8話 幻想
僕は確か、この遺跡を明け渡せない理由をサリーから聞くはずだった。
しかし、語られるのはリックと言う男の事ばかり。
興味深々なレイミーと言う理解者が、その惚気話に拍車をかけちゃった感があるね。
あの様子だと、歳が近い同性からの共感に飢えていたのかもしれない。
僕とレイミーより2つ年上だからサリーは19歳か。
驚きだったのが、リックの年齢が28歳だった点。
2人が会話している様を冷めた目で眺めていたんだけど、唯一その歳の差に耳が傾いてしまった。
魔族が28歳で独身だなんて珍しいからね。
さあ、もうそろそろ満足したよね。
「ねえサリーさん」
「ん? ちょっと待つのだネル。今レイミーに口づけの仕方を伝授してるからな」
「あっ、ああぁ! 言っちゃ駄目ですよサリーさんっ。秘密です秘密」
今いる大部屋には、主である魔王専用の玉座がポツンと置かれているだけ。
真っ赤な玉座とそれを支える台座。
その目の前でサリーは胡坐をかき、レイミーはリュックサックから水筒を取り出し、一緒にお茶を飲んでいる始末。
なんでも、アレクセン家の家臣が人間界で発見した貴重なお茶なのだとか。
いやいや、そんなのどうでもいいよ。
お茶会とそれに関わる情報は家でやってくれないかな。
「ねえサリー。そろそろ話を進めてくれないか?」
「お? じゃあそろそろネルにも口づけの作法を教えておくか?」
口づけ経験者=恋の上級者って言う認識なのかな。
その話になると終始得意げな顔になって、頬が緩んじゃうみたいだ。
それはさておき。
どうやらサリーは、なんで自分がリックとの馴れ初めを話す事になったか忘れているようだね。
僕は僕でちょっとイライラしてるから、歳上に対する敬いを忘れちゃったよ。
うん、もう歳上なんて関係ない。たったの2歳だし。
無理やりにでも、またあの恐怖を呼び起こさせてあげるくらいで丁度いいかもね。
「口づけには興味ないよ。それより後ろを見てごらん」
「ん~? まったく、それじゃあレイミーが苦労するのだぞ? 後ろって、なんなのだ? なにが……あ、あぁっ、ああ、あわわわわわぁっ」
姐御肌は相変わらずのようで、僕の顔を真っ直ぐに見据えながら忠告し、そのまま後ろへと首を回した。
そんなサリーの視界には、10匹のスライムが見えて来たはず。
その光景は再度のトラウマを呼び起こすのに充分だったようだ。
言葉からは徐々に勢いがなくなって、最後には悲鳴となってしまった。
レイミーはと言うと、僕が口づけに興味ないと言った瞬間から顔色が悪くなってしまった。
◆
「す、すまなかったのだネル……」
「ご、ご、ごめんなさいネルさん」
赤い髪と栗色の髪が縦に振れる。
僕は玉座に座り、そんな2人を正座させていた。
しばらく無言で威圧しておこうかな。
こういう時に沈黙されると、凄く嫌なんだよね。
昔ダレルさんを怒らせてしまった事があり、こうやって僕とクレアは必死で頭を下げていたっけ。
中々話し始めないダレルさんは、鬼の様に怒って見えたからね。
さて、そろそろ頃合いかな。
充分に僕の怒りは伝わったみたいだし。
「それでサリー」
「あ、ああ、なんなのだっ! 何でも聞いてくれ!」
「要は、この遺跡のダンジョンはリックと結婚する為に獲ったんだね?」
「そ、そうなのだ。愛を計ってくれると言っていたのだ!」
僕の怒りがおさまり普通に喋ったからか、サリーはどこか嬉しそう。
逆にレイミーは、小さな体をもっと小さくしてシュンとしたままだった。
「本当に結婚の約束はしたの?」
「し、したに決まってるのだ……た、たぶん、いや、ちょ、ちょっと待つのだ、思い出す……えっと、あれは夜会の後の……あ、思い出した! リックはこの遺跡を欲しがっていたのだ、だから結婚してくれるなら玉座を獲ると提案して、約束は成立したのだ。いやぁ、この遺跡にはなかなか手ごわい魔物がいてな。見ろこの背中の傷を! この部屋にいたボスはなんとあのケルベロスだったのだぞ! この傷は愛の証なのだ」
また脱線し始めた。
しかし、ためらいもなく露出させたサリーの背中には、むごたらしい切傷痕が刻まれていた。
それを見たレイミーが青ざめる程のね。
爪で抉られでもしたのだろうか、よくこんな痛手を抱えたままケルベロスと戦えたね。
これも愛の成せる業って事なのかな。
でもだからこそ、はっきりさせておかなきゃ。
「ちょっと待ってサリー。提案した時にリックはなんて言ってたの?」
「はて?」と言いながら、懸命に記憶を絞り出そうとしている。
どうしてそんな肝心な箇所を、思い出の片隅に追いやっちゃうのさ。
メリエスもこの記憶を探るのに苦労したかもね。
ここに至り、メリエスがサリーの話を聞けって言った理由がなんとなく分かってきた。
「そうそう、リックはこう言っていたな、サリーちゃんが遺跡の玉座を獲って僕にくれるなら、結婚のお話をお茶会でしよう。うん、そうだ、そう言ってたのだ!」
「なるほど。それでサリーは頷いたんだね?」
「そりゃそうなのだ! 愛しているからな! 結婚できるからな!」
結婚のお話をお茶会でしよう、か。
『騙されてるよねこれ』
『そうね。サリーはほんとお馬鹿な子なのね。でもネルはこんな真っ直ぐで純情な女の子を放っておけるかしら?』
『どうだろうね。リックに会って真意を確かめないとまだなんとも言えないかな』
とは言いつつも、僕の内心では既に答えは出ていたんだけどね。
ただ、メリエスにそれを見透かされてるみたいで、素直になれなかっただけだ。
確かめるまでもない。
こんな歳の離れた女の子を誘惑し、あそこまでの傷を背負わせたんだ。
そして、リックの言葉はサリーの解釈と齟齬がある。
メリエスの言う通りサリーはお馬鹿な部分もあるから、言葉の綾で釣られちゃったんだろう。
なんとかして、サリーの目に付かない所で解決したいものだけど。
それはどうやら無理みたいだ。
「そう言えば、もう少ししたらリックがこの遺跡にやってくるのだ。ネルとレイミーはわたしの恩人だからな! リックにも同じように大切に接するように頼んでやるぞ!」
「もう少しってあとどれくらい?」
するとサリーは「待つのだ」と言い、魔導書を開く。
魔導書には時計機能が備わっているから、リック来訪の時間を確認しているのだろう。
「ああ、もう来るぞ」
そう言ったのと同時だった。
大部屋から通路の先、死体が山積されていた小部屋。
結界が張られていた扉から微かな摩擦音が響いてきた。
ギィっと言う音が、扉が開かれた事を報せる。
「きっとリックなのだ! き、緊張してきた、レイミーどうしようか、なあ! レイミー!」
「だ、大丈夫です。出迎えの口づけするって言ってたじゃないですか」
「そ、そうだったな。では、わたしはリックを出迎えて来る。ネルもレイミーもちょっと待っててくれ」
満面の笑みでサリーはそう言うと、通路の先へと消えていった。
僕は僕で、この先真実を知った彼女が不憫でならない。
でも、それ以上にリックは許せないよ。
オリビア家に連なる者として、身内を騙し利を得ようなんて言うのは、いくら魔王と魔王が殺し合うのが常であろうと僕は許せないね。
魔王の風上にも置けない下衆野郎だ。
『正解。なかなか良い答えね』
僕の心の呟きにメリエスは嬉しそう。
これはある種、僕のエゴでしかない。
騙されたままの方が幸せな事もあるかもしれないからね。
でもそんな幸せは幻想に過ぎない。
僕が過ごした幸せの日々、父さんと母さんと暮らした日々、オリビア家での日々にそんな幻想は無かった。
だから僕はリックが作り出した幻を壊すよ。
お読みくださりありがとうございます。