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不滅の誓い  作者: 小達出みかん


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32/32

不滅の誓い

 階段を下りきった先には、予想を超える広大な空間があった。


「何…これ」

 

 あまりに広く、天井が高いので、セレンは一瞬夜空の下へ出たのかと錯覚した。だが、この空間には風ひとつない。青い水をたたえた湖の水面は、一枚の鏡のように光を放ち、静まり返っている。その真ん中に、永遠に育つことのない翠玉でできた木が聳えている。まるで時が止まったかのような空間だ。

 その湖のほとりに、女が倒れていた。


「アジサイ!」


 セレンは火がついたように彼女に走りよった。


「アジサイ、私です!目をさまして…」


 アジサイの体を抱き起こして、セレンは胸をなでおろした。その体は温かかった。意識はないようだが、脈はある。だが、目を閉じたその表情は疲れきっていて、顔色も悪い。


(無理して、こんなところまで一人で…何も持たずに)


 セレンは布袋から水の入った筒を取り出し、アジサイに一口ふくませた。かすかに喉のうごく音がし、彼女の細い喉がそれを飲み込んだのがわかった。


「彼女が、ウツギの女長か」


 セレンはうなずいてアジサイの顔から視線を上げた。青い光を放つ湖。その光をみつめていると、不思議と気持ちがやすらいだ。光は優しく、自分を呼んでいるような気がした。その光を目にして、セレンは「契約」の仕方を理解した。


(そうか、だから生きているうちには、たどりつけない…のか)


 水は澄んでいて深い。セレンはアジサイをそっと横たえ立ち上がった。


「団長、これを」


 セレンは布袋と翠玉を団長に渡した。


「まもなくアジサイは目を覚ますでしょう。そしたら介抱して、食べ物を与えてあげてください。帰り道は、彼女が知っています。なので彼女と一緒に地上へ戻ってください。アジサイはこの通り、病み上がりです。捕まえようと思えばたやすいでしょう。でもどうか、彼女のいう事に従ってください。お願いします」

 

 セレンは頭を下げた。


「何を言ってる?お前は帰りはどうするんだ」


 セレンはくるりと背を剥け、湖の方へ歩き出した。


「私は、やることがあるので。どうかアジサイをお願いします。それと…」


 湖の一歩手前で。セレンは立ち止まった。振り返ることはできない。団長の驚く顔を、見たくはない。偽りのない思いを、セレンは口にした。


「あなたに感謝しています、トラディス…」


 セレンは一歩、足を宙へと踏み出た。湖に浅瀬はなかった。一歩目で、セレンの全身は水の中へと深く沈んだ。息が、苦しい。セレンは両手で自分の体を抱きしめた。怖くないわけがない、でも大丈夫…わたしは大事な物を守るために、沈むのだ。それを思えば怖くない。それに…最後に抱きしめてもらったではないか。好いた男に。


 意識が朦朧とする中、セレンは目を閉じ、そのまま意識を手放した。




 ふと足元に温かさを感じて、セレンははっと自分を取り戻した。


(温水…?それに、息ができる)


 セレンは白い柱にもたれかかっていた。足もとは温かい。石の床の上に温かい水が緩やかに流れている。水面はオレンジと薄紫の空を映し出していた。夜明けの空だ。折り重なって複雑な陰影を作った雲たちがゆっくりと半円を描くように動いている。まるで円球の内側にいるようだ。

 セレンは立ち並ぶ柱に沿って歩いた。足首までつかっている水が、ちゃぷちゃぷと音を立てた。

 

 前方に、ひときわ大きい一本の木が見えてきた。その木の下に、誰かがいる。ゆったりとした白い着物をまとい、長い髪が風に揺れている。


「よくきましたね、セレン」


 その人の顔の前には、うすいヴェールがかかっていた。セレンはこの人だ、とわかってひざまづいた。


「あなたに…お願いがあるのです」


「あなたの心の内は、わかっています。お立ちなさい」


 その声は、どこかで聞いたことがあるような、誰かに似ているような、けれども誰にもあてはまらない不思議な優しい声だった。


「あなたの願いは、あなたがかなえるのです」


 その言葉に、セレンは面食らった。


「それは…それができないから、ここまできたのです」


「できます」


 女の人はセレンの手をとった。水でない水に触れるような、さらりとした感触だった。


「この手の力は、なんのためにある?あなたはどう使いたい?」


「私の…力など、大したものではありません。これでは、皆を助けることはできない…」


「では、この手はこれからも戦う?剣を握って敵へ向かっていくのかしら」


 セレンの脳裏に、トラディスと切り結んだときの記憶がよみがえった。


「いいえ…戦いたくなど、ありません。本当は…!でも、誰かを守るためには、仕方がないでしょう?」


 そう訴えるセレンを包み込むように、女の人の声は優しかった。


「ほら、あなたはそうしたいと願っている。戦うのではなく―別の事に、その手を使うこと。あなたの力は、そのために授かったのよ」


「でも…」


 セレンは子どものようにやるせない気持ちで自分の手を見つめた。


「それでは、大事なものを守りきれないのです。それとも私の願いは…人には過ぎた願いなのでしょうか?」


 女の人は、セレンに言い聞かせるように言った。


「いいえセレン。あなたはすべてを救える。かなえられるわ。思ったとおりに動けばいいの。自分の心を押さえつけてはいけないわ。それがあなたの大事なものを救うことになる。ほら…」


 セレンははっとした。バシャバシャと水を蹴り上げ、誰かが走ってくる音がする。


「セレン!」


 セレンは振り向いて、おどろいた。


「団…長…!?」


 どういうことだ、なんでここに彼がいるんだ。


「ま、幻…?ゆめ…?」


 立ちすくむセレンの手を、トラディスはがっちりとつかんだ。


「お前は…!罪を償うとは、このことか?!湖に身を投げることか?!」


 トラディスがそう怒鳴ったので、セレンもこれが夢でなく本人だとわかった。


「ただ投げたんじゃないです!アジサイのかわりに、契約するため…!」


「ケイヤクとは何だっ!」


「だ、だから言ったじゃないですか。戦をとめて、誰も傷つかないよう私がするって…!ウツギの神様に、それをお願いしようと」


「アジサイの代わり、命と引き換えにか。お前、お前は…」


 怒りのためか、その先の言葉は続かなかった。先ほど池に落ちるのをとめてくれた彼の気持ちを思い、セレンはうなだれた。 


「…ごめんなさい。でも…ミリア様は捕らえられて、アジサイも消えて、戦も始まりそうで…もうこれしか、ないって」


 セレンの手をつかむ彼の手の力が抜けた。


「そこまで追い詰めたのは…俺達か」


 セレンは首をふった。


「いいえ。私達も悪いことをしました。虫がいいですよね、誰も死ぬのは嫌なんて…そういう無理なわがままのしわよせが、最後に来たってだけなんです」


 同胞のすべてを、母のように守るアジサイ。熱い志を持つアサギリ。ミリアネスを心から愛した陛下。健やかに育った3人の娘姫に、王子。心に闇をかかえ、それでも新しい希望をウツギに見つけたハエ。そして…セレンの心に、今までなかったものを目覚めさせた団長。彼らはジュエルのための駒でも、悪い敵国の人間でもない。皆、セレンやミリアネスと同じように必死で生きている…一人ひとりの人間なのだ。戦になれば、彼らの生活は叩き壊れ、命も危うくなる。かけがえのない彼らの生活を、この地を、戦で壊したくない。


 そのことに気がついたから。団長の事を、知ったから。ずっと私を見ていたと言ったから。


(私はあなたに償いをしたいと思った。あなたを裏切っている私を)


 だから女神様と契約することは、セレンにとっては願ってもいないことだった。


(皆は助かり、私は罪を償える…こんないい方法はない)


 じぶんが消えることに悔いはない。セレンは晴れやかに笑った。そうだ。自分はそれで満足だ。もういい、これでいい。


 なのに、トラディスは追いかけてきた。常人には不可能な、こんな場所まで。


「団長、こんなところに来てはいけません。戻ってください」


 セレンは微笑みながらそういった。


「いいえ、セレン。私が彼を、呼んだのです。でなければここには来れません」


 それまで様子を見守っていた女の人がそういったので、セレンははっとした。


「呼んだ?なぜですか?もしかして…イベリス人を、罰するためでしょうか?」


 セレンはとっさに、トラディスをかばうように立った。が、女の人は首を振った。


「ちがいますよ。あなたと彼が、共に帰るため」


 セレンはうろたえた。


「そんな…!ただ帰るなんて、できません。私は願いをかなえるために来たのに…!」


 女の人はうなずいた。


「ええ。それなら今、できることがあるわ。それはね。誓いを結ぶのよ。2人の間に、不滅の誓いを」


「それは…私はすでに結んでいます。アサギリと」


「いいえ、それとは全く違うの。本当の不滅の誓いというのはね―」


 彼女は両手を広げ、それをあわせた。そこにふわりと光が生まれ、散った。


「全く異なる2人が、一つになる。決して離れず、お互いのために生きると誓うこと。それが不滅の誓いなのです」


 予想もしなかった答えに、セレンもトラディスもあっけにとられて立ち尽くした。


「そんなに、驚くことかしら?あなたたちは惹かれあっている。我が民の巫女の血を引くセレンと、もう一方の民の大将であるあなたが。なぜかしらね。偶然?それは私もわからないわ」


 ふふ、と少女のようにはなやいだ声で女の人は笑った。


「あなたがた2人が1つになることによって、2つの民は奪い、憎しむことでなく、譲歩し、分かち合うことができるようになる。ウツギの第二の姫として…セレン、あなたにはそれができる」


 名を言われて、セレンはまごついた。


「そ…それは」


 セレンは想像した。そうなった先のことを。


 もし、トラディスが陛下と王子を説得し、ウツギを開放してくれれば―トリトニアは攻め込んでこないだろう。セレンはアジサイ姉弟と2人で自由なウツギを作っていき―毛誰にも支配されることなく、イベリスともトリトニアとも取引して、皆が豊かに暮らせるようになればいい。すべてが平和に解決すれば、ガウラス様もミリア姫がずっとトルドハル王と共にいることを許すだろう。


 だが、それはイベリスの譲歩が必要になる…セレンは傍らのトラディスを見上げた。彼はうなずいた。


「少しの損で、大きな得をえる―とはこのことか。戦は回避され、ウツギとも健全に取引をし、イベリスは新しく独自に発展できるよう歩みだす。そして…俺はお前を」


 トラディスの目が、セレンの目を見た。国のことよりなにより、考えてもみなかったその展望に、セレンはとまどって目が泳いだ。


「そ、それはつまり――」


 セレンの言葉が途切れた。つまり…つまり?2人が1つになるということは―…セレンの頭に様々なものが浮かんでいった。


 若い恋人への土産だと嬉しそうに笑っていた兵士。陛下の横に座っている満ち足りた顔のミリア様、将来生まれてくる子ども。抱きしめられた腕の感触。温かいシチュー…


 自分とはかけ離れていると思っていたそれらのことに、セレンは混乱するばかりだった。まるで富くじの一等があたって、慌てる人のように。


 その時、どこからか聞きなれた声がした。


「さあ、2人とも、戻ってきてー…」


 アジサイの声だ。ふと木の下を見ると、そこにはもう誰もいなかった。ゆるやかだった足元の水の流れが増し、あっというまに水は2人をその場からさらって流れた。セレンとトラディスははぐれないよう、お互いの体をぎゅっとつかんだ。


(ありがとうございます、女神様…)




 気がつくと、セレンは湖のふちに倒れていた。団長と共に。確かに飛び込んだはずなのに、体はちっともぬれていない。不思議に思いながらセレンは体を起こした。


「団長、大丈夫ですか。起きてください…!」


 ゆりおこすと、トラディスは頭に手をやりながら起き上がった。


「む…お、お前っ!」


 トラディスは強い力でセレンの両腕をつかんだ。


「戻って、これたんだな…?」


 その目に涙が浮かんでいるのを見て、セレンはほほえんだ。よかった…生きている。彼も私も、死ぬと思って飛び込んだのだ…。


「はい。覚えていますか?いま起こったこと」


 トラディスはうなづいた。今度こそ、セレンはためらわなかった。女神様が言ったとおり、思ったとおりに動くのだ。セレンはトラディスの体を力強く抱きしめた。


「よかった…同じ気持ちで」


 トラディスの体はとても大きくて、セレンの両手では抱きしめきれなかった。トラディスはそんなセレンを抱きしめ返した。


「馬鹿を言え…俺のほうはずっと、お前を…見てたんだぞ」


 さすがのセレンも、頬に血が上った。だが、同時にはじけるような喜びも感じた。


(これからが、大変だ…戦を納めて、皆を平和に導くのは、並大抵のことじゃない。でも…)


 セレンは腕の中からトラディスを見上げた。


「一緒に変えていくんだ。俺と、お前で」


 お互いの目に、お互いの姿がうつっている。誰かを追うわけでも、追われるわけでもなく、お互いがお互いの大事なものになり、すべてをわかちあう。


(そう、一杯のシチューから、国まで…)


 手に入らないと思っていたものが、今、セレンの目の前にあった。


(うれしい。ここが、私の居場所…。私、死ぬときは一人じゃなかった)


 皆が見上げる、遠い地上の星ではない。自分だけの光を、今、二人はお互いの目のなかに見ていた。


 そんな2人の肩に、やさしく手が置かれた。


「ありがとう、セレン。はじめまして、大将さん」


 セレンはあわてて立ち上がった。


「アジサイ!大丈夫ですか、体は…!」


「ええ。待っていたのよ、2人が戻ってくるの」


 アジサイの顔を見たトラディスは驚いていた。


「あ…あんたが『アジサイ』か」


 アジサイは笑った。


「ええ、セレンと似ているでしょう。私は、彼女の母のようなものよ。さあ、行きましょう。地上に出たら、話し合いましょう。アサギリも、ミリアネスも、そちらの王子様も一緒に。未来のことを」


 セレンは少し赤くなった。


「あ、アジサイも、見ていたのですか?さっきの事…」


 アジサイは神秘的な笑みをうかべた。


「もちろん。私はウツギの巫女だもの」


 そうだ、私達は2人きりではない。アジサイはわかってくれている。きっとアサギリや、王子様も味方となってくれるだろう。そう思うと、セレンにとっては百人味方ができたような、心強い気持ちになった。


「戻りましょう、3人一緒に」



           ***




 それからは、忙しかった。まずセレンはミリアネスとアジサイを連れて辺境伯のもとへ出向き、その後駆けつけた大公にすべての事情を話し、今後の取り決めを行った。ウツギの長と直々に商取引が成立し、ミリアネスの無事も確認できたので、大公は兵達を引き上げ、ミリアネスがイベリスに戻ることを許した。


「まったく、予想外の事の運びだが…おぬしらは上手くやったな。何も損害を出さずに、解決したではないか」


 最後にミリアネスの体を気遣い、大公は兵とトリトニアへ戻った。シリル王子亡き後、新たな後継者候補を他の領地の王子たちから選出しなければならず、大公も忙しいようだった。


 一方、トラディスも大変であった。ウツギの富を戦いもせずむざむざと取られてしまうのか。そう反抗する者も多かった。だがトラディスとレオンハルト王子はアサギリと共に今後のイベリスの展望を説いた。戦を回避し、これからは兵を育てるだけでなく、産業も育てていき、ジュエルに頼らぬ国を作っていこうと言う王子に、最後には誰もが異を唱えなくなった。


 セレンたちは新しい技術をウツギとイベリスに伝えるために、ベテランの銀細工の職人と、老舗のワイン農家の小作人を連れて帰った。それぞれ大公の紹介だ。帰ってすぐミリアネスはトルドハル王の看病に精を出し、王は容態を回復することができた。涙を流しながら謝るミリアネスに、王はこれでよかったと寛大に笑った。城に漂っていた暗いムードも一掃された。


 ウツギの村の柵は取り払われた。とはいっても、これまで支配するものと、されるものだった関係だ。大人たちは、そう簡単に打ち解けることはできない。だがハエ、改めカエデを初めとして、柵を取り払われた子ども達は自由に山と城壁を行き来するようになった。2つの民族の本当の交流が始まる日も近い。


 イベリスも新しい事業に着手し、ウツギも変わっていく必要がある。セレンとトラディスは帰ってからこっち、まともに顔を合わせる時間もないほど働きづめだった。そんなある日の夜、セレンは城の廊下でトラディスとすれ違った。セレンは彼に駆け寄った。


「どうですか?畑の開墾は」


 トラディスは立ち止まって、セレンを見た。


「ああ、皆張り切っている。だが、白霧山脈の土は、他の地とはだいぶ違っていてな…難航している。少なくとも夏までには、種を植えられればいいんだが」


「うーん、現場作業には、経験豊富な小作人に教わるのが一番と思ったのですが…農学博士のような人も必要かもしれませんね。私がスカウトしてきましょうか?」


 あれ以来、2人きりでこうして話すのは初めてだというのに、セレンは晴れ晴れとした顔で仕事の話をする。トラディスは肩透かしを食らったような気分になった。


「お前、帰ってきてすぐまた出かける気か。張り切るのはわかるが…俺との約束は」


 セレンはとたんに俯いた。


「誓っただろう。俺達は一つになるのだと」


 実は、このことはまだアジサイしか知らない。


「まさか、反故にする気ではないな?」


 トラディスが怖い顔になった。セレンはあわてて手を振った。


「そ、そんなわけないじゃないですか!」


 実を言うと、そのことばかり考えていたのだ。彼と今後、どうしていこう。セレンはあの家に引っ越そうか。いつにしよう。ミリア様にはどう言おう。シザリアには。婚姻の儀は、どうすればいいだろう…


 そんな事を考えているとまるで体が宙に浮いたような、軽い蒸気になってしまいそうな浮ついた気持ちになってしまい、その慣れない感覚にセレンは戸惑った。自分がちょっとどうにかしてしまったのではないかと思ったセレンは、その明るい気持ちをエネルギーに変換して仕事に精を出していた。実にはかどった。


「あの…団長」


「トラディスで良い」


「では、トラディス、その…実はまだ、ミリア様に言っていないのです」


「……やはり、お前、その気がないのか」


「ち、ちがいます!なんでそんな事言うんですか。私の気持ちは、あなたも…知ってるでしょうっ」


 慌てて弁解するセレンの顔は、赤い。


「ただ…あまりに思いがけなくて。私に…そんな人が現れるなんて。考えたこともなかったから。嬉しいのに、なんだか誰にも言い出せなくて。なんて言ったらいいか、わからなくて…」


 ずっと主に仕えて、人生をまっとうすると思っていた。死ぬときは、一人だと。それはトラディスも同じだった。実はトラディスもまだ、王に報告してはいなかった。…セレンと似たような理由だ。

 手を捻り合わせながらそれを言うセレンは、普段の彼女とちがって愛らしいとトラディスは思った。颯爽とした彼女も、自分だけに見せるであろうこういった顔も、どちらも同じに、好きだ。


(いや、後者に少しは軍配が上がるな…)


 トラディスは決心した。


「よし、今から言いに行こう。陛下と、后様に」


「ええっ!!」


 セレンは驚いた。


「善は急げだ。まず、陛下の部屋へ向かうぞ。后もそこか?」


「は、はい。ミリア様はこの先の陛下のお部屋に一緒におられますが…」


「では都合がいい、行こう」


 その強い意思に、セレンも覚悟を決めた。


「わかりました、行きましょう」




 一方、壁を隔てた部屋の向こうでは、シザリアが手を震わせてドアの隙間を閉じて振り返った。


「陛下、ミリア様!今から2人が来ましてよ…!」


「あら、やっとなの」


 ミリアネスはイスに腰掛けたまま、居住まいを正した。そのすぐそばのベッドに横たわる王は、微笑みを浮かべた。


「そうか、トラディスが、そなたの侍女と…。喜ばしいことじゃ」


「ええ。いつになるかとやきもきしていたのですが」


 シザリアが2人をたしなめた。


「ちょっと、お2人とも!ちゃんと驚かなくてはいけませんよ。あの二人は、ずっと隠していたつもりだったのですから」


 実の所、洞窟でトラディスと何があったのか、セレンが自分の口で言わないので、ミリアネスはアジサイから聞いて知っていた。セレンが生まれて初めて浮ついているのだが自分から言い出せずにいるのを、少し歯がゆく思っていたのだ。帰ってきてからのそわそわっぷりときたらもう、見ていられなかった。だがセレンが自分から言い出すのを、待っていたのだ。


「ええ、もちろん。盛大にお祝いをするわ。セレンが初めて、手に入れた幸せですもの」


 その時、コンコンとノックの音がした。嬉しさを含んだ緊張に、部屋は張り詰めた。



 ドアの向こうのセレンは、今までにないくらい緊張していた。


(ど、どうしよう…こんなことは、初めてだ。いや、もっとひどい緊張をしたときも、いくらでもあるのに…)


 セレンの震える肩に、トラディスが手を置いた。


「大丈夫か」


 二人はお互いの顔を見た。セレンはとたんにふっと力が抜けた。


「おかしいですね、私…あの洞窟で死ぬような目にあったというのに。こんな事で震えているなんて」


 少し照れたようにそう笑うセレンを見て、トラディスの胸の内は騒いだ。


(大それた誓いを立てておきながら…俺達はまだ、くちづけすらしていない)


 一瞬体がセレンのほうへ動きそうになったが、トラディスはぐっとおしとどめた。


(いいさ。これからいくらでも、時間はあるんだ…)


 幸せに慣れていないセレンと、孤独だったトラディス。だが彼の言うとおり、これからの時間はたくさんある。ドアのあくその一瞬、セレンとトラディスは未来に思いをはせた。


 発展していくイベリスとウツギ。玉座につく若々しいレオンハルト。日の光のしたで村人と話をするアジサイ。可愛らしい赤子を抱いたミリアネス。山を駆け巡るカエデと、2つの国の子ども達。そして…いつか、いつかセレンも自分の手に小さい誰かを抱くのかもしれない。


 セレンはトラディスを見上げて、微笑んだ。彼となら、かなえられる気がした。


 夢ではなく、現実に。 





  END



  








ここまで読んでいただいたかた、ありがとうございます。

かなり稚拙な作品ですが…感想などいただけましたら、うれしいですm(_ _"m)

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