歪み
今回は翠視点です。
彼女はまだ、自分が間違っているとは思っていません。
思いたくないだけかもしれませんが。
それでも――
確実に、何かがおかしくなり始めています。
今回のお話は、その“最初のヒビ”です。
どうして、こんな空気になっているのか。
教室に入った瞬間、分かった。
視線が違う。
昨日までとは、明らかに。
重い。
刺さる。
避けられているわけでもないのに、まとわりつくような視線。
――あの一言からだ。
龍神葵が、あれを言ってから。
全部、壊れた。
(……なんで)
机に置いた手が、わずかに震える。
見られている。
疑われている。
昨日までと同じはずの場所なのに、まるで別の教室みたいだった。
(違う……私は悪くない)
心の中で、反射的にそう思う。
(だって――)
視線が、自然と逸れる。
少し離れた席。
隆二。
さっきまでの余裕はない。
笑ってもいないし、誰とも目を合わせていない。
(……ほら)
胸の奥で、何かがすっと整う。
(あいつのせいでしょ)
そうだ。
全部、隆二がいたからだ。
あいつが近づいてきて。
あいつが言ったから。
あんなことになった。
(私は……悪くない)
言い聞かせる。
何度も。
何度も。
――でも。
不意に、浮かぶ。
『……おいしい』
あの時の声。
自分の声。
キッチンの中で、笑っていた自分。
『普通に売れるよ、これ』
あれは、本音だった。
無理して言ったわけじゃない。
ちゃんと、美味しかった。
楽しくて。
安心していて。
……あの時間は、本物だった。
(……違う)
小さく首を振る。
あれは、ただの過去だ。
意味なんてない。
今は違う。
(今は……隆二くんの方が)
そう思おうとする。
――でも。
言葉が、続かない。
楽しい。
それはある。
でも。
それだけだった。
その場だけ。
その先が、何も見えない。
(……嘘でしょ)
胸の奥がざわつく。
気づきたくなかったことに、気づいてしまう。
比べてしまった。
あの時と、今を。
安心と、不安を。
(……なんで)
息が詰まる。
喉が締まる。
視界が、滲む。
でも。
それでも。
(……私は悪くない)
そこだけは、手放せなかった。
ここを認めたら、全部崩れる。
だから。
必死に、押し込める。
「……あんなの、分かるわけないじゃん」
小さな声。
誰にも届かない。
けど――
自分には、ちゃんと聞こえていた。
その言葉が。
言い訳だってことも。
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