第28話 十一月、深夜の出来事
深夜二時。
死んだ魚の目でレジスターの奴隷と化していた俺は、今日も心を殺しながら、銀千代の持ってきた商品のバーコードを読み込む。
避妊具が一点、避妊具が二点、避妊具が三点、栄養ドリンクが一点……逆の立場ならセクハラ……いや、カスハラだ。もしも願いがなうなら、この変態女のレジは打ちたくないが、相方の佐伯さんが休憩中で、俺しかバイトがいないので仕方がないのだ。
「あとぉー」
ちょっと間延びした、媚びるような声で銀千代は続けた。
「ファミチキくださぁい」
「うちはファミマじゃねぇ。全部で三千二百円になります」
「じゃあ、からあげクンください」
「セブンでもねぇよ。何回言えばわかんだ。早く会計済ませろ」
「からあげクンはローソンだよん」
「うるせぇ」
「ゆーくんのいい声をできるだけ聞きたくて……。あ、ビニール袋もくださぁい」
「プラス五円な。さっさとしろ」
何度繰り返したか分からないやり取りを終えると銀千代は満足そうに一万円札をカルトンに置いた。
「ところでさぁ、渋沢栄一ってすごい性欲強かったらしいよ。でも浮気はNGだからね」
知らねぇよ。死ね
「はい、お釣り」
お釣りとレシートをポンとカルトンに置いて返すと、銀千代は不服そうに唇を尖らせた。
「お釣り渡す時のコツはね、相手の手のひらを包み込むように小銭を渡すことだよ。店員と客の握手会だからね」
「そんなん男がやっても気持ち悪いだけだろ」
「ゆーくんがやってくれたら銀千代はうれしいけど。……あ、でも今のアドバイスはやっぱりナシね! 銀千代以外の人と手を繋いだら承知しないんだから」
「やるわけねぇだろ。とっとと帰れ」
といっても帰るわけがない銀千代は、買い物袋を振り子のようにしながら、機嫌よさそうにイートインスペースに移動して、先ほど購入した果汁グミを食べ始めた。
「ゆーくんのお仕事終わるの待つよぉ。まだかなぁ。まだかなぁ。一緒に帰ろうねっー。えへへへ」
無視だ無視。そもそもバイト中、知り合い来るのめっちゃ恥ずかしいのに、それがカノジョだとより一層だ。一緒に帰る約束なんてしてないし、とっとと帰宅してほしいところではある。
椅子に座って子供のように足をブラブラさせる銀千代を横目で見ながら、フライヤーの掃除を始めようかと布巾を手に持ったとき駐車場に一台のスポーツカーが停まった。
お客様だ。深夜だと正直めんどくさいが、売り上げ貢献してくれるなら、ありがたい限りである。
ダラダラと大学生風の若者が二人降りてきて、自動ドアをくぐって来店してきた。
「いらっしゃいませー」
杓子定規に挨拶をかけ、俺は洗剤を手に取った。
「おっ、まじかわいい」
茶髪の男がイートインスペースに座り、果汁グミをリスのように頬張る銀千代を見つけて声を上げた。
「うお、すげ。激マブじゃん。おい声かけろよ」
「おねぇさん、今一人ですかぁ? まじかわいっすねー」
流れるようなナンパがスタートした。舌打ちが漏れそうになりながら俺はフライヤーを磨き始める。
「……」
ちらりと見ると銀千代は、一瞬どう対応をしようか悩んだようだが、唇をすぐに真一文に引き結んだ。無視することにしたらしい。いままでも銀千代がナンパされることはよくあったが、変な返答をしてトラブルが加速していたので、沈黙はなかなか良い選択肢だ。あとで褒めてやろう。
「ねぇ、よかったら俺たちとドライブしない? つうか、おごりますよ。なんか食べたいもんありますかぁー?」
「……」
尚も無視する銀千代はつまらなそうに目を細めて果汁グミの裏面の成分表を眺め始めた。
あんな冷たい瞳の銀千代は久しぶりに見る。
それでもアイツは、はたから見たら十分美人なので諦めきれない茶髪の男は「ねえねえ」と声をかけ続けていた。そいつの後ろにいた黒髪の男のほうが、
「てか、銀ちゃんじゃね?」
と声を上げた。
「……」
銀千代が小さくため息をついたのが分かった。なんだかんだで芸能人なのだ。
「銀ちゃんだよね? 俺めっちゃファンなんすよ。やば! 本物じゃん。写真撮ってもいいすか?」
「……」
無視を続ける銀千代の返答を待たず、男はポケットからスマホを取り出してパシャリと撮影した。
「やっべぇ! どーりて超可愛いわけだよ! すげぇよ」
「銀ちゃんって?」
知らないらしい茶髪がテンションが爆上がりしている黒髪に訊ねた。
「芋洗坂の元センターだよ。月9とかにも出てたんだぜ。あのドラマめっちゃ泣けたよなぁ」
「芋洗坂ってアイドルグループだよな? ほぇー、すっげぇ、芸能人じゃん。なんでそんな人がこんな寂れたコンビニにいんの?」
ピクリと銀千代が反応したのが分かった。アイツのことだ。おそらく俺が務めている場所の悪口、イコール俺の悪口とトンデモ脳内変換し、怒りを抱いたのだろう。
俺は「こほん」と小さく咳払いをし、銀千代を嗜める。
俺の無言の制止を悟ったのか、銀千代は鼻から息小さく息を吐いた。
「なんだ、あいつ」
店員の俺の咳払いが気に食わないのか、茶髪が苛立だげに呟いた。
あー、そうとるか。ミスったな、と俺は銀千代たちから視線を外し、フライヤーの掃除を開始する。きれいになーれ。
「ほっとけよ。それよりナマ銀ちゃんが目の前にいんだぜ。こんな機会二度とねぇよ」
「まじで可愛いよね。まつ毛長いし、やっぱアイドルってやべーんだな。ぜってぇー後悔させないからさぁ、一緒にドライブいこーよ!」
当然銀千代は無視である。羽虫でも見るような目つきで男二人を睨みつけているが、彼らはまったく気にした風なく声をかけ続けている。迷惑だから出ていってくれないかな。
「ねえねえ銀ちゃん、なんでアイドルやめたん?」
事情を知らないらしい茶髪が馴れ馴れしくたずねた。
「あー、そいや、カレシがどーたらで脱退したんだよね。最近」
黒髪がその質問に応える。
「俺等そーゆーの気にしないから安心してよ。なんだっけ、カレシの名前……ゆーくん? とかより楽しませられる自信あるからさ!」
バンと怒りが限界に達したらしい銀千代が机を叩いて立ち上がった。
まずい。
「すみません」
慌てて、手を洗い、怒気に包まれている銀千代たちに声をかける。
「他のお客様のご迷惑になりますので……」
銀千代は少しだけ口角をあげた。
「なにこいつ、うざ」
茶髪が白けたような目で俺を見る。
「他に客なんかいねぇじゃん。関係なくね?」
「いえ、そちらのお客さまがご迷惑に感じられているようなので」
「それこそ関係なくね? お客様同士が仲良くしてるだけだろうが。おめーは黙ってファミチキでもあげてろよ」
うちはファミマじゃねぇ。
「……ふぅ」
銀千代は小さく息を吐くと、スタスタと歩き始めた。
あーあ。
「あ、ちょっと銀ちゃんどこいくんだよ。ツーショで写真撮らせてよ」
「……いいよ」
「おっ!」
「ドライブでも写真でも好きにしたら。もちろん、銀千代は抵抗するよ」
「は?」
「拳で!」
ギュッと握った拳を顔の横に掲げる銀千代(19歳)。
「おおー!」
冗談と思ったのか男二人が嬉しそうな声をあげる。オイオイオイ、死ぬわアイツ、と脳内で刃牙のモブが騒ぎ始めたので、俺は「ちょっと」と声をかけたが、「ファミチキ黙ってろよ」と半笑いで言われた。
「じゃあさじゃあさ俺らが勝ったらドライブね!」
「銀ちゃーん、俺らこう見えてキックボクシングやってんだぜ。お互い痛いのやだしさぁ。そのまま普通に飲みに行こうよー! 駅前の居酒屋ならまだやってしさ」
お前車で来てんじゃんか。
「ここじゃ迷惑になる。場所を変えよう」
ドラゴンボールみたいなセリフを吐いて銀千代は自動ドアをくぐって駐車場に出た。吹き込む夜風。
「おっ、やったぁ。アイドルと遊べるなんて最高じゃん。先輩呼ぶか?」
「バッカおめぇ、あの人呼んだら俺ら銀ちゃん食えねぇじゃん」
と下品な笑い声を上げながら男二人はお店を出ていった。
「ね、ね。銀ちゃん! 銀ちゃんは行きたいところあるぅ?」
「荒野がいいな。あなたたちの断末魔はうるさそうだから」
次の瞬間、
銀千代の手刀が龍のように唸り、
唐竹、袈裟懸け、右薙、右斬り上げ、逆風、左斬り上げ、左薙、逆袈裟、突き、を神速で強襲した。
男が二人、「ごはぁ」と断末魔の叫び声を上げ、錐揉み状態の飛行機のように宙を舞う。9かける2で十八頭龍閃である。
うめき声を上げながら男二人は駐車場に倒れ伏した。よかった、命はあるらしい。
「ゆーくん!」
晴れやかな笑顔で銀千代が振り返る。
「安心して、手加減してある!」
「……あ、あぁ」
頷くことしかできない。
自動ドアが閉まった。そのまま遠くに行ってくれと願いながら、俺は静かにレジカウンターに戻り、今見た光景を忘れようと、また布巾を手に取ってフライヤーを磨き始める。きれいになぁれ。
かちゃりと休憩室のドアが開いて、佐伯さんが顔を半分のぞかせた。
「大学生こえぇ」
「見てたんなら助けてよ」
「いや、なんかあったら警察に連絡しようと受話器持ってたんだよ。……電話する?」
「いや、この件に関しては俺らは関係ないし……」
お客様同士の勝手なトラブルだし、なにより、
僕、アルバイトぉぉ。




