EP6 王都動乱編 第46話 アルデイン聖騎士団
王都聖騎士団本部の朝は、正しい。
少なくとも、そう見えるようにできている。
第一環の外縁に建つその本部は、王城へ向かう内門のすぐ脇にあった。白灰色の石壁。磨かれた廊下。規則正しく並ぶ鎧。訓練場の端には、王都旗と聖騎士団旗が風を受けている。
鐘が鳴る。
門が開く。
当直の騎士が交代する。
巡回班が名簿を受け取り、装備を確認し、持ち場へ向かう。
どれも、決められた通りだった。
だが、決められた通りに動くものほど、わずかな乱れが目立つ。
「剣先が下がっています」
訓練場の中央で、セシルは静かに言った。
向かいに立つ見習い聖騎士シェリルは、息を切らしながら剣を構え直す。
「はい!」
「返事ではなく、剣を上げなさい」
「はい!」
セシルは一瞬、目を閉じた。
真面目ではある。
とても真面目ではある。
だが、真面目さだけで剣は振れない。
シェリルの剣筋は素直だ。
素直すぎて、読める。
相手が真正面から来てくれるならよいが、真正面から来る敵ばかりではない。
「もう一度」
「お願いします!」
シェリルが踏み込む。
勢いはある。
足も前に出ている。
だが、力が入りすぎていた。
セシルは半歩だけ横へずれ、木剣の腹でシェリルの手首を軽く叩いた。
「あっ」
剣が宙へ跳ねる。
シェリルはそれを目で追い、次の瞬間には足を払われていた。
「きゃっ」
尻もちをついた音が、訓練場に軽く響く。
「実戦で落とした剣を目で追わない。目で追うなら、相手です」
「はい……」
「それと、踏み込みが強すぎます。型に忠実なのはよいですが、気持ちが前に出すぎています」
セシルは木剣を下ろした。
「気持ちに体を持っていかれてはいけません」
シェリルは床に座ったまま、瞬きをした。
「……はい」
「分かりましたか」
「いえ、少し難しいです」
「正直でよろしい」
訓練場の端から、低く笑う声がした。
「相変わらず、説教が剣より重いっすね、セシルさん」
マルカ=エーデルだった。
若手の中では優秀な方だが、口はあまり上品ではない。鎧の着こなしも規定からわずかに外れている。だが、帯剣の位置だけは完璧だった。
「マルカ。見ていたのなら、次はあなたが相手を」
「勘弁してください。朝から心を折られたくないんで」
シェリルが慌てて立ち上がる。
「マルカ先輩、セシル様は優しいです!」
「知ってる。優しいから逃げ場がないんだよ」
マルカは肩をすくめた。
その横に、いつの間にかクロウが立っていた。
寡黙な青年である。
セシル直属の部下で、無駄口が少ない。少ないというより、必要がなければほとんど喋らない。
「セシル」
クロウが言った。
「何ですか」
「副団長が呼んでる」
「副団長が?」
「ああ。団長もいる」
それだけ言うと、クロウは黙った。
その一言で、訓練場の空気が少し変わった。
団長ローレライ=フェルンベルク。
副団長アルベルト=グレイハイン。
その二人が揃って呼ぶなら、ただの巡回変更ではない。
「分かりました。シェリル、訓練はここまでです」
「はい!」
「マルカ」
「はいはい、面倒見ろってことですね」
「返事は一度で結構です」
「はい」
マルカは雑に敬礼し、シェリルの方へ向いた。
「じゃあ続き。まず、尻もちついた時に可愛い声出すのやめようか。敵は待ってくれない」
「そこからですか!?」
「そこから」
セシルは小さく息を吐き、クロウと共に訓練場を出た。
◇
聖騎士団本部の作戦室は、訓練場とは違う静けさを持っていた。
壁一面に王都アルデインの地図が広げられている。
第一環から第五環まで、同心円状に区切られた街。主要門、巡回路、詰所、橋、地下水路、封鎖区画。そのひとつひとつに小さな札が刺されていた。
王都は、ただ大きいだけではない。
管理されなければ、すぐに絡まる。
その地図の前に、副団長アルベルト=グレイハインが立っていた。
整えられた髭。隙のない鎧。無駄のない立ち姿。規律という言葉が人の形を取ったような男である。
そして、その横で、団長ローレライ=フェルンベルクが一枚の書類を真剣に見つめていた。
20代後半 若くして聖騎士団長に就いた女である。淡い銀髪を後ろで結び、鎧姿でありながら不思議と威圧感より端正さが先に立つ。
ただし。
「アルベルト」
「はい」
「この、今日の重要案件なのですが」
「それは昼食の献立です」
「……重要では?」
「別の意味では重要ですが、今回の案件ではありません」
ローレライは、少しだけ真顔のまま固まった。
「どうりで、共和国使節団と豆の煮込みの関係が分からないと思いました」
「関係はありません」
「ないのですか」
「ありません」
セシルは無言で姿勢を正した。
クロウは無表情だった。
ただ、わずかに目を逸らした。
アルベルトは、慣れた動きでローレライの手元から献立表を抜き取り、別の書類を渡した。
「こちらです、団長」
「ええ。もちろん分かっていました」
「分かっていませんでした」
「アルベルトは厳しいですね」
「私が甘ければ、この本部は三日で機能停止します」
ローレライは少しだけ唇を尖らせたが、すぐに表情を引き締めた。その切り替わりは、不思議なほど速かった。
「セシル」
「はい」
「メサイア共和国の使節団が王都入りしました」
「承知しています」
「王政側から、使節団の移動経路について警備協力の要請が出ています」
ローレライの声は落ち着いていた。
先ほどまで献立表を読んでいた人物と同じとは思えないほど、目が鋭い。
アルベルトが地図の北西門を指した。
「使節団の正規経路はこちらです。北西門から第三環大通りを通り、第二環の迎賓館へ入ります。第一環外務棟への出入りは、王城警備隊と合同対応です」
「通常の警備ですね」
「基本はそうです」
アルベルトは別の札を地図に置いた。
「ただ、問題は混雑です。今日から数日は見物人が増えます。商人は共和国使節団に関連した露店を出したがる。荷車の一部は大通りから外される。王政の伝令、警備隊、協会関係者、迎賓館の使用人も動く」
「人と荷があつまるのですね」
「はい」
アルベルトは第三環大通りから第四環外縁路へ指を滑らせた。
ローレライが地図を覗き込み、少し考えるように言った。
「我が国と共和国の関係性は表向きは穏やかです。ですが、共和国使節団を面白く思わない者が、いないとは言い切れません。歓迎される客ばかりなら、警備はいりませんから」
アルベルトが頷く。
「団長の言い方は少し雑だが、要するに、混雑に紛れた接近者・荷車・不審な迂回を確認するということだ」
セシルは地図を見る。
北西門。
第三環大通り。
第二環迎賓館。
そこから外れた第四環外縁路。
使節団の警備そのものではない。
使節団が来ることで、王都が普段と違う動きをする。
「私に、巡回を?」
「はい」
アルベルトが頷いた。
「第四環外縁路と第五環側の接点を確認してください。目的は摘発ではありません。詰所から見えない脇道が混んでいないか。その確認です」
「通常巡回の強化ですね」
「その通りです」
ローレライは地図上の札を一つ摘まみ、なぜか逆さに置いた。
アルベルトが無言で直した。
「団長」
「今のは、わざとです」
セシルは軽く目を伏せた。
団長ローレライは、普段はこうである。
書類を取り違える。
地図の札を逆さに置く。
会議中に重要な紙の上へ菓子の包みを置く。
そのたびに、アルベルトが音もなく修正する。
それでも、ローレライは団長だった。
剣を取れば、誰よりも前に出る。
迷う場面で、最後の判断を外さない。
そして時々、誰も見ていない場所を見ている。
その直感だけは、セシルも軽んじていなかった。
「同行者は」
アルベルトが言った。
「あなたが選びなさい。条件は、住民対応ができる者、必要時に周囲を見られる者。あくまで巡回です。大きな隊列にはしません」
「クロウは同行します」
セシルが答えるより早く、クロウが短く言った。
「行く」
ローレライが瞬きをした。
「理由は?」
クロウは少しだけ地図を見た。
「第四環外縁なら、白礫墓苑の外壁沿いも見た方がいい」
その名が出て、セシルは地図上の白い空白へ目を向けた。
白礫墓苑。
第四環と第五環の境界にある古い共同墓地である。
王都と教会の共同管理だが、日々の手入れは教会側の管理人が担っている。
「なぜですか」
「抜けるやつがいる」
クロウの答えは短かった。
アルベルトが地図を確認する。
「公式路では、墓苑の正門と外壁沿いの管理道だけですね。抜ける、とは?」
「外壁の南側。石垣の隙間。墓守小屋の裏。昔は通れた」
「今も?」
「知らない」
セシルはクロウを見た。
「知らないから、見る必要があると」
「そう」
ローレライが少しだけ顔を上げた。
「そこは、出入りが多い場所ですか」
「普通は誰も通らないはず」
クロウは答えた。
「でも、知ってるやつは行く」
「墓苑を抜け道にする、ということですか」
「ああ」
アルベルトは腕を組んだ。
「白礫墓苑を正式な巡回対象にするには、少し理由が薄いですね。教会管理区画でもあります」
「正式に入らなくていい」
クロウはぶっきらぼうに言った。
「外壁沿いを見るだけでいい。道が使われてるかどうかは、地面を見れば分かる」
セシルはしばらく地図を見ていた。
第四環外縁路。
第五環側の細い路地。
白礫墓苑の外壁。
正規路ではない。
だが、王都の人間は正規路だけを歩くわけではない。
「副団長」
「何ですか」
「境界巡回の経路に、白礫墓苑外壁沿いの管理道を加えます。墓苑内部には入りません。教会管理人に挨拶し、外壁沿いの通行状況だけを確認します」
アルベルトは数秒考えた。
「妥当でしょう。目的は墓苑の調査ではなく、不審者の確認です」
「承知しました」
「マルカを同行させなさい。住民対応と、路地での即応性があります」
「はい」
「他は?」
アルベルトが問いかける。
セシルは少し考えた。
「シェリルを連れて行きます」
「理由は」
「第一環の訓練場だけでは、聖騎士団が何を守っているのか分かりません。今回の巡回は、戦闘よりも道と人を見る任務です。見習いに見せる価値があります」
「危険時は」
「即時退避させます」
アルベルトは頷いた。
「許可します」
ローレライがセシルを見た。
「では、行ってください。あくまで巡回です。変なものを見つけたら、まず報告をしてください」
「団長」
アルベルトが言った。
「今のは良い指示です」
「でしょう」
「最後だけですが」
「アルベルトは厳しいですね」
◇
作戦室を出ると、訓練場ではまだシェリルが木剣を振っていた。
マルカはその相手をしながら、片手で欠伸を噛み殺している。
「必死すぎる。動きに余裕がなさすぎるな」
「はい!」
そこへセシルとクロウが戻る。
マルカは木剣を肩に乗せた。
「お帰りなさい。説教の続きですか?」
「任務です」
「げ」
「顔に出ています」
「出してます」
セシルは簡潔に説明した。
メサイア共和国使節団の来訪に伴う、第四環外縁路の巡回強化。
正規路の混雑で不審者が紛れ込まないか。
住民対応では、聞き込みよりも通行状況の確認を優先すること。
その経路の一部として、白礫墓苑外壁沿いも確認すること。
話を聞くにつれ、マルカの表情から軽さが少し抜けた。
「なるほど。使節団警備そのものじゃなくて、余波の確認ですか」
「そうです」
「地味ですね」
「必要な仕事です」
「分かってます。地味な仕事ほど、失敗するとあとで怒られるんですよ」
マルカは剣帯を締め直した。
「白礫墓苑外壁沿いって、あそこ、道が分かりにくいんですよね。墓参りの人と近道したい人と、何してるか分からない人がたまに混ざる」
「知っているのですか」
「第四環の巡回で何度か。昼でも迷子が出ます。夜は行きたくないです」
クロウが短く言った。
「夜の方が見える」
「あなたはそうでしょうね」
マルカは嫌そうに返した。
シェリルが背筋を伸ばした。
「私も同行させていただけるのですか」
「はい。ただし条件があります」
「はい!」
「勝手に動かない」
「はい!」
「不明なものに触らない」
「はい!」
「住民に不用意な質問をしない」
「はい!」
「白礫墓苑で、墓標に敬礼しない」
「……はい」
マルカが吹き出した。
「今、する気だったでしょ」
「失礼があってはいけないと思いまして」
「墓標全部に敬礼してたら日が暮れるわ」
セシルは軽く額を押さえた。
そこへ、ルカ=ヴェスタが薬箱を持って現れた。
「私も行きます」
「まだ呼んでいません」
セシルが言う。
「副団長から聞きました。第四環外縁、第五環側との境界、白礫墓苑周辺。怪我人が出てもおかしくない場所です」
「巡回です」
「巡回で済むなら、私は荷物持ちで終わります。歓迎します」
ルカは穏やかに言った。
マルカが肩をすくめる。
クロウがぼそりと言う。
「行くぞ」
「まだ出発時刻を決めていません」
セシルは二人のやり取りを切った。
「出発します。第四環外縁路から入り、境界巡回。その後、白礫墓苑外壁沿いを確認します。墓苑内部には入りません」
「了解」
「はい!」
「承知しました」
それぞれの返事を聞き、セシルは訓練場の出口へ向かった。
◇
第四環へ向かう馬車の中で、シェリルだけが背筋を伸ばしすぎていた。
マルカは窓の外を見ている。
ルカは薬箱の中身を確認している。
クロウは目を閉じているように見えるが、おそらく周囲の音を聞いている。
セシルは膝の上に置いた巡回図を見ていた。
今回の任務は、白礫墓苑の調査ではない。
境界巡回である。
だが、地図上で境界を見ると、どうしてもそこに目が行く。
白礫墓苑。
第四環と第五環の間に空いた、白い空白。
「セシル」
クロウが目を閉じたまま言った。
「何ですか」
「あそこは、道が多い」
「白礫墓苑ですか」
「ああ」
「公式地図には、正門と管理道しかありません」
「地図にない道がある」
「どこに」
「外壁沿い。墓守小屋の裏。古い井戸跡の横。あと、南の石垣」
「なぜ知っているのです」
「昔、使った」
マルカが笑う。
「子どもの頃の肝試しですか」
「違う」
「じゃあ何ですか」
「逃げ道」
馬車の中が、少しだけ静かになった。
セシルはクロウを見る。
クロウは目を開けていなかった。
「誰の?」
「俺たちの」
それ以上、クロウは言わなかった。
境界の孤児院。
セシルは、その言葉を思い浮かべた。
王都の端で育った子どもたちは、正規の道だけを歩いてきたわけではない。
逃げるための道。
隠れるための道。
大人に見つからずに戻るための道。
そういう道を、知っている。
「では、今日はその道がまだ使えるか確認します」
「使えてたら?」
「塞ぐべきか、見張るべきか、考えます」
「全部塞ぐと困るやつもいる」
「分かっています」
クロウは、それで黙った。
マルカが小さく言う。
「セシル様、今日の巡回、ちょっと面倒ですね」
「いつものことです」
馬車が揺れる。
窓の外の街並みが、第三環から第四環へ変わっていく。
整った建物が減り、壁の補修跡が増える。道幅は狭くなり、空気に湿った土の匂いが混ざり始めた。
遠くに、白い墓標が見えてくる。
白礫墓苑だった。
小さな白い石が、斜面に無数に並んでいる。
王都の喧騒から少しだけ外れた、静かな場所。
人が声を潜める静けさではない。
声を出す者が、もういない場所の静けさだった。
セシルは馬車の窓から墓苑を見た。
門の近くに、ノーティア教の小さな管理小屋がある。
その前に、白い衣を着た者が一人立っていた。
こちらに気づき、深く頭を下げる。
「教会側の管理人ですね」
マルカが言う。
「まずは通常巡回として挨拶します」
馬車が止まった。
セシルは巡回図を畳み、立ち上がる。
「全員、確認を優先。ここは摘発対象ではありません。勝手に墓苑内部へ入らないこと」
ルカは薬箱を持ち直す。
クロウはすでに、墓苑の外壁の方を見ていた。
「クロウ」
「足跡」
「どこですか」
「外壁沿い。新しい」
クロウは短く言った。
「墓参りの足跡じゃない」
セシルは視線を向ける。
墓苑の白い石。
古い外壁。
その下の湿った土。
確かに、そこには何かが通った跡があった。
人の流れ。
記録に残らない道。
境界の空白。
セシルは静かに息を吸った。
「確認します」
王都の昼の鐘が、遠くで鳴った。




