2-1.夕さりの中に向かう先は
第二部のはじまりです
職場である図書館を出た先に広がっていたのは、夕焼けの空。眩いくらいの朱と金が空を染め上げている。通り雨があったからかまだ雲が残っていて、その雲の端が薄いピンクと青に色付いているのも綺麗。
陽が落ちるのはまだ遠く、夏の訪れを予感させるような空をしていた。
「お疲れさん」
「ノアもお疲れさま。待っていてくれてありがとう」
図書館を囲う鉄柵に凭れるようにして立っていたノアが、わたしの姿を見て手を挙げてくれる。駆け寄るとノアの指先がわたしの耳を飾るイヤリングを揺らして、それから頬を撫でていく。その優しい仕草に笑みが零れて、胸の奥がぎゅっと疼いた。
「先にあまりりす亭で飲んでたら怒るだろ」
「別に怒りはしないけど、わたしが一緒にいた方が楽しいでしょ」
「違いねぇ」
軽口の応酬にノアが低く笑う。わたしもつられるように笑いながら、どちらからともなく手を繋いで歩き始めた。
石畳の道にわたし達の影が並んで伸びる。なんとなく絡めた指を揺り動かすと、当たり前だけれど影も同じように動いていて。それがなんだかおかしくて、幸せで。
陽は落ちても、まだ夜の帳が降りるまでは時間が掛かりそうだ。夜と夕方が入り混じるこの時間が好きだった。
空に浮かぶ細い月、力強く瞬く星。夕さりならではの美しさに心が弾んだ。
「そういえばね、今日はウェンディが来てくれたのよ」
ノアを見上げてそんな事を話しかければ、口元に笑みを浮かべたノアがわたしの事を見てくれる。分厚い前髪の隙間から見える紫の瞳は、夕星と同じ色をしていた。
「来週から仕事に戻るんだったか?」
「そう。今日はその挨拶に来てくれたの。ラジーネ団長も来週から?」
「いや、団長は今日から仕事に来てる。昨日のうちに揃って領地から戻ってきていたらしいな」
「王都に戻ってすぐにお仕事なんて、忙しいのね」
「三週間休むのにも、だいぶ苦労していたみたいだぞ」
やはり長期の休みを取るのは難しいのだろう。団長は特に、その役職からしてもそうなのかもしれないけれど。
ウェンディは結婚式の前後で一か月のお休みを取っていた。
ラジーネ侯爵領で開かれた結婚式にはわたしとノアも招待されて、喜んで参列させて貰ったのだけど──
「あんなに綺麗なウェンディを見られたんだもの。その苦労も報われたわね、きっと」
「そうだな。今日も幸せそうだったぞ」
幸せそうだったのはウェンディも同じだった。
頬は薔薇色に色付いて、表情や所作だけでなく、その雰囲気からも幸せだというのが伝わってくるほどだった。
ウェンディはこのまま図書館に勤める事が決まっている。ラジーネ団長が侯爵位を継いで騎士団を退団するまでは、今までと同じように務めるそうだ。
それでも現侯爵夫人のラジーネ団長のお母様に習う事があるから、とお休みの度に領地に向かうそうだけど、それも楽しそうに話していた。
「俺は二か月くらい休みを取ろうと思うんだが」
「二か月? それはちょっと長すぎるし無理なんじゃないかしら」
「綺麗なお前を独り占めできる時間なんて、どれだけあっても足りないだろ」
「……バカね、お休みを取らなくたって独り占めなんて出来るでしょ」
「確かに」
冗談めかした響きの中に籠もる熱を感じ取る事が出来るくらいに、もうこの距離にも慣れてしまった。慣れてしまったけれど……ドキドキしてしまうのはまた別の話だ。
「でも本当に素敵なお式だったわね。ウェンディも団長も嬉しそうに微笑んでいて、お花がいっぱいで、温かくて幸せな気持ちになれる。そんな結婚式だった」
「ああ。きっと俺達の式もそんな式になるさ」
「そうよね。なんだかもっと楽しみになっちゃった。わたし達のお式は冬の予定だから、ウェンディのお式みたいにお花でいっぱいっていうわけにはいかないし、ガーデンパーティーも出来ないけど……」
「その分、冬にしか出来ない事をすればいい。ガーデンパーティーがしたいなら春にでもまた、近い人だけを呼んでパーティーを開いてもいいしな」
夏の始まりに開かれたお式の眩さに心を奪われていたけれど、ノアの言葉に冬のお式もきっと素敵だと、そういう気持ちになれる。
きっとそれを二人で考えていくのも楽しいのだ。まだ時間はあるのだから。母が聞いたら「全然足りないわ」なんて悲鳴を上げてしまうかもしれないけれど。
通りの向こうからは朗らかな声が聞こえてくる。
この夜を楽しんでいる人々の賑やかな声に、口元が綻ぶのを自覚した。
陽が沈んでもまだ仄明るい。月と星のささやかな瞬きが次第に光を強くしていく。
飴細工が美しいチョコレートケーキがお気に入りのカフェは、もう閉店準備をしているようでお店のカーテンは閉められている。
帰路につく人、繁華街に向かう人が入り混じる。立ち話をしている奥様方は近くのパン屋さんで買い物をしたあとなのだろう。綺麗な焼き色のバゲットが紙袋から顔を覗かせていた。
「今日は何にしようかしら。冷たいエールもいいけれど、ワインも捨てがたいし」
「両方頼めばいいだろ、いつもみたいに」
「バカね、こうやって悩むのが楽しいんでしょ。それに一杯目ってなんだか特別なのよね」
「分かる気もするが……俺はエールかな。あとは肉が食いたい」
「わたしもお肉の気分。お腹が空いてきちゃった」
笑いながらそんな話をしていたら、あまりりす亭まではもうすぐだ。暖かな看板の明かりが石畳に光を落としている。
見上げたらノアがわたしを見てくれる。口元は機嫌よく綻んでいて、眼鏡と前髪の奥に隠れた瞳が優しく細められているのが容易に想像出来てしまった。それにまた、鼓動が跳ねてしまって。
見つめていた事が恥ずかしくなって目を逸らすと、くつくつと低く笑われてしまったからわたしの気持ちなんてお見通しなんだろう。誤魔化すように手を揺らした。
やってきたあまりりす亭の前で、ノアが大きく扉を開いてくれる。
外まで広がるいい匂いにつられるように、お腹が小さく鳴いてしまった。
今日もまた、美味しい時間が始まろうとしている。
今日からまた連載します。
どうぞ宜しくお願い致します。




