくんの優しさに、ずっと甘えていたのかもしれない。大切な人を傷つける愛情なら、無いほうがずっとマシ」
桃色に紅潮した頬に涙の粒が一筋すっと溢れる。
「ゆーくん、今までありがとう」
「何言ってんだ、お前……」
「……わかるでしょ」
「なにが」
彼女の表情は暗く硬い。
何度かパクパクと口を開閉していた銀千代は絞り出すように
「……別れよう」
と、蚊の鳴く様な声で呟いた。告げられた言葉に、
「はぁ?」
自身でも驚くほど、素っ頓狂な声を上げていた。
銀千代の言葉が耳に届くより先に現状の理解不能な発言に口があんぐりと空いてしまった。
「何言ってんの?」
俺が言うならまだしも、まさかの発言に開いた口がふさがらない。
「銀千代は本当にゆーくんのことを愛してるの。心の底から、世界中の誰よりも、ずっと幸せでいてほしいと祈ってる。だから、……だから銀千代がゆーくんの幸せを妨げる要因になり得るのなら、……そんな物はこの世に無くていいと思ってる」
「支離滅裂すぎるだろ」
今に始まったことじゃないが、
「思考が短絡的すぎる」
「銀千代と付き合ってて、ゆーくんは幸せだった? 満たされていた? 銀千代は幸せだったけど、ゆーくんは幸せだった?」
「そんなん、お前……」
俺が言葉を紡ぐよりも先に銀千代は口を開いた。
「私の押しが強いから、ゆーくんをたくさん困らせていただけなんだと思う。無理矢理、……そう、無理矢理、ゆーくんの心を支配しようとしていただけで、……そんな物は本当の【愛】とは呼ばない」
銀千代は泣いていた。声はいつも通り気丈だったが、水分を全部出し切るんじゃないかと言うほどの勢いで、彼女の瞳から滝のような涙が流れ続けていた。
「ゆーくんが幸せならそれでいい。ゆーくんが傷つく原因が私なら、そんなものはこの世にあるべきではない。消えてしまえばいい。我儘で、エゴを押し付けて、困らせて、本当に困らせてばかりで、ごめんなさい。口先ばっかり、大好きだとか愛しているとか、責任の無いことを言って、なにも、変わろうともせずに、自分のことばかり考えていて、大事な人の事を一番に考えていなかった。自分さえ良ければいいなんて、私はそんなものを愛なんて呼ばない。断じて……」
病室の窓の向こうは日暮れて、カラスが鳴き声を上げていた。西日が差し込んだ室内はオレンジ色に照らされている。銀千代はゆっくりと、俺から視線を外すように外を眺めた。黄金色に輝く雲が流れていた。
「……ゆーくんと出会えて、本当に良かった。これは嘘じゃない。でもゆーくんは私と出会わないほうが、きっと幸せだった。あなたは誰よりも優しいから、空っぽな私を受け止めてくれていただけなの。今まで本当にありがとう。あなたがもたらしてくれた、言葉や眼差しは私をきっと強くしてくれた。だから、私はもう、一人で大丈夫です。心配しないで、だから……どうか、お幸せに。……どうか」
夕方のチャイムが響いていた。
銀千代は続きの言葉を出せずに「あああああ」と嗚咽を漏らした。
体をくの字に曲げて、言葉ができるだけ漏れないようシーツに口をあてて、ブルブルと震えていた。
華奢な銀千代の身体がいつもよりもずっと小さく見えた。
「……あのさぁ」
銀千代は顔を上げず、ただうずくまっていた。
「人の気持ちを勝手に分かったように言うのやめろよ。前も言ったかもしれないけどさ」
「……」
「俺はお前を愛してるよ」
銀千代は動かない。身動ぎ一つせず俺の言葉を待っている。
「俺の幸せがどうたらこうたら言ってたけど、そんなものわからねぇよ。少なくとも今の俺はお前が側にいることが一番の幸せだと思ってるんだからよ」
「ゆーくん……」
うつ伏せで声がこもってよく聞こえなかった。
「銀千代がいなきゃよかったなんて今まで一度として思ったことないよ。お前がいなかったら、今の俺はいないし、少なからず俺は今の自分を気に入ってるんだ。もちろんこれから変わっていくこともあるかもしれないけど、お前が側にいてくくれば大事なものを見失うことはないと確信している。だからそんな悲しいこと言うなよ。お前は俺の幸せの一つなんだから」
銀千代はゆっくりと顔を上げた。涙と鼻水で顔をくしゃくしゃだ。
鼻水が糸を引いてシーツから伸びていた。きたな。
「だから、どうか、これから先も、俺と一緒にいてください」
すんなりと飛び出した言葉に、銀千代はゆっくりと顔を上げると、潤んだ瞳でじっと俺を見つめた。
「……プロポーズ?」
「……」
いつも通り、端正な芸術作品のような顔で尋ねられた。
「んなわけ……」
なんて返事をしようか、
ちょっと迷って、俺は迷いを断ち切った。
「そう受け取ってもらって構わないよ」
「ぴぎゃああああああああああああああああああ」
叫んだ。金切り声が病院にこだまする。ああくそ、ミスったかな、と後悔するよりも先に、お医者さんが慌てた様子で、「何事か!?」と病室に駆け込んでくる。
全員が全員、騒音に顔をしかめている。
「あうあうあうあう」
パニックで呼吸困難になった銀千代がお医者さんに処置されている。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔面は今まで見た中で一番ブサイクだったが、いまさら気持ちが変わることはなかった。
俺はお医者さんに患者を興奮させるようなことはするなと怒られ、銀千代が正気を取り戻すのに小一時間かかった。
ここが病院でよかったな、と銀千代に皮肉を言いたかったが、発言のタイミングを逃してしまった。
笑顔で祝福なんて、俺たちはきっと似合わない。
結局、そう簡単には変わらないのだろう。人間なんてものは。
だけど、それでいいんだと、狂ったように泣き叫ぶ銀千代を見て思った。
今度こそこちらで完結いたします。
くぅ疲れました。
読了ありがとうございました!




