最終章
1
春一と夏輝は、近所にある海藤書店に来ていた。二人とも読書家で、ここの店の常連だ。夏輝は洋書コーナーで気になる本を探していた。
「テメェポケットの中身見せやがれコラァ!」
やけに聞きなれた声が夏輝の耳に響いた。急いで声のした方にいくと、店の外に出ようとした中学生の行く手を春一が塞いでいる。中学生は挙動不審に周りを見渡している。
「な、何でだよ!」
中学生が敵意をむき出し、春一に食って掛かった。
「こっちはテメェがマンガパクってんの見てんだよ。さっさと出せ。今度はテメーがパクられてみっか?」
「んだ、テメーポリ公かよ!」
「こんなポリ公がいるか馬鹿野郎」
冷静に言ってのける春一に、中学生はは殴りかからんばかりの勢いだ。騒ぎを駆けつけた店長がそこへやってきた。中学生は隠し切れないと思ったのか、制服のポケットからマンガ本を取り出して春一に投げつけた。それをいとも容易くキャッチした春一が店長に品物を返した。店長はレジをやっていた青年に中学生を奥へ連れて行くように言うと、春一に礼を言った。
「ご協力ありがとうございました」
「とんでもない。こちらこそ騒ぎ立てて申し訳ありませんでした」
「いいえ。今回の会計はなしにさせていただきますので」
「ありがとうございます」
春一は夏輝に向き直ると、にっこりと言った。
「夏、今日はどれだけ買ってもタダだそうだ。好きなだけ買っていいぞ」
こういうところの春一は本当に遠慮も人情もない。彼は普段立ち読みで済ませるバイク雑誌と、文庫本を何冊か追加してまだ本棚の周りをうろついている。
夏輝は先程の店長が不憫になり、春一の手から二冊抜き取った。
「お前、やけに遠慮してるな」
夏輝の持っている本を指差して春一が言った。彼は夏輝の手から本を奪い返して、手に収まらないほどの本を抱えている。
「・・・・・・店に同情します。万引き犯よりも厄介なのを招いたものですね」
「馬鹿、俺は善良な市民として義務を果たしただけだ」
口元がひくついている店員を余所に、春一はさっさと店の外に出た。夏輝は自分の分はせめて払おうと思い、会計を済ませて春一の後を追った。
店について買ってきた本を袋から取り出し、一息つく。春一はバイク雑誌を見て「おお」とか「かっけぇ」とか言葉を漏らしながら二階へ上がった。
すると、勢いよく店の扉が開かれた。顔面蒼白の中学生が、この部屋になだれ込んできた。
「あ!」
夏輝はその顔を見て驚いた。今さっき万引きで捕まった中学生だったのだ。向こうは春一しか覚えていないだろうが、今はそれ所ではないようだ。
「なぁ、ここって妖怪を退治してくれんだろ? 噂で聞いてたよ。なぁ、助けてくれ! オレ、殺人犯にされたんだ!」
2
とりあえず夏輝がソファに座らせ、ブラインドを閉めた。彼はひどく怯えている様子で、蒼白になった顔は恐怖にゆがんでおり、真夏だと言うのに奥歯をカチカチと鳴らしていた。
これは常用対処外だと判断した夏輝が、階上の春一を呼んだ。春一は相変わらず眠たそうな顔で下にきた。すると、珍しくその目が開かれた。
「コイツ・・・・・・」
「はい」
「万引き犯じゃねぇか。おい、お前、大丈夫か?」
春一が肩を叩くと、中学生は春一の手をばっと振り払った。そして、春一の顔を見てはっとなった。
「お前! さっきの!」
「年上に『お前』って言っちゃいけねーんだ。覚えとけ。どうした? 名前は?」
「オ・・・・・・オレは成之。なぁ、助けてくれ! オレ、殺人犯にされてるんだよ!」
「そりゃまたどういうこった?」
春一が怪訝そうな顔で成之を見遣った。彼は春一にすがるように叫び声に近い声で事情を説明した。
「さ、さっき、アンタにとっ捕まえられて、本屋の事務所に行ったんだ。けど、盗ったものは小額だったし、オレ今年受験だから、店長がこれ一度だけだって言って、帰してくれたんだ。そんで、そのまま本屋の裏口から出た所で、見ちまったんだ!」
「落ち着け。何を見たんだ? ゆっくりでいい」
その言葉に少しだけ落ち着きを取り戻した成之は、手を握りながら話した。
「パーカーのフード被ってて顔は見えなかったけど、男が女の人包丁で刺したんだ! そんで、オレに気付いて男がこっち来て・・・・・・オレ、逃げようとしたけど捕まって。で、見たらその男、全身トカゲみてーな体してて、オレを襲ったんだ!」
「トカゲ?」
「ああ。全身緑で、手が三本に分かれてて、顔には黄色い目があって、顔から緑色の液みたいの垂れてたし、蛇みてーな舌してて・・・・・・オレに凶器の包丁を押し付けたんだ。オレ、それ持っちゃって、そしたらそのトカゲ男は走って逃げちゃって、どうしようかと思ったら通行人が来て、俺を殺人犯だと思って悲鳴上げて・・・・・・。集まりかけてる野次馬の中を何とか縫って逃げてた時にここの店のこと思い出してさ。急いで入ったんだ」
ぎゅっと目を瞑って恐怖のワンシーンを語る成之に、春一は顎の下に手を当てて遠くを睨んだ。
「夏、海藤書店の裏道に行って情報集めてきて」
「わかりました」
夏輝はすぐに駆け出して、書店の方向へと走り去った。
「成之、落ち着け。大丈夫、犯人はここまで来ない。しばらくはここにいろ。多分犯人は自分を見た唯一の目撃者として、お前を消そうと思ってるはずだ。決して外に出るな。出て行くときは俺がついていく」
「あ、ああ・・・・・・」
春一は店の前に出している「OPEN」の札を「CLOSED」にて、扉に鍵を掛けた。シャッターを下ろし、まだ震えている成之を上に連れて行った。
「包丁はどうしたんだ?」
「その場に落としてきたよ! そんなの、すぐに手放した」
「刺された女性は本当に死んでたのか?」
「多分。かなり深く刺されてたし、何にも動かなかったから。オレ逃げる時に顔見たけど、あれは死んでるよ!」
「そうか・・・・・・」
「成之、飲め。少しは気が落ち着く」
「う、うん」
アップルティーを淹れ、成之にもカップを渡す。
「何で万引きなんてしたんだ?」
春一が会話をそらせようと、先程の一件に話を持っていく。
「学校で流行ってんだよ。度胸試し。恐喝とか、スリとか、万引きができるかどうか。オレ全然自信ないから嫌だったんだけど、何とか万引きはやってみようと思ったんだ。そしたら案の定失敗して・・・・・・。あんなことしなきゃ良かった。もう絶対しないよ」
「お前はいい父親になれる」
春一が笑って丸まった背中をぽんと叩いた。それに少し励まされたのか、成之は少し背を伸ばした。
「妖怪の情報は他にないか? 声とか、身振りとか」
「さぁ・・・・・・。だってオレテンパッてたし、そいつは何も喋んなかったし」
「顔は? 仮面みたいとか、被り物っぽかったとか」
「ねぇよ。ありゃあ生身の顔だよ。あ、でも、ピアスはいっぱいつけてた。アンタよりたくさんだ。両耳にいっぱい。眉ピもしてた」
「人間だとは思わなかったのか?」
「だってあの顔は妖怪にしか見えねぇよ。それに、その耳まで緑だったんだ。他は、話したとおりだよ」
「背丈は?」
「別に普通だった。さっきの兄さんみたいにでかくねぇし、やせても太ってもない。多分アンタより小さいくらいだと思う」
春一は何かを考えて、テーブルの上のパソコンを立ち上げた。夢亜にメールを送るらしい。
「な、なぁ。オレ、本当に大丈夫なのか? ここにいて、殺されねぇかな?」
「お前を追っている人はいなかったし、この家を偵察する人影も見えねえから大丈夫だ。少なくとも、殺人犯のお前がここにいることは知られてない」
「オレは殺人犯なんかじゃねぇよ!」
「わかってる。あれは周りから見たお前だ。お前が殺人犯じゃないことくらい、一目瞭然さ。恐怖に怯えてるのが演技ならお前は今すぐハリウッドに行った方がいい。殺人を犯しても俺のところへ乗り込んでくるならその度胸を褒め称えて表彰してやる。賞状の名義は総理大臣にしとくか?」
「馬鹿にすんなよ!」
「してねぇよ。とりあえず、お前の靴に泥が飛び散ってたのと、ズボンの裾が濡れてるので、お前が昨日の雨が乾いていない太陽から陰になる道路を走ってきたことはわかってる。走ってこれる距離でそんな道があるのは海藤書店の裏道しかない。その他の動作の一つひとつ見ても、お前から嘘は見られない。全部真実だってことだ」
淡々と事実を紡ぐ春一に、成之はぽかんと待ちぼうけを食らっている。
「さしずめ、トカゲ男が被害者の女性を刺して、そこをたまたまお前に見つかり、お前を殺人犯に仕立てようと思い立ち包丁を持たせたんだろう。道にお前とトカゲ男しかいなかったなら、目撃者はいない。お前はトカゲ男の思い通り、殺人犯になっちまった」
春一はそこで言葉を切った。夢亜にメールを送ってからソファに座って、一人で考え始めた。
(腑に落ちねぇ・・・・・・。何でそんな派手な格好をしたんだ? 被害者に顔をばれたくないなら覆面にすればいい。そして、あそこあの時間に狂いなく犯行を行ったのなら、被害者の彼女が毎日そこを通るのが日課になっていたということになる。だからこそ成之という不測の事態にうろたえたんだろう。そうなると計画殺人。人見知り、怨恨関係か? そして、ピアスをつけていたのは何でだ? 万一見られたら、そんなの手がかりになるに決まっている。だが、だとしたら、目立つピアスをしていなくて手がかりをそこで途絶えさせているのは何故だ? ピアスをしなくちゃいけない理由があったのか?)
春一は考えるのをそこでやめた。夏輝が帰ってきたからだ。玄関から急いできた夏輝は、猛暑の中をずっと走っていたと見えてかなり汗をかいていた。相当の暑さなのだろう、シャツのボタンを二つも外している。
「ハル、一応の情報は集めてきました」
「話してくれ」
春一は彼に水を出して、静かに答えを待った。夏輝は渇いていたのどを潤し、一つずつ話し始めた。
「被害者は近所の会社員、久留米里奈さん三十歳。会社の帰宅途中に襲われたようです。腹部を刃物で刺されており、ほぼ即死状態だったようです。傷口にはタオルが当てられ、返り血は極僅かだと思われます。毎日あの道を通って会社に通っていたようで、時間も一定だったとか。人のない道ですから、犯人がそこを狙って待ち伏せていた可能性が高いと。現場の包丁に残っていた指紋と目撃情報から、今のところ犯人は成之さんになっています。警察では重要参考人として取調べをするために調査中ですが、見つかれば確実に逮捕かと」
「本当の犯人について情報は?」
「何もありません。相当準備がいいと見えて、逃走ルートも練ってあったようです」
春一はまた目を瞑り、合わせた両手の親指で顎を支えた。そして、少しの間考えたかと思うと、立ち上がって夢亜にメールを送った。
「成之、トカゲ男の格好だけど、どんな感じだ?」
「え、格好って、上下そろったジャージにフード被ってて・・・・・・」
「長袖か?」
「あ、うん。見えたのは手だけで、腕は見えてないよ。パーカーはチャック全部閉まってて、シャツまではわからない」
「そうか。わかった。・・・・・・警察は成之を犯人にして逮捕に奔走してるんだよな。だったら、真犯人を突き止めて連れて行かないことには納得しないだろうな。よし」
春一は携帯を開いて、電話をかけた。電話をかける顔が若干楽しそうになっている。
「あ、もしもし、おやっさん? まぁ、そんな毒づくのはやめてさ、俺の話聞いてよ。もしかしたらおやっさん、手柄立てて警視庁勤務に昇格できるかもよ?」
3
藤の乗った車が到着したのは電話が終わって三十分経った頃だった。
「おやっさん、こんばんは」
春一が笑顔で迎えると、藤は仏頂面をそのままに上がり込んだ。
「おやっさん、家の中は禁煙」
ただでさえ切れている血管を更に切ると、藤は黙って携帯灰皿に煙草を押し付けた。僅かな匂いが宙を舞う。
「ハル、言っとくが俺は警視庁勤務なんて真っ平ごめんだ」
「なら、断ったっていいさ。昇給を断るなんて格好いいじゃない。おやっさんオットコ前ー」
「からかうな! んで、何の用だよ」
「まぁまぁ、どうぞこちらへ」
藤がリビングに入ると、彼は驚いて一歩後ずさった。
「お、お前! 手配中の殺人犯じゃねぇか! ハル、お前、殺人犯を匿うなんて何してんだバカヤロォ! テメェも同罪だぞ!」
「おやっさん、落ち着きなよ。成之は犯人じゃない」
「・・・・・・んだとぉ?」
頭の上にクエスチョンマークを並べる藤に、春一は今回の出来事を説明した。藤は一応納得したようだ。
「だったら何だ? お前は真犯人でも捕まえようってか? いつからここは探偵事務所になった?」
「おやっさん、俺は善良な市民として間違った事実を正そうとしてるだけさ。けど、いきなり真犯人を連れ込んでも信じてもらうには時間がかかりそうだし、その間に犯人が逃げないとも限らないから、おやっさんを呼んだわけ。協力してよ」
「・・・・・・もしこいつが犯人だったら、俺は殺人犯を庇った刑事としてしょっ引かれるわけだ。どうしてくれる?」
「安心してよ。真犯人はもうわかってる」
「んだと!? だったら何故それを警察に言わない?」
「証拠がないんだ。犯人は用意周到なヤツで、現場に証拠を残してない。だけど、ソイツが犯人だってことはもう割れてる。証拠ももうすぐ手に入る。けどその身柄を押さえれないんじゃ元も子もない。市民は恐怖に慄いているよ。俺としてはこの成之という濡れ衣を着させられたかわいそうな市民と、平和な暮らしを願う市民を助けたい。その一心なんだ」
「・・・・・・次の市長選には立候補しろよ」
「残念、年がクリアしてません」
べぇと舌を出した春一は、今までよりも大分楽しそうだった。
「さぁ、真犯人を捕まえに出かけよう。ウチの車一台で充分だな。夏が運転するよ」
「ハル? 私はどこに行くかも知らされていないんですが・・・・・・」
「後で教えるよ」
春一は全員を家から出すと、夏輝に場所を教え、自分はどこかへ行ってしまった。しょうがなく夏輝が車を運転する。
「おい、お兄さん、ハルからは何て言われたんだ?」
助手席に乗る藤が、運転する夏輝に問いかける。
「とりあえず隣町の靴屋がある裏通りに行けと。そこにピアスショップがあるから、客がいるか確かめろと。本人はどこかへ行ってしまいました」
「・・・・・・お互い苦労するな」
「全くです」
その頃春一は、家からは離れた公園の駐車場にいた。もう夜なので車もまばらだ。
「わざわざ悪いね。ウチの周りでエンジン鳴らし続けたら迷惑になりそうだからさ」
「いいですよ。ハルさんの頼みなら。えと、ここにサインしてください。これで手続き終了です」
「はい、オッケー?」
「オッケーです。もう乗ってもいいですけど、とりあえず俺が整備しますね」
「よろしく」
バイク工と見られる少年と春一が夜の公園の駐車場でバイクをいじっている。彼が跨ると、バイクのエンジンが大きく唸りを上げた。ドラッグパイプマフラーから出るエンジン音が空気を震わせる。バイク工の少年はエンジンをふかしながら状態を調べた。この少年は春一の後輩で、今はバイク工をしているのだ。その友人に頼んで、春一はバイクを購入していた。エンジンの爆音を鳴らし続けたら迷惑だろうから、ここまで持ってきてもらった。
「これで大丈夫です。エンジンも温めときました」
「サンキュー」
少年と別れ、春一はバイクを走らせた。目的の場所にバイクを停め、エンジンを切る。急に静寂が襲ってきた。周りにはぼろいアパートしかなく、ここならばあまり迷惑にならなそうだ。そのアパートにも明かりが一つしかついていない。その時タイミング良く携帯が鳴った。夏輝からだ。
「いないか?」
『ええ。今日は来ていないそうです』
「わかった。じゃあこっち来て」
春一が今いる場所を伝え、電話を切る。今度は春一の方から電話をかける。
「もしもし、準備いいか? よし、やるぜ」
電話を切り、春一は携帯をポケットにしまった。そしてバイクのキーを回し、再びエンジンをかける。そして、段々と大きい音でフカす。ドラッグスターのエンジンは大きく唸りを上げて、轟音となって鳴り響いた。
ドルン! ドルルルン!
スロットルを回し、走っている状態ならばとうに高速走行しているであろうところまで回す。しばらくすると、アパートの明かりのついた部屋から人が出てきた。
「おい、うるさいぞ! 警察を呼ぶぞ!」
文句を言ってきたのは二十代後半と見られる男性で、春一を見て激怒している。春一は笑ってもっとエンジンをフカす。
「うるさいって言ってんだろ!」
「いいじゃーん、ここ静かでフカすには持ってこいなんだ」
「警察呼ぶぞ!」
その時、春一のポケットで携帯が振動した。春一は画面を見て満足そうに笑うと、スロットルを緩めた。
「わかった、行くよ。もう来ない」
そう言ってバイクを走らせた。男は春一が去ったのを確認して、部屋の中に戻った。
4
「よう、お疲れさん」
「オウ。お前の睨んだとおり、証拠ゲットだゼ」
丈がウインクして黒いTシャツとパーカーを目の前に掲げる。その黒いシャツには緑のインク、パーカーには黒ずんだ血痕が付着していた。
「思ったとおりだ。これでチェックメイトだ」
春一がにやりと微笑むと、ちょうど夏輝達が乗っている車が到着した。
「ハル、丈君!」
「よう、ナッちゃん、おやっさん。さて、俺は一応裏に回っとくかな」
「頼んだぜ」
丈は歩いてこのアパートの裏へと回った。春一はしたり顔で藤達をアパートの階段のところで待ち受けた。
「どういうつもりだ、ハル!」
「おやっさん、静かに。犯人が逃げちまう」
「な!?」
「だから静かにって。なぁ、成之、このアパートの二階にひとつだけ明かりがついてるだろ? あそこに行ってみてくれないか?」
「あ、ああ」
「他のみんなも、行くぜ」
春一は明かりがついている部屋のドアの傍へ身を潜めた。右側に春一と藤、左側に夏輝が身を潜めている。そして、ドアの前には成之。春一がそっとチャイムを押す。ピンポンという音が鳴り、中でごそごそと音がしてドアが開かれる。
「う、うわぁっ!」
ドアを開けた二十代後半の男は、悲鳴を上げてその場にヘたれ込んだ。
「お、お前、どうしてここに!?」
「いやぁ、さっきはどうも」
そして春一が顔を出す。
「さ、さっきのゾッキー!」
「俺暴走族に入ったつもりはないんだけどなぁ。おやっさん、コイツが犯人だ」
全員が何も言えないでいる。藤は突然話を振られ、動揺していたが、やがて警察手帳を取り出し、桜の代紋を男の前に突きつけた。
「本当は管轄外だけどよ・・・・・・成田学、殺人容疑で逮捕する」
5
何がどうなっているのか全くわからなかった。春一を除いて。
「な、何でサツが!?」
「知らねーよ。俺は言われて来ただけなんだから」
「オイ、ゾッキー! テメェ、何した?」
「だから、俺はゾッキーじゃなくて真犯人を捕まえにきたただの善良な市民なんだって」
「何でか知らねーが、俺が犯人だと思ってるらしいな。証拠あんのかよ!」
「なかったら来ねーよ。これだ」
春一は先程丈から受け取ったシャツとパーカーを掲げて見せた。
「な、何で!?」
「後で洗濯しようと思ったのか? ダメだよ、証拠は早く消さないと。そうしないと、バイクをうるさくフカす少年を怒鳴りつけてる間に空き巣に入られちゃうよ?」
「テメェ!」
顔を真っ赤にする成田に、春一はあくまで笑ったまま。滑稽なこの場面を、誰もが奇異な視線で見ていた。
「観念しな。お天道様には全部バレちゃってんだ」
「ち、ちくしょぉ!」
成田はドアをバタンと閉め、逆方向へ部屋の中を走った。春一はすぐにドアを開け、「丈!」と叫んだ。
成田が逃げようと窓から飛び降りると、そこには少年が一人いた。
「よう、殺人犯。潔くねーと女に嫌われんゼ?」
丈のハイキックが成田のこめかみに直撃し、彼はそこで気を失った。
「ハル、そのバイクは何です?」
「いいだろ、買っちゃった」
嬉しそうに頬を緩ませる春一は、おもちゃを得た子供のように無邪気に笑った。
「買っちゃったって・・・・・・そんなお金どこに?」
「俺さ、昔っからアメリカン憧れてて、馬鹿みてーに小学校の頃からちょっとずつ貯金してたんだよな。それこそ千円ずつとか。そしたらついには本物を買えるまでに貯まったってわけよ。十年の時を経て。継続は力なり」
愛車である白いヤマハ、ドラッグスターを撫でながら、春一は嬉しそうに言った。真っ白なボディが闇とのコントラストを目立たせていて、磨き抜かれたフレームやマフラーは夜でも眩しく銀色に光っていた。
「何で、このタイミングで?」
「いやー、今日現物が来るって言ってたからさー。もう金も払って保険にも入ってたんだけど、一番重要なコイツがちょっとトラブルで遅くなってな。今日になっちゃったんだ。そんで、さっき家出る前に渡せるって連絡が入ったから、飛んでったわけ。ついでにお前にはピアスショップに行ってあの犯人が店にいるかどうか確かめてもらったんだよ。あいつの休日の過ごし方はピアスショップにしか行かないみたいだからな。お前から電話が入ったと同時に俺はこの家の裏に着いたんだけど、明かりがついてるからいることを確信した。そこでこのエンジンをフカしまくって、アイツをベランダに出させたんだ。そこを丈に連絡して、ちょいちょいっと鍵を外して素早く中を調べた所、証拠が出てきたから丈は家を出て、俺も去ったフリをした。夏達と犯人が入れ違いになるのも嫌だったから、俺は別行動でちょうどいいと思ったんだ」
「それにしても、話が飛びすぎです」
「どうせ俺らも参考人だろ? 警察で話すよ。あそこは退屈なのとメシがまずいのがいけねーんだ」
6
警察にて。春一達参考人と犯人に仕立て上げられた成之は容疑者の取調べが済むまでロビーで待たされた。
「今回の事件は、どうも妖怪絡みと思えなかった。人間くさすぎる。しかも、成之の像と一致する妖怪が思い当たらないんだ。これはどうもおかしい。そう思って人間の仕業だと仮定して考えた」
そこで一つ呼吸をおいて、春一はひとつずつ話し始めた。
「まず、この犯人は何を目的としているのかわからなかった。何であんな格好をしていたのか。顔を見られたくないなら覆面でいい。あんな目に付く格好をしなくてもいいんだ。けど、わざと妖怪みたいな格好をした。何でか。とりあえず、手は何かのグローブで作ればいい。そして、顔にメイクをする。妖怪トカゲのように緑で塗りたくって、目元は黄色く。カラーコンタクトも忘れずに。それで妖怪の完成だ。そして犯行を予定通り行う。顔は見られないし、まさか元彼だと思われないだろう。相手の隙を作るには充分だ。そのまま被害者の女性は刺され、絶命。後はそこからメイクを落として逃げるだけ。だが、そこで不測の事態が起こった。成之。アイツは俺に万引きを見つかったから、偶々裏口から出た。そこで事件を見てしまった。成田は咄嗟に考えて、この顔のまま相手を驚かそうとした。そうすれば自分だとはわからない。案の定成之はビビって、押し付けられるままに包丁を持ってしまった。成田にしてみれば嬉しいハプニングだった。そして成田は走り、角を曲がった所でグローブを外し、メイクを取る。その取り方ってのが、随分豪快。パーカーのチャックを外し、黒いTシャツで一気に顔を拭く。この猛暑だ、汗でメイクも取れかかってた。成之の言った液ってのは、メイクを含んだ汗のことだ。この暑さだから覆面をやめたんだろう。ただでさえ長袖着てるのに覆面なんてつければ沸騰して頭が回らなくなる。それと、さっきも言った驚かせようとするためにメイクをしたんだろう。そして一番大切なのは、返り血をごまかすことだ。そんな顔を見れば、犯行後メイクを落とすまでで万が一見られても絶対に顔に目が行く。パーカーについた少量の返り血は目に入らない」
そこで春一は手に持ったコーヒーを傾けて、一口飲んだ。随分ぬるくなった。
「その後パーカーは腰にでも巻いて、Tシャツ姿になる。黒いから緑は目立たない。走ればジョギングしてる人。そのまま現場から逃げ、家でゆっくり逃走計画をねりねり・・・・・・。だが、成田はへまをした。俺なら気付くことをね。成田は、ピアスをいっぱいつけてた。俺より多く。眉ピもしてる。それを、何故犯行の時に取らなかったのか。手がかりにしかならないのに。だけどそのピアスも目立たないのばっかりで、犯人に繋がらないようにしてある。そこまでしてピアスをつけたのは何故か。それはピアスを開けたやつにしかわからない。・・・・・・穴を安定させてたんだ」
「どういうこと?」
その手には疎いらしい成之が口を挟んだ。
「ピアスってのはな、穴を開ければいいってわけじゃない。穴を開けたらそこにピアスを刺して、一ヶ月くらいつけっぱなしにしなくちゃならない。そうしないとすぐに塞がるんだ。開けたばかりなら、ほんの数分でも取ると皮膚がくっつく。そうするとまた開けなおさなきゃならない。あんだけの数刺してりゃつけっぱにするだろ。だから目立つのは取って、普通のヤツに変えた」
「でも、舌は・・・・・・?」
「お前は・・・・・・ってか、あんま普通の人間は知らねーんだが、あれは作為的に作りだした舌なんだ。正確にはスプリットタンっていう。ピアスを舌にするのは知ってるな? そんで、ピアスには拡大ってのがある。穴を段々拡大させて、入れるピアスを太くする。単位はgなんだが、舌に入れるピアスは大体四g。数は小さいほど太くなる。そこから二g、ゼロg、ゼロゼロgにして、ドーナツみたいにする。最後に残った舌先を切ると、舌は蛇みたいに枝分かれする。これは拡大しなくていきなり切るやつもいる。成田は後者だ。キレイになってなかった。だから、舌が蛇みたく見えた。妖怪のイメージがより定着すると踏んで敢えて出したんだろう」
「そんなのあるんだ。痛そう」
「話聞く限りじゃ、すっげぇいてぇらしいな。大の男が失神するとかどうとか。俺はやりたくないね」
「話だけで充分だ」
「全くだ。さて、ここまでくればもう後は容易い。こんなことができる人間なんて限られている。まず、相当腕がいいメイク。自分の顔を妖怪にできるなら、それなりの経験を踏んでるはずだから、年はそう若くない。そして、あれだけのピアスとスプリットタンをするとなると、自分じゃできない。ここらへんでピアス開けてるのは病院も含めるといっぱいあるけど、タンもってなると専門じゃないと無理だ。そんであのピアスショップが出てきた。夢亜に頼んで調べてもらったら、近頃ピアスを合計で十二個開けてタンを頼んで舌を切った人間がいるそうじゃないか。そいつは二十八歳で劇団のメイクをやってる。もう十年のプロだそうだ。どんな人間か調べてもらったら、被害者の元彼だなんて、うまい話もあったもんだ。残るは証拠と思って、さっき言ったように丈に忍び込んでもらって、Tシャツとパーカーを物証として挙げた。これにて一件落着ってね」
悪戯っぽく笑う春一に、一同は何も言えない。
「俺がピアス開けてて良かった。ピアスの知識がなきゃ何もわからないところだ。これで成之も無罪放免、ハッピーエンド」
コーヒーを飲み干した春一は、紙コップを潰してくずかごに入れた。
7
その後例の如く藤をからかいつつ、参考人の役目を果たした春一達は帰路についた。危うく誤認逮捕されるところだった成之は、警察署長に謝られて恐縮していた。
春一は買ったばかりのバイクに跨って、丈としばらくツーリングをすると言って警察からどこかへ行ってしまった。家には夜中まで帰ってこなかった。
成之は一旦四季家に寄り、春一が帰ってこないため夏輝に礼を言って帰った。後日また春一に礼を言いに来ると残していった。元は真面目な少年なのだ。
夏輝も春一を待とうとしたが、深夜の一時を過ぎた所で眠さに負け、寝ることにした。尤も、帰ってきた春一のバイクのエンジン音で起きてしまったが。
深夜に帰ってきた春一は十数時間後の野球のデイゲームを観に行くんだと言ってさっさと寝てしまった。全く、いい性格をしている。
夏輝は文句と溜息を胸の中にしまい込んで、再び眠りに就いた。
二日後、常連の時雨から連絡が来た。夏輝が自室で電話を取ると、いつものようにおどおどしながら、また妖怪を呼んでしまったと言って切れた。その旨を春一に伝えようと部屋に行ったが、いない。
(ハルも懲りないな)
いつものようにダイニングに入った夏輝の目に入ったものは、ソファで寝ている春一だった。昨日は野球の試合を観に行っていて、デイゲームだったのに帰ったのは夜遅くだった。
結果は中継を見ていたから知っている。九回裏にサヨナラホームランで見事な逆転勝ち。ハル達ファンにとってはたまらなかっただろう。
夏輝は春一を揺すって起こした。七度目の呼びかけでようやく寝返りを打って、十二回目の呼びかけで目を覚ました。
「うう~、眠ぃ」
目をごしごし擦りながら、春一が起き上がる。時計の針は八時を指していた。そうだ、今日は旗日だ。
「夏、旗日だ。店を閉めよう」
「それはできません。八時十五分に時雨様がお見えになりますから」
「・・・・・・先に言え」
「今起きたので」
春一はソファの背を飛び越えて洗面所に向かい、自分の部屋に行って着替えを済ませた。マンガならどったんばったんという効果音がつきそうだ。
「夏、メシ!」
「ご飯、ですよ」
いつものやり取りをしながら、夏輝は朝食の準備を始めた。
「TRUMP」を読んでいただき、ありがとうございました。
春一たちの物語はまだまだ書ききれていないことが多いので、ただ今2を執筆中です。
またアップしたいと思いますので、その時はまたよろしくお願いします。