■第7話 試験前夜
試験は明日の朝から行うから、指定の時間に集合するように。
それだけを伝えられて、イルミナティオでの一日目はおしまいであった。
王国中から受験者が集まる(なんせ、合格さえすれば、どんな地位だろうが最高の教育が受けられるのだ)わけだから、全員を一斉に試験するというのは到底無理だ。
イルミナティオではやってきた順に試験を行い、合格ならそのまま入学、不合格ならさよならという形をとっている。入学を受け付ける期間は2週間ほどだ。
「それでは、こちらをお使いください」
事務員から渡されたのは、部屋の鍵。
広間での雑魚寝も覚悟していたリゼットにとっては、ありがたい話であった。
るんるん気分で、リゼットが指定された部屋の扉をがちゃっと開けると。
そこには昨日から何かと縁がある、黒髪黒目の、つかみどころのない奴がいた。
「なんであんたと一緒の部屋なのよ!」
部屋にはベッドがふたつ並び、片方のそばでケントは荷解きをしている。
「来た順だって」
「だからといって男女一緒って……」
「一緒で何か問題あるの?」
ケント・ド・オクムラ。12歳。
絶海の孤島で、ろくな友人も持たずに育てられた彼は、そういうところにも疎かった。
「あんたねえ、あたしをバカにするのもいい加減に……」
リゼット・ルグラン。同じく12歳。
まだまだお子様なところだってあるけれど、自分の容姿にはちょっとだけ自信があった。胸はまだまだだけど。
「ん? ばかにする?」
リゼットは明らかに「自分が対象外である」と言われたと思って気分を害しているのだが、ケントは本気でわかっていない。
「わたしってそんなにかわいくない? 田舎だとこれでも結構人気あったんだけど?」
「いやお前、美人だとは思うよ?」
「なによ、とはって。手を出すほどじゃないよって? ふざけてるの?」
「手を出す? ほれ」
「はい」
あまりにも自然と差し出されたケントの手の平に、飼い馴らされたウルフのようにぽんと手を乗せてしまう。
「おー、よしよし」
ケントが反対の手を伸ばして、リゼット自慢の深紅の髪の毛をわしゃわしゃとやり始める。
撫で慣れているのだろうか。リゼットの身を心地良さが包み、翡翠のような瞳が閉じかける。
「じゃなくて!」
いけない。ふと我に返ってケントの手を振り払い、立ち上がる。
耳をちょっとだけ赤くしながら、彼女は続ける。
「そういう物理的な『手を出す』じゃないの!」
「違うの?」
リゼットは、本が好きであった。文字を読むのが大好きであった。文章に飢えていた。
父親が完璧に施した偽装を見破り、本棚の隠し扉の奥に隠された官能小説を発見し、ダメだと思いながらも読んでしまって頬を染めるくらいには、本が好きであった。
「ねえあんた、わかってやってるでしょ」
「すまん、マジでわからない」
リゼットは、怒り半分、呆れ半分といった様子である。
「ほんと?」
「ほんとだって」
「……知らない。自分の胸に聞きなさいよ」
毛布を引っ被って、リゼットはぷいっと、ケントに背を向けた。
ケントからすれば、災難である。部屋に美人の知り合いが入ってきたかと思えば、勝手に機嫌を損ねて無視されてしまったのだ。
ケントは考える。
お父さんもお母さんもここにはいない以上、自分で考えるしかないだろう。まさか、家まで転移で帰るわけにもいかないし。
彼女は「男女一緒」を気にしているように思えた。そして、それを一切気にしないケントに、腹を立てているように感じた。
男の人と女の人が、なるべくこっそりやるようなこと。ケントの乏しい性知識の中には、ひとつしか引き出しがなかった。母と父がこっそりやっていたことだ。
「なに、俺にキスされちゃうかもとか思ったわけ?」
結論にたどり着いたケントが、ややからかうような口調で言う。
「そんなの思ってないわよ、ばか」
実際はもっと先までちらっと考えてたりするのだが。そんなことは絶対に秘密だ。
「あのね、そういうのはね。自分の好きな人とだけするの。知ってる?」
これは子供向けの本にも書いてあったから間違いないはずだと、リゼットは確信を持っている。
「確かに、お父さんとお母さんがよくやってるな」
現在進行形であった。
子が生まれて12年経ってなお、勇者カップルはラブラブなのである。
「だからね、好きでもない人とそういうことしないように、普通は男女は一緒の部屋に入らないの」
この場合は男の側にキス以上の知識がないのだから、めちゃくちゃ安全ともいえるが。
「ん? おかしくない?」
「何がおかしいのよ」
「だって、お互いが望んでなきゃそんなこと起こらないだろ? 別に一緒の部屋でも」
リゼットは、信じられなかった。こんなピュアな男の子が、この世界に存在していることに。
ニホン育ちの勇者ふたりは、やっぱり根本的な倫理観は日本寄りなわけで。「ひとのいやがることをしちゃだめ」と、さんざんケントに言って聞かせてきた。
その成果と、あとは孤島の環境が、こんな深窓の令嬢……令坊のような思考回路を作り上げたのだった。
「あんたねえ……」
リゼットは、深く深くため息をついた。
どうやらこの男子、本当に、いろいろと、世の中のことがわかっていないらしい。
「もう知らない」
自分が何に怒っているのか、何に苛立っているのか、それともただの八つ当たりなのかわからないまま、とにかくリゼットは毛布を被り直す。
しばらく、部屋には、ケントが荷物をがさごそする音だけが響いた。
「悪かったって、ごめん」
静寂を破ったのは、ケントだった。
父親の教えを思い出したのだ。女の子を怒らせたと思ったら、謝れと。原因究明なんて二の次でいい、とにかく謝れと。そう教わった。
「ゆるさない」
「許してください、何でもします」
「ほんと?」
「ほんとだって」
目より上だけを毛布からそろりと出して、リゼットはケントの方に向き直る。
「……じゃあ、あたしに教えなさいよ。さっきの技」
「さっきの?」
ケントからすると自然すぎて、「技」の自覚がないのだ。
「なんで魔石に属性選んで魔力が入れられるのよ! あまつさえ握って魔力を抜くってあんた何者よ? ほんとに人間よね? 魔王の生まれ変わりとかではないわよね?」
一息にこう言い切って、ぜいぜいするリゼット。
魔王の生まれ変わりではないけれど、ケントは勇者の息子ではある。
「いや、人間だけど……」
どこからともなく緑色の魔石を取り出したケントが、それを無色に戻す。
「うーん、どう教えりゃいいんだ?」
ケントは、手のひらの中の魔石の色を次々と変えながら、首をひねった。
「それ! それがやりたいの!」
「ま、練習するしかないんじゃね?」
ほい、と、無色に戻した魔石をリゼットに向かって投げる。
彼女がそれをつかんだ瞬間、魔石は赤く染まってしまった。
「がー!」
「ほい」
吠えながらリゼットが投げ返すと、ケントはワンタッチで魔石を透明にし、また戻す。
「ぐぬぬ……」
「そうだな。まずは魔力を一切流さない練習した方がいいかもな」
「なるほど……あう。もっかい!」
やっぱりすぐに、魔石は赤くなってしまう。
「ほい」
「まだまだ!」
「ほい」
「むー!」
「ほい」
謎の掛け声が発生し、魔石が幾度か往復して。
「無理! もう寝る!」
リゼットは習得を諦めて、ベッドに倒れ込んだ。
なにせ、糸口も見えない。勇者一家は当たり前のようにこなすが、かなりの高等技能なのだ、これ。
「ねえ、あんた」
「なに?」
「明日も付き合ってくれる? 練習」
「そっちが試験受かったらな」
リゼットは、ふたつの意味でカチンときた。
ひとつは、ケント自身が受かるかどうかもわからないくせに、まるでリゼットが受かるかどうかだけが問題だと言わんばかりの言い方に。
もうひとつは、「そっち」という呼び方だ。自分が「あんた」と呼んでいるのを棚に上げて、リゼットはちょっと怒っていた。
「いいわよ、やってやろうじゃないの」
リゼットのやる気は、マックスパワーで燃え上がった。
まずは、試験に合格する。
そして、この何考えてんだかよくわかんないやつに、せめて自分の名前を呼ばせてやろう。
そう誓いながら、彼女は明日のため、体を休めることにした。




