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霜のいとしろきも

 大納言伊周(これちか)様が帰られた後も気持ちの高ぶりはおさまらなかった。


 長い間人前に出ることがなかった人間が顔も隠さずに仕事をするのは、思った以上に苦痛だった。


 いや、見せる事ではない。目に映る世界が眩しすぎて見る事ができないんだ。


「清少納言、ちょっと」


 (みなもとの)少納言(しょうなごん)が几帳を潜って声をかけてきた。険しい顔と口調に状況をさとる。




 部屋を離れ声の届かないとこまで連れてこられると源少納言はくるりとこちらに向き直りたしなめてきた。


「清少納言。新人だからと多目に見てたけどさすがに目に余るわよ」


 こちらをにらみ付けてまくし立てる。


「宮様は自分の立場を悪くするかも知れないのにあなたを待ってるのよ。いい加減にしなさい!」


 源少納言の言うことは分かる。

 私だって皆の中に入っていきたい。理想の世界の中に自分も溶け込みたい。

 自分から入っていって、主張して、覚えていかないといけないこともわかってる。


 でも……


 皆の見ている清原元輔の娘は想像している人物ではない。

 歌も何もない、歳だけを重ねた女なんだ。


 その気持ちが、その事実がためらいを生む。


「源少納言、ちょっとその辺にしておきなさい」


 藤内侍が間に入ってくる。


「先程私もきつく言ったばかりなんです。清少納言も今日やっと顔を出してきたし少しずつ……」


(ふじ)! 邪魔しないで! いつ言ったとかどうでもいいの。今日来られたのが伊周様だから良かったけど、誰か他の男性が来てたらどうするの? こそこそと仕事もしないで隠れるような女房を抱えてるって噂が広まったら宮様の顔にも傷がつくでしょ!」


 源少納言の言葉にハッとする。

 私の行動が貴族の中で噂になってしまうと中宮様、さらには関白の道隆様にまで矛が向けられる。


 貴族達は互いに粗を探し合い、非難してその地位を蹴落とそうと画策していると聞いた。


 私の行動はそんな貴族たちの格好の材料にされてしまう。


「それを言うなら清少納言を引っ張り出してきた私や宮様にも落ち度があると言うことですよね。」


「そっ、そういう意味じゃない! もうっ! 清少納言も女房になったんだから恥ずかしいとか自分勝手な感情は捨てて奉仕しなきゃいけないって言ってるの!」


 藤内侍が助けを入れてくれる。

 でも違う。違った。


 いつまでも隠れていいわけではない。

 定子様も藤内侍も気を揉んでしまうし、私が閉じこもるせいで衝突も生んでしまう。


 関白道隆様の地位もおとしめてしまうかもしれない。


 ……恥を、捨てる。


 自分を捨てる。


 自分はこれまでの暮らしを捨ててこの世界に入って来たんじゃないか。

 理解してもらえなかった過去を捨てよう。清原元輔の娘という立場を捨てよう。


 私を捨てよう。


 ここでは劣等感も気負いも捨てて、中宮定子様の女房として生まれ変わるのだ。


「だから清少納言でも時間がたてば女房として……」


「あ、あの……」


 藤内侍の言葉をさえぎる。声が震えるけど、もう怯まない。


「わ、わたし、部屋に戻ります」


「清少納言……」


「明日も、朝からおつとめに励みます。みなさん、今まですみませんでした」


「はは……やったわね。前進できたじゃない。源少納言、すごいわ。清少納言を動かすなんて」


「ふんっ、まだ口だけじゃわからないじゃない。だいたいみんな清少納言を甘やかしすぎなのよ。こそこそしてるのを誰もとがめないなんて」


「あら、あなたも初めて来たときはビクビクおどおどしてなにも……」


「わーっ! バカッ! 何で今言おうとしてるのよ! 清少納言! 戻るって言ったなら早く戻りなさいよ! なにボサッと突っ立ってるのよ!」


「は、はいっ!」


 笑いをこらえつつ部屋に戻る。そうだ。誰だって初めての地は怖い。

 それでもいつかは慣れていくんだ。絵物語の世界に入ったと思って好きなように生きよう。


 抱えていた過去を捨てたせいか体が軽くなった気がした。



  * * *


「清少納言、準備できた?」


 翌朝、藤内侍に起こされる。


「はい。参りましょう」


 生まれ変わった私にとって今日が初出仕だ。そう言い聞かせ部屋へ向かう。昨日からの雪はまだ止まず、キンと冷えた空気が逆に気持ちをゆるませてくれた。


 格子も閉めきり、火も消えた薄暗い部屋には既に定子様が御簾の中にいらっしゃった。


「あら、宮様お早いですね。さっそくお髪を整えましょうか」


「ねぇ、香炉峰(こうろほう)の雪ってどうなってるの?」


「えっ?」


 入ってきた私たちに向かって宮様が声をかけてきた。


 その言葉に体が震える。

 定子様の言葉が伝わる。飛び跳ねたい気持ちを抑えて外へ向かい格子を上げていく。


「えっ、ちょっと清少納言?」


 他の女房達より先に動きたい。投げ掛けられた言葉が自分宛にしたい。


 まだ面をくらってその場に立ちすくんでる女房達をよそに、息を切らしつつ御簾の前へ向かった。


「はぁ、はぁ。どうぞ定子様」


 するすると御簾を上げて格子の外を見る。

 格子で区切られた先には壁にかけた絵のように雪景色が広がっていた。


「……んーーーっ! ほら、みんな見てよ! 清少納言がやっぱり一番なのよ! すごいっ! うれしい!」


「あっ、白居易(はくきょい)の……」


(すだれ)を掲げてってところの……」


「それにしても早い……」


 女房達より先に気付くことができた。これが私の憧れていたもの……


「ねぇ清少納言」


 定子様の声に振り返る。


「やっと御簾を隔てず近くで見れたわ」


 ハッとして顔に熱をおびる。いや、でも大丈夫。私からは私の顔は見れない。

 にこやかに頬笑む定子様を見つめる。定子様のほんのりあかみのさした頬を見ると時が止まったように感じられた。


「定子様……」


「うっ、寒い!」


「炭櫃が空じゃないの」


「格子を上げたから外の風が……早く炭を!」


 止まった時間があわただしく動いた。


「わっ、私も行きます!」


 御簾を上で留めて廊下へかけた。


 きっとこの世界では私の求めていた事が叶えられる。そう思うとこれまでの数日がなぜあそこまで恥ずかしかったのかと不思議に思えて来る。


 炭を運びながら渡る廊下の、下沓(しとうず)から伝わる冷たさが心地よかった。


 葉に降りている霜が陽に当てられた所から溶けていっていた。










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