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たった二人の夢物語  作者: 陽山純樹
第二部

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14/23

14.続く予知夢

 テストの答案を手早く埋めた七海の胸には、朝見た夢がこびりついていた。

 シャープペンを置いて、見直しをしても時間に余裕があった。その日のテストは現国と日本史。どちらも得意分野であったため、さしたる苦労も無く解答できてしまった。


 だが結果、夢を思い起こす時間が増える。


(あの未来は……)


 もし理衣がいなくなれば、絶対に叶う――次の瞬間、小さくかぶりを振った。


(駄目……友人を犠牲にしてまで手に入れる未来なんてあり得ない)


 それははっきりと断言できる。しかし、七海にはあまりにも甘美で、悪魔がその未来へ歩むよう胸の隅で囁いている。


 今朝の予知夢は、あまりに強烈だった。理衣が轢かれる直前で夢が移り――気付けば朝食を作っていた。自分でも驚くほど慣れた手つきで準備を進め、ある時左薬指に指輪がはめられているのに気付く。結婚しているらしいその未来に、現在の七海は訝しい感情と、まさか――という予感めいたものを覚えた。

 やがて寝室らしき場所からドアが開き、冬弥が姿を現した。寝苦しかったのか、冬場だというのに汗が首筋に見えていた。


 冬弥はさほど変わっていなかった。強いて言えば少しだけ目つきが鋭くなった程度。現在の七海は彼の登場に驚き、こういう未来なのか――と、なぜか辛くなった。

 その後会話をし、夢から覚めた。最初感じたのは限りない悲しみだった。友人を犠牲にしなければならない程、自分の願いは遠いものなのか。


 だが同時に、焦燥感が頭を支配した。欲しい――あの未来を。思ったのはほんの数秒だったのだが、惨めさを残すには十分だった。あんな結末でも、冬弥と一緒になりたいという自分が浅ましく、醜いと感じた。

 けれど――答案用紙を見ながら、思う。冬弥と話をしていた夢の中の自分は、どこか暗い感情を抱いていた。おそらく自分は望んだ未来を得て幸せだっただろう。しかし冬弥の胸の中には、予知夢で死なせてしまった理衣のことが離れていない。だから遠い未来で夢に現れ、彼を苛む。


 そんなトラウマを突きつけるわけにはいかない。どうするべきか、わかり切っていた。冬弥の未来が暗いのであれば、選択すべきではない。

 考えていると、テストが終わる。これで初日が終了。簡単なホームルームも終わり、教室が喧騒に包まれる。


「帰ろうかな」


 呟き七海は立ち上がる。横手には談笑する冬弥と理衣。それを振り切るように、鞄に筆記用具をしまい、教室を出ようとした。


「七海」


 そこで、冬弥に呼び止められた。振り返ると冬弥と理衣がが共にこちらを見ていた。


「少し、話がしたいんだがいいか?」


 冬弥が尋ねる。七海は二人の様子を眺め、一応訊いてみる。


「表情からすると、テスト勉強というわけではなさそうだね」

「朝の夢の話だ」


(話したのか)


 七海は思うと同時に、理衣に確認する。


「理衣は、どこまで知っているの?」

「自分が事故に遭う所だけ」


 理衣は肩をすくめ答えた。二つ目は話していないらしい。七海は事情を把握すると、理衣へさらに問う。


「一応訊くけど、テスト勉強はしなくていいの?」

「そっちを片付けた方が、勉強も専念できるんじゃないかと」

「そうかな……ちなみに、どういう話?」

「もし今後、こんな未来が出てきたらどうするか、ということね」

「なるほど。それなら」


 七海は了承し、三人で歩き出す。けれど、話し始めた冬弥と理衣に対し、口を挟むこともない。そうなるのには理由があった。二人が並んで歩く姿を見ると、悪夢を思い出し涙が零れそうになる。だから、必死に耐えるしかない。

 けれどそれによって副次的な効果――新たな仮面が生み出された。笑顔ではなく、平静の仮面。七海は必死に感情を制御し、歩を進める。


 学校を出た三人は、そのまま商店街近くのファーストフード店へ入る。


「あ、私ここで昼食食べるから」


 理衣は一方的に言うと、注文カウンターへ向かった。七海は冬弥と視線を合わせ、理衣に合わせることを伝える。


「私もここで食べるよ。冬弥はどうするの?」

「俺もそうするかな」

「じゃあ私が先に行ってきてもいい? 席を頼むよ」

「わかった」


 冬弥の同意を聞いて七海はカウンターへ向かう。昼前なのだが人はまだ少なく、簡単に注文を済ますことができた。

 それから冬弥の用意していた席に座り、理衣と向かい合せになる。四人掛けの窓際。外を見ると、テスト帰りの学生が何人も歩いていた。


「詳しく話そうとしないから、七海に訊きたいんだけど」


 冬弥が注文をしに行く間、これ幸いとばかりに理衣が口を開く。


「二つ目の夢って、どういう内容だったの?」


 答えに困る質問だった。自分と結婚する――とは即答できない。冬弥が話したがらないのも理解できる。


「もし冬弥がオッケーなら、話してもいいけど」


 七海はそう返した。途端に理衣は渋い顔をする。


「どうしても、言いたくないの?」

「何か、気付いていたりする?」


 カマをかけるつもりで、七海は質問した。すると、理衣はじっと目を合わせる。


「あくまで、推測の話だけどね」


 含みを持たせた言い方。そこへ冬弥がトレイを持って戻ってきた。彼は理衣の隣に座り、


「どうした?」


 と尋ねる。そこで、理衣は息をついて話し始めた。


「私が推測したのは、予知夢の結果から、冬弥が塞ぎこんで、七海がそれを助ける。最終的に、二人は前と同じように一緒にいるようになる……そんな所じゃない?」


 当たらずしも遠からず――直接的な表現は避けているが、どのような結末だったかも推測できているのだろう。

 理衣の口上により観念したのか、冬弥は嘆息混じりに答えた。


「大筋正解だ。ただあくまで表層の上では、だけど。心の内でどう考えているかは、明言を避ける」

「そっか」

「……ただ、一つだけ」


 今度は七海が言葉を紡いだ。これだけは言っておかなければならない。


「今回の予知夢はかなり遠い未来を示していた。こうした事例は最近発生するようになって、どうすればいいのか私達も悩んでいる……それにこのまま予知夢を回避し続けて、果たして問題が解決するのか、わからない」

「七海としては、どうしたいの?」


 理衣が問う。私は冬弥と――心の中で呟いたが、それを封じ込め答える。


「理衣が関わる相当な出来事だから、今回の予知夢を回避するのは当然。それから少し様子を見て、予知夢の推移を見守るくらいかな。それで理衣、私からは二人がデートしている風に見えたんだけど、あれっていつのことかわかる?」

「今週の土曜日じゃないかな?」

「唐突だね」


 七海は嘆息した。実際は会話を聞いていたのでわかっていたが、それを言うと盗み聞きしていたのがバレるので、あえて流れに沿って尋ねた。


「それだけ近いと、期末テスト期間に夢を何度も見るだろうね」

「大丈夫?」


 心配してか、理衣が声を掛ける。七海は小さく頷いた。


「今回の話題は重いけど……受験とか、大変な内容は何度かあったから、理衣が思っている以上に衝撃は無いよ」

「そっか」

「冬弥は、どう?」


 話を冬弥に向ける。彼はポテトを一つ摘みながら、答えた。


「俺も七海と同じような心境だが、正直内容が内容だから、困惑している部分もある」

「明日以降が、問題だね」

「そうだな」


 話はそれで終わりだった。後はたわいもない会話と、テスト対策について。これから三人で勉強しないかという提案を、七海は丁重にお断りした。


「一人で勉強した方が能率上がるから」


 それは建前。本音は彼らが二人並んでいるのを見るのが無理だったからだ。

 今も隣同士で話す二人を見て、発作のように泣き出したくなる。もしこの光景を長時間見続ければ、間違いなくボロが出る。さらに言えば、すぐに帰りたかった。けれど、できない以上我慢するしかない。


(冬弥……)


 目の前にいる想い人の名を、心の中で呟く。同時に隣にいる理衣に対し、嫉妬心が生じる。さらにはそんな感情が湧き出る自分を、咎める心の声が聞こえる。

 そこから拷問のような時間は二十分続き、解散となった。二人はテストの点数で勝負をしているらしく、手の内を見せないため別々に勉強することになった。理衣はいち早く帰り、冬弥は図書室へ行くため学校に戻った。


 七海はその足で帰る。家に着いた時今日は涙ではなく、戸惑いによるため息が漏れた。


(私は……)


 あんな未来を求めてはいない。しかし、もし誰も死なない中、ああした予知夢が現れるとしたら、もしかすると――


「そんな自分本意な予知夢が、現れた試しなんてないか」


 呟き悲しくなった。七海は無言で家に上がり、自室に向かった。



 * * *



 翌日の夢は、かなり特殊だった。冬弥は昨夜の予知夢と同様に、理衣と公園へ歩く。七海が現れ声を掛ける。そこまでは同じだった。そして、そこからの悲劇もまた同じ。

 話をしようとした二人へ乗用車が突っ込んで来る。七海が体を強張らせ、理衣がそれを庇おうとする。


 そこで新たな変化が起きた。弾かれたように冬弥は足を動かすことができた。目標は、七海を突き飛ばそうとする理衣。

 間に合うのか――冬弥が必死に駆け、追いついた。横手に理衣を突き飛ばし、その反動により――自分の正面に車が迫る。


 冬弥が言葉を失う。視界は向かってくる自動車で一杯となり――突如、目が覚めた。


「……え?」


 冬弥は呟き、言葉を失う。一つ目の夢が終わり、二つ目が来ないまま起床していた。

 わけがわからず体を起こした。時計を見ると目覚ましの設定時間十分前だった。


「……何だ、これ?」


 こういう事態は今までなかった。やはりこれまでの予知夢と異なるのか。

 冬弥は静かに身を起こした。眠る気にはなれない。設定時間前であるが、この時間には母親も準備で起きているので、さっさと支度を済ませることにした。


 リビングで母親に驚かれながらも、いつものように準備を済ませ家を出る。玄関先では七海が立っていた。一目見て、異常に気付く。僅かだが、顔が青ざめている。


「おはよう、俺は一つ目の夢しか見れなかったんだが、そっちもか?」


 とりあえず尋ねたが、七海は答えなかった。それどころか冬弥を凝視し、離さない。


「どうした?」


 不安になって口を開く。七海は問い掛けで我に返ったのか、首を振って「ごめん」と口添えした。


「行こう」


 冬弥が告げ、駅へ歩く。途中二人は無言だった。七海は顔色を変えないまま一切言葉を発しない。対する冬弥は彼女の反応を見て、思案したことにより無言。


(一つ目しか見ない夢。そして、夢で自分は車に――)


 そこまで至れば、どういう意味合いなのか冬弥にもわかった。


「二つ目の夢は、俺が死んでいたんだな?」


 核心をついた言葉に、七海はビクリと体を震わせた。


「そうなんだな?」


 確認する冬弥の問いに、七海は頷く。腑に落ちた。


「なるほど。死んでいると、夢は見なくなるのか。まあ、当然か」


 憮然とした面持ちで言った冬弥に対し、七海は沈黙したままで、なおかつ顔を強張らせている。

 七海の様子に対し、冬弥は小さく息をついた。


「七海。今回と昨夜の夢を考慮し、あの状況を作りださないことにするよ。それだけで解決する。俺は死にたくないからさ」

「そう……だよね」


 喉の奥から漏れ出すように、七海が言った。さらに胸に手を当て、静かに呼吸をする。


「ごめん……その、二つ目の夢は冬弥の葬儀の話だったから、正直、驚いて」

「ああ、そっか」


 七海の表情にも合点がいった。近しい人間がいなくなる予知夢など見れば、顔色が悪くなって当然だろう。冬弥は七海の顔を見て、改めて未来を防ぐための対応を口にする。


「予知夢を回避する方策は、昨日理衣と相談したやり方でいいと思う」

「うん……」

「で、このままいけば明日見る予知夢は、七海が轢かれるものになりそうだけど」

「そうだね……そんな気がする」


 七海は力無く笑った。しかし同時に、思い直したように笑顔を向ける。


「だったら、理衣にも強く言っておいて」

「了解」


 それで会話は終わりだった。両者は無言で駅に歩く。


(死ぬ、か……)


 やがて、冬弥の心の中に死という存在が浮き出た。七海から二つ目の内容を聞かされ、未来自体が絶たれるという事実に、恐怖を覚え始める。


(また、話をしようかな)


 横にいる七海を一瞥した後、昨日と同じように理衣を交え、予知夢の話し合いをしようか思案する。


(対応を考えないといけないし……放課後かな)


 七海の硬質な態度を見て、そう思う。断じると予知夢を振り払い、歩くことに集中する。けれど、それは登校に気をやるのではなく、死の恐怖を忘れたくて逃避するためだと、冬弥自身認識していた。



 * * *



 その日のテストが終わり、七海は昨日と同様予知夢の話し合いをしないかと、冬弥に提案された。


「今後の夢次第ではあるけど、また話をしたい」


 不安なのだと、七海は思った。無理もない。自分が死ぬかもしれない予知夢を、直接見せられては、仕方が無い。

 七海としては、冬弥に応じたかった。だが、首を左右に振った。


「ごめん……少し体調が悪くて」

「え、大丈夫か?」

「うん。だからベッドで眠りたいんだ」


 不安な様子を見せる冬弥に対し、七海は小さく笑った。嘘は言っていない。自分は紛れもなく、体調が悪い。


「ただ、相談については乗るよ。まだ日もあるし、明日とかならどうかな? 体調の具合を見て、良ければだけど」

「わかった」


 冬弥は了承し、七海は教室を出た。後方を一度だけ振り返ると、冬弥が理衣と会話をしていた。


(ごめんなさい)


 心の中で謝罪しながら、七海は無心で歩き始める。廊下を進み、階段を下り、下駄箱を通って学校を出る。坂を下りながら、今日見た二つ目の内容がチラつく。同時に果てしない恐怖と、悲しみが断続的に襲う。


 七海は冬弥に、嘘をついていた。二つ目の夢は、確かに冬弥が死んだ未来だった。しかし葬儀ではなかった。もっと遠くの未来――精神が崩壊し、部屋に閉じこもっている自分の未来だった。

 鏡などで姿を確認はできなかったが、腰を越える程の髪が伸びていたため、かなりの年月塞ぎこんでいたのはわかる。だが、問題はそこではない。精神に異常をきたした夢の中の感情が、今の自分と多少ながら混ざり合ってしまった。


 冬弥が死んだ先にいる七海は、あの時の光景と、搬送された病院で亡くなった時の情景がフラッシュバックし、全てが凍りついていた。そこから一歩も前に進めず、涙すら流せず、ベッドの上でうずくまり冬弥の名を呼び続ける。抜け殻のような生活の中で、七海はずっと部屋にいた。望みは一つもない。

 考えている間に、自宅に辿り着いた。そこに至るまでの記憶が一切ない。まるで冬弥の告白を立ち聞きしていた時のような有様だった。家に入ると、七海は鍵をかけ靴を脱ごうとした。だがふいに足の力が抜け、その場にへたりこむ。


「……良かった」


 バレなかった事実に、何より安堵した。自分の胸に手を押し当て、呼吸をする。予知夢の中に存在していた感情が湧き上がってくる。頭を殴られたような衝撃が全身を駆け巡り、七海はどうにか平静を保とうとする。

 以前のように泣いたりはしなかった。というより、予知夢の情景は悲しみより絶望が支配していたため、まともな感情すら無かった。だが七海が朝からずっと頭に残っていたのは、冬弥が車に轢かれる光景。その情景が何度も思考を掠め、恐怖に陥れる。


 それから、たっぷり三十分かけて落ち着いた。ゆっくりと立ち上がり、靴を脱いでリビングに入る。夢の出来事を思い出さないように努めながら、これからのことを考える。


「明日は、冬弥の言った通り私が轢かれる話なのかな?」


 そうすると、今度は自分が一つ目しか夢を見ないことになる。

 この調子なら、明日も予知夢を見るはずだ。どういう結末になるのかを推察しながらも、七海は一抹の不安を抱えた。


(もし、あのシチュエーションになったとしたら……)


 冬弥はきっと、理衣を犠牲にしたりはしないだろう。間違いなく、冬弥自身が――


 そこまでで、思考を止めた。またも今朝の夢を思い出しそうになる。同時に、明日話をしなければならないことに気付く。昨日の夢と今日の夢。そして冬弥と理衣。果たして耐えられるのかどうか、七海は不安になった。

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