■第8話 あいえいち
翌日。
リゼットは、ほのかに香る甘い匂いで目が覚めた。
眼をこすりながら体を起こして、思い出す。彼女は、王立イルミナティア学院の入学試験を受けに来たのであった。
そうだそうだ。それで、このいけすかないケントとかいうやつと相部屋にされて。
昨日話した感じ、貞操が危ないようなことは起こらないだろうと判断したリゼットは、ベッドの布団がそこそこ上質だったことも重なり、ぐっすり眠りこんでしまった。
窓から差し込む太陽の感じでは、まだ遅刻にはならなそうだ。まあ、今日遅刻したら明日の試験を受けるだけなのだが。
「お、起きたな」
「なによ……おきたら悪いっていうの……」
この女子、なかなか目覚めが悪い。まだ発音がじゃっかんあやしい。
「食べるか?」
ケントはというと、部屋の中なのに鍋を取り出して、何か白い謎の粒々を調理している。
「あさごはん? くれるの?」
「ちょっと多めに炊いたからな。というかお前米食べたことあるのか」
「こめ? まあいいわ、ちょうだい」
「ん」
ケントはどこからともなく、コーヒーカップを大きくして取っ手をなくしたような器を取り出し、木のヘラで白い粒々を鍋から盛っていく。
「ほい」
「あったかい……あったかい? あたためた?」
器を受け取って、謎の穀物が発する匂いと湯気の立つ器から伝わる熱を感じた瞬間、リゼットの緑色の瞳が見開かれる。
「な、なべ? あんた鍋使ったの? 朝から?」
そして、ケントのそばに置かれた金属のきらめきを認識し、リゼットの意識は完全にはっきりとした。
よくよく見ると、旅行用の携帯性に優れたような鍋でなく自宅とかで使うようながっしりとした鍋なのだが、そんな些末なことはリゼットにはもうどうでもよかった。
「昨日火使うの禁止って言われたわよね? 部屋では禁止って。炊事場にかまどあるからそれ使いなさいって。火魔法で温めるのも火事の原因になるからやめてねって。聞いてなかった? バカ? バカなの?」
さっきまで寝ぼけていたことはすっぱり忘れて、リゼットは説教を始めた。
自分と同室で、規則違反をしたのが問題なのだ。はたから見れば、リゼットも同意のもと、堂々と規則を破ったと取られかねない。そうしたら、試験を受けるまでもなくこの学院から放り出されたって文句は言えない。
リゼットは、そんなことは嫌だと思った。せめて落とされるにしても、ちゃんと試験を受けて落とされたいと思っていた。
だから、自分の寝ている間に規則違反をしたケントに対して怒りまくったのだ。
半分は、自分に向けてであったが。彼が世間知らずというか、どこか抜けているあたりはもうわかっていたはずだった。ちゃんとケントを監視していなかった自分のことも、彼女は責めていた。
「いい? ちゃんと燃えさしは片づけた?」
ケントはというと、目をぱちぱちとさせていた。
反省の色が見られないから、ここはもう少し叱ってやろうと、リゼットが息を吸い込む。
「えっと……燃えさしなんて出てないし……火も使ってないんだけど……」
リゼットは吸った息をそのまま吐き出した。ただの、朝一番の深呼吸である。
溜め込んだ怒りエネルギーが、彼女の腹の中で行き場をなくして荒れ狂う。はしごを外された気分であった。
「そう……」
いや、まだ振り上げた拳を下ろすには早い。
なんかケントの反応が思っていたのと違うので、トーンは若干下げて、リゼットは問うた。
「じゃあどうやって温めたのよ?」
これに尽きる。物を温める方法なんて、火にかけるしかないでしょう。
「IH」
「は?」
「だから、IHだよ」
「あ、あいえいち?」
ニホンでも実用化されてから50年ほどしか経っていない比較的新しい技術が、シストリアに伝わった瞬間であった。
「あいえいちって何よ?」
「お母さんが誘導加熱って言ってたけど、細かいところは俺も知らねえ」
「は?」
「なんか磁力ってやつがあって、それをていってかければ鍋があったまるんだよ」
リゼットの頭はもう、パンク寸前であった。
あいえいち。誘導加熱。磁力。知らない言葉だらけだ。
「……まあ、いいわ。とにかく、火を使ってないならいいのよ」
「おう」
「その……悪かったわね。一方的に怒っちゃって」
視線を逸らして頬を掻きながら、リゼットが謝る。
「俺もひとこと言っとくべきだったな、ごめん」
ケントも自分の非を認めて、素直に謝った。
ふたりは3秒くらい、沈黙の中で見つめ合う。
「ほら、冷める前に食べようぜ」
「あ、ああ……そうね」
リゼットはケントの真っ黒の瞳に見とれていたのだが、はっと我に返る。
「ところで、何なの、この料理」
「料理っつうか……これは『米』って言うんだよ」
アカネとケント、そしてハシモトが世界中を駆けずり回って、魔法で温室を作ったり成長促進までして、やっと納得のいく形にしたジャポニカ米である。
水加減と火加減は完璧で、器の上でつやつやとしている。
「こめ……」
「パンだと思って食べればいいよ」
主食か。リゼットは納得して、自分のスプーンを取り出した。
「いただきます」
「いただきます」
リゼットはちょうど一口分をすくい、恐る恐る自らの口に"コメ"を放り込んだ。
もきゅもきゅとしてから、リゼットが言葉をこぼす。
「何これ……パンよりおいしいじゃないの」
粒々の感触が慣れないものの、やわらかくて、あたたかくて、そして、かめばかむほど甘味がする。
こんなのははじめてだった。
「ありがと」
力が、腹の底から湧いてくる気がする。
これなら、この後の試験も頑張れそうだ。リゼットはそう思った。




