翠のその後(翠視点)
翠のその後です。
※バランス調整と加筆修正しました。
私は、大学を去った。
あの日以来、キャンパスに私の居場所はどこにもなかった。背中を刺すような冷たい視線、ヒソヒソと交わされる嘲笑……。自業自得だ。でも、その「白い目」に耐えられるほど、私の心は強くなかった。
誰も知らない土地へ、すべてを置いて逃げ出した。
目の眩むようなブランド物も、金で繋がっただけの空虚な人間関係も。全部、地獄の業火で焼き捨てられたみたいに消えてしまった。
「ちょっとあんた、キビキビ動きなさいよ!」
「はい、すみません!」
慣れない敬語と、ぎこちない笑顔。
ここは隣県の小さなホテル。翠は住み込みの従業員として働いている。
朝は早く、夜は遅い。身体の芯まで疲れ果てる忙しさに追われているときだけ、自分の醜い過去を考えずに済んだ。
――それでも。
ふとした瞬間、思考の隙間にあの声が入り込む。
「翠、うまいだろ?」
「……うん、美味しい」
客のいないロビー、窓の向こうに広がる静かな空。
思い出すのは、あの頃の、何一つ飾る必要のなかった時間。
(どうして、私は……)
金やブランド物、そんな形だけの輝きに目が眩んでしまったのだろう。
司がどれほど、不器用ながらも真っ直ぐに私を愛してくれていたのか。
失ってから、彼を愛していたことに気づくなんて。あまりに遅すぎた。
「翠さん? 大丈夫ですか?」
振り返ると、ホテルの息子である青年が立っていた。
いつも何かと気にかけてくる彼に、翠はすぐに視線を逸らし、距離を置く。
「……なんでもないです」
司を裏切り、その真心を踏みにじった私に、誰かの隣に立つ資格なんてない。
ましてや、新しく誰かを好きになる資格なんて、あるはずがないのだ。
けれど、彼は何度でも話しかけてきた。
仕事を手伝い、他愛もない話をして、無理に踏み込まず、ただ隣にいる。
冷え切っていた私の心が、その温もりに少しずつ、溶かされていく。
「今日、休みですよね? 少し外、出ません?」
断ろうとして、言葉が詰まる。
私は一生、罪を償わなきゃいけない。幸せになってはいけないはずなのに。
そのとき。
――もういい。
――お前も、幸せになれ。
不意に、司の声が風に乗って聞こえた気がした。
振り返っても、そこには誰もいない。
でも、その温かな響きは、凍りついていた私の「罪」を、静かに解き放っていった。
「……ずるいよ、司くん」
瞳から涙が溢れ出す。
気づけば、目の前の青年の服を、縋るようにぎゅっと掴んでいた。
「……ごめん。私、ちゃんと……前に進みたい」
自分の醜さも、愚かさも、全部抱えて生きていく。
溢れ出した涙は、止まらなかった。
でも、もう逃げない。
これは赦しではなく、忘却でもない。
それでも私は、生きていく。
見上げた空は、どこまでも青く、澄み渡っていた。
まるで、醜かった過去に別れを告げる私の、最初の一歩を祝福するかのように。
――翠編 完――
最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました。
翠の辿った運命に、賛否あると思います。
しかしこれで良かったかと思います。
でないと、ツカサにも幸運は訪れない気がします。
短い間でしたが、また何処かでお会いしましょう。
ありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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